第30話:起点

文字数 3,126文字

「ほんとにこれ使わないとダメ?」
「ダメ」
 旅先である海外からの帰路。森林の上空を飛ぶ大型旅客機内では、年若い夫婦が声を潜めて会話をしていた。夫の手には“ブラジリアンワックス”というラベルの付いた容器が乗っている。それを暫し見つめた後、妻の方へ切なそうな顔を向けた。
「めちゃくちゃ痛そうだけど……」
「氷嚢でキンッキンに冷やしてから一気に剥がせば大丈夫」
 淡々と告げる妻の言葉に夫はひとつ身震いをし、思わず己の股間を抑えた。
「その冷やす時点で既にゾッとするし、男の威厳ゼロなんですけども」
「今だってそんなものゼロでしょ」
「これは手厳しい」
「いいから四の五の言わずに全部抜いて。もうあなたの陰毛落ちてる床を掃除したくないのよ」
「淑女が公共の面前で陰毛とか言わないで」
 どうやら夫は妻から股間の除毛をせよと迫られているようだった。
「おかあさん、“いんもう”ってなぁに?」
 それまで夫婦の間に大人しく座っていた幼女がキョトンとしたあどけない顔で質問をすると、父親は大げさな動作で天を仰いだ。
「ほらぁ、穢れなき天使が穢れワードを覚えちゃったじゃない」
「穢れの発生源が何をいうか」
 夫の悲痛な嘆きにも妻は塩対応だ。
「おとうさんは、けがれてるの?」
「そうよ。人間の男なんて、みんな陰毛の生えた穢れの塊なのよ」
「にんげんこわい」
「親子で人間に幻滅した神々みたいな会話しないで。父さん悲しい」
 ヨヨヨ……と父親が泣きまねをすると同時に、飛行機がガクンッと大きく傾いた。一瞬にしてパニックに陥った機内では悲鳴がそこかしこで沸き起こる。客室乗務員が乗客へ落ち着くようアナウンスするも、その途中で更に前のめりに傾きグングンと下降していく機内では、その声を聴いているものなど皆無であった。

「おとうさん! おかあさん!」
「大丈夫だよ。さぁこれを付けて。お母さんの膝に伏せていて」
 客室乗務員のアナウンスが流れる前から、すでに落ち着いているように見えた父親は、天井から降りてきた酸素マスクを娘に装着させ、母親の太ももの上へ上半身を伏せさせた。
「目を閉じて、耳を塞いで――そう、上手よ。そのままジッとしていてね」
 周りで泣き叫ぶ乗客達の声にかき消されてもおかしくない穏やかな母の声。だがその声は耳を塞いでいても娘にはハッキリと届いていた。
 母親は娘を守るように上から覆いかぶさり、父親は娘と妻を守るためにその上に覆いかぶさる。制御不能となった機体はもはや誰にも止められず、眼下に広がる森林へ吸い込まれるように落ちていった。
「大丈夫、きっと大丈夫よ。いい子ね――」
 頭上から聞こえてくる子守歌を歌うような母の声を最後に、幼女の意識は途絶えた。

「――ぅ……」
 小さな呻き声をあげながら気が付いた幼女。母の言いつけ通り閉じていた瞼をあけ、耳を塞いでいた手をどける。
「……おかあさん?」
 自分に覆いかぶさっていた母の体を小さく揺さぶる。触れたその体に熱はなく、ひんやりとしていた。
「おかあさ――」
 母の拘束から抜け出した幼女は、母の顔を見て言葉を失う。なぜなら、あるべき場所に顔が無かったから。母親の首から上は無くなっていた。
「おとうさん、おかあさんのおかおが――」
 状況をよく理解できない幼女は、母の上に覆いかぶさっていた父親の姿を探すが、彼女の目に映る周りの光景は、先日絵本で見た“地獄”のようであった。
 そこかしこから上がる火の手。鼻をつく刺激臭と肉が焼け焦げたような悪臭。バラバラになった機体の残骸と、ぐしゃぐしゃになった人間の躯。彼女が見渡した限り、父の姿も、他の生存者の姿も見当たらない。
 まだ人の死の意味が分からない幼女でも、その光景から感じ取れる絶望と恐怖。あまりに大きすぎるそれらに、彼女は泣き叫ぶことも気を失うこともなく、母親の亡骸に寄り添い膝を抱えて座った。

