第9話 コロナ禍におけるストレスについての雑談

文字数 1,625文字

(文章をしばらくいじくっていたのですが、キリが無いのでこの辺でアップします)


 以前活動報告にも載せたのですが、去年のコロナ禍最盛期の頃に、職場で「(コロナ禍における)ストレスオフミーティング」なるものが行われました。

小グループに分かれて、
① コロナ禍でどんなストレスを感じているか
② どんなストレス解消を心がけているのか
そんなようなことを一人一人発言し合うという、まあ、茶番?

記録無し、報告無しのゆるふわミーティング。全員から漂う「忙しいから適当に終わらせようぜ」感。そして私の番になりました。

「変な飲み会や懇親会、研修、勉強会が無くなって逆にストレスが減りました。忙しくなったけど、シンプルに仕事だけやっている方が気が楽です。“変な”というのはオフレコですよ。結局そういう会が無くなっても、全然問題無かったですよね。自粛疲れと言いますが、以前から自粛みたいな生活しているので、ぜんぜん平気です。私はまだまだやれます、見ていてくださいって感じです」

と、自分にしては珍しく熱く語りました。が、リーダーは「あ、はい」とスルーして次の方へ。



 日頃ちょっと思っていることがあります。
職場の飲み会って上司の接待か、愚痴か、噂話(悪口)が多かった記憶が。しかもリピートしまくり。
私は妊娠・出産してから、飲み会は極力欠席するようにしているのでうろ覚えですが。
あれ、各種ハラスメントの温床になっていませんか? 
あそこで種火が生まれていませんか?
人って一人一人は善良でも、集団になると化けるときがありますよね。

 だからコロナ禍で飲み会が無くなって、(ずばり)アルコールハラスメント、パワハラ、セクハラが減ってきたのではないかと推測するのですが、どうでしょう。
飲みに行きたければ、仲のいい人と行けばいいんですよね。
集団になってつるみたがるのは、老害ですかね。そんなものにつき合わされたくはないんですよ。
「酒を酌み交わし腹を割って話す」とか、アルコールが入らなければ話せないんですか? そんな話と、割った腹の中身に価値はあるのでしょうか。

 例え話ですが、入社したての新人を飲みに誘い、ここまではいいとして、社会人の洗礼とばかりに飲ませて潰して、次の日寝坊で遅刻させて笑うような、昭和な文化が嫌いなんですよ。
自分も先輩からやられたからでしょうか、この体育会系部活(わる)ノリの文化、廃れて欲しいものです。と、常々思っていたら、コロナ禍で廃れるかな?


 それから各種ハラスメント対策に対し、「やり過ぎ、気にしすぎだ」「シャレ、冗談が通じないのか」「昔(昭和)はそのくらい当たり前だった」というような意見をチラホラ見ますが、いや、これくらいやらないとダメでしょ。
あなたが高笑いをしているとき、影で(ふさ)いでいる人がいるかもそれませんよ。

 「飲み会がストレス発散のはけ口になる」という意見もありそうですね。ただ、愚痴や悪口にみんなが同調してくれるうちに万能感のようなものが芽生えて、勘違いした「正義」のもと一線を越えてしまう危険性があると私は思うのです。
コンプライアンスという概念の無かった頃の、いわゆる昭和の(悪い部分の)価値観、文化は、淘汰されて欲しいものです。



 「文化」で思い出しました。『雑談』なので話があっちこっちいってすみません。

 そのときのミーティングに、1か月前に採用された他課のパート職員の方がいました。
「ストレスあるんじゃないですか」のリーダーの問いに、
「はい、文化が違うので」と答えていました。

 文化?
「文化が違う―」って漫画「ヒストリエ」にあったよな、などと思いつつ。

 そのパート職員は結局その1か月後にクビになりました。他の職員、パートさん達のストレスの原因になったと聞きました。
ウチの会社(ムラ)に馴染めない民族だったようです。


(このオチが気に入らなくてなにか加えようと考える(たび)に、飲み会への文句ばかりが出てきてしまうのです。キリが無いのでこの辺でアップしました)


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み