第1話
文字数 7,770文字
首が転がっている。
美しく結い上げた髪を乱し、簪を揺らし、珊瑚の耳飾りをきらめかせた、美しい女の首。
爪先で軽く蹴ると、わずかに傾いた。
これは私の姉だった女の首。
私には、双子の姉がいた。
明るく溌剌として、私とは正反対の姉だった。
私は姉を愛していたが、姉は私を愛してはいなかったのだ。
*
「さ、御挨拶しなさい」
そう父に促され、その人の顔を見たのは十三の頃。
「金蓮《きんれん》と申します。お目にかかれて光栄でございますわ」
「も、木蓮《もくれん》と申します。以後お見知りおきを……」
姉の挨拶に続いて頭を下げると、あの人――西門 祐《せいもん ゆう》さまは、優し気な美貌を少し綻ばせた。
「趙家《ちょうけ》の二花と噂されることはある。本当に愛い娘たちだ」
そう言って、裕さまは私と姉を両手で抱き寄せた。
彼はその時、二十五歳の青年だった。
その頃の私たちには、裕さまの胸はあまりに大きく、広く、二人まとめてすっぽり収まってしまうほどだった。
「ねえ、木蓮|。裕さまって、すっごくお優しそうな方ね」
思いがけない僥倖《ぎょうこう》だわ、と、金蓮は悪戯っぽく私の耳元で囁いた。
「う、うん……」
西門の家の息子はずいぶんな放蕩者だが、えらく優男で、女性に優しく、そして美しい男だった。両親は健在で、今は当主の西門起が取り仕切っているが、いずれ息子に家を継がせるつもりで伴侶を捜しているらしい。
奉公に出る娘にとってこれほど魅力的な家はない。
もし西門祐に見初められれば、正妻は無理でも妾の座に着くことができる。それは庶民からすれば非常な出世で、一生を雇われ下女の身分で過ごすより余程幸福な人生――まさに玉の輿といえた。
それはむろん、趙家の双子、金蓮木蓮姉妹も同じである。
『ねえ、木蓮。あたし達、ぜったい二人で幸せになりましょうね。何があっても大丈夫よ。あたしがあんたを守ってあげる。だって、あんたはあたしの妹だもん』
西門家へ行く前夜、金蓮と寝台に横たわってそう話したことを覚えている。
互いに髪を結いあい、着物を着つけ合い、似合う髪飾りを選び合って、互いの唇に紅を引き合った。
仲の良い姉妹であったと、自分でも思う。
西門家での仕事は、女中頭の下についての雑用だった。
姉妹とはいえ、それぞれに得手不得手はあった。
私は手先が器用で、客人の対応は苦手であったから、主に厨の雑用を。
姉の金蓮は細かい作業が苦手な性分で、明るく愛想がよかったので客間での雑用を。
私たちはそれぞれ持ち場を与えられ、それぞれの特性を持って仕事に励んでいた。
仕事は辛いが、それでも充実した日々であった。
故郷の田舎と違い、西門家のある都は、とにかく人であふれ、物であふれ、目新しいものがたくさんあった。祝日や盆の行事も盛大で、正月などは街が一面赤い提灯で紅海のように見えた。
へまをして片方が仕置きされれば、片方がこっそり蔵へ食べ物を差し入れてやり(たいてい私が蔵で閉じ込められていた)、片方が体調を崩せば、片方が粥をすくって口元へ運んでやった。
春、夏、秋、冬。
西門家のしきたり、人、そして仕事に慣れようと必死になっているうちに瞬く間に日は過ぎて、気がつけば二年が経っていた。
そのころからだ。
私と金蓮の仲が、おかしくなりはじめたのは。
十五になった私たちは、娘盛りに入ったばかりであった。
このころの年頃特有の、根拠のない自信に満ちた尊大さ、若さゆえの溢れ出る精力、そして生来の明るさで、金蓮は客人の目を引くようになった。
私から見ても、姉の、身の内から噴きこぼれるような若々しい生命力は、眩しかった。
一方の私は、厨で地味な仕事に打ち込み、手先は荒れ、同じ顔でありながらも天と地ほど違う姉にたいする遠慮と劣等感で、まるで日陰の鼠のようだった。
だが、私は姉を憎いだとか疎ましいだとか、思ったこともなかった。
変わらず私は姉を愛していたし、彼女の華美さをもってすれば、いつか良い所へ嫁して玉の輿に乗るのだろうと、そう信じていた。そしてそれを望んでいた。
それに、祐さまはそんな私にも優しかったし、いつも「困ったことはないか」と声掛けをしてくれた。
包丁で手を怪我した時は、あわてて駆けつけ、自らの口で私の指を吸い、血を止めて応急手当てをして下さった。
夜遅く作業している時は、蝋燭の灯りを持って厨に来られて、他愛もない話をしてくださった。
屋敷のなかといえど危ないからと、部屋まで送っていただいたこともある。
祐さまの親切は嬉しかったし、忙しい日々が私を卑屈にさせる間も与えなかったのだ。
そうこうするうちに、裕さまはかかわりのある良家から正妻をとり、裕さまのご両親は長く雇っている使用人たちを数人つれて近くの別宅へ隠居なされた。
世代交代が行われたのだ。
祐さまの正妻は、香娥《きょうが》さまという、気品と美しさ、そして清楚さを兼ね備えた、まるで天女のような方だった。
彼女が連れてきた使用人たちも西門家に入り、新しく人事が行われ、私は厨のなかでも古株になり、人に教える立場となった。
