時間の牢獄(後編)

文字数 17,274文字

     【6】

「……あっ」
 目が覚めると、トキはボロボロの小屋の中にいた。そしてすぐに気が付いた。エズから受け取った時の砂を使ったことで、過去に戻ることができたのだと。隣を見るが、かび臭いベッドの上には、トキの他に誰もいない。
 慌てて飛び起き、小屋の外へと出た。すると、町の中心部で何やら騒ぎが起きていた。
「まずいっ、まずいまずいまずいまずいっ!」
 早くしなければ、手遅れになる。
 また同じ結果になってしまう。
「お兄ちゃんを助けないと……ッ」
 古臭い外套に身を包み、顔を隠しながら広場へと急いだ。そこには、住人達が集まっていた。
「早く叶えろ! お前が赤の人であることは分かっているんだからな!」
「そうだそうだ! 今まで町の一員として暮らしてきたんだから、俺達の為に願いを叶えるぐらいしろよ!」
 罵声を浴びせるのは町の住人達で、その対象となっているのが、赤の人と呼ばれる人物だ。
「おいこら! 聞いてんのか、ロロッ!」
 住人の一人が、石を投げつける。
 ロロと呼ばれた人物は、両手両足を太い釘で壁に打ち付けられており、身動きが取れない。
 石を避けることもできず、顔に直撃し、血が流れ出ていた。
「お兄ちゃん……ッ」
 両の手を握り締め、トキは怒りに顔を歪ませる。ロロと呼ばれる人物こそ、トキの兄であり、時を駆けてでも救い出したかった人物である。
 町の住人達は、ロロのことを赤の人だと思い込んでいた。その理由は、目には見えない誰かとロロが話している姿を住人達が目撃したから。
 住人達の目には見えない何かが、ロロには見える。そんなことが可能な人間は、下界には存在しない。浮遊島に生きる赤の人にしか不可能だと、噂は瞬く間に広がっていった。
 その結果が、これだ。
 願いを叶えろと、何度も何度も住人達に言い寄られるが、ロロは赤の人ではない。叶えたくとも叶えることができない。
 自分は赤の人ではないのだと、求められる度に否定してきた。けれども住人達の勢いは止まらず、願いを叶えるまで拘束することを決めた。
 広場の壁に手足を打ち付けられ、自由を奪われたロロは、もはや死の淵に浸かりつつあった。
「今、助けるから……お兄ちゃん……ッ」
 一歩、前に踏み出そうとする。
 だがその時、トキの姿にロロが気付く。
「……」
 ダメだ来るな、と。ロロは唇を震わせる。
「お、お兄ちゃん……?」
 今此処で見つかってしまえば、今度はトキまでも狙われてしまう。そうなってしまっては、ロロが悲しむことになる。けれども、ただ黙って死を見届けるだけでは、時の砂を使って過去に戻った意味がない。何かをしなければ、同じことの繰り返しになってしまう。しかし、
「うっ、ううう……ッ」
 足が出ない。声も出ない。
 ロロの意思に気付き、先ほどまで持っていたはずの勇気は、何処かに消え去っていた。
 無情にも、時間だけが過ぎていく。
 もし仮に、ロロが赤の人であれば、住人達に捕まったりはしないだろう。彼等は何故、そんな簡単なことが分からないのか。
 願いを叶えることができるかもしれないという欲に、目が眩んでいるのかもしれない。
「ボクは……何のために、戻ってきたのかな」
 やがて、日を跨ぐ。僅かながらに残っていたはずのロロの呼吸音は、闇夜の中へと溶け込み、完全に消えてしまった。
 その後、住人達はロロの亡骸を燃やし尽くし、何事も無かったかのように床に就く。
 そしてその翌日、
「ねえ、エズ。一日遅れちゃったけど、大丈夫かな……」
「落としたお菓子を探すのに手間取ったからな」
「うっ、あれは仕方ないでしょう? だって残り僅かだったのよ」
「クイイジガハッタヤローダゼ」
「クマー、うるさいから」
 何処からか、聞き慣れた声が耳に届いた。
 まさか、いやでも、と。声が聞こえる方へと視線を向け、トキは目を疑った。
「……ああ、そっか。そうなんだ」
