第二十八話 中将軍”ウィズリーダム”

文字数 4,711文字

このままで終わらないのが、今回の劇の意外なところであった。
(……長い。長すぎる)
栗毛の青年リアムは、当にその異変に気づいていた。西南が余程に緊張状態であるのか。視察程度の遠征であるならば、ここまで騎士団の馬が続くはずがない。下手すれば半刻は石畳を見つめている。
(……いったい海で何が起きている)
リアムの疑問も束の間。今までのものとは明らかに違う、どしりと重々しい音が、一つ二つと流れてきた。一体どれほどの体高なのか。それは、今まで続いていた馬達のそれと同じで、かつ大きく違うものであるのは、少女でも簡単に判別できるほどであった。
近づく闊歩。その度に強張る筋肉。これはリアムにも同様に強く襲い掛かっていく。
いよいよ真隣。いや頭上と言ったほうが適切かもしれない。その音主は少女と青年の真上に訪れた。
大きく鳴る重馬の蹄。ひとつ。またひとつ。心なしか自分らの近くを過ぎる際、その調は一瞬緩やかな動きをみせたが、それも一瞬。大きな硬音は、徐々に遠のいてゆく。
このまま何事もなく終わる。しかし、安堵の余韻は刹那。二人の筋肉の緩みを、再びきつく締めたのは、地響きを思わせるがの如く、低く重い声であった。それは、長き年月をかけて育ちを見せた威厳を含んでいる。まるで見えない手で強く押さえつけられたかのようであった。声を浴びた二人は、首筋ひとつ動かすこともままならない。青年の額より垂れた汗は、石畳に沈み、小さな染みを生み出した。
「……そこの娘」
少女の呼吸が、恐れを成して静止した事を認識したのは、本人ではなく、隣に頭を垂れる青年であった。
この感覚はなんだ。声だけでなく、明らかにその主の意識全体がこちらを向いている。纏わりつくと言うより、掴み、握りしめられたかのようだ。青年に、その主を詮索させる余裕すら与えない。
「……お前だ。金糸髪の……」
もはや、特徴を言われる必要もない。目に見えない強い力が、明らかにこちらを刺しているのだ。少女もその主が、自身を指しているのは、重々承知できていた。
重馬の蹄が音を鳴らす。その音はもう頭上の数歩先まで来ている。
「……面を上げよ。娘」
まるでいくつもの糸で操られるかのようであった。蜘蛛の餌食になったかの如く、為すがまま。オリビアの視線は、上へと持ち上げられた。
差し込む光線。半分と少しの役割を終えた太陽が、真っ先に少女の瞳に飛び込んだ。そしてその画布に輪郭を浮かべる黒。それはまるで、分厚い白壁にくっきりと穴が開いたかのようであった。少女の予想を上回る大きさの馬影に跨る人影。この圧はなんだ。地上に悪魔が降りてきたと言われても、なんら違和感はない。
「……娘よ。おぬし……」
空気が鉄に変わった。影が放つ"声"は自身の頭骨の中から産まれたようであった。"聞こえる"というより"心に入り込む"という感覚である。もはや向かう影が放っているのか。脳内で四方から木霊する。
「……。いやなんともあるまい」
影の声は山彦のように余韻を残し、止んだ。その余韻を忘れさせたのは、おそらく部下の声であった。
「……ア、アルドレア様、い、いかが為さいましたか?」
(アルドレアだと!!)