「妾をとろうと思うのだ」
結婚後、一年経って、裕さま――いや、旦那様がおっしゃった。
一年、 香娥様にお子が宿らなかったため、妾を入れるという。少し病弱な方であったので、お体のことを考えてということもあったのだろう。
「旦那様、いつあたしに声をかけてくださるのかしら」
寝所で金蓮が髪をとかしながら言った。
「金蓮……」
「だってね、あたしってばここいらで一番の美人と言われているし、気立てもいいって評判なのよ。もう何人かの人に、嫁に来てくれと誘われているの。旦那様が声をかけてくださったときのために、断り続けているのよ」
「そうだったんだ……」
知らなかった。
とはいえ、私と違い、金蓮はお使いにもよく出ているし、人前に立つ機会が多い。金蓮ほどの器量ならば、そう望む人は多いだろう。
でも……。
「さすがに旦那様の妾になるのは、大逸れているんじゃ……?」
妾――つまり、第二夫人のことだ。
私たちのような雇われの召使いが語るには、大層過ぎる。
だいたいが、前夫に旅立たれた未亡人や、花街の人気娼婦が乞われて収まるようなもので、私たちのような者が望んでなてるものではない。
「それに、奥様の立場もあるし…」
「バッカねえ、木蓮」
金蓮が笑う。
「だからいいのよ。明らかに目下の第二夫人なら、変に張り合う必要も、正妻の座の脅威になりえない。そう思えて、奥様だって安心でしょう」
「そうかしら……」
「そうよ。幸い、この西門家にも、近所にも、あたしほどの器量よしはいないわ。もし旦那様から声が掛かったら、あんたをあたしの侍女にしてあげる。どこでもいっしょに居て、すてきな物をお揃いで買いそろえるのよ」
はたから聞けば、馬鹿馬鹿しい話であったことだろう。
けれど、金蓮が言えば本当にそうなるような気がして、私は二人露店で二人、歩揺を選ぶところを想像した。それはあまりにも生々しく、ありありと思い浮かべることができて、きっと本当にそうなるのだろうと思った。
「あたしがあんたを守ってあげる。だって、あんたはあたしの妹だもん」
金蓮の口癖だ。
私はその口癖を聞くのが好きだった。
そしてそれは実現した。
金蓮は裕の妾になった。
使用人から第二夫人へ。またとない出世、玉の輿だ。
金蓮は結婚を報せるために趙家の父母に文を出し、私と一緒に寝台の上に寝転がって夜通し語り明かした。
「あの話し、覚えている?」
金蓮がそっと耳打つ。
「あの話し?」
「もし旦那様から声が掛かったら、あんたをあたしの侍女にしてあげる。どこでもいっしょに居て、すてきな物をお揃いで買いそろえるのよって、あたし言ったでしょう?」
――そんなこと、できるはずがない。
戸惑いながら、頷いた。
部屋つきの侍女になろうとすれば、相当の地位や実力が必要である。同じ使用人でも、部屋つき侍女は少し部類が違う。居間の木蓮が侍女になろうとするのは、女中頭になるよりも難しいのではないだろうか。
夫人の身の回りの世話をする侍女は、だいたいが良家に仕えていた侍女や、もともと良家の女であったがわけあって家を出た者だ。
「……だけど、きっと金蓮には良家を出た侍女がつくと思うよ」
「だめよ! ぜったいぜったい木蓮じゃないとだめだわ」
あたしたち、ずっと一緒って約束したじゃない。
金蓮はそういって、私を強く抱きしめた。
「あんたは全部、なにもかもあたしに任せておけばいいの。あんたはあたしの可愛い妹なんだから。ね。あんたはあたしが守ってあげるから」
そう言って姉ぶる金蓮のことが、私は嫌いではなかった。
むしろ、頼りない私を前に引っ張っていく、その力強さや頼もしさが、私はとても好ましく感じられた。
幼いころからずっと金蓮は私の前を行き、私の手を取り、私の行く先を示してくれる。
だから私は安心して頷くことができたのだ。
だがそれは大きな間違いであった。
故郷から父母が西門家を訪れ、婚姻の儀式を皆で祝った。
母は涙を流して美しく装った金蓮を抱きしめ、父は西門祐に何度も頭を下げて金蓮のことを頼み込んでいた。
私は笑顔で祐さまの隣に並ぶ金蓮の姿に、誇らしい気持ちでいっぱいだった。
ああ、しかし、これほどまでに美しい光景があるだろうか。
私は見惚れずにいられなかった。
金蓮が気付いて手を振る。祐さまが微笑みを投げてくれた。
私は頬を染める他、何もできなかった。ただ高揚感とともに胸が締め付けられるような苦しさと、一抹の虚無感を覚える。
――あの隣に立つのは、もう、私ではないのだ。もう、他の人の者になってしまった。
その事実が、胸を突いて心臓に穴をあける。
私はそこで、初めてありありと、かの人に恋をしていたのだと分かった。
私は恋の自覚とともに、恋を喪ったのだ。
金蓮の言葉どおり、私は金蓮の部屋つきの侍女になり、金蓮と、裕さま――旦那様の近くに侍る身分になった。
しかし、それからの私の態度は隠し切れないものがあったかもしれない。
私は二人陸奥まじく並ぶ二人の姿を目に入れるのが、辛かった。
