滑空機の破壊

文字数 2,228文字

 夕暮れが来ると、僕と二人の女は滑空機を解体していた。僕が工具を使い、手慣れた方法で滑空機を部品に分解する。僕は「学園」に閉じ込められてから、滑空機の組み立てと解体を繰り返してきた。しかしもうこの滑空機が再び組み立てられることはない。二人の女は滑空機の部品を屋上から持ち出して、「学園」のどこかへ運び出していた。
「本当に滑空機を運び出してしまっていいのか?」
 朝永が部品を屋上から持ち出す合間に聞いた。
「ああ。僕にはもう滑空機は必要がなくなった」
「その理由を聞いてもいいかい?」
「そうだな。二人には理由を話しておくべきだろう。僕はこれまで滑空機とだけ意識を繋いで、個人的な世界に閉じこもっていた。僕と滑空機に通じている意識は僕以外には理解できないものであり、実際にお前たちは僕の滑空機に対する偏執を不可解に思っていた。しかし昨夜、僕は意識のさらに向こう側へと踏み込んだ。いや、踏み込んだというのは語弊があるな。あくまで、今まで知らなかったその世界を感覚的に知った、という程度だ。無意識の世界とでも呼ぼうか。繰り返しになるが、無意識も意識と同じ性質を持っており、同質の無意識を持つ人間のあいだには経路が通じる。だがこの経路は特別な方法を使わなければ、存在を確認することができない」
「特別な方法とは? 桑江は意識と無意識の区別は言語化されているか、されていないかに依存していると言っていたな。現実を理解するとき、言語が役に立たないのだとすれば、私たちはどうすればいい?」
「人間には初動となるあらゆる精神を持っている。哲学用語を引き合いに出せば、その力は観念に当たるはずだ。宗教や物理学は言語と記号を用いて、観念を初歩的な学問を学んだ人間ならば誰にでも理解できるようにしたものだ。言語化された観念が意識だ。人々はその初動を言葉として理解することで、自由意志を意図的に利用することができる。ところが無意識は言語化されていないゆえに、人々はその存在を認識していないどころか、本当に存在するのか懐疑的だ。だが僕は昨夜の体験で確かにその片鱗を見た。無意識を定義づけるならば、観念の集合体だ。人々は無意識を認識することができないが、確かにその人の行動の決定権の一票を持っている。ある人間の振る舞いを本人の意思に関係なく決定するものを、一般的に運命と呼ぶ。しかしその運命は天上から放射される光によっても、不確定な確率によっても、与えられるものではない。すべての運命は一人の人間の中に内在されている。もう一度言うが、二つの無意識が同じ性質ならば、意識と同じくそこに経路が通じる。人間には認識することはできないが、その全体を制御しているネットワークがある。人類そのものが無意識の経路を張り巡らされていることによって、ある方向へと運命づけられている。その方向がどのような進路を取るのか今の僕にはわからないが。ここからが重要な問題なのだが、意識と無意識には決定的な違いがもう一つある。それはその時間が線形か非線形かだ。言語化された観念が意識だということはすでに言った。そして言語とは時間的に線形の性質を持つ。この性質からは世界中のどの言語も逃れることができない。日本語を例に出すならば、文章を綴るとき、主語、目的語、述語と続き、そのあいだに形容詞や助詞の補足情報が入る。この文章を相手に伝えるとき、すべての情報を同時に与えるのではなく、それぞれの言葉を時間に沿って順序立てなければならない。このとき、文章は時間的な線形に従っている。言語によって支配されている意識も同じだ。時間的な線形がなければ、意識は発展しない。だが無意識は言語から外れている。つまり時間的には非線形だ。無意識における情報はそれが矛盾したものでも、同時に処理され、あるいは現在から過去に遡及し、ときにはフィードバックすら起こす。時間的に線形な方法では、時間的に非線形な無意識の領域に踏み込むことはできない。僕が滑空機の組み立てと解体を繰り返してきたのは、人間の意識を探る意味合いがあった。しかしこの時間のサイクルでは、無意識の領域を探索することはできない。無意識の領域に踏み込んで、人類のあいだで共有している区画に辿りつけば、僕たちに課せられた運命を知ることができるかもしれない。そしてその存在を認知するならば、不都合な運命を変えることもできるかもしれない。僕は滑空機を捨てて、人間の運命を知るために、新しい仕事を見つけなければならない。その仕事は時間的に非線形でなければならない」
「時間的に非線形な仕事とは何だ? 人間とは生来、時間の流れから外れて生きることはできない。歴史だってそのようにして紡がれてきた」
「今の僕にはまだ、新しい自分の仕事が何かわからない。そもそもこれまでの人類史の中で、時間的に非線形な仕事が行われた先例があるのかすらわからない。それでも僕は人類が共有している無意識を探り出す。それは運命であり、人々が想像しているものとは違い、人類の運命は僕たちの外側ではなく、内側からもたらされる。人類の運命を探り出すことによって、預言者や奇跡を授ける人のように世界の未来を予測できるようになるとまでは思わない。しかし共有する無意識こそが、紀元前から人間が求めてきた普遍性なのだろう。そして人間にとって抗うことのできない運命を普遍性として理解することは、現実の構造に対する反抗となる」
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登場人物紹介

桑江英(くわえはなぶさ)

「町」から精神的に欠落していると判断され、「学園」に収容されている青年。
自分の存在を確認するために設計上飛ぶことのできない滑空機の組立と解体を繰り返す。
物事を唯心論的な方面から解釈する癖がある。

朝永夏子(ともながなつこ)

「学園」の生徒の一人。
現代物理学に精通している。
量子力学が専門で、相対性理論と散逸構造論にはそこまで言及しない。

砂川絹(すなかわきぬ)

「町」を支配する教会の修道女。
「町」に対抗を試みる「学園」に人質として誘拐される。
宗派はカトリックで、特にトマス・アクィナスに傾倒している。

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