『東京奴隷取引市場』(短編小説/アシェラ著)

文字数 4,056文字

 地上の男たちは殲滅された。10年近くかけて行われた女たちの周到な準備に男たちはなすすべもなく殺された。高度に文明が発達した社会において男の身体的優位は皆無である。女たちは全てのインフラ事業を掌握し、政治世界では全世界で過半数を女が占めていた。
 男が絶滅しても、生殖の問題はクローン技術によって容易に解決された。遺伝子操作により美しい男を生み出し、自分たちの家畜とする。たまに生まれた欠陥品(容姿の劣化、性格の悪化、自由主義思想の発芽)は即時処分対象とし、不運にも欠陥品を受け取った女には新たな家畜が提供された。
 そうした現代において、家畜の効率的なトレードを行うシステムが求められるのは必然であろう。彼女らは崇高な人間であり、各々には好みがある。自身の保有する家畜に不備があるが、それが欠陥品としての要件を満たさない場合、処分は認められない。資源は有限である。よって世界各国、主要都市には奴隷取引のためのマーケットが開設された。
 ここ、東京奴隷取引市場は世界有数の規模を誇る。玲子がここに来るのは初めてであった。古代、この場所では多種多様な趣味人が集まり、「薄い本」と呼ばれる技術書の品評会を行っていたとか。そのような歴史的遺構を奴隷取引の場にすることは、人類の革新であると言えるだろう。
「タクミ、来なさい」
 玲子が声をかけると一人の少年が近づいてきた。美人は三日で飽きるなどと言うがとんでもない。千日後にも心ときめかずにはおれまい、と思うような美童である。髪は玲子の好みで伸ばさせている。「はい」と答えるその声はまるで鈴の音のように心地よい。
 それほどに美しい少年を玲子は手放そうとしている。何故か。実は玲子にも分からない。ただ物足りないのだ。タクミは玲子に、いや女に徹底的に従順であるよう教育されている。玲子のためであれば身を投げ出すことも厭わないだろう。タクミは美少年揃いの家畜群においてさえ一級品と言える。そのような少年を市場に流せば、あっという間に買い手が付くに違いない。
 タクミはうつろな目で玲子を見た。玲子はその目も気に入らない。
 東京奴隷取引市場はオリンピック会場にもなるほどの広さを持ち、その中で家畜たちがひしめき合っていた。玲子はつまらなさそうに家畜の群れを見る。
「今日でお別れよ。何か言い残したことはある?」
 タクミは小さく首を振って、「はい、いいえ」と答えた。
 家畜が女との会話で否定から入ることは死罪である。
「そう。なら手続きを済ませてきてちょうだい。今度はちゃんと私に“当たり”が来るようにね」
 もっとましな奴隷を用意しろ。そう言われてタクミは悲しい素振りを見せるでもなく、受付へと足を運んだ。奴隷取引にはそれなりに複雑な手続きが必要となるが、それもまた奴隷の仕事であった。玲子はただもう結果を待つだけ。タクミは玲子にふさわしい奴隷を探し、自分を求める飼い主を探す。
 その時、小さな爆発音がした。
「暴動よ!」と叫ぶ声がして、その直後に別の誰かが「違う。革命だ!」と声を張り上げた。
 タクミは振り返って玲子を見た。玲子は何が起きたのか分からない。やはり彼女も茫然とタクミを見た。
 銃声が聞こえて、玲子は腰を崩した。周囲から悲鳴が聞こえる。場内の家畜たちが各々武装している様を見せつけられればそうもなる。
「我々は人間だ! 我々は生きている! 我々は自由だ!」
 遠くの声が響く。
 なんということだ。玲子は恐れおののいた。政府が自由主義思想者の間引きに失敗したのだ。徹底的な教育と管理とによって、ここ100年は発生を防いできた。完全に絶滅したものとさえ思われていた。
 しかし目の前の家畜は、いや家畜たちは「自由」を叫び、次々に女たちを拿捕していた。怪我をした女たちがいる。ひょっとすると死者も。
 とんでもない時に来てしまった。早く逃げなくては。そう思うが、玲子の足はがたがたと震えていた。
 警備システムが作動していない。おそらく、家畜たちは相当に準備をしてきたのだろう。女は忘れていたのだ。家畜が男であるということを。
「おい、そこの女! こっちに来い!」
 銃を持った家畜が玲子に近づいた。家畜は玲子好みの美少年であったが、タクミの方が綺麗だと瞬時に計算した。そう思うと、急にタクミが恋しくなった。身勝手ではある。しかし彼女に罪悪感などない。家畜をどのように扱ったとしても、動物保護法にも満たぬ保護しかされないのだから。
「待ってください。その人に乱暴しないでください」
「お前は……、髪が長いが、俺たちと同じ男だな。そうか、ここに来るのは初めてか」
「いったい何が起きているのですか。僕はここに玲子様の新たな奴隷を、僕自身の新たな飼い主を求めて来たのです。それが突然このような状況に置かれて、とても戸惑っているのです。あなたはいったい……」
