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文字数 3,926文字

週刊誌に掲載されたICE(アイス)の熱愛報道――。
それはカリブ海に面したメキシコのリゾート地カンクーンで刺激的なトップレス姿で寛ぐICEと、その隣でしかめ面で電話しているヒップホップアーティスト・BB(ビービー)レイの姿だった。
驚くほど間近で撮影されたその写真は、偶然居合わせた日本人観光客によるものだと言う。
いつかイノセントの細井圭子が言っていたスクープがこれならば、スキャンダルとしては聊か弱過ぎる。これまで赤裸々な男女関係はもとよりバイセクシュアルまで公言してきたICEの熱愛報道だけに、この程度の情事では今さら世間を賑わすことはないだろう。
しかし相手であるBBレイのバックボーンを知れば事情は異なってくる。
BBレイの〝BB〟とは〈ビッグ・バウンサー〉というスラングの略だ。その意味は〈最高の大ボラ吹き〉となるらしい。こちらもICE同様、プロフィール非公表だが、過日起こした事件によって多くの国民が彼の出自を知ることとなった。
BBレイの本名は新保玲也(にいほれいや)。年齢は三十四歳。
彼の名を最初に聞いたのは二〇〇五十二月のことだ。新保家が所有する箱根の別荘で、同じミュージシャンやモデル、タレントなどを集めて催されたホームパーティーの写真が、参加者のプライベートSNSで公開されたのがきっかけだった。
その女優らしき女性が自撮りした写真には身を寄せ合う男女四人の笑顔があったが、問題はその写真右奥にあった。
微かに見えるガラステーブルの上に描かれた猛獣の爪痕のような三本の白い線。そして丸めた灰色のドル紙幣と、どこかのブラックカード。素人目に見てもそれがコカインであることは一目瞭然だった。しかもそのパーティーには他にも著名なモデルや人気お笑い芸人らが参加していたこともあって、すぐにインターネット上で騒動となった。
そしてその騒動から当時、深夜番組の人気企画として、一対一のフリースタイルラップバトルで注目を集めていたラッパー・BBレイの本名が新保玲也であることが判明した。更に彼の大物過ぎる父親の存在が相乗効果となって騒ぎは一気に拡大した。
同時にBBレイの最新アルバムに収められた曲『ガット・ア・タフ』の歌詞(リリック)の一節にあった〈俺のオーガナイズだチャーリー、終わらないパーティー〉と、〈レイジーでクレイジーなトニー・モンタナ〉が取り上げられ、疑惑を濃厚とした。
〈チャーリー〉とはコカインの隠語であり、〈トニー・モンタナ〉とは映画『スカー・フェイス』でコカイン中毒のギャングを演じたアル・パチーノの役名である。
たかが歌詞とは言え、普段からアウトサイダーを気取り、犯罪歴や裏社会との付き合いを公言してきた本人にとっては、変に言い訳することも都合が悪かったのか終始無言を貫いた。
当然ハイエナのようなマスコミは挙ってこのネタに群がり、連日箱根強羅の別荘周辺に住む住民のインタビューなどを垂れ流した。そしてようやく警察当局も重い腰を上げて捜査を開始した頃、当の新保玲也本人はレコーディングと称して、ニューヨークへ逃亡。およそ一か月後に帰国し、任意同行で取り調べや尿検査に協力したが、もちろん証拠不十分で不起訴処分となった。
そこで噂されたのが新保玲也の親族による警察やマスコミへの圧力だった。新保玲也の父・新保武夫(にいほたけお)は政権与党である『自由党(じゆうとう)』所属で当選十二回を誇る重鎮であり、前々政権では第八十四代内閣総理大臣を務め、現政権でも副総理として実質政権のトップに君臨する大物代議士である。
次男の玲也はもともと素行が悪く、ハワイに留学していた十九歳の時に現地の老人を轢き逃げして逮捕されたこともあった。事故当時、玲也は一般道を九十マイル(一四五キロメートル)近いスピードで暴走しており、老人は轢かれた衝動で強く頭を打ち、搬入された病院で即座に死亡が確認された。
この時は未成年ということもあり、日本国内での報道はほとんどなかったが、箱根のドラッグパーティー報道の後追い取材の中でこういった過去も明らかにされていった。
現在の玲也はヒップホップアーティストとして活動する一方、実業家として麻布十番でクラブを経営し、自ら代表を務めるレコード会社も順調で、過去を清算してのうのうと生きているように見える。
また報道後もICEはBBレイとの交際を隠すことなく、パパラッチの前でもプライベートでも堂々と振舞った。
二人ともに常に露出過多な服装から見え隠れする幾つものタトゥーやピアスが印象的だった。ICEに限っては舌を真ん中で切除したスプリットタン。BBレイは右目の下に涙のようなタトゥーがあり、首の左側には十字架に架けられたキリストが描かれていた。
二人はまるで現代の狂ったロミオとジュリエットだった。
しかしそれだけならば俺も気にしない。ICEが誰とくっ付こうが別れようが、俺には関係ないし、コカインやマリファナ程度のドラッグならたいして気にも留めない。その程度ならば――。

