第3話

文字数 11,273文字


ケロイド
信頼

希望があるところに人生もある。

 希望が新しい勇気をもたらし、再び強い気持ちにしてくれる。

         アンネ・フランク











 「ってな感じかな」

 「そうだったんだ」

 「本当にやんちゃで、すげー大変だったんだぞ」

 「俺が?」

 「ああ。すぐにお馬さんごっこー!とか、電車ポッポ―とか。あ、でも一番好きだったのは、ちゃんばらかな」

 小さい頃の信を思い出し、〵煉はケラケラと笑いだした。

 あまり覚えていない信は、その様子にただただ拗ねる。

 「ここもやべーし、そろそろ城戻らね―とな」

 「うん、そうだな」

 二人は充分注意しながら山道を歩く。

 どれほど経った頃だろうか。

 ふと、信の前を歩いていた〵煉の足が止まり、信に人差し指を向けた。

 何かを感じたのだろうが、信にはいまいちわからない。

 だが、次の瞬間。

 「ばあっ」

 「おおおお!?」

 〵煉と信の間に、木の上から坂様になって現れた顔。

 あまりに突然だったため、信は大声を出してしまった。

 両手を上げて降参のようなポーズを取りながら、わたわたとし始める。

 一方の〵煉はやれやれと言った具合だ。

 「落ち着け。良く見ろ」

 そう言われ、信はよくよくその顔を見てみれば、知った顔だった。

 「な、なんだよ!吃驚するだろ!燕网!朷音!」

 未だ坂様になっている二人は、ストン、と地面に立った。

 「ちょっとー、信様。そうやって朷音に色目使うの止めてくださいな」

 「燕网のこと見てたのよ」

 「僕は朷音を」

 「はいはい、分かったから」

 いつものくだりを見るのは御免だと、〵煉は会話を区切る。

 「で?刺客の方は?」

 〵煉の問いかけに、燕网が朷音に抱きつきながら答える。

 「全滅させたよー。僕と朷音だけで充分だったのに」

 「あ、〵煉帰ったら覚悟しておいた方が良いわよ」

 「あ?なんで?」

 「こわーい人が待ってるから」

 その言葉に、思わず顔が引きつる。

 信を連れて城まで戻ると、信は先に王のもとに行き、〵煉たちは屋根裏部屋まで向かう。

 そこには、にこにこと笑みを浮かべている一人の美少年と、その美少年の前で正座をさせられている火傷を負った少年がいた。

 「到着―」

 なんて、燕网が能天気な声を出して言うものだから、二人がこちらに気付いた。

 逃げようにも逃げられない空気。

 にこにことした笑みを崩さぬまま、こちらに振り向く青髪の美少年からは、おぞましいほどの鬼のようなオーラが漂う。

 「た、ただいま」

 恐る恐る声を発するが、緊張しているのか、いつもとは違う細い声が出た。

 「おかえり、天厘。そこに座ってくれる?」

 「はい」

 大人しく指示に従い、すでに正座をしていた海埜也の隣に座った。

 「ねえ、どうしてこうなったのかな?信様を連れて行くなんて、ましてや海埜也の代わりに連れて行くなんて、死にに行かせるようなものだよね?それは理解出来るよね?」

 「「はい」」

 「俺達は信様を守る為にいるんだよ?それが役割なんだよ?なのに、城主でもある旦那様たちにも黙って連れて行くなんて、馬鹿じゃないの?」

 「た、確かにそうなんだけどさ」

 「そこ、口応えしないでくれる?」

 「はい」

 凖の演説に割って入ろうとした〵煉の言葉は、虚しく飲みこんだ。

