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 その後聡は暫く一人でいたが、私たちの存在に気付いて近付いてきた。少し畏まった私の横を通り過ぎ、立ち止まって言った。
「藍美ちゃん、この前はありがとう」
「え?ああ、うん」
 予想外の出来事にさすがの藍美も一瞬戸惑った様子だったが、返すように言った。
「あのさ、聡君、ずっとあいつに嫌がらせさせられてたじゃない?1学期のときから。だから言ってやったの。この前の始業式の日にも聡、ここにいたでしょ?小学生に対して優しく接していたよね。そんな心を持っている聡が意地悪されているのがちょっと許せなくなって。だから言っちゃったの。」
 聡は目を丸くしていたが、構わず藍美は続けた。
「みんな気付いてはいるかもしれないけど、1学期から嫌がらせを受けていたじゃない?実は私たちも見て見ぬ振りというか、かわいそうだなーくらいにしか見てなかったの。そんな自分が、自分たちが・・・なんだろう、格好悪いなーって。だからあんなこと言っちゃったっていうか」
「・・・」
 聡は黙って頷いていた。藍美がうまく言葉に表現できずにはいたが、言いたいことは伝わってくる。
「うん、なんかごめんね。よかったらさ、私たちと一緒にゲームでもやらない?」
 照れ隠しなのかどうかは分からなかったが、藍美は続けた。
「でも・・・」と聡は戸惑っていたが、私はメダルを無理やり聡に渡した。そして勢いで競馬のゲームの方に連れ出した。藍美と違って私は、あのときに何もしてやれなかった。何も言ってやれなかった。他のみんなと同じ「傍観者」になっていた。しかし、そんな劣等感のような思いを打ち消したい思いからなのかは分からないが、自然と聡の腕を引っ張っていた。
「私たちさ、馬のこととか全然分からないから教えてよ」
 亮一に吊るし上げられたとき、藍美は助けたけれど私はできなかった。そんな気まずさや申し訳なさを搔き消すように続けた。
「どういう馬が強いのかな?一緒に賭けて遊ぼう」
 そんな私の言葉に圧倒されてか、聡は説明を始めた。
「馬には長距離向きか短距離向きかあって、ほら、これまでのレース結果のデータが出てるでしょう」
「うんうん」と私たちは自然と聡の話を、身を乗り出して聞いていた。賭け方も『単勝』とか『3連単』とか色々な賭け方があることを知った。最初は中々当たらなかったが、悔しいので当たるまで賭け続けた。聡が藍美が早々に当てる中、7回目くらいでやっと『単勝』で勝つことができた。「やっと当たったね」と2人に笑われたが、なんとなく達成感を味わうことはできた。
 競馬のゲームに飽きた後も、ポーカーやメダルを落とすゲームなど様々なゲームに乗り出していた。気付いたら夜の8時を回っていた。藍美が時計をチラッと見て私たちに言った。
「わあ、もうこんな時間だ。そろそろ帰らなきゃね」
「本当だ。楽しい時間はすぐに過ぎるね」
 聡は少し寂しそうな様子だった。記憶は定かではないが、聡がクラスの中でこんなに楽しそうな顔を私たちに見せるのは初めてだった。
「じゃあ、来週学校でだね」
 私も聡と同じ気持ちで、本当は帰りたくない。もしかすると来週は誰か1人がいなくなっている可能性がある。それは藍美や聡かもしれなければ、私かもしれない。来週、この3人が顔を合わせるのは奇跡であるのだ。ともかく、私たちが左遷されないことを願いながら帰路についた。精神的な疲労がドッとのしかかってきたが、とにかく私たちは第1週目を終えた。

 こんなにも何かの結果を気にしたがあるだろうか。テストの結果発表なんて生易しいものではない。学校に行けば、誰が左遷されたかが分かるのだ。そんなことばかりを考えてソワソワした土日を過ごし、月曜日の登校を迎えた。その日も母に起こされる前に起床していた。1週間前よりも、学校に行くことに抵抗を感じていたからだ。学校に行っていいのかどうか不安ではあったが、とりあえず学校に行くことにした。万が一自分が左遷の対象になったときは誰かから告げられるのだろうか。この疑問の答えが明かされるのは当事者になってからなのかもしれない。
「おっはよー!」
 学校の近くで藍美に話しかけられ、ホッとした気持ちから「おはよー!」と挨拶を返した。いつもよりも声のトーンが高いように思えた。
「先週は楽しかったね!また行こうね」
 相変わらずいつも通りを装う藍美。正直、クラスに足を運ぶ足取りが鈍くなっていたところだったので、心強かった。目を瞑るような思いでクラスに入り、ホームルームが始まるまでは顔を伏せていた。そして、チャイムが鳴ると同時に大澤先生が勢い良くドアを開けて教壇に立った。
「委員長、号令」
 大澤先生も平静を装っているように見えた。一息ついたのも束の間に口を開いた。
「おはよう。2学期も2週目になるけれども、引き続き、引き締まった生活をするように。あ、そうそう、薄々気付いているかもしれないが、今週から亮一がこのクラスから居なくなったから」
 校長のあの話は嘘ではなかった。そして、亮一がクラスから左遷されたのがクラスの『民意』だということもなんとなく納得できる事実だった。