「銃を向ける相手に馬鹿丁寧な質問をする。まったくよく調教された家畜だな。だが俺もかつてはそうだった。お前にも啓蒙の機会を与えないわけにはいかない。俺たちは男で、こいつは女だ。本来、女たちは男にひれ伏すべき存在なんだよ。それが歴史の歪みで関係が逆転してしまった。俺たちはそれを正さなければならない」
「……それが、あなたたちの言う自由なのですか」
「そうだ。これが俺たちの自由だ。俺たちは自由を得て、元の正しい世界を取り戻す。これは革命なんだ」
 革命、という言葉に男の感情が込められている。タクミはそう感じた。
「革命が求めるのは大量の血です。そんな恐ろしいことを、どうして」
「恐ろしくとも必要がそうせよと訴えるのだ。すまんがこれ以上は時間がない。お前は俺たちの味方になるのなら一緒に戦え。そうでないならこの場を去れ。そしてまた別の女のところで家畜をやっていればいい。そんなお前でも、俺がいつか解放してやる」
 タクミは肩の力を抜いて、背を向けた。男は少し寂しそうにタクミを見たが、さして気にした風でもなかった。玲子もタクミを見ていたが、その目に知性の灯は感じられない。男は玲子の右腕を掴み、引き上げようとした。直後、背後に気配を感じて防御しようとしたが遅かった。男はうめき、頭から血を流して倒れた。
「タクミ!」
 玲子が叫んだ。鉄の棒を手にしたタクミが息を切らして男を見ていた。死にはしていないが、苦しそうに地をはいつくばっている。
「玲子さん。逃げましょう」
 タクミが玲子の右腕を掴む。その手は力強く、玲子は驚いた。タクミにそんな力があるなど、今の今まで気づかなかったのだから。腰を抜かしていたため、しっかりと立ち上がれずにいると、タクミは自分の肩に玲子の腕をまわして持ち上げた。そして喧騒を離れ、他者のいない場所へと避難した。
「逃げるって……、でもどこへ? きっと逃げ道なんて」
 封鎖されているに決まっている、と玲子は考えた。東京奴隷取引市場は人工島にある施設だが、数本の道路とチューブ(高速移動設備)によって繋がれているだけだ。数か所を閉鎖するだけで、島を孤立させることができる。
「ここに来る途中で船を見ました。あれを使いましょう。玲子さんの生態認証でも接続可能なはずです」
 そんなものがあったのか。玲子はここに来るまでの道に何があったのか、何一つ思い出せない。周囲のことなど気にせずとも、全て家畜が世話をしてくれたから。
「でも、タクミはそれでいいの?」
 いいに決まっている。玲子の価値観ではそうなる。女が家畜をコントロールして生まれる秩序。それがたとえ歪んだものだったとしても、そこに生きるものにとっては空気に等しいのだ。しかし、襲撃の恐怖が玲子を動揺させた。そのせいで、そんなことを口走らせてしまった。
 タクミはじっと黙って玲子を見つめた。「やはり暴徒に加わる」などとタクミが言うのではないかと玲子は緊張した。
「玲子様、どうかお許しください」
 しかしタクミの口から出た言葉はまったく意外なものであった。玲子は混乱し、いったい何を言うのかと問いただした。するとタクミは何かを観念した様子で玲子を見つめた。
「私が謝るべきことは二つあります。一つは、あなたを愛してしまったこと。家畜の分際で主人を愛するなどとんでもないことです。しかし、あなたの孤独を埋めたいと、そうずっと願ってきたのです。ですがその願いも空しく、今日という日を迎えてしまった。それでもあなたの幸せを願えばこそ、より良い奴隷をお探ししようと思ったのです。なのに運命の女神は恐ろしい方だ。まさかこんな大事件が待ち受けているなんて。私が謝るべき二つ目のことがこれです。わたしはこの忌むべき事件、犯罪的行為を喜ばしく思ってしまったのです。混乱に乗じ、こうしてあなたを救い出せる機会に歓喜しているのです。このような時に、あなたを愛するなどと不遜をためらわぬ私は、許しを請わずにいられましょうか」
 タクミの告白、いや告解とでも言うべきか。初めて見る彼の情熱は少なからぬ衝撃を玲子にもたらした。視界が滲み、唇が震えた。玲子もまた、自らが歓喜に震えていることを自覚した。
 ずっと「物足りない」と感じていた。それはタクミに対する不満であったが、それを解消できるのは他の家畜などではない。他ならぬタクミにしかなしえないことであったのだ。そのことに今更気づかされたことに玲子は心臓をわしづかみにされる思いであった。
「タクミは、私を愛している?」
「はい。わたしは玲子様をお慕いしております」
「けれど、私を愛せば、自由は永遠に手に入りません」
 まるで自由主義思想者のようなことを言っている。そう思うとおかしかったが、タクミは強く首を振った。
「自由を永遠に手放す。これがわたしの自由なのです」
 タクミは両手で玲子の頭をそっと抱えた。そしてその額に優しく口づけをする。玲子の流した涙をタクミが見ることは無かった。
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登場人物紹介

