偶然ではなく必然の再会~恋の三角形~

文字数 5,169文字

☆ ☆ ☆

 公園の中に入ってゆく。
 あのときとは違う公園。
 ……そりゃそうだ。住んでいるところが違う。
 でも、ブランコに座っているのは、あのときの女の子と一緒だった。
「……蔵前」
 蔵前は、泣きはらした顔で、うつむいていた。こんな表情、いままで……過去を含めて、一度も見たことがない。そして、こんな顔をさせているのは、ぜんぶ俺のせいだ。
 俺は蔵前のそばまで歩を進め、立ち止まる。そして、言葉をつむいでいく。
 幼い日に初めて女の子に声をかけたときのことの感情を思い出した。
「……お前が言うように、俺はバカだったんだな。……やっと、わかったよ」
 蔵前は身じろぎしない。顔を上げて、こちらを見てはくれない。そりゃそうだ。ずっと、約束も、「女の子」のことさえも忘れてたんだから。
「待たせたな……。…………それじゃ、『冒険』を再開しようか」
 その瞬間――、蔵前が驚いたように顔を上げて、俺のことを見上げた。
 おぼろげだった、俺の記憶の中の女の子が、完全に目の前の蔵前と一致する。そうだ。間違いない。
「…………先輩、思い出したんですか」
 まだ信じられないのか、蔵前の顔にも声にも感情の動きはない。いつものような、淡々とした口調だ。
「悪かった。……なんでだろうな。なんで、思い出せなかったんだろう……」
 あれから数ヵ月後、俺も引っ越した。
 そして、新しい地で俺は物語を再開することはなかった。一度ふたりで冒険する楽しさを知ってしまったら、もうひとりでは冒険を続けられなかったからだ。
 それからの俺は、ますます根暗な奴になっていった。孤立を深め、誰とも話さない日々が続いた。ずっと、ひとりだった。黒歴史だった。少年時代は、思い出したくもない過去になった。
「……ひどいですよ……ずっと、わたしは……一日たりとも『しんじくん』のことを忘れなかったんですよ……? あのあと、週末に『しんじくん』の家を探しまわったり、地図とか見て、ずっと調べてたんですから……」
「そうだったのか……」
 その頃の俺はというと、ただ家に籠って塞ぎこんでいただけだ。……我ながら、なんて情けないんだろうな。あのときの女の子が、ずっと俺のことを探してただなんて、夢にも思わなかった。自分の殻に閉じこもっていただけだった――。
「でも、こうして高校がいっしょになるなんてびっくりだな……すごい偶然だ」
「……違いますよ!」
 大きな声で否定したので、驚いて蔵前の顔を見た。
 その瞳からは、大粒の涙がとめどなく溢れていた。
「……わたし、先輩の志望先の高校、知ってましたから……」
「……え?」
 どういうことだ? 中学時代の俺は、蔵前と接触していない。そんな情報を知りえるはずはないのだが。
「……ごめんなさい。妻恋先輩から、聞きました」
「…………お前、俺の中学、突き止めてたのか」
「……はい。でも、先輩の生活を壊しちゃいけないと思って……」
 俺と妻恋先輩は同じ中学だ。そして、家も近所だった。途中復活したものの、中学になってからまた不登校気味になって部屋に籠っていた俺に、何度も妻恋先輩は会いにきてくれた。
 両親が不在がちな俺に、おかずを作って持ってきてくれたり、二人勉強会を開いてわからないところを教えてくれたりした。最初は何でこんな美人な先輩が俺のところにくるかわからなかった。からかわれているのかと思って、追い出そうとしたことだってあった。でも、妻恋先輩は俺のことを辛抱強く見守ってくれた。その優しさに触れて、包まれて――俺は暗い闇から抜け出せた。
 俺は、妻恋先輩に頭が上がらない――。あのとき妻恋先輩が、俺のことを立ち直らせてくれなかったら、救ってくれなかったら、俺はいまだに立ち直ることができなかっただろう。そして、小説が好きだった妻恋先輩から、俺は色々な本を借りて、また創作というものを目指し始めたのだ――。
 蔵前は、ブランコを少し揺らしながら――視線はうつむいたまま――話を続ける。
「……先輩が……『しんじくん』がひきこもりになってるって知らなかったから、驚きましたけど……でも、わたしはだからこそ、会いたかったんです……会って、話をして……立ち直ってほしたかった……ですけど」
 そこで、蔵前は言葉を切った。そして、過去を思い出すように俯いてから、また話し始める。
「中学を探し当て、ついに『しんじくん』の家まで見つけて……わたしは家の前でたたずんでいたんです。いよいよ……『しんじくん』に会える。足が震えてました……そこで、わたしは、たまたま『しんじくん』の家に来ようとしていた妻恋先輩に呼び止められました。わたしが事情を話したら、すごい歓迎してくれて、すぐに先輩に会うように勧めてくれました」
 情景が浮かぶようだ。妻恋先輩なら、手放しで喜んでくれるはずだ。
「でも……、わたしは……、妻恋先輩と話していて、勝てないと思いました」
 意外な言葉に、俺は目を白黒させた。……勝てない?