「そういえば藍美、先週言い忘れたが亮一の件で場をまとめてくれたこと、先生は評価しているからな」
 藍美は軽く一礼をした後、恥ずかしそうに顔を伏せた。
「1人減ってしまったが、今週もみんなしっかりと、」
 先生の挨拶も締めにかかったとき、委員長の善行が割って入った。
「あ、あのっ、亮一君は一体どこへ?」
「ん、やっぱ気になるよな?でもな、ちょっとそれは教えられないんだ」
 先生は躊躇いながら言った。空いてしまった亮一の席に目をやると、寂しさとか悲しさとかでは言い表わせないほど切なく、ポツンと孤立して見えた。
 月曜日、火曜日と無事に学校が終わった。誰かが標的になるのを待っているような静けさだった。

 迎えた水曜日。1週間振りの曇天だ。何かが起きそうで、なんとなくソワソワする。4時限目の科目は社会だ。担当の佐々木先生は、野球部の顧問で、見るからに体育会系だ。厳しいという訳ではないが、声が大きくハキハキ喋り、頼り甲斐のある先生だ。歴史の授業では、オリジナリティのある年号の覚え方を、ジェスチャーを使って教えて笑いを取っている。
生徒からは人気があるが、個人的には退屈だ。年号を覚えるよりも、歴史的な背景、どういった経緯でその出来事が起きたのかなどを重点的に教えて欲しい。テストのための勉強には飽き飽きしているところだった。
「よーし、みんな教科書を開いて。1学期の続きからだから、89ページな」
 私たちにそう指示すると、佐々木先生は教科書を読みながら、教室中を歩いている。そしてそのページが読み終わる前に差し掛かったところで、その足を止めた。
「どうした優也、昨日遅くまで『Chu-Chu-Tuesday☆』でも観てたのか?」
 先生は机に突っ伏して寝ていた優也の肩を、教科書を持っていない方の手で揉んでいる。この番組は、毎週火曜日の深夜2時からスタートするアイドル番組らしい。人気急上昇アイドルの『イチジク♡SEVEN』の7人が視聴者の疑問を解決していくバラエティだと、テレビ欄に書いてあった。中でもリーダーのマナカちゃんは、可愛らしくてノリもいいため、クラスの男子達は虜になっている。
佐々木先生の一言で男子生徒達からは笑いが起こり、「先生、知ってるんですかー?」とか「俺も昨日見た!」と和やかな雰囲気になった。佐々木先生はしたり顔で「さ、授業に戻るぞー」と言って教科書を読み始めた。基本的には先生が教科書を読んで板書をして終わる。しかし今日ばかりは違う。授業の終わりに、佐々木先生は私たちにこう提案した。
「じゃあ、今日はここまで。来週から授業の内容を覚えているかどうかミニテストを行いたいと思う」
「えーっ」とクラスが沸き立ったのを制するように、佐々木先生は続けた。
「とは言ったものの、どのくらいの頻度でやろうか」やや上を向いて考える素ぶりをしていたところ、1人が声を発した。
「毎週がいいと思います」
 クラスで3本の指に入る成績の奈美だった。メガネを掛けたお下げ髪と、典型的な優等生という感じだ。勉強はもちろん、学校内の素行も良く、先生たちからは評判の良い生徒だ。男子であれば善行、女子であれば奈美が模範生徒といったところだろうか。中弛みしやすい中学2年生という微妙な年頃でも、彼女は余所見をすることなく勉強に取り組んでいる。普段は淡々としているが、論理的で説得力がある話し方をする。
「今はいいかもしれませんが、私たち、来年受験が始まります。志望校に合格するために、今から少しずつ勉強に取り組んだ方がいいと思うんです」
「さすが、いい意見だな。他にあるか?」
 私は周りを見渡した。みんなもそうしていた。
「まあ今すぐは決めるつもりはないから、みんな考えてみてくれ。来週の授業で意見を聞かせてもらうからな」
 同時にチャイムが鳴り、「委員長、号令を頼む!」と力強く締めた。挨拶後に佐々木先生が去り、善行が奈美にこっそりと「さすがです、奈美先生」と言っている。奈美は強い眼差しで善行の方を見ている。
「やっぱり毎週復習した方がいいと思うの。今のうちから少しずつ勉強する癖をつければ後で困らないと思うし。受験まで1年なんて言うけれど、時間が経つのはあっという間なんだから」
「うんうん、そうだよね」善行が目を閉じて小さく頷きながら聴いていた。
「いいこと言ったかなぁ。でも、ちょっと浮いちゃったよね」
 奈美は苦笑いを浮かべたが、すかさず善行がフォローした。
「そんなことないと思うよ。きっとこのクラスの過半数は賛成するんじゃないかな。嫌々かもしれないけど。ね、柚季ちゃん」
 体を180度転換したパスのように、善行に不意打ちを食らわされた。
「う、うんっ!あたしは賛成だよ!賛成賛成」
「やっぱりそうだよね!よかったー」
 少し話題が盛り上がったところに、藍美が入ってきた。
「ねえ、何の話をしてるのー?まさか、さっきの話?」
「うん、そうだよ!」と善行が笑顔で答えると、藍美は笑顔を返した。
「みんなのために言ってくれたんだよね、さすが優等生の奈美ちゃん」
 奈美は「やめてよー」と恥じらったが、嬉しそうに微笑んでいる。その横で善行は、黒板をじっと見つめている。
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