 そして理解した。
「あの人達が来るのは……確定事項なんだね」
 トキの瞳に映るのは、つい先日、別の世界線で願いを叶えてくれた黒の人、つまりエズの姿であった。しかしだ、彼はこの世界線のエズであって、トキの願いを叶えたエズではない。
 その節はありがとう、と話しかけても、怪訝な顔をされるだけなのだ。
 けれども、そんなことはどうでもいい。
 トキは迷いなくエズの許へと駆け寄り、その腕を掴んで口を開いた。
「エズさん! お願いします! もう一度だけボクを過去に戻してください!!
 その台詞の意味に、この世界線のエズはすぐに気が付いた。
「……貴方、時を駆けたことがありますね」
「はいっ、エズさんにお願いして、時の砂を貰いました……ッ」
 カーミンは、何が何やらといった表情を作り込んでいるが、エズはトキの身に起きたことを訊ね、納得する。
「なるほど、別の世界線のぼくが、貴方に時の砂を渡したと……」
「ねえ、ほんとかな? もし嘘だったら……」
「いや、それはない。たとえ別の世界線のぼくの話だとしても、これほど興味をそそられる願いを叶えないはずがない」
「ダッテヨー、クカカ」
「もうっ」
 トキの姿を見て、次いで住人達へと視線を移す。すると、奇妙なことに、住人達は怪訝そうな目を向けていた。
「見えてないな」
「うん。……そうみたい」
 一旦、エズは口を閉じる。
 何事かを思案するかのように周囲を見回して、再びトキと目を合わせた。
 そして、躊躇うことなく質問する。
「ロロさんって、死にましたか」
「ッ、なんでお兄ちゃんの名前をッ!」
 元いた世界線では、一度もロロの名前を出してはいない。エズがその名前を知っているはずがないのだ。
 それなのに、エズはロロの名前を知っていた。
「昔一度、願いを叶えたことがありますので」
 すると、エズが言う。トキの疑問の答えを示し、名前を知る理由を明確にした。
「お兄ちゃんの願いを……?」
 どんなことを願ったのだろうか。
 今は亡き兄の願いに、トキは少しだけ興味が沸いたが、けれども今は自分の願いを叶えてもらうことを優先しなければならない。
「あの、エズさん……。ボクの願いをもう一度だけ、叶えてもらうことは……」
「できますよ」
「ほ、ほんとにっ!?
「はい。ですが一つだけ忠告しておきます」
 そう言って、エズは左右の手を合わせて、瞼を閉じる。時を駆けることができる物を具現化しようとしているのだ。
 暫くすると、エズは手を離す。何も無いはずの空間に現れたのは、小さな小さな瓶だ。
「過去を変えるには、相応の代償が必要です」
「代償が?」
 最初に出会った時、エズは一言も忠告をしなかった。しかしながら、二度目となる今回は異なる。願いの求め方が異なるからか、とトキは頭を悩ませたが、エズは気にせずに続ける。
「支払わなければならない代償に気付くまで、時を駆ける旅に終わりはありませんので」
 それでも、この砂を使いますか、と。
 歯車の形をした小さな砂粒が、瓶の中には詰まっていた。その小瓶を、トキは躊躇いなく受け取り、声を上げる。
「構わないです。お兄ちゃんを助けることができるなら、何度だって時を駆けてみせます」
 小瓶の蓋を取り、中身を頭上から振り撒いていく。すると、トキの全身を無数の歯車が包み込んでいく。
「二度目だから……驚かないよ」
 そう、これは二度目の旅だ。ロロを死から救い出す為の、時を駆ける旅なのだ。一度目は失敗に終わったが、次こそは必ず成功させなければならない。トキは決意し、エズの目を見る。
「ありがと、エズさん。また会えたら……」
「さようなら。再会することはありません」
 その言葉を合図に、トキの姿が歯車の中へと収束していく。
「ちょっと、もう少し柔らかい言い方すればいいのに……」
「これがぼくだからな」
 エズとカーミンのやり取りを見ながら、トキは苦笑する。やがて、この世界線から、トキは存在そのものを消してしまった。