金蓮の初夜の日、私は彼女の髪を美しく結い上げながらも、鏡に映る金蓮の姿を直視できないでいた。
「……ねえ、なんであたしの顔を見ないの。木蓮」
そう問われたとき、私は何も答えられなかった。ただ俯いて、歯を食いしばることしかできなかった。涙が零れそうだったのだ。
「……あんた、もしかして、旦那様のこと……本気で好きだったの?」
金蓮が振り返ろうとするのを、背中に顔を押し付けて必死に止める。
このときの私の顔を見たら、きっと金蓮はすべてを悟ってしまっただろう。
「違うの。違うのよ……」
私が涙声で答えると、金蓮は憐れみからか、それ以上の追及を辞めた。
その夜から、金蓮の私への対応が変わった。
私を部屋つきの侍女に置いたままで、いたぶる様になった。
運んだ料理が覚めているからと、羹を浴びせられた。
色目を使って旦那様に気に入られようとしていると、化粧の使用を禁じられ、髪を散切りにされた。
服も、鮮やかな色のものはすべて切り裂かれた。もともと派手な色味は好まなかったが、それでも淡い色彩の色は好きだった。だが、藤色も桃色も杏色もすべて禁止され、与えられるのは灰色のぼろきれのような、古着ばかりになった。
仕事も肉体労働が増え、手先は荒れてかさつき、爪は艶を喪い、日にあたって肌は焼け、私は一気に枯れ木のようになって老け込んだ。
金蓮は常に旦那様の側に侍るようになり、私を強く厳めしい眼光で見張る様になった。
きっと、奪われるとでも思ったのだろう。
愚かなことだ。
美しく艶やかに着飾った麗しの金蓮と、枯れ木のような私が天秤にかけられるはずもないのに。
金蓮に冷淡な言葉を吐かれ、睨むように見られていくうちに、私の中でどんどんと何かが冷め、壊れていくのが分かった。
時折、仕事をしていると旦那様が声をかけてくださることがあったが、金蓮はそのたびに癇癪を起して暴れ、私の見た目が粗末になっていくごとに旦那様の気も削がれたのか、声を掛けられることもなくなった。
私には少しも、金蓮の幸せを壊す気などなかったのに。
そのうちに旦那様は悪い連中――賭場に出入りしては法外の遊びを嗜む者達――と関係を持つようになった。
金蓮もいつも同行した。
金蓮は旦那様から離れることを極端に嫌がり、いつも視界に入るところに旦那様を置きたがったから、やっぱりよそで愛人を造られることを恐れてのことだったのだろう。
それが金蓮の身を滅ぼしたのだ。
旦那様が賭場の連中と揉め事を起こし、その結果として殺された。
もちろん、口封じに一緒にいた金蓮も運命を共にした。
今朝がた、刑部の者らが、西門祐とその第二夫人、金蓮にそっくりの遺体がでたと言って屋敷を訪れ、第一夫人である大奥様と金蓮の妹である私を現場に連れ出した。
遺体は間違いなく旦那様と金蓮の者で、見事に首と胴を断たれていた。
金蓮は死してなおしっかり旦那様の着物の裾を掴んで離していなかった。
凄まじい愛情。いや。執念だ。それほどまでに、金蓮は旦那様を思っていたのだ。
――昔の私であれば、嫉妬しただろう。
この、美しい顔をした男――西門祐に。
金蓮はいったい、この男のどこがそんなに良かったのだろう。
金蓮は心なしか、うっすら微笑んでさえ見える。
自分の力量もわきまえず、賭場に出入りし、悪人たちの鴨になって、金蓮を巻き込んで死んだ。こんなくだらない男に金蓮は夢中になって、私を疑い、遠ざけ、虐げたのだ。
美しく結い上げた髪を乱し、簪を揺らし、珊瑚の耳飾りをきらめかせた、美しい女の首。
爪先で軽く蹴ると、わずかに傾いた。
これは私の姉だった女の首。
私には、双子の姉がいた。
明るく溌剌として、私とは正反対の姉だった。
私は姉を愛していたが、姉は私を愛してはいなかったのだ。
この女が愛していたのは、くだらない死に方をした馬鹿な男。
これは馬鹿な男を愛した、どうしようもない女の首。
そう思うと、不思議と涙も喪失感もなかった。
「笑っているわね、金蓮」
奥から、刑部たちと話していた大奥様が現れた。
「……旦那様と最期を共にできて、嬉しいのだと思います」
私が冷たく馬鹿な女の首を見下ろしていると、大奥様がそっと肩を撫でてくださった。
「いいえ。金蓮は安心しているのよ」
「他の女に、旦那様をとられることがなくなって?」
「いいえ。旦那様を見張る必要がなくなったから」
そう言って、大奥様は身を凍えるような眼差しを旦那様の遺体に注いだ。
「この男はね、女の扱い方などなにも分かっちゃいない。ただ己の欲求を満たすためだけに女を弄る最低な男だった」
そう言って、大奥様はそっと腕をまくった。
赤黒い痣となった縄の痕が、痛ましく肉に滲んでいる。
「これはもう半年以上消えないの。止めてと懇願する女の顔を、嬉しそうに見ている鬼のような男だった」
「……な……」
「私が妾を持つことを承諾したのも、一人でこの男の欲望を受け止めきれないと思ったから。……金蓮には、本当に悪いことをしたと思っているわ」
「どういうことです……!?」
金蓮に悪いことをした?