アルドレア。彼は中将軍ウィズリーダム。二十年以上、その地位を不動にし、六十という老体でありながら現役を成している。数年程前、奇病に侵され、一時は危篤となった身だが、その類い稀なる強靭な肉体を持ってして、この世界に身を留めることが出来た。
年老いて白く染まったとはいえ、美髯の持ち主である事は多く知られているが、病の後遺症からか、顔の血色は退け、大きな隈が眼下を覆っている事を知る者は少ない。彼の顔、まして瞳を見つめられる者など、この世で数えられる程しかいないのである。
それに加え、病を克服してからの、彼が放つ"圧"は計り知れない物と成った。訪れた死地にて、神ならざる何者かと契約を交わしたのか。彼が放つ木霊。地を這うような不気味な声は、ラクナスの間でも実に恐れられている。
リアムが驚くのも無理はない。ウィズリーダムはこの国で四人のみ。"中"将軍と言われようとも、上には一人しかいない。言わば戦争、紛争。動きを見せるとならば、国家を揺るがし兼ねない場面のみである。
二人のリーダムに加え、ウィズリーダム。南西の地が匂わす"不穏"は、どれほどのものであるのか。ただ呆然と影が去るのを待つのみ。田舎育ちの少女は、隣でひれ伏す青年が、どれだけ未来を畏怖していたかを知り得ないであろう。
思考の余裕すら与えないまま、時は過ぎていった。二人に意識を取りもどさせたのは、どこからか聞こえた町民の「行ったか……」という囁きであった。


別荘に戻ってくるまでの道のりは、少女の記憶に少ない。褪せていたその記憶に色を取り戻させたのは、扉を開けた瞬間に漂った、強い酒の匂いであった。
まさか、これから何かが起きるのだろうか。本能が察して、疼いているのかもしれない。無駄を嫌う魔女にとっては実に珍しいものである。不思議と、どうにも落ち着かないのだ。眠りの誘いを濃くするため、何かないものだろうか。グリンデは独り、屋敷の厨房を漁っていると、丁度よい具合に脇に佇む樽を見つけ、二人の事は知らいでか、椅子に腰かけ中身の果実酒ヴィナーを嗜んでいたのであった。
「……なんと。おぬしらが戻る前に、床に就こう思うておったのにの。真に美酒だわい」
魔女が時を忘れるのも無理はない。それは年中寒さと付き合える、ラウラ聖堂院で育てられたある葡萄から造られたもので、帝国貴族も手を伸ばすほどの一品であったのだ。募る妙な居心地の悪さもあってか、杯は次々、口元に運ばれていき、今に至らせた。
こうなれば、青年と少女の土産が少しの肴になれば。二人から受け取った肉も実に美味であった。これから極寒に向かうにあたり、良き興を舌の上で奏でてくれた。
しかし、その興もすぐに冷えを見せた。もしやこの事を予期していたのか。残念ながらやはり二人が徐々に口にした話題は、魔女の舌から味気を奪い去るものであった。グリンデが手にしていた骨付き肉が、皿の上でごとりと転がり、大きな音を立てる。
「なんと……。帝国の糞兵士どもが動いておるのかい」
まさに興冷めとはこの事である。これから各地を動く上で、出来る限りの"邪魔者"との接触は避けなければならない。それがどうした。いったい南方の海で何が起きているのだ。
「……面倒事ばかり増えおって」
よもや伝説の魔女が生きているとは、帝国も思っているまい。ただ、この国を女一人で動いているところを見られたらどうなるか。怪しさ、疑い。その塊が移動しているようなものである。見つかり次第、ただでは済まされないだろう。
(見つからずに移動せよ、とな。薬草はどうする)
次の薬草の生息地はエルビス山脈。その種は普通種だが、やや個体差を求められる。が、レクイエムのそれほど難を極めない。問題はそれからだ。
その後の二種はいずれも南方。大海の浮かぶ孤島と、その海の果て、砂漠に生えているではないか。ではそこに辿り着くにはどうしたら良いか。無論、海を渡らねばなるまい。ではその海を渡るには……。
魔法の出現はオリビアの件のみ。よもや黒羽族、エレメスタが再現しているわけではない。しかし流行り病が姿を見せている。どちらにせよ薬草を手に入れ、帝国中枢を流れるセーヌ川に流し、人々に届ける。これが自身の目指す"良き循環"にも繋がるのだろう。