     【7】

「――ッ」
 目が覚める。トキがいたのは、住み慣れた小屋の中だった。
 この小屋に、兄のロロと二人で住み始めたのは、いつからだろうか。トキが思い出せるのは、一年ほど前までの記憶だけ。それ以上前の思い出は残っていない。今よりもまだ小さな子供の頃であれば、覚えていなくとも当然だ。
 トキはそう思い込んでいた。
 しかしだ、エズと出会ってしまったことで、トキの中で何かが引っ掛かっていた。
「……ダメだ、考えてる暇なんてないんだ」
 無駄なことは考えるなと、トキはベッドから立ち上がり、己を奮い立たせる。
 今、自分がしなくてはならないことは、町の住人達の手から兄を救い出すことだ。
 一度目よりも更に数時間前へと時を駆けることに成功したのだろう。
 小屋の外に出てみると、ロロの姿を見つけた。
「お兄ちゃん!」
 あまりの嬉しさに、トキはロロへと抱き着く。
「っと、……ただいま、トキ」
 トキの行動に驚き、ロロは瞬きをする。
 けれども、すぐに優しげな表情を浮かべた。
「何か怖い夢でも見たのか?」
「見てない……見てないよ!」
「ふうん? それなら、どうしてそんなに不安そうな顔をしているんだ?」
「言わない……言わないよ!」
 今日、ロロが死ぬからとは、口が裂けても言えない。言えるはずがない。
「……ねえ、お兄ちゃん! 今日はずっと此処にいようよ! 町には行かないでさっ」
「トキがそう言うなら、今日はずっとトキと一緒にいよう」
 ニコリと笑い、ロロはトキの手を引いて小屋の中へと入っていく。だが、一言。
「それに、町での買い物は済ませてきたからな」
「……え」
 その言葉を聞いて、トキはこの世界線も既に手後れであることを悟った。
「ロロッ、入るぞ!」
 ドンッと、小屋の扉が蹴破られた。
 扉の外に立っているのは、町の住人だ。その顔には見覚えがなかった。
 トキは町中を歩くようなことはせず、いつも小屋の中にいた。たまに外に出ても、崖の縁でロロと遊ぶ程度だった。
 だから、町の住人の姿をこんなに近くで見るのは、これが初めてのことだった。
「急にどうしたんですか」
「ロロ、お前が赤の人だってことぐらい、俺達はとっくの昔に気付いてるぞ」
「……赤の人? 私が?」
「しらばっくれてもダメだ。いいから来いっ、これからは俺達の願いを叶えてもらうからな!」
「お、お兄ちゃんっ」
 腕を掴み、トキは不安気に顔を見上げる。
 すると、ロロは先ほどと変わらない笑みを浮かべ、小さく呟いた。
「すぐに戻る。だからここで待っててくれ」
「でも……」
「ほら、やっぱりだ! 今も誰かと話をしてただろう! 俺達人間には見えない何かとな!」
 住人の誰かが叫んだ。
 そのすぐ後に、ロロは後頭部を殴られ、床へと転がった。あっという間に両手を背に縛られてしまい、町へと連れて行かれることとなった。
「……あぁ、あああぁ」
 この光景は、見覚えがある。
 過去に一度経験し、悔やんだものだった。
 だからこそトキは一人孤独に悲しみ、崖の縁で嘆いていた。そしてエズと出会い、時の砂を貰ったのだ。けれども、またしても同じことの繰り返しとなってしまった。
 声を張り上げても、町の住人達は振り向きもしなければ目を合わせようともしない。
 トキの存在など知ったことかといった様子で、ロロを町の広場へと連れて行く。
 そして、左右の手を釘で打ち付けてしまった。
「いやだ……いやだよ、お兄ちゃんが死ぬところなんて見たくないよ……もういやなんだよ」
 何もすることができない。己の意思を持って行動しようとしても、思った通りに体が動いてくれない。頭では助けたいと思っていても、いざ目の前にすると、何もできなくなる。
 或いは、これは呪いか。そんなことを考えたくなってしまうほどだ。
「あぁ、お兄ちゃん……」
 結局、トキは二度も時を駆けたにも関わらず、ロロが死ぬ姿を見届けることしかできなかった。
 そしてまた出会う。
 元いた世界線と、その次に存在した世界線で出会った黒の人……エズと。
「ここにいれば、必ず来る……きっと来る」
 前もその前もそうだった。
 エズは来る。そして自分の願いを叶えてくれることを、トキは知っている。
 だから待つ。そしてもう一度言うのだ。
「……待ってたよ、エズさん」
 町中を散策し、小屋を見つけたカーミンと共に、エズが姿を見せる。
 その時が訪れるのを、トキは待っていた。
 路地裏を通り抜け、町の外れの小屋まで続く夜の道を、エズとカーミンは歩いていた。
 住人達に気付かれないように、その姿を遠目に観察し、誰もいなくなったところで接触する。
「待っていた……ですか」
「うん。時の砂をもらうために、ここでエズさんが来るのを待ってたんだ」
「時の砂って、なに?」
 カーミンが小首を傾げる。トキが何を言っているのか分からないのだろう。
 但し、エズは違う。これまでの世界線のエズと同様に、トキがこれまでに何をしてきたのか、あっさりと気付いてしまった。
「何度目ですか」
「これで三度目かな。全部失敗しちゃったけど、次は絶対に上手くいくと思うんだ。だからいいでしょ、時の砂をちょうだいよ」
 自分では気付いていない。
 トキは、たとえ失敗したとしても、エズに出会い時の砂を貰うことで、何度でもやり直すことができると高を括っていた。
 ロロが死ぬ瞬間を見るのは、心が痛む。
 けれども内心、いつか救うことができるはずと思い込むことで、トキは自分自身を保とうとしているのかもしれない。
「興味深いですね」
 そう言って、エズは口角を上げる。
 結果、エズはこれまでのエズと同様の答えを導き出す。時の砂を具現化し、トキへと手渡してしまった。
「終着点の見えない旅にも、必ず終わりはあります。無事、貴方が終わりを見つけられることを期待しています」
 別の世界線から、見守っていると。
 前の世界線のエズは、代償を支払わなければ終わりが来ないと言っていた。そしてこの世界線のエズも、代償の有無について口にすることはなかったが、同じように助言する。
「時の砂だ……。これがあれば、ボクは何度でもやり直すことができるんだ……」
 しかし、トキの耳には届かない。
 失敗してもやり直すだけ。いつかきっと成功する。一度でも成功すればいいのだ、と。
「あはは……。ありがと、エズさん」
 そしてまた、トキは時の砂を使う。
 そしてまた、トキは過去へと戻る。

