第1話
文字数 3,377文字
身体にガタがきているのは、わかっていた。
いつまでも若いつもりでやってきたが、やはり歳には勝てなかった。
ちょっとしたことで怪我をするし、怪我をすればすぐには治らない。
身体を騙し騙しやってきたが、そろそろ限界だった。
つぎの試合で俺は引退する。
そう宣言したのは、先週の試合後の記者会見だった。
一斉に焚かれたフラッシュ。眩しいと同時に、これがもう味わうことが出来ないのかと思うと寂しくもあった。
『プロレスラー、アイアン・本郷が引退へ』
その日のスポーツ新聞の一面にはデカデカと見出しが載った。
しかし、いまどきスポーツ新聞を買うような若者はいない。
みんなスマートフォンでネットニュースを見るのだ。
昔は、スポーツ紙の一面に自分が出たというだけで、何十部も新聞を買って、知り合いに配ったりしたものだ。
ネットニュースにも、引退の情報は出ていたようだが、数時間後には他のニュースに流されてしまっていた。
コンビニで自分が一面に載っているスポーツ新聞をあるだけ買い占めた。
残念なことにコンビニでもスポーツ新聞は10部程度しか置いていなかった。
家に帰る途中、近所の人に声を掛けられた。
「引退だってね。お疲れ様」
その言葉が、嬉しくもあり、寂しくもあった。
俺は片手だけあげて、その言葉に答えると、家路を急いだ。
試合当日、リングサイドに家族が来ているのが見えた。
会社が俺に内緒で招待したのだろう。
おいおい、プロレスラーの引退試合にお涙頂戴かよ。
俺は心の中でツッコミながらも、ありがたいことだと思っていた。
対戦相手となるのは、いま人気絶頂のイケメンプロレスラーのハヤテ疾風 だった。ハヤテは、新人の頃から俺が育ててきた弟子でもある。いまは人気絶頂で、テレビのバラエティ番組や動画投稿サイトなどで目にしない日はないほどである。それに甘いマスクが女性にも人気で、試合会場の関係者出入り口の前で出待ちをするファンがいるほどだった。
「本郷さん、本日はよろしくお願いします」
試合前の控室に、ハヤテがやってきて挨拶をした。
対戦相手への挨拶。これも自分が若い頃には考えられないことだった。先代の社長は選手同士が仲良くすることを極端に嫌っていた。特に悪役レスラーである俺などは孤高に生きろと言われ、他のレスラーたちと食事に行ったりすることも禁止されていたほどだ。
「おう、よろしくな」
俺はそれだけ言うとハヤテから目をそらした。
立派になった弟子の姿に涙が出そうになってしまったからだ。
試合がはじまる。
リングアナが選手を呼び込むためのコールをし、入場曲が流れる。
この入場曲で試合場に入っていくのも、これで最後なのだ。
俺は自分に気合を入れると、テレビ中継のために入っていたカメラに向かって、睨みつけるパフォーマンスをした。俺は最後の最後まで悪役レスラーなのだ。
花道に登場すると、声援が聞こえてくる。いつもはブーイングのはずなのに、今日は声援なのだ。中には「ありがとう」という言葉を投げかけてくる連中もいた。
ふざけんな。ふざけんじゃねえ。俺は悪役レスラーだぞ。
そう心の中で叫んでいたが、目からは熱い涙が溢れ出てきていた。
リングインすると、会場が爆発したかのような大歓声が聞こえた。
ちらりとリングサイトの放送席に目をやると、長年共にリング上で争い合っていたマッスル斎藤の姿があった。どうやら、本日の解説は彼が務めるようだ。彼は俺よりも3つ上の先輩であり、5年前に膝を悪くして引退していた。マッスル斎藤とは『アイアン・マッスル抗争』と呼ばれたリング上での戦いをずっと繰り広げてきた。お互いに血だるまになってリング上でダブルノックアウトで倒れたこともある。
斎藤とはプライベートでは大の仲良しであるのだが、リング上では天敵という設定だった。
放送席を見てると、斎藤と目が合った。俺がにやりと笑うと、斎藤は無言で頷いた。
試合がはじまった。