それはいったい、どういうことなのだ。
「この人はね、木蓮。ずっと貴女を狙っていたの」
「……わたし?」
「そうよ。貴女のような美しく大人しく従順な女をいたぶることが、この人の性癖だったから。それで何人か亡くなって、廓の主人が怒鳴り込んできていたわ」
――そんなこと、知らなかった。
「そんなこと……わたし……」
「知らなかったでしょう? そのあたりの始末は、私でなんとかつけていたし、旦那様が貴女に近寄ろうとするのを防ぐため、金蓮がずっと目を光らせていたもの」
そう言って、大奥様は慈悲深い眼差しを金蓮に注ぐ。
「強く聡い娘だった。第二夫人となって間もないころに私と廓の者のやり取りに気付き、この人の嗜好に気付き、あなたを守った」
まさか。金蓮。まさか。
あなたは、私を守るために?
にわかには信じられない。
あの女好きで優男だった旦那様が、そんな非道な男であったなんて。
金蓮が私を守るために、旦那様を見張り、私を虐げていたなんて。
「安心おし。たとえ幽鬼となっても、この人があなたにちょっかいをかけることなんてできなくてよ。しっかり金蓮の手が旦那様を繋ぎとめているもの」
大奥様はそう言って、私をそっと抱き寄せた。
金蓮の指は、旦那様の着物にしっかりと爪を立て、固く握りしめている。
「そんな……」
膝から力が抜ける。私はその場にへたりこんだ。
転がった姉の首に手を伸ばし、乱れた髪をそっと指で払う。
血に濡れた唇が、あわい微笑みを浮かべている。
――旦那様と最期を共にできて、嬉しいのだと思います。
――いいえ。金蓮は安心しているのよ。
――他の女に、旦那様をとられることがなくなって?
――いいえ。旦那様を見張る必要がなくなったから。
ああ、なんてこと。
あの睨み付けるような鋭い眼差しは、癇癪は、冷たい言葉は、すべて。
「私のため……?」
そうだ。いつも金蓮は言っていたじゃない。
『ねえ、木蓮。あたし達、ぜったい二人で幸せになりましょうね。何があっても大丈夫よ。あたしがあんたを守ってあげる。だって、あんたはあたしの妹だもん』
『あんたは全部、なにもかもあたしに任せておけばいいの。あんたはあたしの可愛い妹なんだから。ね。あんたはあたしが守ってあげるから』
何度も何度も聞いた、金蓮の口癖。
私が大好きな、姉さんの口癖。
――あたしがあんたを守ってあげる。だって、あんたはあたしの妹だもん。
「姉さん――」
堰を切ったように、涙が溢れて止まらなかった。
ああ。私の愚か者。どうして気が付かなかったの。どうして分からなかったの。
私の体裁を気にして西門から追い出すこともできず、姉さんはこうやって不器用にしか私を守れなかったのだ。
旦那様の気が私から逸れる様に仕向け、旦那様が私に手出しをしないように、誰より側で目を光らせることを選んだのだ。
「姉さん、姉さん」
姉さん。金蓮姉さん。
あなたはひとつ勘違いをしていた。
私が愛していたのは、愛しているのは、西門祐さまではなかった。
金蓮姉さん。貴女だったの。
貴女を私から失ったことがなにより辛くて直視できなかったの。
結婚式の日、貴女を失って初めて、私の中の本音に気付いたの。
貴女を誰より愛している。
たとえそれが禁じられた感情であっても、貴女を愛している。
ただ、あの初夜の日、あなたに気付かれそうになって、怖くて、誤魔化してしまっただけ。
今はそれをただ、後悔している。
後悔している。
「私が愛していたのは、姉さんよ……」
冷たく色を失った姉は、しかし、安らかで優しい微笑みを浮かべていた。
――木蓮。あたしもよ。
そう言っているような気がしたのは、私の願望か、それとも――。
美しく結い上げた髪を乱し、簪を揺らし、珊瑚の耳飾りをきらめかせた、美しい女の首。
爪先で軽く蹴ると、わずかに傾いた。
これは私の姉だった女の首。
私には、双子の姉がいた。
明るく溌剌として、私とは正反対の姉だった。
私は姉を愛していたが、姉は私を愛してはいなかったのだ。
*
「さ、御挨拶しなさい」
そう父に促され、その人の顔を見たのは十三の頃。
「金蓮《きんれん》と申します。お目にかかれて光栄でございますわ」
「も、木蓮《もくれん》と申します。以後お見知りおきを……」
姉の挨拶に続いて頭を下げると、あの人――西門 祐《せいもん ゆう》さまは、優し気な美貌を少し綻ばせた。
「趙家《ちょうけ》の二花と噂されることはある。本当に愛い娘たちだ」
そう言って、裕さまは私と姉を両手で抱き寄せた。
彼はその時、二十五歳の青年だった。
その頃の私たちには、裕さまの胸はあまりに大きく、広く、二人まとめてすっぽり収まってしまうほどだった。