     【8】

 トキの話を聞いて、エズは小さく息を吐く。
 その隣で腕を掴むカーミンは、どこか悲しげな表情を浮かべていた。
「それ、ほんとの話なの?」
「うん。全部ほんとのことだよ」
 カーミンの質問に、明るく答えるトキ。
 けれどもエズとカーミンは気付いている。トキの心が既に壊れかかっていることに。
 だが、それでもエズはエズだ。どの世界線で出会ったとしても、エズは同じ考えを持つ。
 故に、エズは訊ねる。これまでとは少しばかし異なる言葉で、トキに選択肢を与える。
「過去に戻ったとしても、未来を変えることはできなかったんですか。では、そろそろ諦めたらどうですか」
 それとも、まだ続けますか、と。
 エズは、トキに選択を迫った。
 とはいえ、答えは初めから決まっている。トキには諦めるという選択肢は残されていない。
「続けるよ。だってボク、お兄ちゃんを助けるために生きてるんだからね」
 疲れ切った顔で笑い、エズの手から時の砂を受け取る。それが何度目の行為だろうと、トキには関係ないのだ。
「一つ、忠告です」
 とここで、エズが呟く。
「時間の歪みに、自我を失わないように」
 気を付けてください、と告げた。
 そして再び、トキは過去へと戻って行く。
 今度こそ、今度こそ、と思うこともなく。
 それが何度目か、もう思い出せない。
 何度も何度も繰り返し繰り返し時の砂を使って時を駆け、ロロの死ぬ姿を見続けることで、トキの心は修復不可能なほどに壊れていた。
 十回か。
 否、百回か。
 いつから数えるのを止めただろうか。思い出したくても分からない。考えがまとまらない。
 時の流れに逆らい続け、それでも何一つ変えることのできない自分自身に対し、トキは失望していた。
 ロロが町の住人達に捕まる前に手を取り、二人で町から逃げ出してみたことがある。住人が追い掛けて来て、結局ロロは殺された。
 では住人達を先に殺してしまえばいい、と包丁を手に掴み、勇気を振り絞り町中へと向かうことがあった。ロロが住人達を庇い、トキは自らの手でロロを殺してしまった。
 何をやっても意味が無い。
 何をやっても同じ結末になる。
「……あはは」
 からからと笑うのは、トキだ。
「回る回る」
 今もなお、何度目とも知れぬ時の砂を使い、全身を歯車に包まれた状態にあった。
 その歯車を手で掴み取ると、トキの意思を象徴するかのように大きくなっていく。
 強引に、元々の流れで回してみるが、すぐに逆回転となり、歯車は時を遡っていく。
「過去に戻る意味って……あるのかなあ」
 ぽつりと本音が漏れる。
 その言葉は、エズとカーミンには届かない。既に姿が見えなくなっているからだ。
 それでも止めることはできない。
 今更中断することなんて不可能なのだ。
「いつになったら、終わるのかなあ……」
 定まることの無い思考の中、トキは時を駆ける。やがて、その体は新たな世界線へと導かれることとなった。
「……あ、着いた」
 目を覚ませば、またいつもの場所が待っている。その場所は、町の外れに建てられた小屋の中だった。今は夜なのか、窓の外は暗く、室内の明かりも消えている。
「トキ?」
「……あ、お兄ちゃん」
 すぐ隣から、聞き慣れた声がした。横を向くと、そこにはロロがいた。小さなベッドに二人で横になり、眠りについていたらしい。
「起こしちゃった? ごめんね、あはは……」
 からからと笑い、ベッドから起き上がる。
「ちょっと、夜の散歩をしてくるね」
 どうせまた救えない。必ずロロは死ぬ。一度でもそう思ってしまうと、止まらなくなる。顔を見て言葉を交わすことができなくなってしまう。寝間着から着替えたトキは、小屋の外へと出て、崖の縁へと向かった。
「……もう、疲れちゃったなあ」
 いっその事、死んでしまおうか。ロロと共に死んでしまえば、全てが終わる。楽になることができる。ふと、そんなことを考えてしまう。
「ああ、あれかなあ……。ボクの命が、終わりを迎えるための代償だったのかなあ……?」
 どの世界線かは忘れたが、エズが言っていた。
 終わりを迎える為には、相応の代償を支払わなければならないと。その意味を、トキはようやく理解できたような気がした。
 自分が死ねば、永遠に続くロロの死から解放される。時間と言う名の牢獄から抜け出すことができるのだ。
「ここから落ちれば、きっと……」
「トキ」
 崖の縁から、下を見る。
 その時、背中越しに声を掛けられた。
「お兄ちゃん……?」
 目を合わせられない。
 合わせられるはずもない。
 今し方、ロロを見捨てて自分だけ楽になろうとしていたのだから当然だ。
 けれどもロロは、手を差し出す。
「そこは危ない。こっちにおいで」
「……うん」
 ロロの手を掴む。
 すると、ロロがトキの頭を優しく撫でる。
「何を抱え込んでいるのか知らないが、悩むことなんてないんだ……。私はいつでもトキの味方だからな?」
 今にも死にそうな顔のトキを見て、何かを感じ取ったのだろう。ロロは、これまでになく柔らかな口調で告げた。
「お兄……ちゃん、……う、うう……ッ」
 その言葉が、壊れたはずの心に温かさを与えたのだろう。トキは涙が止まらなくなった。
「……あの、あのね、ボクね、ずっとずっと、お兄ちゃんに隠してたことが……あったんだ」
 トキは、ロロにこれまでに起きたこと全てを話すことにした。
 ロロが死に、黒の人に出会ったこと、時の砂を貰ったこと、時を駆けたこと、ロロを救えなかったこと、再び黒の人に出会ったこと、何度も何度も同じことを繰り返していること……。
 その全てを、ロロは何も言わずに聞き続けた。
 そして、
「……運命を変える方法が、一つだけある」
 と、ロロは言った。
 思いがけない言葉に、トキは目を合わせるが、その内容は受け入れ難いものだった。
「トキ、私が死ぬ時間になる前に……お前が私を殺すんだ」
「え……」
 何を言っているのだろうか、とトキは目を見開く。けれどもロロは大真面目だ。
 この世界線を生きるロロの死の瞬間は、刻一刻と迫っているが、死の時刻に関していえば、どの世界線においても変わらず決まっていた。
 故に、死の時刻が訪れる前にロロを殺すことで、トキは予め決められた運命に逆らい、未来を変えることが可能だと。それが、ロロの案だ。
「む、無理だよ! 絶対に無理だよ!」
 だが、そんなことをしても意味がない。
 トキは、ロロが死ぬ運命を変える為に、時の砂で時を駆け続けているのだ。
 失敗した世界線の中で、トキはロロを刺し殺してしまうことがあった。しかしそれは、トキの意思ではない。更に言えば、それも死の時刻によって定められたものだった。運命の強制力に逆らうことができなかったが故に起きたことだ。しかしながら、ロロは首を横に振る。
「本当は……既に、運命は変わっているんだ」
 何かを悟るかのように告げ、ロロは隠し持っていたナイフで自らの腹部を刺してしまった。
「なっ、なにを!?
「……こ、これは、私が願っ……た、こと、なんだ……。その罪を、い、いま、支払って……いるんだと……思う」
 苦しみながらも呟き、ロロは霞む瞳の中にトキの姿を映し込むと、己の過去をゆっくりと語り始めた……。