 * * * * *

 『あの凄惨な航空機墜落事故から三カ月。生存者1名、身元不明者――』
 リビングでのんびりとテレビを見ていた老齢の女性は、とあるニュースが流れるや否やリモコンで素早くチャンネルを変えた。老女が隣のソファーに座っていた幼女へ恐る恐る視線をやると、彼女は替えられたテレビ番組を無表情に見つめていた。
「ま、まーちゃん。もうすぐクリスマスよね? 何が欲しいかサンタさんにお願いした?」
「ううん、まだ」
「そうなの? じゃあお婆ちゃんが代わりにお願いしてきてあげるわね。何が欲しいの?」
 祖母の質問に、幼女は抱えていた大きな猫のぬいぐるみを見つめながら暫く考え込む。
「――ねこちゃんの、おともだちがほしい」
「そう! 猫ちゃんの新しいぬいぐるみね! お婆ちゃん、サンタさんにキチンとお願いしておくわ! 忘れないうちにメモしておかなくちゃねぇ!」
 幼女らしい答えにホッとした様子の祖母は、メモの置いてある場所まで小走りで去っていく。その後ろ姿を見送った幼女は再びテレビ画面へ視線を戻した。
「……ほんとは、“しんじゃわない”おとうさんと、おかあさんがほしいな……」
 ガヤガヤとうるさいだけのバラエティ番組をぼんやりと見つめながら呟いた幼女。彼女の真の願いは、いそいそとメモをとる祖母の耳には届かなかった―――

 ―――一方その頃、しんしんと雪が降る、辺り一面雪景色な世界。そこにひっとりと建つ北欧風な建物内では、その雰囲気にそぐわぬ作業着姿の屈強な男達が、大小さまざまな荷物を抱えて右往左往していた。
「おぉーい! コイツをココに手配してくれやぁ!」
 全身真っ赤な作業着で身を包み、立派な白いヒゲをはやした恰幅の良い老人が、部屋の中央にあるお立ち台のような場所に置かれたプレジデントチェアに座っている。老人は椅子をクルリと回転させ、目の前を通りかかった作業員に一枚のメモ書きを差し出した。
「へい! ――って親方、これを贈るんですかい!?」
 メモを受け取りサッと目を通した年若い作業員は、その内容に素っ頓狂な声をあげた。
「おうよ! なんか文句あっか?」
「文句もなにも、これって“あの星”で大流行中の殺戮兵器工作キットじゃないッスか! こんなん3つも地球の女の子にあげても――」
「あぁ!? “おっ()なねぇ家族が欲しい”っつー(ねげ)ぇなんだぞ! コイツらはちっとやそっとじゃ壊れねぇカッチカチのウルトラボディ! しかもお利口さんにお喋りも出来るときたもんだ! うってつけだろうが! ガハハハハッ!」
「えぇ……まあ親方がそこまで言うってんなら、しょーがないッスね……」
 豪快に笑い飛ばす赤服の老人に、年若い作業員は若干引きつつも配送部門にメモを届けに行った。
「お疲れ様ッス! これの手配お願いするッス!」
「りょ」
 年若い作業員から受け取ったメモの内容を、木製で出来たパソコンのような機械にカタカタと打ち込んでいく配送スタッフ。
「えー、地球の日本、〇〇県□□市××町**-11、指定日は20年後の12月24日の深夜っと」
 牛乳瓶の底のような分厚いレンズの眼鏡をかけている配送スタッフは、その見た目通り至極視力が悪かった。その結果、彼が打ち込んでいる住所はメモの内容と若干違っていた。住所の最後11はメモでは12となっており、お届け指定日も20年後ではなく今年であった。

 * * * * *

 そして時は巡り、20年後のクリスマスイブ。地球の日本〇〇県□□市××町**-11に建つ一軒家の前へ一人の男がやってきた。玄関の鍵を開けようとし、ふと足元を見ると綺麗にラッピングされたプレゼントの箱が3つ。男はそれらを手に取り暫し思案したあと、何か思い浮かんだのか嬉しそうに口角をあげ、プレゼントを抱えたまま、いそいそと自宅の中に入っていった。
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