 「信様に何かあったらどうする心算だったの?責任取れるの?自分達の立場ってものを理解してる?そもそも・・・」

 まだまだ続く凖の怒涛の攻撃に渋い顔をしていた〵煉だったが、隣で眉間にシワを寄せながら首を横に振った海埜也に、諦めることにした。

 きっとこの状況を、自分達が戻るまで一人で耐えていたのだろうと。

 そんな中、無関係な二人は自分たちの世界に浸っていたが。







 「俺が頼んだんだよ!あいつらは俺の命令を聞いただけだ!」

 「そうだとしても、あんな危ないところに行くなんて、何を考えている」

 「そうよ、何かあったらどうするの!」

 親を前に、信は声を荒げていた。

 海埜也たちに刑罰は与えないという事だったが、信が頼んだにしろ、危ないことはするなと注意されていた。

 「あいつらはいつだって命張ってくれてるんだ!俺は守られてばかりじゃ嫌なんだ!それに、男として逃げられないだろ!」

 「彼らはそれを承知の上で仕事をこなしているんだ。その為にも、信、お前は生きてこの国を背負っていかなければいけないんだ。それが分からないわけじゃないだろう」

 「城や国の古いしきたりもルールも、過去もしがらみだって俺には関係ない!俺は俺のやりたいようにやるし、生きたいように生きる!あいつらだけに辛い思いはさせない!」

 「いい加減にしなさい!信!」

 そしてついに信は、こんなことを口走ってしまった。

 「俺はいつか!こんな城出て旅をするんだ!」

 「なっ!」

 「信!なんてこと!」







 ガシャンー

 信は、屋根裏に続く途中にある階段にある隠し扉の奥の狭い部屋に入れられてしまった。

 「・・・・・・俺は悪くない」

 親不幸者だと世間は言うかもしれないが、信の口にしたことは、信の夢でもあった。

 「腹減った・・・」

 内側からではなく、外からしか鍵の開け閉めが出来ないタイプの扉のため、信はただただじっとしていることしか出来なかった。

 しばらくすると、扉が開いた。

 「?」

 まだ出してもらうには早すぎるだろうと思っていた信。

 明るさに目をくらましていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 「あんなことを言えばこうなるな」

 「海埜也」

 「・・・話は聞いた」

 ドカッ、と信の前に胡坐をかいて座ると、海埜也はふう、とゆっくり息を吐いた。

 「俺達は立場がまるで違うんだ。守る側と守られる側。それが例え死ぬ側と生きる側に変わったとしても、それでも生きてほしいと思うから、守るんだ」

 「俺は、お前達にだって生きて欲しい!権力なんていらないんだ」

 「現実問題、そうはいかない」

 「分かってる!けど、本当はきっと、助けてもらうような国を作らないようにするのが俺の役目なんだ・・・」

 「・・・・・・」

 声を張っていた信だったが、語尾を弱めて話す様子に、海埜也は黙っていた。

 「争いなんて無くなる世を作るのが、きっと権力を持った人間の役目なんだ。けど、俺はまだそんな力もない。この凰鼎夷家を恨んでる奴らも大勢いる。それを沈めるだけの力もない。俺はきっと、この世界をまだ知らないんだ。もっともっと世界を知って、世の中ってものを知らないと、俺は誰も守れないし、戦う事さえ出来ない。いつか世の中から全ての争い事をなくして、平和な時代を作らないといけないんだ」