     【9】

 ロロが住む町は、海沿いの崖縁に作られていた。一日中、波が音を響かせ、潮風の香りが町を特徴づけていた。そんな町の外れには、今にも崩れてしまいそうな小屋があった。その小屋は、身寄りを失くした子供達が集う場所だ。町の住人達からは、厄介者扱いされている。
 町に迷惑を掛けないことを条件に、日々の食糧とお菓子を与えるといった契約を結んでいた。
 その交渉役についているのが、ロロだった。
 ロロ自身、ずっと一人だ。親を知らなければ、兄弟もいない。天涯孤独の青年であった。
 小屋に住む子供達の中では一番年上なので、町との交渉役を務めてきたが、それももう限界が近かった。
 その日、崖の縁に足を投げ出し、ロロは海を見ていた。ここから飛び降りてしまえば、あっという間に死が迎えに来るだろう。そうすれば、こんな人生とはさよならすることができる。
 ロロは、その場所から飛び降りて、死んでしまおうと考えていた。だが、
「待って! 死んだらダメ!!
 と、空から声が聞こえた。上を向くと、そこには空を飛ぶ小型ソリが一つ。帽子を被った青年と、青銀の髪を二つに結う女の子がいた。
「はあー、よかった。間に合ったわ」
 声を掛けた女の子は、カーミンと名乗った。
 帽子を被る青年を「黒の人」だと紹介し、どんな願いでも叶えることができると豪語した。
 死を迎える直前の、予想もしない出来事に、ロロは少しだけ頬を緩めた。
「君達は、私の願いを叶える為に現れたのか」
「違います」
 ロロの問い掛けに、エズと名乗る黒の人は否定した。けれども、カーミンの方は乗り気で、崖から飛び降りようとしていた理由をロロに訊ねる。家族が誰もいない、孤独な人生を送り続けてきたことを、ロロは二人に話した。
 ゆっくりゆっくりと時を刻み続けるこの世界が憎らしく、時間の牢獄に囚われているかのように感じていることを。これまでに生きてきた中で思い続けていたことを。
 すらすらと言葉にした。
「黒の人というのは、私の苦痛を……時間と言う名の悪魔のことを……好きにすることができるとでも言うのか?」
 ロロは、孤独な時間が生み出す己の人生を、悪魔に見立てた。
 一人で逃げることも可能だが、小屋にはロロを頼る子供達が沢山いる。自分だけが逃げてしまうわけにはいかなかった。
 けれども、エズは呆気無く頷く。
「なれますよ」
 そう言うと、おもむろにエズはロロの手を握る。と、次の瞬間、ロロは何かが自分の中から抜け出る感覚を覚えた。
「……今、私に何をしたんだ」
「この子を具現化する為に、貴方の寿命を半分ほどいただきました」
「寿命を……? いや、それよりも……その子はいったい誰なんだ?」
 ロロがエズと手を握り、放すまでの僅かな間に、見知らぬ子供が現れていた。
「この子は、貴方の寿命を代償に具現化し、生み出しました」
 七歳か八歳程度だろうか。その子供は、瞼を閉じている。死んでいるわけではなく、眠っているように見えた。
「ロロさん。今日から貴方は一人ではありません。弟を可愛がってあげてください」
「お、弟だと……!?
「ああそれと、あの小屋にいる子供達のことなら心配しなくてもいいですよ。此処から遠く離れたところに、子供達だけが住む島がありますので、そこに連れて行きます」
 次から次に口を動かすエズに、ロロは戸惑いを隠せない。それもそのはず、目の前の人物は、人を一人作ってしまったのだ。
 それもただの人ではない。ロロの寿命を代償に生み出したと言っていた。
「一つ忠告です」
 ここで、エズが一旦息を整える。そして、
「今から約一年後のことになりますが、貴方は寿命を迎えて死ぬことになるでしょう」
「……それは予言か?」
「確定した未来ですよ。貴方の寿命の半分を子供に預け、残る半分が貴方の寿命となっています。その寿命が、約一年といったところです」
「つまり、私は今日ここで死ぬ運命ではなかったということか」
「それは違いますね。ぼくと出会ったことで寿命が少しだけ伸びたと表現した方が合っていると思います」
「黒の人と出会ったことで……か」
 エズが何もせずにこの場を去っていた場合、ロロは運命に逆らうことなく、崖の縁から飛び降り自殺をしていただろう。
 だが、エズがロロの願いを叶えることを決めた瞬間から、ロロが死を迎える時は強制的に延期となり、残りの寿命が二年ほど増えたのだ。
 その寿命の約半分を子供に与え、残る半分をロロの分としている。それを告げると、ロロは悲しげな表情のまま、子供の顔を見下ろした。
「この子は……私と同じだけしか生きることができないのか」
「貴方が孤独を感じないように、一日遅く寿命が訪れるようにしました」
 エズの言葉が事実であれば、ロロはその子供よりも一日早く死ぬことになる。
「ねえ、どんな名前にするの」
 すると、ここでカーミンが口を挟む。子供の名前を決めないのかと尋ねた。
「名前か……それならすぐに思い浮かんだ」
 そう言って、ロロは子供の頭を撫で、優しげな瞳を向けながら、その名を口にする。
「トキ。それがこの子の名前だ」
「ふーん。そのままだけど、わたしはいい名前だと思うよ」
 ロロは、自分の寿命の半分を代償に具現化された子供に、トキという名前を付けることにした。幸せそうな顔で眠りにつくトキを見て、ロロもまた心に空いた隙間が埋まっていくのを確かに感じ取っていた。
「それでは、さようなら」
「もう行くのか」
「ええ。元々この町には立ち寄るつもりではありませんでしたので」
 それだけ言い残し、エズとカーミンは小型ソリへと乗り込むと、空へと飛び上がり、雲の上へと消えて行く。
 それからというもの、ロロは、目を覚ましたトキの兄として振る舞い、忙しい日々を送ることとなった。いつしかそれは生きる希望となり、時間の牢獄と称した悪魔に感謝すらしていた。
 だが、時間は残酷だ。
 ロロがトキの兄となってから、あっという間に一年が過ぎようとしていた。
 もう間もなく、ロロは死ぬことになる。そしてロロの後を追うかのように、トキも死ぬ。
 けれどもロロの心は揺らがない。
 元々死ぬはずの運命が、黒の人と出会うことで、変化を齎すことができた。
 十分すぎるほど、幸せな時間を過ごすことができたのだから、いつ死んでも構わない。
 黒の人が与えてくれた、時間と言う名の悪魔と共に、幸せな時間を過ごすことができたのだ。
 これ以上の幸福は探しても見つからない。
 ただ、唯一の心残りと言えば、トキもまた同じく死ぬ定めだということだろうか、とロロは己の寿命の短さと、一年分しか与えることができなかったことを悔やんだ。
 トキが成長していく姿を見届けることができないのは、兄として残念でならなかった。
 やがて、ロロの寿命が訪れる。
 町の住人達から赤の人と疑われて。
 ……だが、トキはそれを受け入れなかった。