「ねえ、木蓮|。裕さまって、すっごくお優しそうな方ね」
思いがけない僥倖《ぎょうこう》だわ、と、金蓮は悪戯っぽく私の耳元で囁いた。
「う、うん……」
西門の家の息子はずいぶんな放蕩者だが、えらく優男で、女性に優しく、そして美しい男だった。両親は健在で、今は当主の西門起が取り仕切っているが、いずれ息子に家を継がせるつもりで伴侶を捜しているらしい。
奉公に出る娘にとってこれほど魅力的な家はない。
もし西門祐に見初められれば、正妻は無理でも妾の座に着くことができる。それは庶民からすれば非常な出世で、一生を雇われ下女の身分で過ごすより余程幸福な人生――まさに玉の輿といえた。
それはむろん、趙家の双子、金蓮木蓮姉妹も同じである。
『ねえ、木蓮。あたし達、ぜったい二人で幸せになりましょうね。何があっても大丈夫よ。あたしがあんたを守ってあげる。だって、あんたはあたしの妹だもん』
西門家へ行く前夜、金蓮と寝台に横たわってそう話したことを覚えている。
互いに髪を結いあい、着物を着つけ合い、似合う髪飾りを選び合って、互いの唇に紅を引き合った。
仲の良い姉妹であったと、自分でも思う。
西門家での仕事は、女中頭の下についての雑用だった。
姉妹とはいえ、それぞれに得手不得手はあった。
私は手先が器用で、客人の対応は苦手であったから、主に厨の雑用を。
姉の金蓮は細かい作業が苦手な性分で、明るく愛想がよかったので客間での雑用を。
私たちはそれぞれ持ち場を与えられ、それぞれの特性を持って仕事に励んでいた。
仕事は辛いが、それでも充実した日々であった。
故郷の田舎と違い、西門家のある都は、とにかく人であふれ、物であふれ、目新しいものがたくさんあった。祝日や盆の行事も盛大で、正月などは街が一面赤い提灯で紅海のように見えた。
へまをして片方が仕置きされれば、片方がこっそり蔵へ食べ物を差し入れてやり(たいてい私が蔵で閉じ込められていた)、片方が体調を崩せば、片方が粥をすくって口元へ運んでやった。
春、夏、秋、冬。
西門家のしきたり、人、そして仕事に慣れようと必死になっているうちに瞬く間に日は過ぎて、気がつけば二年が経っていた。
そのころからだ。
私と金蓮の仲が、おかしくなりはじめたのは。
十五になった私たちは、娘盛りに入ったばかりであった。
このころの年頃特有の、根拠のない自信に満ちた尊大さ、若さゆえの溢れ出る精力、そして生来の明るさで、金蓮は客人の目を引くようになった。
私から見ても、姉の、身の内から噴きこぼれるような若々しい生命力は、眩しかった。
一方の私は、厨で地味な仕事に打ち込み、手先は荒れ、同じ顔でありながらも天と地ほど違う姉にたいする遠慮と劣等感で、まるで日陰の鼠のようだった。
だが、私は姉を憎いだとか疎ましいだとか、思ったこともなかった。
変わらず私は姉を愛していたし、彼女の華美さをもってすれば、いつか良い所へ嫁して玉の輿に乗るのだろうと、そう信じていた。そしてそれを望んでいた。
それに、祐さまはそんな私にも優しかったし、いつも「困ったことはないか」と声掛けをしてくれた。
包丁で手を怪我した時は、あわてて駆けつけ、自らの口で私の指を吸い、血を止めて応急手当てをして下さった。
夜遅く作業している時は、蝋燭の灯りを持って厨に来られて、他愛もない話をしてくださった。
屋敷のなかといえど危ないからと、部屋まで送っていただいたこともある。
祐さまの親切は嬉しかったし、忙しい日々が私を卑屈にさせる間も与えなかったのだ。
そうこうするうちに、裕さまはかかわりのある良家から正妻をとり、裕さまのご両親は長く雇っている使用人たちを数人つれて近くの別宅へ隠居なされた。
世代交代が行われたのだ。
祐さまの正妻は、香娥《きょうが》さまという、気品と美しさ、そして清楚さを兼ね備えた、まるで天女のような方だった。
彼女が連れてきた使用人たちも西門家に入り、新しく人事が行われ、私は厨のなかでも古株になり、人に教える立場となった。
「妾をとろうと思うのだ」
結婚後、一年経って、裕さま――いや、旦那様がおっしゃった。
一年、 香娥様にお子が宿らなかったため、妾を入れるという。少し病弱な方であったので、お体のことを考えてということもあったのだろう。
「旦那様、いつあたしに声をかけてくださるのかしら」
寝所で金蓮が髪をとかしながら言った。
「金蓮……」
「だってね、あたしってばここいらで一番の美人と言われているし、気立てもいいって評判なのよ。もう何人かの人に、嫁に来てくれと誘われているの。旦那様が声をかけてくださったときのために、断り続けているのよ」
「そうだったんだ……」