ハヤテの人気がすさまじく、先ほどまでの俺への声援はすべてハヤテに持っていかれてしまった。俺がちょっと攻めれば、女性からの悲鳴が聞こえる。場合によっては口汚く罵られたりもした。
30分一本勝負。どこで決着をつけるか。それだけは打ち合わせ済みだった。
よくプロレスを八百長だという連中がいる。
だが、それは間違っている。
プロレスはエンターテイメントなのだ。相手のチョップを避けずに受ける。それが受けの美学というものだ。もしも、相手が繰り出してきたチョップを俺が避けてしまったら、それこそ興覚めだろ。そういったやり取りを楽しむ。それがプロレスというものだ。
「いくぞっー!」
俺は大声をあげて、ハヤテの身体を持ち上げた。パイルドライバー。頭からリングに突き刺すようにして落とす技だ。
ズドンッという大きな音とともに、ハヤテの身体がマットに叩きつけられる。
女性ファンの悲鳴が聞こえてくる。
倒れたまま動かない、ハヤテ。
「立て、立ってくれ、ハヤテ!」
ファンたちからの声援。
そして、俺へのブーイング。
気持ちいい。これこそがプロレスだ。俺はプロレスラーだ。そのことを実感しながら、ハヤテに覆いかぶさる。
レフリーがカウントをはじめる。
両肩を着いた状態で3カウントを取れば、勝ちが確定する。
「ワン、ツー、ス……」
3カウントギリギリのところでハヤテが肩をあげた。
大声援。
会場は最高潮に盛り上がっている。
そろそろ、終わろうか。
俺はハヤテに合図を送った。それはふたりだけにしかわからない合図だった。
ハヤテが俺の胸板にチョップを打ち込んできた。
俺はそれを受けて立ち、ハヤテにチョップをやり返す。
お互いにチョップの応酬を行い、8発目の俺のチョップをハヤテは避けて、バックに回った。
ハヤテ・スペシャル。
逆立ちの用に腕で立ち、俺の首に足を掛ける。そこからグルっと一回転をして、俺をリングに叩きつけるという技だった。
もちろん、これには阿吽の呼吸が必要だった。受ける方も、うまく受けてやらなければならないのだ。
俺は勢いよく飛び、そしてマットの上に叩きつけられた。
「ワン、ツー」
レフリーのカウントが聞こえる。
「スリー!」
俺はマットの上で大の字になったまま、最後のカウントを聞いていた。
ゴングが鳴った。
勝者となったハヤテの名前がコールされる。
そして、照明が落ち、スポットライトが俺に照らされる。
ここからは引退式だった。
社長がリングに上がり、俺の引退を宣言する。
一番世話になったのは、この社長の父親である先代の社長だった。
だが、プロレス人気の低迷中に世話になったのは、この社長だ。彼がいたからこそ、プロレス人気は再びやってきた。
俺は社長と握手を交わした。
そして、次々とやってくる後輩選手たち。ひとり、ひとりと握手を交わし、言葉を交わした。涙を浮かべているやつもいた。
「なにプロレスラーが泣いてんだ」
俺は後輩レスラーに言ってやった。
すると後輩レスラーは言った。
「本郷さんだって泣いているじゃないですか」
俺の顔は汗と涙でぐしゃぐしゃになっていた。
家族がリングに上がってきた。
長男は俺よりも背が高く、体格にも恵まれていた。いまは大学でアメフト部に所属している。将来はプロレスラーになるのかという人間もいたが、俺としては同じ道を歩ませたくはなかった。まあ、どの道に進むかは本人にまかせる。
家族たちがリングから去った後、最後に姿を現したのは永遠のライバルといわれたマッスル斎藤だった。
もう引退しているというのに、マッスルの人気はすさまじく大歓声があがっていた。
斎藤は柄にもなく花束なんかを抱えてリングに上がってきた。
「おい、斎藤。お前に花束は似合わないぞ」
持っていたマイクを使って、斎藤に言ってやる。
その言葉を待っていたとばかりに斎藤はにやりと笑った。
「ああ、俺もそう思っていたよ」
斎藤は持っていた花束で殴りかかってきた。
花束で殴りかかる。これはプロレスでは常套手段でもあった。