 「・・・・・・」

 自分の言いたいことを言い終えると、信はじっと海埜也の顔を見つめた。

 その表情はとても真剣で真っ直ぐで、迷いのない顔つきだった。

 小さくため息を吐いた海埜也は、すぐ後ろにあった壁に背をつけた。

 「だろうな」

 「は?」

 思っていなかった海埜也の返事に、信は素っ頓狂な声を出してしまう。

 そして、海埜也は肩を動かして笑った。

 信が知る限り、きっとこんな風に笑う海埜也を見るのは初めてだ。

 「説教まがいなことは言ったが、俺達は“凰鼎夷信”という男に仕えた身だ。その男が何を言おうと何をしようと、守るだけだ」

 そんな海埜也の言葉にじーんとしていた信だが、再び扉が開いた。

 「信様、お食事を持ってきましたーってあれ?海埜也もいる」

 「凖」

 「一カ月はここで反省しなさいって、伝言ですよ」

 「えー、そんなに!?」

 料理を持ってきた凖の手には、普段よりも質素な食事が用意されていた。

 「おー、お揃いで」

 「ちょっと〵煉まで何しに来たわけ?てか、それ勝手に持ってきたの?」

 「お?おうよ!」

 「威張らないでほしいね」

 〵煉の手には酒が二本あり、それをみて凖は額に手を当ててため息を吐く。

 ニカッと笑う〵煉の後ろには、あまり関わりたくはない二人もいた。

 「勢ぞろいだねー」

 「私たちも混ぜて―」

 「げっ。お前ら着いてきたのか!?」

 「いいじゃんいいじゃん。僕たちだってお友達になりたいもーん」

 「お友達ってな・・・」

 随分とぎゅうぎゅうで窮屈になってしまったが、隠れて酒を飲むには良いかもしれない。

 あまり飲めない癖に、なぜかいつも真っ先に飲もうと言いだすのは〵煉だ。

 「さあさあ、乾杯しようぜ」

 「何に乾杯するわけ?」

 「そーだな・・・信の反抗期を祝して!」

 「祝すことか?」

 まあ、色々とあったが、とりあえず乾杯をした。

 その日、海埜也はその狭い部屋で信と一緒に寝ることにした。

 「これ毛布です。これが海埜也の分ね」

 「ありがとう、凖」

 「悪いな」

 渡された毛布を、横たわらせた身体にかけるが、時折入ってくる隙間風は寒さを痛感させる。

 「寒いな」

 いつもならフカフカのベッドの上で、必要以上の枕をずらしながら、温かい布団にくるまって寝ているのだ。

 「海埜也は寒くないの?平気?」

 「・・・まあ、屋根裏もこんなものですからね」

 「ああ、そうか。そのうち慣れるよな」

 不満を漏らしていた信だが、気付けば海埜埜よりも先に寝ていた。





 「ぐっ・・・」

 言う事を聞かない腕を、自分の腕で強く握っていた。

 真夜中に蠢く痛みは、日に日に増していく。

 「やべーな」

 冷や汗をかきながらも、身体を横にして意識を眠気に持っていこうとする。

 蝕まれていく自分の身体を恨み、ただひたすら耐えるのだった。





 「んん、はあっ」

 「燕网、可愛い」

 朷音は燕网の頬に手を添えて、紅潮する愛しい人に唇を落とす。

 短い燕网の髪をかきあげながら、額にもキスをする。

 首筋、鎖骨、下に下にと唇を這わせていくと、燕网が朷音の後ろ髪をくいっと引っ張り行為を止めさせる。

 「どうしたの?」

 「・・・っ。タイム」

 「タイム無しでしょ?本当に可愛いね、燕网は。これだから大好きだよ」

 髪を引っ張ったまま、燕网は強引に朷音の唇に自分のを押しつける。

 少しだけ目をぱちくりとさせた朷音だが、ゆっくりと目を閉じると燕网の後頭部に手を持っていき、自らも押しつける。

 朷音は燕网の足の間に自分の足を入れると、燕网の腰に直に指を這わす。

 「んっ・・・あっ、朷、音!」

 「なーに・・・!」

 燕网は自分の足を持ち上げ、朷音の足の間へと持っていき、叩いた。

 「・・・挑発してくれちゃって」

 「朷音こそ、随分僕をいじめてくれるね」

 二人は互いの顔を見てニヤリと笑うと、再び甘い声が部屋に響いた。







 一カ月後―

 「ようやく出られた―」

 一か月も狭く暗いところに閉じ込められてしまった信は、ようやく解放された。

 あれからもたまに海埜也たちが顔を見せにきてはくれたが。

 「信様、お食事の支度が出来ました」

 「わかった、すぐ行く」

 凖が呼びに来たため、信はすぐに食堂に向かい椅子に座った。

 こうして温かい場所に自分がいることも久しぶりだ。

 食べ終えると自分の部屋に向かう。

 「・・・・・・」

 あれからもずっと考えていたが、やはり信は旅に出ることに迷いはなかった。

 凰鼎夷家が何代にも渡って城だとか国だとかを守ってきたことは誇りに思ってないわけではない。

 だがしかし、それと自分の夢とはまた別の話であって。

 親に申し訳ないと思っていないこともない。

 大事にされて育ってきたことも分かっている。

 自分の為に犠牲になった人がいることも。

 「・・・・・・」

 しばらく目を瞑って葛藤する。





 「王位継承の式典はいつになさいますか?」

 信が十八になると、いよいよ時が迫っていた。

 王妃のお腹には第二子がいて、そのことも踏まえての式をするということらしい。

 「出来ることならすぐにでもしたいくらいだな」

 「そうね。信も最近は大人しくなってきて、顔も王らしくなったわ」