知らなかった。
とはいえ、私と違い、金蓮はお使いにもよく出ているし、人前に立つ機会が多い。金蓮ほどの器量ならば、そう望む人は多いだろう。
でも……。
「さすがに旦那様の妾になるのは、大逸れているんじゃ……?」
妾――つまり、第二夫人のことだ。
私たちのような雇われの召使いが語るには、大層過ぎる。
だいたいが、前夫に旅立たれた未亡人や、花街の人気娼婦が乞われて収まるようなもので、私たちのような者が望んでなてるものではない。
「それに、奥様の立場もあるし…」
「バッカねえ、木蓮」
金蓮が笑う。
「だからいいのよ。明らかに目下の第二夫人なら、変に張り合う必要も、正妻の座の脅威になりえない。そう思えて、奥様だって安心でしょう」
「そうかしら……」
「そうよ。幸い、この西門家にも、近所にも、あたしほどの器量よしはいないわ。もし旦那様から声が掛かったら、あんたをあたしの侍女にしてあげる。どこでもいっしょに居て、すてきな物をお揃いで買いそろえるのよ」
はたから聞けば、馬鹿馬鹿しい話であったことだろう。
けれど、金蓮が言えば本当にそうなるような気がして、私は二人露店で二人、歩揺を選ぶところを想像した。それはあまりにも生々しく、ありありと思い浮かべることができて、きっと本当にそうなるのだろうと思った。
「あたしがあんたを守ってあげる。だって、あんたはあたしの妹だもん」
金蓮の口癖だ。
私はその口癖を聞くのが好きだった。
そしてそれは実現した。
金蓮は裕の妾になった。
使用人から第二夫人へ。またとない出世、玉の輿だ。
金蓮は結婚を報せるために趙家の父母に文を出し、私と一緒に寝台の上に寝転がって夜通し語り明かした。
「あの話し、覚えている?」
金蓮がそっと耳打つ。
「あの話し?」
「もし旦那様から声が掛かったら、あんたをあたしの侍女にしてあげる。どこでもいっしょに居て、すてきな物をお揃いで買いそろえるのよって、あたし言ったでしょう?」
――そんなこと、できるはずがない。
戸惑いながら、頷いた。
部屋つきの侍女になろうとすれば、相当の地位や実力が必要である。同じ使用人でも、部屋つき侍女は少し部類が違う。居間の木蓮が侍女になろうとするのは、女中頭になるよりも難しいのではないだろうか。
夫人の身の回りの世話をする侍女は、だいたいが良家に仕えていた侍女や、もともと良家の女であったがわけあって家を出た者だ。
「……だけど、きっと金蓮には良家を出た侍女がつくと思うよ」
「だめよ! ぜったいぜったい木蓮じゃないとだめだわ」
あたしたち、ずっと一緒って約束したじゃない。
金蓮はそういって、私を強く抱きしめた。
「あんたは全部、なにもかもあたしに任せておけばいいの。あんたはあたしの可愛い妹なんだから。ね。あんたはあたしが守ってあげるから」
そう言って姉ぶる金蓮のことが、私は嫌いではなかった。
むしろ、頼りない私を前に引っ張っていく、その力強さや頼もしさが、私はとても好ましく感じられた。
幼いころからずっと金蓮は私の前を行き、私の手を取り、私の行く先を示してくれる。
だから私は安心して頷くことができたのだ。
だがそれは大きな間違いであった。
故郷から父母が西門家を訪れ、婚姻の儀式を皆で祝った。
母は涙を流して美しく装った金蓮を抱きしめ、父は西門祐に何度も頭を下げて金蓮のことを頼み込んでいた。
私は笑顔で祐さまの隣に並ぶ金蓮の姿に、誇らしい気持ちでいっぱいだった。
ああ、しかし、これほどまでに美しい光景があるだろうか。
私は見惚れずにいられなかった。
金蓮が気付いて手を振る。祐さまが微笑みを投げてくれた。
私は頬を染める他、何もできなかった。ただ高揚感とともに胸が締め付けられるような苦しさと、一抹の虚無感を覚える。
――あの隣に立つのは、もう、私ではないのだ。もう、他の人の者になってしまった。
その事実が、胸を突いて心臓に穴をあける。
私はそこで、初めてありありと、かの人に恋をしていたのだと分かった。
私は恋の自覚とともに、恋を喪ったのだ。
金蓮の言葉どおり、私は金蓮の部屋つきの侍女になり、金蓮と、裕さま――旦那様の近くに侍る身分になった。
しかし、それからの私の態度は隠し切れないものがあったかもしれない。
私は二人陸奥まじく並ぶ二人の姿を目に入れるのが、辛かった。
金蓮の初夜の日、私は彼女の髪を美しく結い上げながらも、鏡に映る金蓮の姿を直視できないでいた。
「……ねえ、なんであたしの顔を見ないの。木蓮」
そう問われたとき、私は何も答えられなかった。ただ俯いて、歯を食いしばることしかできなかった。涙が零れそうだったのだ。
「……あんた、もしかして、旦那様のこと……本気で好きだったの?」