     【10】

「ボクが……悪魔?」
「ああ……、そうだ。お前は、私の寿命であり、時間その、もの……なんだ」
「お兄ちゃんの寿命でできた時間そのもの……」
 トキは、思い当たる節が幾つか浮かんできた。
 元々は存在しないはずのトキの姿は、ロロの他には見えなかった。何故ならば、トキはロロの寿命であり、目に映るはずのないものだからだ。勇気を振り絞り助けようとしても、ロロが拒否すれば何もすることができなくなる。それも全ては、トキがロロの寿命であり、根底ではロロに逆らうことができなかったからなのだろう、とトキは理解した。
 そして何よりも重要なことは、別にある。
「ボクは……時間の悪魔だから、時を駆けることができたってこと?」
「かも、しれないな……」
 トキは時間そのものだ。故に時を遡ることができた。時間に干渉しても、歪みが生まれることはなかった。実際、エズが渡した時の砂には、時を戻す力は含まれていない。本当は、歯車の形を模したただの砂なのだ。
 黒の人と言えども、時間軸を強引に捻じ曲げ、過去や未来に行くほどの力は持ち合わせてはいない。つまり、過去に戻ることができたのは、トキ自身の力によるものだったのだ。
 そして、トキがロロの寿命であるが故に、何度過去に戻って運命を改変しようと試みても不可能だったのは、それがロロの寿命であったから。既に引き延ばされたロロの寿命を、更に伸ばすことはできない。
「……もう、話は終わりだな」
 ロロは目を開けている。けれども視界にはトキの姿が見えない。全てが闇に覆われている。
 決められた死の時刻に抗い、自ら死を選択することで、ロロは己の人生に終止符を打つ。
「トキ……短い間だったが、お前と過ごした日々は、とても……楽しかったよ」
 直に、ロロは死ぬ。
 トキもまた、死を迎えることになるだろう。
 だが、トキは受け入れない。二人揃って死ぬ運命など受け入れたくはなかった。
「いやだ、いやだ、いやだ……ッ!!
 何の為に繰り返してきたのか。それはロロを救う為だ。それなのに、ロロを救い出すどころか自分まで死んでしまう。
 ロロの死を受け入れることができずに、後を追って死ぬのだろうか。ふと、そんなことをトキは考えてしまう。けれども、目の前でロロが息を引き取るのを見届けると、溢れ出ていたはずの涙がピタリと止まった。
 崖の縁に座り込み、死した兄の骸を抱き寄せるトキは、日が昇るのを待つ。日が暮れるのを待つ。ロロが本来死ぬはずであった時刻が訪れるのを待つ。そして、
「……エズさん。いるんでしょ」
 涙の枯れたトキは、エズの名を呼んだ。
 足音が聞こえたわけではない。この時間にトキとエズが出会うことは運命なのだと理解していたから、喉を震わせたのだ。
「はい、此処にいます」
 すると、期待を裏切らない声が返ってきた。
 エズとカーミン、クマーが、トキの許へと歩み寄り、首を垂れる。
「その様子だと、全てを知ったようですね」
 この世界線のエズは、トキが何度も時を駆けていることを知らない。だが、トキが時の悪魔だということは初めから知っている。
「人を不幸にすることが……黒の人のやり方なんだね」
「違いますよ。幸か不幸か、どちらに転ぶかは、その人次第ですから」
 トキの訴えを否定するが、止まらない。
「お兄ちゃんは不幸になった! ボクだってそうだよ! お兄ちゃんを救うことができなかったし……もうすぐボクも死ぬ!!
 これまでに経験したことのないほどの怒りが、トキの中に作られていく。今すぐにでも、エズを殺してやりたい。黒の人にも同じ苦しみを与えてやりたい。そう思ってしまった。
 けれども、口を挟む人物が一人。
「ロロさんは幸せだったと思うんだけど、貴方の考えは違うの?」
 カーミンは、ロロが幸せだったと言う。
「何をどうすれば……お兄ちゃんが幸せだったなんて言えるんだよ?」
「だって、貴方と出会えたもの」
「ッ」
