ゲレンデの恋人たち

文字数 2,073文字

 題名は「ゲレンデの恋人たち」だが、俺は雪の上に2時間しかいなかった。高所恐怖症気味なのでリフトにも乗らず、休憩所で行き交う人を眺めながら暇を潰しただけだ。じゃあなんでスキー場に来たんだと言われそうだが、俺の彼女である大里彩奈の命令である。逆らえるワケがなかろうに。
 そんな情けない俺に愛想が尽きることもなく、「いつもの総ちゃんだね」という感じで一人で滑りにリフトへ乗った彩さんは、心が広いのか、それともなにも考えていないのか分からない。彼女に対して女心がどうとか悩んだ記憶もないため、俺はちゃんと異性として認められているのか不安になりそうだ。

 彩さんは3つ年上である。惚気るつもりはないが、かなりの美人でスタイルも良い。俺のルックスは普通も普通で、イケメンという言葉から500kmほど離れているかもしれない。500kmは東京と大阪間の距離なので、想像はしやすいと思われる。

 彼女は高校時代からモテモテで、50人くらいの男性が告白したらしいが、すべて撃沈したと聞いている。対照的に俺は全力で口説いたことはなく、出会った時の記憶も曖昧で、今までどうして付き合っているのか謎のままだ。
 ただ彼女の言うには、初めての出会いは歩いている時に落とした本を俺が拾ったらしく、そのタイトルを見て「これ、いい本ですよねぇ」と言われたとのこと。本のタイトルは『明治・大正の文豪アンソロジー』で、夏目漱石や泉鏡花といったメジャーな作家だけでなく、当時の様子を想像させるような無名作家の文章まで掲載されており、かなり細部まで作り込まれたマニアックな書籍だ。
 実は彼女の父親が文筆業に携わっており、その出来事を話したら「その男を離すな、絶対にだ」とアドバイスされたらしい。そして、大学時代に課題を仕上げようと夜の学食でぼっち飯を堪能していたら、彼女が歩み寄って来て「私と付き合ってください」と突然言われた。
 寝耳に水どころかタバスコでも入れられたかのように、「はあ!?」という素っ頓狂な声を俺は上げた。俺は1年生で相手は4年生。先輩も先輩で、最初はどう反応して良いか分からなかったが、不思議と一緒に行動するようになった。合縁奇縁という四字熟語はあるが、それを地で行くような結ばれ方だと思う。

 話は逸れたが、ホテルに戻った俺は長峰から借りた本に再び目を通した。白蛇村はここから車を走らせて1時間くらいの場所にあり、明日の朝に出発して村の役場を訪れる予定だ。事前に「ちょっと行ってみたいところがあるんだ」と彩さんには伝えており、珍しく行動的な俺に興味が湧いたのか、明日は一緒に行くつもりらしい。

 時間が過ぎるのを忘れて本を読んでいると、いつの間にか夕方になっていた。彩さんがスキー場から戻って来ると、汗で濡れたシャツを着替えるためシャワー室の小部屋へ入った。

「今日は1回くらい滑ったの?」
 奥から彼女の声が聞こえた。
「い、いや……滑ってないよ」
「ダメだよ運動不足は。ただでさえ総ちゃんはデスクワークが中心なんだから、たまには体を動かさないと病気になるかも」
「滑る時の力の入れ具合が分からないんだよね。だからいつも筋肉痛になるだけで、楽しくもなんともないから」
 彼女はタオルで汗を拭きながら小部屋から出て来た。
「マッサージしてあげようか?」
 ……なんだこの何処かで聞いたような展開は、その手には乗らないぞ。
「けっこうです、今日は眼球を動かしただけだし」
「こんないい女のマッサージを断るとはね、どんだけ恵まれてるんだよお主は」
 そう言うと彼女は意地悪そうに笑った。

 俺は彼女が疲れていると思い、沸かしていたお湯でコーヒーを淹れた。俺が淹れたコーヒーを飲むと彼女の機嫌が良くなるため、今では円満な交際を続けるための一助になっている。そんなプロ級(?)のコーヒーを飲みながら、明日の予定について話し合った。
「ねえ、どうして村の役場に寄るの? 直接、殺人事件のあった山荘に行けばいいじゃん。Youtubeとかで肝試し動画をアップしてる人とかいるし、あの人たちがわざわざ許可を取っているように思えないんだけど」
「う~ん、一応の礼儀として許可を取っておいた方がいいと思うんだよね。今は廃墟になっているらしいけど、聞けば家族で山荘の経営をやっていたみたいで、もともとは私有地だからさ。それに……」
「それに?」
「保護された小野塚さんのご両親が亡くなった場所だし、本人が悲しがるかもしれないから」
「……ふ~ん」
 彼女は頷きながらコーヒーを一口飲んだ。見ると嬉しそうに笑顔を浮かべている。
「なにがそんなに嬉しそうなの?」
「ううん、なんでもないよん」
 彼女は微かに頬を赤らめながら、コーヒーのカップをテーブルに置いた。
「じゃあ、明日はお姉さんが付き合ってやるから感謝しなさいよ。スキーを我慢してまで行くんだから、普通ならお金を出して欲しい気分だわ」
「い、いや……別に来てもらわなくても大丈夫だから」
「総ちゃん軽くコミュ障だし、私が隣にいれば心強いでしょ」
「自分の彼氏に向かってコミュ障言うなや……」
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