しかし俺はBBレイに関する別の噂を耳にしている。それは二〇〇九年十二月のこと。
西新宿のホテルで一人の女が死んだ。死亡したのはレースクイーンとして活動していた二十九歳の折野加奈子(おりのかなこ)。死因は吐瀉物が喉に詰まっての窒息死。そして司法解剖の結果、折野の体内からは多量の覚醒剤成分が検出された。
覚醒剤――。属名シャブ、スピード、(エス)、そしてアイス。
ヤクザやチャイニーズマフィアの資金源であり、一般人が気軽に手を出せるドラッグではない。覚醒剤はコカインやマリファナに比べてはるかに依存性が高く中毒症状や命に関わる副作用がある。
だから俺は見過ごせないのだ。
その事件では折野の死亡時に一緒にいた無名の俳優・野方雄介(のがたゆうすけ)(二十六歳)が〈麻薬取締法違反〉で逮捕され、後に裁判で〈保護責任者遺棄致死罪〉を求刑されて実刑判決となった。
事件現場となったのは『新宿グランドパレスホテル』の一泊十八万円のスイートルームだった。それは売れない役者と、今や二流三流しかいないとされるレースクイーンの密会現場としては不自然極まりなかった。
この事件の処理については『総映グループ』総帥・石山泳幸指示のもと、警察OBや政治家など複数の人間が動いたとされた。
つまり事件のあったスイートルームには当事者二人の他に、もっと重要な人物がいたということである。

関与を疑われたのは当時、野方の愛人と噂された大手エステティック会社『アフロディーテ』社長・篠崎紀子(しのざきのりこ)(四十八歳)と、売れっ子音楽プロデューサー・木本瑠(きもとりゅう)(四十二歳)、そしてもう一人がBBレイこと新保玲也だった。
つまりその夜の真相は彼ら五人(実際は他にも何人かいたとされる)によるドラッグパーティーで、首謀者は恐らく木本瑠だろう。何故なら木本には以前からドラッグ絡みの噂が絶えなかったからだ。
検視結果では折野の身体に注射跡が見られなかった為、折野は覚醒剤を〈炙り〉で摂取したと思われた。そして体質に合わなかったのか、一人でトイレに籠って吐こうとし、その途中で容態が急変したようだ。
折野の腕や足には打撲による複数の痣があったことからその場で痙攣、あるいは耐えきれない苦しさで暴れた様子が見て取れた。そして折野は自分の吐瀉物を喉に詰まらせて窒息死した。
調書によれば同じ部屋にいた野方雄介が、トイレからなかなか戻らない折野を心配して様子を見に行き、そこで意識のない折野を発見して、救急車を呼んだとされている。
それは死亡推定時刻から二時間後の午後十一時三十分のことだった。トイレに入って二時間。普通ならもっと早く異変に気付くべきであり、そこがマスコミ含めて様々な憶測を呼ぶ原因ともなった。
もちろん実際はその空白の二時間で証拠隠滅が図られ、罪を野方一人が被るよう説得工作が行われたのだろう。
石山泳幸は当時の内閣総理大臣だった新保武夫と昵懇だったことから、息子絡みのこの事件を穏便に処理するよう依頼されたのかもしれない。
また噂では野方雄介一人が罪を被り、約三年間の服役を務める代わりに出所後、一億円の〈退職金〉が支給され、更にハワイにあるロケコーディネーション会社の経営権が与えられる〈約束〉があったとされた。

この一連の出来事のどこまでが石山泳幸による指図なのかはわからない。しかし物事に偶然などない。結果誰が得をして誰が損をしたか。それだけを見ればおおよその全体像が見えてくる。
その年の大晦日、国民的行事である生放送歌番組の出演者が、メインのベテラン演歌歌手を中心に一新され、代わって石山泳幸の息のかかった出演者で占められた。
野方雄介は二〇十三年十月、収監から二年二ヶ月後に仮釈放された後、滞在中の石垣島で急逝した。死因は睡眠薬の過剰摂取。司法解剖でも疑わしい部分はなく、収監中から彼のメンタルケアを行ってきた精神科医の〈服役生活で過度のストレスを感じ、疲弊していた〉という報告書によって、事件性なしの自殺と断定された。その結果〈約束〉は果たされぬまま終わった。

かつての師であり、上司でもあった神原雅之が嘆き後悔したのは、自ら育て上げた怪物の影響力だった。
政治家や警察まで意のままにコントロールし、法律やモラルをものともしない治外法権の魔力。この先また同じような被害者が現れても、再び闇の権力に潰され、正義は為されないだろう。
写真週刊誌に掲載された、ICEの隣にいるBBレイの目付きを見ただけで俺にはわかる。
新保玲也はドラッグをやめていない。奴はまたやる。間違いなく。その犠牲になる危険性が最も高いのは他ならぬICE―永瀬冬子なのだ。
そして冬子があえて覚醒剤の隠語である〈アイス〉を新たな名前にしたのには理由があった。
その事件が冬子自身を根底から変えてしまったのだ。
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