第1話

文字数 2,248文字

 その日も、いつも通り仕事を終えて帰宅した私。久しぶりに、撮り溜めたビデオでも見てのんびりしようと定時で上がり、覗いたポストにはDMに混じって、一通の結婚式の招待状が届いていました。

 差出人の花嫁は、小・中学時代のクラスメートだった稲守麻貴ちゃん。彼女の結婚の知らせに、正直なところ驚きを隠せません。それは、同様に招待状を受け取った旧友たちも同じでした。




 私の名前は、松武こうめ。とある巨大な新興住宅地に住む、専業主婦です。

 当時、私は社会人5年目の独身OLで、27歳になっていました。世間では『結婚適齢期』といわれるお年頃、周囲は結婚ラッシュで、同級生から披露宴の招待状が届くことも珍しくなかったのですが、麻貴ちゃんだけは特別でした。

 というのも、彼女は少しだけ事情が違っていたからです。




 玄関を入ると電話のベルが鳴り響いており、慌てて靴を脱ぎ受話器を取った私。電話は、同級生の楢葉木の実ちゃんでした。

 彼女は、お料理が苦手な人でも簡単に出来るレシピ本を何冊も出版し、幅広い層から支持される人気の料理研究家として活躍している、私の大切な親友です。


「木の実ちゃん、お久しぶり~! 元気だった?」

「元気だよ。ねえ、それより麻貴から結婚式の招待状、届いてる?」

「うん。今、会社から戻ったら、ポストに入ってた」

「ねえ、これって…」

「あ、ちょっと待って! キャッチ入った」


 そう言って電話を切り替えると、同じく同級生の笹塚朋華ちゃんからでした。

 十代で世界的なピアノコンクールでグランプリを受賞し、現在はピアニストとして、一年の半分を海外で過ごしている彼女もまた、私の大切な親友。


「あ、朋ちゃん、お久しぶり。あのね、今…」

「ちょっと、こうめちゃん! 何度も電話したんだから!」


 そう言われ、電話のディスプレイを見ると、そこには、5件の着信ありの表示。


「麻貴ちゃんが結婚するって、本当なの!?」

「私もたった今、招待状を見たばかりで…」

「ね、大丈夫なの!? 私、心配になっちゃって、居ても立ってもいられなくって…!」

「ごめん、朋ちゃん! 今ちょうど、木の実ちゃんと電話中なの。終わったら掛け直すから!」


 マシンガンのように捲し立てる朋華ちゃんの言葉をかろうじて遮り、一旦電話を切ると、待たせていた木の実ちゃんに事情を伝え、ようやく本題に入りました。


「こうめは、何か聞いてた?」

「ううん。私も招待状で知ったばかりなのよね」

「大丈夫…なんだよね? あの子、やってけるのかな?」

「まあ、ご両親も付いてることだし、一度お祝いがてら、麻貴ちゃんのお母さんにも聞いてみようと思う」

「そうして。詳しいことが分かったら連絡頂戴。朋華にもよろしくね。それじゃ」

「OK! じゃあ、また」


 そう言って木の実ちゃんの電話を切り、急いで着替えだけ済ませ、朋華ちゃんに電話をかけ直しました。

 待ちきれない様子で、矢継ぎ早に質問を繰り出してくるものの、お互いに知り得る状況は同じ。興奮気味に話す彼女を宥めつつ、話題はお互いの近況になり、そのまま話し込むこと2時間。

 結局、取り溜めた録画を見ることなく、久しぶりの幼なじみとのお喋りで楽しいひと時を過ごし、ついでに日ごろのストレスも解消出来ました。




 私と麻貴ちゃんは幼稚園からの同級生で、同じ藍玉女学園の中等科へ進学。エスカレーター式の女子校でしたが、彼女は中等科卒業後は『家事手伝い』という進路を選択しました。

 麻貴ちゃんが高等科へ進学しなかったのは、致命的なまでにお勉強が出来なかったからです。

 テストではどの教科も一桁代の点数というレベルで、本人は決して勉強が嫌いなわけでも、怠けているわけでもなく、後にそれが学習障害の一種だったと分かったのです。

 お勉強以外にも、麻貴ちゃんには出来ないことがもう一つ。それは、怒りの感情を露わにしたり、誰かの悪口を言ったりすることでした。

 おっとりとした喋り方と、母親譲りのお人形のような愛らしい顔立ちで、他人の気持ちに寄り添える気遣いがある優しい子でしたから、クラスの中ではダントツに人気があった麻貴ちゃん。

 成績が悪いことを理由に、意地の悪い男子に揶揄われたり、中には酷い言葉で傷つける輩もいましたが、そんな時でも反論したりせず、少し困った顔で唇に笑みを浮かべるだけ。

 我らがアイドル麻貴ちゃんを傷つけた者には、黙っていない私たち。二度と同じ過ちを犯さないよう、道徳的教育という名目の容赦ない心理的制裁を加え、彼女を苛めたことを死ぬほど後悔させたこと、数知れず。

 かつて私は、私の母の自己中心的な言動による誤解や不快感への腹いせに、クラスメートやその親たちから、度々陰湿ないじめを受けたことがあり、その際も、まったく変わらずに接してくれていた麻貴ちゃん。

 気が付けば傍にいて、人気者の彼女の周囲にはクラスメートが集まり、私も自然と言葉を交わす機会が増え、いつしか普通にクラスの輪に溶け込んでいました。

 彼女が意図してのことかは分かりませんが、私自身、彼女のおかげで救われたのは事実、今でも感謝しているのです。

 だからこそ、麻貴ちゃんには絶対に幸せになって欲しいと願う私。

 招待状に記されたお相手の名前を拝見すると、地元では知られた老舗菓子店の長男さんゆえに、その家の嫁としてやって行けるのか、彼女のすべてを理解した上で、丸ごと受け入れてくれる相手なのか。

 私だけでなく、招待状を受け取った麻貴ちゃんを愛する同級生たち皆が、共通して思うのでした。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み