第9話 介護してみたアプリ

文字数 4,006文字

 トイレが同じ階にあるのが幸いだった。一階に下りたら、本日二回目の事故の可能性もあったわけです。

「おにいちゃん、サヨがんばった?」

「うん、よい子だったよ」

「えへっ、頭撫でて」

 小夜さんは幼児退行状態みたい。リクエストに応じて、僕は同級生の頭をスリスリ。黒髪はサラサラ。
 洗面所でそんなことをしていたら。

「ふん、我が眷属め。主を差し置いて、別のオナゴと楽しんでおるとは」

 美紅ちゃんがやってくる。

「妾は自分でできるのじゃ。だから、妾も……」

 臍を曲げて、ぶつくさつぶやいている。

「わかった。頭を撫でるから」

「うん、うれしい! じゃなかった……」

 慌てて口を押さえる美紅ちゃん。中学生らしい仕草が微笑ましい。

「特別に、妾の髪に触れることを許そうぞ」

 やっぱり強がるんだ?

 美紅ちゃんはトイレを無事に済ませ、石けんで手を洗う。アルコール除菌剤でアフターケアもばっちり。

 小夜さんとちがい、安心して見ていられた。変態にならないよう注意したけど。

「ほら、約束じゃ。妾の頭をポンポンしたいんじゃろ」

 ツンツンした美紅ちゃんの頭を撫でてから、三人で僕の部屋に戻る。

 小夜さんは再び僕の部屋にある本を読み始める。写真集がお気に入りみたい。
 美紅ちゃんは美紅ちゃんで少年マンガに夢中だった。

 ふたりともしばらくは大丈夫だろう。

 さて、どうするか。
 今日のこととか、今後のこととか。
 途方に暮れていると。

「おまえも少しは現実が見えてきたようだな」

 日向先生が話しかけてくる。

「ええ」

 担任は僕のベッドに腰を下ろし、自分の隣を指さす。座れってことらしい。
 見た目が小学生なこともあり、背徳感を抱きながらも指示に従う。

「ロリババア病。あくまでも脳の病気で、身体には影響はない。普通の少女たちだ」

 先生は授業を始める。
 自分の高校生活を左右する話だ。僕は真剣に聞くことにした。

「そういう意味では、心身ともに老化した老人の介護と大きく異なる」

「ええ。おばあちゃんには、歩くのを支えてトイレまで連れていくとかしてましたし」

 けっこう力が必要だった。

「あと寝返りができないのもあるな」

「ええ。おばあちゃんもお尻のところがグロくなちゃって」

「専門用語でいう、褥瘡(じょくそう)だな。わかりやすく言うと、床ずれだ。同じ態勢が長く続くことで、血流の流れが悪くなる。やがて、阻血性障害が起こり、周辺組織が壊死するというわけ」

 専門用語ばかりで難しい。

「エコノミー症候群的みたいなものですか?」

「まあ、血流の阻害が原因という点では同じかな」

「……」

「介護士や看護師にとっては重要な問題なんだ。君も座学として勉強が必要になるだろう」

「座学?」

「ああ。さっきも言ったが、彼女たちはあくまでも脳の病気。自分で寝返りができるし、寝たきりではない。彼女たちの介護がそのまま老人に当てはまらないジレンマ」

「は、はあ」

「いくつか課題はあるが、今はトイレだな」

 また、そこに戻るのですね。

「顔を赤くしてるが、大事なんだぞ」

「ええ。衛生的にですね」

「半分当たりで半分間違いだ」

 ロリババア教師は渋い顔で首を横に振る。

「君、異能を使った時のことを覚えているよな?」

「《癒やし手(ケアラー)ですよね。小夜さんの本当の人格が現れて……」

「ああ。彼女、普段の自分を恥ずかしがっていただろ」

 あっ。

「ボケていて、意思の疎通ができないよ。けどな」

 先生の言いたいことがわかってきて、居心地が悪くなる。

「トイレに失敗したら、落ち込むんだ。年頃の女子ってこともあるけど、排泄行為って人間にとって基本的な行動だ。年齢性別に関係なく、ミスったら恥ずかしくて自分がダメになった気がするんだぞ。デリケートな問題なんだよ」

 先生の熱い言葉が僕の胸に染みこんでくる。

「僕、どうしたらいいんですか?」

「彼女たちにはできることをしてもらえばいい」

「えっ、でも?」

 小夜さんは教室をトイレだとご認識し、ミスしてしまったわけで。

「案ずるな」

「でも、病気だからできないし。努力で解決する問題でもありませんよね」

 つい咎めるような口調になってしまった。

「だから、安心しろ」

 ぶっきらぼうな口調の日向先生。なんと自分の胸元に手を突っ込む。
 僕が唖然としていたら。

「君には専用のスマホを渡しておく」

 胸元から取り出したのは、スマホだった。

「なんて場所に入れているんですか?」

 強引に受け取らされる。生温かい。犯罪者気分を味わうハメに。

「これな。天才のボクが魔改造したんやで」

 なぜか関西弁になる先生。

「幼女のアイコンをタップしてみろ」

 アプリ名は、『守れ、ロリババア』になっていた。なんてネーミングだ。
 立ち上げると、小夜さんと美紅ちゃんをアニメ風にしたアバターが表示されていた。

「まずは、嬢ちゃんを選べ」

 言われた通りにすると、小夜さんがアップに。しかも、服が過激というか、下着に近いんじゃないんで
すか。胸や太ももが強調されているし。

「これな。本人のスリーサイズを元にしてるから」

「ぶはっ!」

「しかも、毎朝測定した結果をモデル化、レンダリングしてアプリに取り込むところまでを自動化している。ボクが開発したんだ」

 なんという技術の無駄遣い。

「患者のデータは新しければ新しいほどいい。本来なら、一時間に一回は胸の容積を測定したいところなんだが、さすがにサーバに負荷がかかってな。挫折したんだ」

「待ってください。今の発言を聞くと、小夜さんの、む、胸を……」

 再現してるってことなんじゃ。

「君はやっぱムッツリだな。今の話題は彼女の排泄をどう管理するかで」

「くっ」

 僕が悪者?