リング上は選手たちを巻き込んでの大乱闘となり、客は大いに盛り上がった。
最後の最後まで俺はプロレスラーだ。
斎藤の持っていた花束で殴られながら、最高のフィナーレを飾ることが出来たと俺は満足していた。
いつまでも若いつもりでやってきたが、やはり歳には勝てなかった。
ちょっとしたことで怪我をするし、怪我をすればすぐには治らない。
身体を騙し騙しやってきたが、そろそろ限界だった。
つぎの試合で俺は引退する。
そう宣言したのは、先週の試合後の記者会見だった。
一斉に焚かれたフラッシュ。眩しいと同時に、これがもう味わうことが出来ないのかと思うと寂しくもあった。
『プロレスラー、アイアン・本郷が引退へ』
その日のスポーツ新聞の一面にはデカデカと見出しが載った。
しかし、いまどきスポーツ新聞を買うような若者はいない。
みんなスマートフォンでネットニュースを見るのだ。
昔は、スポーツ紙の一面に自分が出たというだけで、何十部も新聞を買って、知り合いに配ったりしたものだ。
ネットニュースにも、引退の情報は出ていたようだが、数時間後には他のニュースに流されてしまっていた。
コンビニで自分が一面に載っているスポーツ新聞をあるだけ買い占めた。
残念なことにコンビニでもスポーツ新聞は10部程度しか置いていなかった。
家に帰る途中、近所の人に声を掛けられた。
「引退だってね。お疲れ様」
その言葉が、嬉しくもあり、寂しくもあった。
俺は片手だけあげて、その言葉に答えると、家路を急いだ。
試合当日、リングサイドに家族が来ているのが見えた。
会社が俺に内緒で招待したのだろう。
おいおい、プロレスラーの引退試合にお涙頂戴かよ。
俺は心の中でツッコミながらも、ありがたいことだと思っていた。
対戦相手となるのは、いま人気絶頂のイケメンプロレスラーのハヤテ
「本郷さん、本日はよろしくお願いします」
試合前の控室に、ハヤテがやってきて挨拶をした。
対戦相手への挨拶。これも自分が若い頃には考えられないことだった。先代の社長は選手同士が仲良くすることを極端に嫌っていた。特に悪役レスラーである俺などは孤高に生きろと言われ、他のレスラーたちと食事に行ったりすることも禁止されていたほどだ。
「おう、よろしくな」
俺はそれだけ言うとハヤテから目をそらした。
立派になった弟子の姿に涙が出そうになってしまったからだ。
試合がはじまる。
リングアナが選手を呼び込むためのコールをし、入場曲が流れる。
この入場曲で試合場に入っていくのも、これで最後なのだ。
俺は自分に気合を入れると、テレビ中継のために入っていたカメラに向かって、睨みつけるパフォーマンスをした。俺は最後の最後まで悪役レスラーなのだ。
花道に登場すると、声援が聞こえてくる。いつもはブーイングのはずなのに、今日は声援なのだ。中には「ありがとう」という言葉を投げかけてくる連中もいた。
ふざけんな。ふざけんじゃねえ。俺は悪役レスラーだぞ。
そう心の中で叫んでいたが、目からは熱い涙が溢れ出てきていた。
リングインすると、会場が爆発したかのような大歓声が聞こえた。
ちらりとリングサイトの放送席に目をやると、長年共にリング上で争い合っていたマッスル斎藤の姿があった。どうやら、本日の解説は彼が務めるようだ。彼は俺よりも3つ上の先輩であり、5年前に膝を悪くして引退していた。マッスル斎藤とは『アイアン・マッスル抗争』と呼ばれたリング上での戦いをずっと繰り広げてきた。お互いに血だるまになってリング上でダブルノックアウトで倒れたこともある。
斎藤とはプライベートでは大の仲良しであるのだが、リング上では天敵という設定だった。
放送席を見てると、斎藤と目が合った。俺がにやりと笑うと、斎藤は無言で頷いた。
試合がはじまった。
ハヤテの人気がすさまじく、先ほどまでの俺への声援はすべてハヤテに持っていかれてしまった。俺がちょっと攻めれば、女性からの悲鳴が聞こえる。場合によっては口汚く罵られたりもした。