 無垢な瞳が、トキに向けられる。
 それは、取り繕っているわけではない。
 感じたことを言葉にしているだけだった。
「トキさん。貴方が死なずに済む方法があります。貴方が生まれる約一年前までの間であれば、何度でも時を駆け、ロロさんと過ごす日々を繰り返すことが可能です」
 それは仮初めの日々だ。
 世界線が別になり、この世界線のロロとは異なるロロと一緒に暮らし、死を見届けることになるだけだ。つまり、今までと同じことを繰り返し、己の寿命が来る度に、過去へと戻り続けるというものだった。だが、その言葉がトキに一つの策を浮かばせることとなる。
「ボクが時の悪魔だということは、時間そのものを強引に捻じ曲げることも……可能なの?」
「ぼくには不可能ですが、時間そのものの貴方であれば可能です」
「それなら……」
「但し、それを行なってしまうと、貴方は今ある姿を保つことはできなくなると思います」
 トキの狙いを、エズはすぐに察した。思い留まらせるつもりではないが、忠告だけはしなければならない。それが、トキを具現化した黒の人としての務めなのだと、エズは思っている。
「元々存在しないはずの時間軸へと向かうと、今度こそ確実に、この世の時間そのものに干渉することになります。それでも構いませんか」
「当り前だ!」
 強く強く、返事をする。
「ボクにとって一番大切なのは、お兄ちゃんを助けることなんだから……ボクがどうなろうと構うことなんてないんだ!」
 トキは、自らの手で時の砂を生み出す。
「……ボクは、お前を絶対に許さない」
 エズを睨み付け、トキが口を開く。
「でも、今からボクが向かう時間軸のお前は、ボクのことを知らない……」
 それが少しだけ悔しいと言い、小瓶の蓋を開ける。トキは時間そのものなので、もはや時の砂を使う必要もないのだが、それでもトキは歯車の形を模した砂を振り撒く。
「ばいばい、黒の人」
「はい、さようなら」
「……頑張ってね」
 それ以上、言葉は交わさない。目を合わせることもなく、トキは時を駆けることにした。
 目指すは一つ。ロロがエズと出会う前の時間軸だ。その瞬間が訪れることなく、ロロを救い出すことが、トキの狙いであった。
 故に、トキは時を遡る。
 しかしながら、トキが生まれる前の時間軸へと遡った瞬間、異変が顔を出す。
「――い、いっ」
 声が漏れた。
 喉を鳴らすつもりはなかったのに、何故か反射的に出てしまった。
「ぐっ」
 また、声が出た。
 時間に干渉したのが原因か。時の流れの空間のあちらこちらに歪みが発生していた。
「あっ、ああっ、がっ、……ああっ」
 何が起きているのだろうか。トキは、己の体が軋み始めるのを感じていた。
 目に見えるトキの手足は大きくなり、かと思えば別の視界が生み出される。まるで目玉が四つあるかのような錯覚を覚えるが、それは間違いではない。トキの瞳は二つ増え、ギョロリとした歪な瞳が作りだされている。また、頭部からは巨大な角が生えていた。
 あれ?
 ……あれ? あれ? あれっ?
 おかしい。おかしい。おかしい。
 おかしいなあ……。
 これ、ボクの顔?
 触ってみても、ボクの顔じゃないみたいだ。
 あれぇ?
 ボクの顔が見えないのに分かるなあ。
 ボクの顔ってこんなだったっけ?
 こんなに長かったっけ?
 こんなに口が大きかったっけ?
 こんなに歯が尖ってったっけ?
 こんなにたくさん目があったっけ?
 こんなにバケモノみたいな顔してたっけ?
 ……あれえ?
 なんでだろ?
 これがボクの顔なんだっけ?
 これがボクの……かお?
 トキは、自分が生まれる前の時間軸へと突入し、姿形が変わり始めていた。人としての形を失い、それはまさに悪魔と呼ぶに相応しいものとなっていた。
 だが、それでもトキは躊躇わない。
 姿形が変わろうとも、躊躇しない。
 完全に悪魔の姿を成したトキは、やがて辿り着く。崖縁から飛び降りる寸前のロロの許へ。