(海を渡るに、どうしても船が必要ぞ。いかに手に入れるか……)
南西が警備を強めるという事は、最悪、船も出ていないのかもしれない。その予想、想像は子供でもわかる。
さてどうするものか。酔いを知らない、魔女の"平然"の向こう側にある苦悩を知らいでか、少女が口を開いた。それは、その苦悩をさらに色濃くするものであった。
「……あと、将軍の一人が私に声を掛けて……」
この程度の話であれば、なんの問題視もしない。その後の一言が重要であった。
「……物凄い威圧感で、声が山彦のようでした」
「……なんと言った小娘」
少しの酔いは見せているとはいえ、相手は魔女。本気を見せた時の圧は、その将軍にも劣らない。いや、それより勝るであろう。
(……木霊を含む声)
魔女にはそれに心当たりがあった。いや、心当たりというには軽薄すぎる。けして忘れはするものか。
別荘の壁を強風が仰ぎ、屋根が大きな音を奏でた。それはもしかしたら、魔女の感情に同調されたのかもしれない。
「……小娘。コインは置いてきたのであろう?」
背中に目でも付いているのか。魔女は勿論、その事実など当に把握している。
「は、はい……コインはシルキーちゃんの元に……」
あのような廃坑道に人など訪れるはずがない。入り口の雑草の丈が物語っている。道中で落とす、なんてことは流石にないだろうが、すぐに訪れることになるのだ。
なにより、この旅で一番疲れを知るのは、あの白馬だ。微かかもしれないが、コインを傍に置くことで、様々な意味合いでの"癒し"を得られるのかもしれない。魔女なりに先の道中を考慮しているのであった。
(ということは……)
「……グ、グリンデ様。きっと考えすぎでございます」
張り詰めた魔女の"圧"を、ほんの少し緩めることができた青年の声も、か細い。
(……そうだ。そうであろう)
感情を即座に翻し、働く理性。それを育てたのは、重ねた年月からの経験か。感情に寄り添いすぎるとどうなるのか。魔女は痛いほどに学んでいる。
今から百六十年前。あの時、確かに自身で確かめた。そして、その際に同行した仲間の声もある。それを疑うのか。これまた久しく魔女の心に、複数の自分が現れ、問答を始めた。
(……そうだ。そのようなわけがない)
この意見に同調し、その背を押したのは栗毛の青年の一声であった。
「……グリンデ様。もし、いかような事がございましたら"問い"などなさらぬはずです」
確かにそうだ。こちらの存在を把握次第、別の行動に移るはず。そのような鈍手を見せるはずがない。
「……思い過ごしでございます」
この言葉は、事実を掠め知る青年の心、それ自身に放たれており、必死に説得を促している一面もあった。加えて確信もあった。
「その者の背を一瞬見たのですが、羽織物は来ておりませんでした。きっと強者であるが故に、圧を含んで聞こえたのでありましょう」
続く声もか細いが、どこか力がある。自身が思う未来への願いが、強く含まれているのかもしれない。
「思い過ごしでございましょう」
そうだ。もし自身の懸念通りであるならば、今の小娘に声を掛ける意味などなかろう。きっと、何処かで出会った知人に似ているとか、その程度のものなのだ。過敏になりすぎているだけ。そうにきまっている。
「……うむ。そうさな。今は再現した魔法の所以を知ること。そして薬草を。何も黒羽どもが関わっておると決まった訳ではない」
グリンデは机に両手を乗せ、立ち上がった。よろめく様子は一切ない。
「うむ。それに向けて今できること。わかるか小娘?」
時刻は夕焼け。表に咲く、ドラゴンクロウの花々が、ガラス越しにより赤く染まって見える。魔女はその差し込む紅を背に、扉に手を掛けた。
続くしかあるまい。見慣れた光景である。引かれるようにして少女はその背を追った。
幕開けは真夜中。少女にとっての最後の旅。開演は、もう間もなくである。
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