金蓮が振り返ろうとするのを、背中に顔を押し付けて必死に止める。
このときの私の顔を見たら、きっと金蓮はすべてを悟ってしまっただろう。
「違うの。違うのよ……」
私が涙声で答えると、金蓮は憐れみからか、それ以上の追及を辞めた。
その夜から、金蓮の私への対応が変わった。
私を部屋つきの侍女に置いたままで、いたぶる様になった。
運んだ料理が覚めているからと、羹を浴びせられた。
色目を使って旦那様に気に入られようとしていると、化粧の使用を禁じられ、髪を散切りにされた。
服も、鮮やかな色のものはすべて切り裂かれた。もともと派手な色味は好まなかったが、それでも淡い色彩の色は好きだった。だが、藤色も桃色も杏色もすべて禁止され、与えられるのは灰色のぼろきれのような、古着ばかりになった。
仕事も肉体労働が増え、手先は荒れてかさつき、爪は艶を喪い、日にあたって肌は焼け、私は一気に枯れ木のようになって老け込んだ。
金蓮は常に旦那様の側に侍るようになり、私を強く厳めしい眼光で見張る様になった。
きっと、奪われるとでも思ったのだろう。
愚かなことだ。
美しく艶やかに着飾った麗しの金蓮と、枯れ木のような私が天秤にかけられるはずもないのに。
金蓮に冷淡な言葉を吐かれ、睨むように見られていくうちに、私の中でどんどんと何かが冷め、壊れていくのが分かった。
時折、仕事をしていると旦那様が声をかけてくださることがあったが、金蓮はそのたびに癇癪を起して暴れ、私の見た目が粗末になっていくごとに旦那様の気も削がれたのか、声を掛けられることもなくなった。
私には少しも、金蓮の幸せを壊す気などなかったのに。
そのうちに旦那様は悪い連中――賭場に出入りしては法外の遊びを嗜む者達――と関係を持つようになった。
金蓮もいつも同行した。
金蓮は旦那様から離れることを極端に嫌がり、いつも視界に入るところに旦那様を置きたがったから、やっぱりよそで愛人を造られることを恐れてのことだったのだろう。
それが金蓮の身を滅ぼしたのだ。
旦那様が賭場の連中と揉め事を起こし、その結果として殺された。
もちろん、口封じに一緒にいた金蓮も運命を共にした。
今朝がた、刑部の者らが、西門祐とその第二夫人、金蓮にそっくりの遺体がでたと言って屋敷を訪れ、第一夫人である大奥様と金蓮の妹である私を現場に連れ出した。
遺体は間違いなく旦那様と金蓮の者で、見事に首と胴を断たれていた。
金蓮は死してなおしっかり旦那様の着物の裾を掴んで離していなかった。
凄まじい愛情。いや。執念だ。それほどまでに、金蓮は旦那様を思っていたのだ。
――昔の私であれば、嫉妬しただろう。
この、美しい顔をした男――西門祐に。
金蓮はいったい、この男のどこがそんなに良かったのだろう。
金蓮は心なしか、うっすら微笑んでさえ見える。
自分の力量もわきまえず、賭場に出入りし、悪人たちの鴨になって、金蓮を巻き込んで死んだ。こんなくだらない男に金蓮は夢中になって、私を疑い、遠ざけ、虐げたのだ。
美しく結い上げた髪を乱し、簪を揺らし、珊瑚の耳飾りをきらめかせた、美しい女の首。
爪先で軽く蹴ると、わずかに傾いた。
これは私の姉だった女の首。
私には、双子の姉がいた。
明るく溌剌として、私とは正反対の姉だった。
私は姉を愛していたが、姉は私を愛してはいなかったのだ。
この女が愛していたのは、くだらない死に方をした馬鹿な男。
これは馬鹿な男を愛した、どうしようもない女の首。
そう思うと、不思議と涙も喪失感もなかった。
「笑っているわね、金蓮」
奥から、刑部たちと話していた大奥様が現れた。
「……旦那様と最期を共にできて、嬉しいのだと思います」
私が冷たく馬鹿な女の首を見下ろしていると、大奥様がそっと肩を撫でてくださった。
「いいえ。金蓮は安心しているのよ」
「他の女に、旦那様をとられることがなくなって?」
「いいえ。旦那様を見張る必要がなくなったから」
そう言って、大奥様は身を凍えるような眼差しを旦那様の遺体に注いだ。
「この男はね、女の扱い方などなにも分かっちゃいない。ただ己の欲求を満たすためだけに女を弄る最低な男だった」
そう言って、大奥様はそっと腕をまくった。
赤黒い痣となった縄の痕が、痛ましく肉に滲んでいる。
「これはもう半年以上消えないの。止めてと懇願する女の顔を、嬉しそうに見ている鬼のような男だった」
「……な……」
「私が妾を持つことを承諾したのも、一人でこの男の欲望を受け止めきれないと思ったから。……金蓮には、本当に悪いことをしたと思っているわ」
「どういうことです……!?」
金蓮に悪いことをした?