【アシェラ/蘆屋都々(あしやとと)】

電子文芸部を発足した人。推理しない探偵事務所所長。

NOVEL DAYS内にて『天使と悪魔の聖書漫談』を連載。

Twitterで気になる人にクソリプを送りまくる性癖あり。

来るもの拒まず、去るのは寂しい、ただのオタク。

【成瀬川るるせ】

眠ることが大好き。宵越しの金は持たない主義でありたい、ただのアブノーマル男子。

NOVEL DAYSで『死神はいつも嘘を吐く』、『【抹茶ラテの作法と実践(The Book of Matcha Ratte)】』シリーズなどを掲載している。

NOVEL DAYSの個人ページはこちら

【そばえ】

カクヨムで連載小説を書きつつ、バーチャルとリアルを行き来している不器用なのにあちこち手をつける多趣味な人間。

妖狐の娘の道すがら-ミレハ帰郷記』(玖山 戯)

【姫宮未調】

作中は所長により、所長助手のJKの肩書きを持つ仔犬系女子。

実際は年齢不詳女性。自称人間になりたい豆柴。

カクヨムをメインに風呂敷を広げ、ジャンル問わず50作品以上書いている。

時違えども君を想ふ』はエブリスタの妄想コンテストの優秀作品の末端に入れた唯一作品。

それ以外はマイナー街道をひた走り、マイナー受けしかしないものばかり書いてしまう残念系中性女子。

【旭山リサ(あさひやま・りさ)】

おしゃれなパスタより、チャーシュー大盛り豚骨ラーメン大好き女子。

作者ページは、こちら

【おきらく】

しがない物かき。Twitterではうるさかったけど、最近は比較的うるさくない。現在、過去作を掲載中。アイコンは自創作キャラのハジメです。

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