30分一本勝負。どこで決着をつけるか。それだけは打ち合わせ済みだった。
よくプロレスを八百長だという連中がいる。
だが、それは間違っている。
プロレスはエンターテイメントなのだ。相手のチョップを避けずに受ける。それが受けの美学というものだ。もしも、相手が繰り出してきたチョップを俺が避けてしまったら、それこそ興覚めだろ。そういったやり取りを楽しむ。それがプロレスというものだ。
「いくぞっー!」
俺は大声をあげて、ハヤテの身体を持ち上げた。パイルドライバー。頭からリングに突き刺すようにして落とす技だ。
ズドンッという大きな音とともに、ハヤテの身体がマットに叩きつけられる。
女性ファンの悲鳴が聞こえてくる。
倒れたまま動かない、ハヤテ。
「立て、立ってくれ、ハヤテ!」
ファンたちからの声援。
そして、俺へのブーイング。
気持ちいい。これこそがプロレスだ。俺はプロレスラーだ。そのことを実感しながら、ハヤテに覆いかぶさる。
レフリーがカウントをはじめる。
両肩を着いた状態で3カウントを取れば、勝ちが確定する。
「ワン、ツー、ス……」
3カウントギリギリのところでハヤテが肩をあげた。
大声援。
会場は最高潮に盛り上がっている。
そろそろ、終わろうか。
俺はハヤテに合図を送った。それはふたりだけにしかわからない合図だった。
ハヤテが俺の胸板にチョップを打ち込んできた。
俺はそれを受けて立ち、ハヤテにチョップをやり返す。
お互いにチョップの応酬を行い、8発目の俺のチョップをハヤテは避けて、バックに回った。
ハヤテ・スペシャル。
逆立ちの用に腕で立ち、俺の首に足を掛ける。そこからグルっと一回転をして、俺をリングに叩きつけるという技だった。
もちろん、これには阿吽の呼吸が必要だった。受ける方も、うまく受けてやらなければならないのだ。
俺は勢いよく飛び、そしてマットの上に叩きつけられた。
「ワン、ツー」
レフリーのカウントが聞こえる。
「スリー!」
俺はマットの上で大の字になったまま、最後のカウントを聞いていた。
ゴングが鳴った。
勝者となったハヤテの名前がコールされる。
そして、照明が落ち、スポットライトが俺に照らされる。
ここからは引退式だった。
社長がリングに上がり、俺の引退を宣言する。
一番世話になったのは、この社長の父親である先代の社長だった。
だが、プロレス人気の低迷中に世話になったのは、この社長だ。彼がいたからこそ、プロレス人気は再びやってきた。
俺は社長と握手を交わした。
そして、次々とやってくる後輩選手たち。ひとり、ひとりと握手を交わし、言葉を交わした。涙を浮かべているやつもいた。
「なにプロレスラーが泣いてんだ」
俺は後輩レスラーに言ってやった。
すると後輩レスラーは言った。
「本郷さんだって泣いているじゃないですか」
俺の顔は汗と涙でぐしゃぐしゃになっていた。
家族がリングに上がってきた。
長男は俺よりも背が高く、体格にも恵まれていた。いまは大学でアメフト部に所属している。将来はプロレスラーになるのかという人間もいたが、俺としては同じ道を歩ませたくはなかった。まあ、どの道に進むかは本人にまかせる。
家族たちがリングから去った後、最後に姿を現したのは永遠のライバルといわれたマッスル斎藤だった。
もう引退しているというのに、マッスルの人気はすさまじく大歓声があがっていた。
斎藤は柄にもなく花束なんかを抱えてリングに上がってきた。
「おい、斎藤。お前に花束は似合わないぞ」
持っていたマイクを使って、斎藤に言ってやる。
その言葉を待っていたとばかりに斎藤はにやりと笑った。
「ああ、俺もそう思っていたよ」
斎藤は持っていた花束で殴りかかってきた。
花束で殴りかかる。これはプロレスでは常套手段でもあった。
リング上は選手たちを巻き込んでの大乱闘となり、客は大いに盛り上がった。
最後の最後まで俺はプロレスラーだ。
斎藤の持っていた花束で殴られながら、最高のフィナーレを飾ることが出来たと俺は満足していた。