 あれほど旅をすると言っていた信だが、急に「王になる」と言ったのだ。

 そのことには、王も王妃はもちろん喜んだのだが、それを聞いた海埜也たちは驚いた。

 「どういう風の吹きまわしですか?信様」

 「・・・どういうって凖、俺は産まれたときからそういう運命だろ」

 「そうですが」

 「それにしても、最近海埜也も〵煉たちも見掛けないけど」

 「見掛けないことが当たり前なのですよ。海埜也は顔の火傷の件で、暗殺家業に専念すると言っていましたし」

 「そうなんだ。・・・なんか、つまんねぇな」

 「つまらないことは、平和ということです」

 「うん。そうなんだけどさ」

 以前はしょっちゅう顔を見せに行っていたが、最近はめっきりだ。

 元気にしてるのか、今何をしてるのか。

 話相手は凖くらいになって、信は王位を受け継ぐための勉強だとかマナーだとか、色々忙しくしていた。

 「王位継承の式典はいつにするって?」

 「二週間後になるかと」

 「誰が来るんのかな?結構招待するって言ってた?」

 「ええ。なにせ、城単位で数えても百ほど送っていましたから」

 「そんな大層なもんじゃねーってのに」

 「大事な御氏族の門出の日ですからね。親心というやつですよ」

 優雅な動きでティーカップに紅茶を注ぐ。

 「・・・なあ」

 「なんです?」

 「その式典の時って、凖も出るの?」

 「出席するというよりは、パーティーの準備をいたします」

 「海埜也たちは?」

 「出られないでしょうね」

 「火傷してるから?」

 「まあ、それもありますが、暗殺の世界ですでに紅頭などと呼ばれるほどになっていますし、燕网や朷音も、元は別の城の暗殺者として動いていたわけですから」

 「そっか」

 信は、渡されたスピーチ用の文章が書かれている用紙をテーブルに置いた。

 一礼をして凖は下がって行った。





 「俺達は信様の護衛をする。これを見てくれ」

 そういって、海埜也は地図を広げた。

 そこにはすでに幾つかのマークがついており、指をさしながら説明をする。

 「信様はこの部屋で準備を整える。そしてこの道を通ってこのスピーチ台まで向かう。気をつけてほしいのは・・・」

 城の部屋の窓から、渡り廊下で、壇上の上で、様々な場面を想定する。

 「もしも万が一のことが起こった場合、とにかく信様の身柄を保護し、敵を倒すこと。敵が大勢で来た場合は、無理に戦わないこと」

 みなが寝静まった頃には、天井裏を通って一通りの場所を確認。

 屋根裏に戻ると、通路の確認を行う。







 王位継承式典当日―

 「信様、きつくないですか?」

 ギュッギュッ、ときつく縛ると、信の身体にフィットする。

 いや、フィットなどといった柔らかい表現ではなく、みっちりとしている。

 「き、きつい。息出来るのか?これ」

 「大丈夫です。今出来ています。とてもお上手ですよ」

 「馬鹿にしてんのか、凖」

 「滅相もない」

 「緩くして。だらっとさせてくれ」

 「これが正装ですから」

 「鬼め」

 どこかで見たことのある姿。

 その時の信はまだ幼く、こんな見苦しい格好したくないと思ったものだ。

 その気持ちは今もなお持っているが。

 まさか自分がこんな格好をするとは思っていなかった。

 息苦しいだけではなく、なんというか、自分に似合っていない。

 鏡を見てみても、やはり、うん。

 「げっ。こんな姿で外に出るわけ?まじ?」

 「よく似合っております」

 「それ、本当に思ってるか?もしもこれを着ろって言われたら凖、お前着るか?」

 「いいえ」

 きっぱりと否定した凖は、てきぱきと身の回りの準備をしていく。

 他にも数人が信の髪型、靴などを綺麗に整えて行く。

 真っ白な手袋を渡されると、片方を口に咥えて右手からつける。

 「信様、スピーチは大丈夫ですか?」

 「完璧」

 準備が整うと、王と王妃が部屋に入ってきた。

 「おお」

 「まあ」

 これまでにきちんとした正装などしてこず、拒んできた信のみちがえた姿。

 二人は目をキラキラさせた。

 「よく似合っているぞ」

 「ええ、本当に」

 信はぴしっと背筋を伸ばすと、右手を胸に置いてお辞儀をする。

 「少しだけ、話を聞いていただけますか」







 ざわざわと、式まではあと十五分。

 「海埜也」

 「・・・なぜここに?もう準備が整ったのであれば、此処ではなく」

 「ちょっと、聞きたい事があって」

 「?なんです?」

 海埜也が待機していた場所、城のメインの門から離れた裏手のじめじめしたところ。

 そこに正装をしたままの信がやってきた。

 海埜也の他にも、燕网と朷音も準備をしていた。

 「〵煉は?」

 「〵煉は別の場所にいます」

 「何処だ?」

 「それは知らなくても良いことかと」

 「・・・・・・」

 手袋をしたままの拳に力を入れる。

 真っ直ぐに海埜也を見れば、海埜也も信を真っ直ぐに見てくる。

 「海埜也。・・・本当のこと、言ってくれ。〵煉はどこにいる?」

 二人の様子に、燕网と朷音は先に持ち場についた。

 「〵煉はよく俺の部屋に来てた。ただちょっと話をしに来るだけだけど。あの狭い部屋を出てから、一年、いや、もっとそれ以上の間、全然〵煉を見掛けない。もしかして、別の城に行ったのか?それとも・・・」