     【11】

「お、お前は誰だっ!? ……あ、悪魔か!?
 エズが姿を見せる前に、悪魔となったトキはロロの前へと姿を見せた。そして開口一番、トキは笑顔でロロへと告げる。
「ボクの名前はトキ。時の狭間に生きる悪魔さ」
「時の狭間の……悪魔だと?」
 突然のことだ。驚かないはずがない。
 けれどもロロは、悪魔が姿を現したことに少しだけ恐怖はしたものの、すぐに思い直した。
「ふ、ふふ……。私を迎えに来たということか」
 時間の牢獄に苦しみ、死を求めるロロは、悪魔が迎えに来たのだと勘違いした。
「……どうしてだ」
 だが、その考えも改め直すことになる。
 ロロは、トキが隠す感情に気付いてしまった。
「どうして、泣いているんだ」
「え? 泣いてるだって? あはは、なんのことだか、ボクにはぜんぜんわかんないなあ」
 トキは泣いていた。我慢しようとすればするほど涙が溢れ、止めることができなかった。
「……トキ、もしかしてお前も、私と同じで孤独なのか?」
 一歩近づき、ロロは両手をトキの背に回し、優しく体を抱き締める。その行為が、トキを悪魔からトキへと戻す。姿形は戻らなくとも、心がトキへと戻っていく。
「ロロ、ロロ、……きみは時間の牢獄にいるようなものだと思っているんだよね? でもそれは本物なんかじゃないんだ。きみが望むんだったら、ボクが……ボクが、きみを本当の時間の牢獄に案内してあげるよ」
 それは、ロロを助ける為の口実だ。
 この世界線にいる限り、ロロは助からない。
 だからこそ、トキはロロの前に姿を見せた。
「……ほら、どうかなあ」
 そう言うと、トキは何も無い空間に時間の歪みを生み出した。それは亀裂を生み出し、別の空間へと続いている。
「ボクと一緒に、……来る?」
 無理強いはしない。
 ロロの意思を尊重したい。
 でも、ついてきて欲しい。
 すると、ロロは頬を緩め、笑ってみせる。
「一緒に来てほしいって顔をしてるな」
「ち、違うんだ……ッ、ボクは、一緒に来てほしいんじゃなくて、そのっ」
 ――ただ一緒にいてほしいんだ。
 その台詞を口にする前に、ロロは頷く。
「……案内、してくれるか?」
 ロロは、大きなトキの手を掴む。
「あ、ああ……ああっ」
 兄ではないのに兄らしく微笑み、トキの心を安心させる。ロロが傍にいれば、どんな場所でも幸せを感じることができるはずだと、トキは考える。だからトキは、ロロの手を引く。
 連れて行くのは、時の狭間だ。
「……ここは、ボクが生み出した時間の歪みの世界なんだ。この空間には時間の概念は存在しないよ。どうしてかって言うとね、ボク自身が時間そのものだからさ」
 だから安心していい、と。
 悪魔になったトキは、ロロに笑みを見せた。
「寂しい時は、ボクの名前を呼べばいい。だってボクは、いつもいつでも、ずっとずっと、お兄ちゃんの傍にいるんだからさ――……」

     【12】

「時の悪魔か……」
 トキが去った後、エズは何も無い空間を見続けていた。
「これでよかったの、エズ?」
「さあな。ぼくには関係のないことだ」
 そう言いつつも、エズは「だが、」と更に一言付け加える。
「いずれまた、どこかで再会することになるかもしれないな」
 トキは、時間の理に干渉した。
 もしかすると、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないと、頭を悩ませる。
 黒の人として願いを叶えるようになって以降、エズは一度も後悔したことがない。けれどもエズは、どうしてもトキとロロが気になっていた。
「エズ。お腹空いちゃった」
 そんなエズの様子に気付いたカーミンが、気を紛らわせるように、腹の音を主張する。
「……お菓子でも買いに行くか」
「うん! 賛成よ!!
 そのおかげで、エズはほんの少しではあったが、心を安らかにすることができた。
「マータフトッチマウゼー」
「クマー、うるさいってば!」

     【0】

 いつの間にか、エズとカーミンとクマーは町の外に移動していた。
 これが、時間の牢獄を作り出した悪魔の呪いなのか。残念ながら、トキやロロと出会ったことのない世界線のエズ達には、知る由もない。
 四つの彫像は、時の悪魔に関わった者達を創造し、トキが作り上げたものだった。自由自在に時間を操るトキが、ロロやエズ、カーミン、クマーの姿を、ワザと置いたのだ。この世界線のエズ達に、存在を知らせる為に。
 一方、町の住人達はというと、百年以上も町に囚われたままとなっていた。
 昔々、小屋に住んでいた人物を、別の世界線で殺してしまったが故に、住人達は町に囚われることとなった。この世界線の住人達は、実際には何もしていないのだが、けれども時の悪魔は許さなかったということだ。
 この世界線の小屋に住む子供達の行方だが、黒の人に代わって、時の悪魔が子供だけが住む島を探し出し、そこへと連れて行った。
 だが勿論、この町で起きた事実を知る者は、今現在誰一人として存在しない。何故ならば、この町は悪魔に囚われているから。
 だからだろうか。
 人は皆、この町のことを、こう呼んでいる。

 時間の牢獄と。
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登場人物紹介

《エズ》
自称、黒の人。
善悪関係無く、下界に生きる人々の願いを叶え続けている。

《カーミン》
自称、エズの弟子。
ソリの助手席に座り、エズと共に下界を旅している。

《クマー》
下界で作られたクマのぬいぐるみ。
ゴミとして捨てられていたところを、カーミンに拾われる。

《ケーキンズ》

お菓子の国の王様。

自分の城にエズを招待し、お菓子の箱が欲しいと願うのだが……。

《エルトリッヒ》

浮遊島に住む赤の人の長。

とある目的を達する為に、エズとカーミンを探している。

《トキ》

ロロの弟。

エズに願い、時の砂を手に入れた。

《ロロ》

トキの兄。

己の生きる時間を牢獄と称し、絶望していた。

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