第10話 Candle in the wind

文字数 1,971文字

 彼は月に照らされた川の流れのようにきらきらと揺らめきながらゆっくりと進むろうそくの灯りを、高級ホテルのスイートルームの窓から見下ろしていた。
 彼が本来居るべき場所は青い瓦の大統領府、しかし彼を糾弾するデモが起こっていて所在を眩ませる必要があった。
 別室では腹心の部下たちがあたふたと対応を協議している、だがその中心にいるべき彼はその協議の輪から離れて独り窓辺に佇んでいた、そう、彼には分っていたのだ、どんな手を打っても川の流れは止まらないことを。

 二年と半年前、同じような灯りの流れが彼の前任者を追い落とし彼を頂点に押し上げた、今、同じことが起こっているのだ。
 この国の民衆は感情の高ぶりを抑えることができない、法であれ道理であれ、国益でさえも感情の高ぶりの前では無力だ、感情こそがこの国を動かす、たとえそれが破滅への道であろうと……。

 この国を感情的に治めて行くのは難しくない、隣国を敵国とみなして責め、貶め、謝罪と共に賠償を迫っていれば良い、そして居丈高に振舞えばふるまうほど民衆は首領を英雄視し、引き出した賠償額の大きさでその政治能力を評価する。
 前任者は隣国を貶める誹謗中傷を言いふらして回ることには熱心だったが、直接的にはあまり強い態度には出なかった、政治家として国の実力の差を見極めていたのだ。
 だが、一つの事件への対応が遅れたことを理由に追い落とされた。
 その事件はもちろんきっかけになっていたのだろうが『もっと強い態度に出て欲しい』と言う不満が鬱積していたことが背景にあった、彼はそう考えている。
 それゆえ、彼は前任者よりもより強硬な姿勢で隣国に当たった、それが自らの立場を強固にすることができる唯一の手法だと知っていたのだ。
 だが……彼は少々やり過ぎてしまった。
 温厚で理知的、何より争いごとを好まない隣国は、どれだけ強い態度に出ても最後には折れてくれるはずだった。
 秘密裏に行っていた戦略物資の横流し……それは両国間の問題に留まらない、国際安保にさえ影響を与えかねない問題だった、だがそれが発覚しそうになった時も彼は攻撃を示唆して偵察機を追い払うよう指示を出した、そしてその結果それがきっかけになり隣国からの風当たりがこれまでにない強さになった。
 冷静に考えてみれば当然の結果だ、だが引くわけには行かなかった、引けば国民の支持が離れて行くことを知っていたからだ。
 この国の言語には『我』と『我々』の区別がない、個人は民族に属するものでなければならず、民族は個人と同一でなければならない、すなわち、発端は個人の意見であっても、それが民族の意に沿うものであれば、たちまち民族全体の意思となる、そして民族の意思に個人は逆らえないのだ、しかも熱しやすい民族性は一つの火種にどんどん油を注いで行く、そしてそれは『ろうそくデモ』と呼ばれる抗議行動に発展し、ろうそくを灯してデモに参加する民衆は際限なく増えて行き、ついには大河のように止められない流れとなって行くのだ。

(きれいだな……)
 
 彼はふとそう感じてしまい、苦笑した。

 戦略物資の横流しを発端とする、隣国との一連の攻防の中でも、彼は強硬な態度を取り続けた、だが強硬姿勢を崩さなければ折れてくれるはずの隣国は一向に折れず、その気配すら見せてくれない。
 彼は最後の切り札として両国の安全保障に関する取り決めの破棄を持ちだしたのだが、それでも隣国は折れなかった。
(このままではこの国の安全は確保できなくなる)
 そう考えた彼は一歩引くことを余儀なくされた、それが国民の意に沿わないものであることくらいわかっていた、だが国に迫る危険を顧みれば理解されるだろうと踏んだのだ。
 だが、その結果がこのろうそくデモだ……。

 もうすでにこの国の経済は破綻寸前まで来ている、隣国や共通の同盟国との軍事的連携なしには国土の安全も確保できない、それでもなおこの国の民衆は感情を抑えることができない。   
 ろうそくの大河は彼への抗議行動だ、だがそれはこの国そのものを飲み込もうとしてる大河でもあるのだ。

(短い夢だったな……)

 彼はそう独りごちた。
 自分がトップに上り詰めてから二年半、それを短いと嘆いたのではない、建国から七十年余り、いわば棚ぼたで独立し、隣国からの援助で基礎を築き、隣国から技術を盗むことで発展してきた国だ、だが、先進国の仲間入りを果たしたと思い込んだ国民感情が今この国を終わらそうとしている、それを短い夢だったと嘆いたのだ。
 ろうそくの大河はこの国を覆いつくすだろう、だがろうそくは直に燃え尽きる、その時朝もやの中で辺りを見回した民衆は気づくだろうか……自らの感情に任せてこの国を終わらせてしまったことに……。
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