 「信様」

 「!」

 いつもこうだ。

 信は海埜也たちとの距離を縮めたいと思い、自分が権力者の息子などという鎧はいつだって脱いで接していた。

 海埜也たちもそれは分かっていた。

 もしも信が一人で寂しい想いをしているのなら、敬語を使わない時もあった。

 だが、信を突き放すように、こうして目つき鋭くするときがある。

 「信様には関係のないことです」

 「・・・!なんで関係ないんだよ!」

 「我々は凰鼎夷家に仕える暗殺者です。本来、信様との交友など持てません。何分、心中ご察しくださいませ」

 「俺は凰鼎夷信としてじゃなく、ただの信として話をしてるんだ!」

 「・・・・・・」

 唇を噛みしめる信は、諦めたように踵を返した。

 「折角来たなら、手を合わせてやってください」

 背中に吹いた声に、信はまた海埜也の方に向かって行く。

 海埜也は城に背を向けていて、その足元には土が少しだけ盛られた場所があった。

 そしてそこには数センチほどの小さな木が突き刺さっていた。

 「・・・・・・どうして?」

 「・・・毒針です」

 「毒針なんていつ・・・」

 ふと、思い当たったことがある。

 以前、海埜也の代わりに〵煉とどこかの城に向かったときがあった。

 その帰りの途中で海埜也の過去を聞いたのだが、その時、〵煉はずっと左腕で右腕を強く掴んでいた。

 だがまさか、毒針を受けていたなんて思いもしなかった。

 「いつ?」

 「・・・一年ほど前です」

 「・・・それまで俺は気付きもせず、今日まで〵煉に会う事もしなかったのか・・・。俺のせいなのに。俺があの時・・・代わりに行くなんて我儘言わなければ・・・!」

 「それはわかりません。何か変わったかもしれませんし、何も変わらなかったかもしれない。それに、〵煉は笑っていましたよ」

 ゆっくりと両膝を下ろすと、海埜也は土を少し摘まんだ。

 それをサラサラと落とすと、少し笑う。

 「『俺は信を守ると言う約束を守れなかったけど、お前等がいるなら安心だ。あいつは強い。きっと世界だって変えられる』そう、言っていました。だからこそ、〵煉の志の為にも、信様をお守りしていかねばなりません」

 「・・・・・・あのさ」

 信が何か言おうとしたとき、式典開始五分前の鐘が鳴った。

 海埜也の目を少し見たあと、信はきっと今頃自分を探しているだろう場所へと向かった。

 それを見届けると、海埜也も配置へと向かう。

 「信様、急いでください」

 「はいはい」

 柄にもなく緊張してきた信は、ふう、と深呼吸を繰り返す。

 そして盛大な音楽とともに、信は歩いた。

 太陽がいつもより近くに感じる。

 風が心地よく頬を撫で、音楽が静まれば、みな信へと視線を向ける。

 『・・・・・・』

 スピーチの内容を忘れたわけではない。

 信は綺麗に着飾った服が窮屈で、思わず首元を緩めた。

 『凰鼎夷家、十三代目を継承いたします、凰鼎夷信です。皆さま、本日は私事の式典にこのように大勢集まっていただき、ありがとうございます』

 新鮮な空気を肺へ送り込む。

 『皆様に、お伝えしたいことがあります』

 ざわめく会場などなんのその。

 その頃、城の中でも外でも召使たちは総出で料理を作り運ぶ。

 決して意識をしてスピーチを聞いていたわけではない。

 それは海埜也たちも同じだった。

 『私凰鼎夷信は、十三代目を辞退させていただき、現国王の第二子に全てを譲ります』

 「!?」

 大混乱、とまではいかないまでも、大騒ぎになった。

 王位継承の式典だと言うのに、それを辞退するというスピーチになっているのだ。

 凖は思わず皿を割ってしまい、海埜也も信へと顔を向けた。

 燕网と朷音も驚いたような顔をしたが、特に興味なさそうに「ふーん」で終わった。

 『わざわざ遠方からも来て下さった方には、本当に申し訳なく思っています。しかし、これは十三代目を放棄した私よりも、今王妃のお腹にいる第二子の方が適任であると考えた結果です』