「右下にカメラのアイコンがあるだろ。それを起動して……このペットボトルに向けてみてくれ」

 先生、今度はスカートの中からお茶のペットボトルを取り出した。半分弱、緑の液体が入っている。

「画面を見ろ」

『濃いめの緑茶294ミリリットル』

 と表示されている。

「ほら、嬢ちゃん。お茶を飲んでみな」

 先生は小夜さんにお茶を渡す。小夜さんは一口含むと、ロリ先生に返した。

「もう一回スマホを向けろ」

 すると。

『彼女は30ミリリットル飲みました。次回のトイレまで、二時間三十四分です』

 案内が出てくる。
 まるで、カーナビの推定残り時間である。

「すげーだろ」

「……はい」

「食事や飲み物を取った時に記録するんだ。すると、スマホが教えてくれるから便利すぎる。誰が開発したんやろな。あっ、ボクだ」

 幼女先生はドヤ顔である。

「説明しよう。飲食物からでもトイレに行く時間は予測できる。けど、もちろん個人差はある。美紅の方が身体が小さい分、頻尿だし。少しでも精度を上げるためにボクがしたことは……」

 日向先生は薄い胸に手を当て、一呼吸。
 どんな高度なことなのか期待していたら。

「秘密はブラにある」

「…………は、はい?」

 ブラって言った? この人?

「ほら、これ」

 そう言って、なにかを僕に渡した。つい、受け取ってしまい――。

 うわっ。ブラじゃないですか。
 おばあちゃんのを洗濯してたから、見慣れている。

 って、いうか生温かくて、少し前まで誰かがつけていたみたい。
 でも、脱いだ素振りを先生はしていなかったぞ。ちな、平坦だから必要なさそうだし。

 首を捻っていると。

「おい、ロリババア。妾の聖胸布を奪うでない。おまけに、我が眷属に与えるとは万死に値するんじゃ」

 今の発言から察すると、美紅ちゃんのものだったようです。

「見たか。ボクの必殺技マイナス99番。『ブラ・スティール』だ。ブラに限定した盗み技である!」

 おバカすぎる。

「ところで、このブラな。センサーを仕込んでんだ」

「センサー?」

「ああ。今の時代、ウェアラブル端末ってあるじゃん。林檎も腕時計を出してるし」

 それは、わかる。けど、ブラにも?

「ボクが開発したのは、それのブラ版みたいなもん。名づけて、『ロリババアのブラ』」

 そのまんまじゃん。

「ロリババア病を前提にしてんだ」

「は、はい」

「みんな育ち盛りだ。胸の大きさ、形、容積。そこら辺を測定する機能は必須」

 容積で思い出した。

「そう。小夜の胸はブラで測定してる。半年前にCからDに昇格したんだ。なお、美紅は数ヶ月で一ミリ立方メートルも増えてない」

 先生は容赦なく言う。

「なっ、妾は一千年の刻を生きる身。一ヶ月で一ナノでも増えれば問題なしじゃ」

 美紅ちゃんは口を尖らせる。

「基本機能は以上として、脂肪量や柔らかさ、手のひらを押し返す力まで測定してるからな。ドヤァ」

 自慢することじゃないでしょ。

「で、それがトイレの時間と、どう関係が?」

「ブラな。歩数計になったり、体温計にもなったり、もちろん乳揺れも観測している。さまざまな生体データをサーバに送ってるんだ。AIが活用して、トイレの時間をリアルタイムで計算してるってわけ」

 アホだ。けど、寒い日にトイレが近くなるし、理解できなくもない。ブラなのが意味不明なだけで。
 ロリババア先生、変態と思いきや、すごい人なんじゃ……。

 どうせ、僕は中途半端。
 おばあちゃんの最期のこともある。
 先生について勉強するのも悪くないかも。

 む、胸の情報は危険だから、なんとかしたいけど。
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登場人物紹介

伊藤 結人(いとう ゆうと)

中学生時代に祖母の介護をした。

福祉の勉強をすべく、福祉科があるヴァージニア記念高校に入学する。

が、どうやら特殊な能力があるようで、ロリババア病の少女たちの介護をすることに。

神凪 小夜(かんなぎ さよ)

家がお金持ちのお嬢様。

才色兼備な優等生だったのだが。

ロリババア病を発症し、ボケている。

結人と同じクラスで、彼に介護される。

ご飯を食べたことを忘れたり、家にいるのに外出したつもりだったり。

天道 美紅(てんどう みく)

元テニス選手。中学生ながら、プロに勝ったこともある。

ロリババア病を発症し、のじゃロリになる。

結人と同じクラスで、彼に介護されるのだが、傲岸不遜で結人を眷属扱いしている。

中二病を患う中学三年生。

青木 穂乃花(あおき ほのか)

幼なじみ。優しくて、尽くしてくれる子。爆乳。

結人の傍にいたくて、ヴァージニア記念高校の普通科に進学する。

小夜と美紅に振り回される結人を助けるも、小夜たちには複雑な感情を抱く。

敗北する幼なじみと思いきや。

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