それはいったい、どういうことなのだ。
「この人はね、木蓮。ずっと貴女を狙っていたの」
「……わたし?」
「そうよ。貴女のような美しく大人しく従順な女をいたぶることが、この人の性癖だったから。それで何人か亡くなって、廓の主人が怒鳴り込んできていたわ」
――そんなこと、知らなかった。
「そんなこと……わたし……」
「知らなかったでしょう? そのあたりの始末は、私でなんとかつけていたし、旦那様が貴女に近寄ろうとするのを防ぐため、金蓮がずっと目を光らせていたもの」
そう言って、大奥様は慈悲深い眼差しを金蓮に注ぐ。
「強く聡い娘だった。第二夫人となって間もないころに私と廓の者のやり取りに気付き、この人の嗜好に気付き、あなたを守った」
まさか。金蓮。まさか。
あなたは、私を守るために?
にわかには信じられない。
あの女好きで優男だった旦那様が、そんな非道な男であったなんて。
金蓮が私を守るために、旦那様を見張り、私を虐げていたなんて。
「安心おし。たとえ幽鬼となっても、この人があなたにちょっかいをかけることなんてできなくてよ。しっかり金蓮の手が旦那様を繋ぎとめているもの」
大奥様はそう言って、私をそっと抱き寄せた。
金蓮の指は、旦那様の着物にしっかりと爪を立て、固く握りしめている。
「そんな……」
膝から力が抜ける。私はその場にへたりこんだ。
転がった姉の首に手を伸ばし、乱れた髪をそっと指で払う。
血に濡れた唇が、あわい微笑みを浮かべている。
――旦那様と最期を共にできて、嬉しいのだと思います。
――いいえ。金蓮は安心しているのよ。
――他の女に、旦那様をとられることがなくなって?
――いいえ。旦那様を見張る必要がなくなったから。
ああ、なんてこと。
あの睨み付けるような鋭い眼差しは、癇癪は、冷たい言葉は、すべて。
「私のため……?」
そうだ。いつも金蓮は言っていたじゃない。
『ねえ、木蓮。あたし達、ぜったい二人で幸せになりましょうね。何があっても大丈夫よ。あたしがあんたを守ってあげる。だって、あんたはあたしの妹だもん』
『あんたは全部、なにもかもあたしに任せておけばいいの。あんたはあたしの可愛い妹なんだから。ね。あんたはあたしが守ってあげるから』
何度も何度も聞いた、金蓮の口癖。
私が大好きな、姉さんの口癖。
――あたしがあんたを守ってあげる。だって、あんたはあたしの妹だもん。
「姉さん――」
堰を切ったように、涙が溢れて止まらなかった。
ああ。私の愚か者。どうして気が付かなかったの。どうして分からなかったの。
私の体裁を気にして西門から追い出すこともできず、姉さんはこうやって不器用にしか私を守れなかったのだ。
旦那様の気が私から逸れる様に仕向け、旦那様が私に手出しをしないように、誰より側で目を光らせることを選んだのだ。
「姉さん、姉さん」
姉さん。金蓮姉さん。
あなたはひとつ勘違いをしていた。
私が愛していたのは、愛しているのは、西門祐さまではなかった。
金蓮姉さん。貴女だったの。
貴女を私から失ったことがなにより辛くて直視できなかったの。
結婚式の日、貴女を失って初めて、私の中の本音に気付いたの。
貴女を誰より愛している。
たとえそれが禁じられた感情であっても、貴女を愛している。
ただ、あの初夜の日、あなたに気付かれそうになって、怖くて、誤魔化してしまっただけ。
今はそれをただ、後悔している。
後悔している。
「私が愛していたのは、姉さんよ……」
冷たく色を失った姉は、しかし、安らかで優しい微笑みを浮かべていた。
――木蓮。あたしもよ。
そう言っているような気がしたのは、私の願望か、それとも――。