 直立不動に立っていた信だが、両手をマイク台に出し、腕を伸ばした。

 足も膝を曲げて楽な格好をする。

 『俺はこの国を出ます。そして、もっとこの目で色んな景色を見てきます。平和とは何か、自由とは何か、生きるとは何か。自分の目で見てきた世界から学び、いつかこの国に戻ってきてそれを広めたい。浸透させたい。賛否両論あるでしょうけど、これは俺が自分で決めたことです。両親の期待にも結局応えられず、我儘ばかり言って困らせてきましたが、これが最後の我儘だと受け入れてもらいました。みなさん、今日は弟か妹かまだわかりませんけど、お腹の子を祝福してください。そして、どうか皆さんで見守ってやってください』

 短いスピーチが終わると、信はさっさと立ち去ってしまった。

 騒ぎになる前に、スピーチ台には現国王の信の父親が立ち、事情を説明後、王妃も登場してお腹の子を祝った。

 信はあっという間に重苦しい服を脱ぐと、身軽な服装へと着替え始めた。

 その時、バンッ!と扉を勢いよく開ける音が聞こえた。

 「なんだよ、海埜也」

 「なんの真似ですか」

 「なにって、聞いた通りだよ。俺は国を出るんだ」

 腰に一本の剣をさすと、信は部屋に隠しておいた旅用の荷物を手にする。

 「私達はあなたに命を預け、忠誠を誓いました。一生を懸けてお守りすると誓ったんです」

 「・・・いーんじゃね?もう、そういうの」

 「なにを」

 ゆっくりと振り返った信の顔は、いつものとは少し違っていた。

 海埜也や〵煉たちの後ろをくっついて歩いていた甘えん坊の信ではなく、一人の人間として信念を持った顔だった。

 「気にするな。やりたいことをしていい。これから産まれてくる弟か妹を守ってくれるなら、俺も安心できる」

 「忠誠を誓う相手は、そう簡単に変えられないものです。それに、暗殺以外の道など、ないんです」

 「・・・・・・」

 何も、〵煉がいなくなったからどうこう、ということではない。

 ただ、信にとっては気の許せる友が一人亡くなってしまったという事実は変えられない。

 ましてや、無知で無能で無力だった自分を守る為となれば。

 信は部屋の窓を開け放ち、外から酸素を取り込んだ。

 二人の間に、冷たい風だけが吹く。

 「なあ、海埜也」

 「なんでしょう」

 「とりあえず敬語止めて聞いてくれるか」

 「・・・・・・」

 空を見上げれば、羽根を懸命に動かしている鳥がいる。

 揺れ動く信の髪と海埜也の髪は同じ色。

 だからなのか、信が生まれたときからずっと、近くの存在に感じた。

 「国を出ることも旅をすることも、もう決めたことだ。絶対に止めない。けど」

 「・・・・・・」

 信は海埜也に背中を向けたまま、続ける。

 「けど、助けてほしいときはお前を呼ぶ。だから、もし俺がお前を呼んだら、絶対に助けに来い。それが忠誠ってもんだろ、海埜也?」

 最後に海埜也の方へと顔を向けた信に、海埜也は額に手を置き、軽く息を吐いた。

 「そんな勝手なこと言って。俺はスーパーマンじゃないんだ」

 「スーパーマンか!そりゃいいな!傑作傑作」

 愉快そうに笑う信につられ、海埜也も笑った。

 「でも、来てくれるんだろ?何せ俺に一生忠誠を誓ったんだからな」

 勝ち誇ったようにニヒルに笑う信。

 それを見て、海埜也は信にお辞儀をしながら方膝をつける。

 「仰せのままに」







 それから七カ月ほどして第二子が生まれた。

 こちらもまた元気な男の子で、二人は大層喜んだ。

 未だに多くの謎を秘めた暗殺という家業も、今では絶滅してしまったのだろうか。

 「ほーら柚登、高い高いー」

 キャッキャッ、と笑う小さな身体。

 信が王位を放棄したことで、再び父親が王となって早一年。

 無事に産まれた第二子は女の子だった。

 そして何故か、王よりも誰よりも凖に懐いていた。

 「凖と結婚する気か」

 「あなた、そんな怖い顔しないで頂戴」

 可愛い可愛いと大事に大事にしている娘だが、王が抱っこをしていても、近くに凖がいるとそっちに向かって愛想を振りまく。

 悔しそうに見ている王に、凖は首を傾げる。

 「でも、凖なら私は賛成よ。仕事振りも良いし、なにより素敵じゃない」

 「歳が離れすぎてる」

 「それでも柚登が良いって言ったら、結婚を許せるの?」

 「・・・・・・」

 信がいなくなってからというもの、少し寂しいところが多い。

 だが、生まれたのが女の子だったからか、狙われることはほとんどなかった。

 それどころか、もうすでに今から花嫁にしようと男たちがわんさか挨拶にくる始末。

 「僕たちも暇だよね」

 「本当にね。まあ、こんなのんびりした日が続くのもいいんじゃない?燕网」

 「そうだね。朷音といられるなら、僕はどこだっていいんだけど」

 「私も」







 「はあ、はあ」

 「早くしろ」

 「てめっ、和樹!俺ぁ山道慣れてねぇんだよ!ふざけんな!」

 「このくらいで音をあげるな。情けない」

 「情けないと言われたって、俺は気にしないけどな!」

 「阿呆だからな」

 「まじでしばく!」

 信は、和樹と呼ばれる男と一緒にいた。

 目はとても眠たそうで髪ははねている。

 首もとにはなにやら三日月を背中合わせにしたようなマークがついている。

 そして普段の格好からは見えないが、腰には銃を所持している。

 銃の腕前は良く、信をよく手助けしている。

 「・・・信、気をつけろ」

 「ああ!?何に!?」

 疲労のせいもあり、呼吸を荒げながら返事をした信。

 だが、すぐに大人しくなった。

 「おいおい、こんなところで若造が二人で何をしてんだ?」

 「金目のもの置いて行けよ」

 「なけりゃあ、そうだな、女みてーに身体でも売って稼いで来いよ。顔は良いから売れんだろ」

 ゲスな話をしてくる、多分山賊は、二人を取り囲むようにして二十人ほどいる。

 男たちは一人一人が鎌やツル、斧などを手にしていた。

 「そっち任せるぞ」

 「え?まじ?ちょっとタイム。休ませて」

 「そんな時間あるわけないだろ」

 銃を構えた和樹だが、山賊たちも馬鹿ではない。

 疲れが見えている信に向かってきた。

 「ちっ」

 信に群がって突進していく男たちに銃を向けた和樹だったが、何かが目の前を舞った。

 ちゃんとは見えなかったが、それは紫色の髪をして、顔半分に火傷の痕がある男だった。

 二、三秒で全員倒れてしまい、和樹はぽかんとしながらも、銃を腰にしまった。

 まだ息があがっている信は、見てもいないのにへへへ、と肩を揺らして笑っていた。

 「おい、今のはなんだ?」

 「何って、あれだよ。えーと」

 「信、知ってるのか?」

 「ああ、まあな。腐れ縁みてーなやつかな」

 信はようやく息を整えると、顔をあげた。

 「ほんと、律儀な奴」







 彼らの存在は、何者にも属さない。

 彼らは信念をもち、忠誠を誓って戦う。

 彼らの名は、表舞台には決して出ない。

 それでも彼らは、命を懸けて生きた。

 彼らを忘れない限り、彼らは生き続ける。





 「ちょ、もうちょいゆっくり行かね?」






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登場人物紹介

甘畄迩海埜也:忍のリーダー。

【紅頭】という異名を持つ男。

冷静かつ合理的に動く一方、人情深いところもある。


『昔の話だ』

葡立凖:給仕係兼任の忍。

物腰が柔らかく、人当たりも良い。


『体が資本』

天厘ヽ煉:ムードメーカー忍。

いつも明るく、いざというときは機転が利き頼りになる。


『俺に任せとけ!』

燕网:心は男の子の女の子。

朷音のことが大好きで忍の道を選ぶ。


『僕は男の子だよ?』

朷音:元々は心も体も男の子だったが、今は心が女の子になった男の子。

燕网の好意を知り、その心が男の子であることを知ったため、自らを洗脳して女の子となる。


『燕网が幸せならそれでいい』

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