「……だって、そうじゃないですか……。あんなに綺麗で優しくて……引きこもっている先輩に尽くしている……。それに対してわたしは、何年も会っていない、数ヶ月話しただけの女の子が会いにきたといっても……そんなの、ただの迷惑じゃないですか……。すべては、わたしの一方的な思いかもしれないじゃないですか。忘れているかもしれない、拒絶されるかもしれない、もしかすると……ぜんぶわたしの妄想で……約束なんて、なかったのかもしれない……そんなの、いやじゃないですかっ!」
 封印が解かれたように、いつも冷静な蔵前から感情が噴き出した。
 ……あの頃の俺は、確かに蔵前のことを忘れていた。
 仮に会ったとしても、すぐに思い出せたかとなると……わからない。そうしたら、蔵前を深く傷つけてしまったかもしれない。
「だから、わたしは……妻恋先輩に、先輩が受ける高校を聞いて、自分もそこを志望校にしました。それからも妻恋先輩はわたしの相談に乗ってくれて、そのあともずっとメールで連絡を取り合っていました。……本当、優しいですよね、妻恋先輩。わたし、恋敵なのに」
 次から次へと俺の知らない事実が出てきて、頭が混乱してしまう。
 だって、最初に蔵前が文芸部に来たときも、先輩は初対面のように接していたんだ。あのときの蔵前も、俺に対してなにも言ってこなかった。俺も、蔵前のことに気がつかなかった。遠い記憶の彼方に、女の子の面影は消えていたのだから。
「……最初に先輩に会ったときは、嬉しくて涙が出そうでした。でも、そのあとは別の意味で涙が出そうでした。だって、最初の言葉が「はじめまして」なんですから……わたしの作ったプロット通りなら、ここで先輩は思い出すんですよ、遠い日にあった女の子のことを……それなのに、先輩はわたしのこと、ぜんっぜん思い出さないんですから……」
 俺は、蔵前に対して、本当に残酷なことをしてきたんだと思う……。完全に蔵前のことを忘れていた俺に、蔵前はもう一度最初から関係を築いていったんだ。
「何度も、喉まで出かかりました。……昔、会いましたよね? とか……昔、女の子と約束しませんでしたか? とか。でも……、すべてがわたしの思い込みだったら、たまらないですから……『しんじくん』との思い出を胸にわたしは小中学校時代を送ってきたんですから。不安になるたびに、先輩について調べたメモとか引っ張り出して、事実だって確認しました……先輩が他人の空似って可能性まで考えて、調べ尽くしましたから」
 そんな思いを抱えてまで、俺のことを想ってくれていただなんて、まったく気づかなかった。気づけなかった。……だが、俺にそんな資格があるのか? ここまで思われる資格なんて。
「……幻滅しただろ? あの頃のような俺じゃなくて……。すっかり根暗なやつになってて」
 つい、そんなことを口にしてしまう。でも、蔵前の想いに対して、俺は吊りあうほどの男なのかと思ってしまう。
「いえ。変わってませんでしたよ、『しんじくん』は『しんじくん』のままでした。本質は、変わっていませんでした。相変わらず変なことばかり言ってて、リアクションも面白くて……。昔と同じ『しんじくん』でした」
 そう言って、蔵前は涙をぬぐって、くすりと笑った。
 その笑顔を見て、胸が高鳴った。そうだ。俺はこの笑顔が好きだった。俺が面白い設定を考えてストーリーを動かして、それに対して無邪気に笑ってくれる女の子が――。
「でも、やっぱり……先輩の好きな人は、妻恋先輩でしたね……当然ですが……。やっぱり近くで見ていると、つらいこともありました……。だって、先輩、全然こっちに振り向いてくれないんですから……」
 ……そうだ。俺はすぐに蔵前と打ち解けて、くだらない話をしてふざけあう相手になったが、恋愛感情は芽生えなかった。中学の頃から、俺は妻恋先輩が好きになっていた。同じ高校を目指して、入学したのも妻恋先輩がいたからだ。そして、先輩しか所属者がいなかった文芸部に入部した。きっと、露骨だったろう。妻恋先輩は、俺の気持ちに、ずっと気づいていただろう――。
 でも、妻恋先輩は、蔵前の気持ちも知っていた。蔵前が、何年もかけて俺を捜し出し、高校にまで入学してきたことも――。そして、蔵前も高校に合格して、文芸部に入部した。
『ずっと、いつまでも、三人一緒で部活やれたら、いいよねっ』
 妻恋先輩はそんなことを言っていた。俺は、そのときは深い意味があるとは思っていなかった。そして、その翌日に、俺は妻恋先輩に告白をして、振られた。
 ……なんて、バカなタイミングだったのだろう。優しい妻恋先輩は蔵前のことを気づかっている。そして、俺の気持ちも知っている。……でも、妻恋先輩自身はどうなんだろう。俺のことを好きなのか、どうなのか――。
「……ふふっ、先輩……妻恋先輩のこと考えてるんですか?」
「――えっ!? い、いや……!」
「いいんですよ。先輩、わかりやすいんですから。それに、わたし、……妻恋先輩に対して、敵対するつもりなんて一切ありません。感謝しています。あのときの引きこもっていた『しんじくん』と会わないという選択を決めたのは、わたし自身ですから」
 俺の心は、揺れていた。どうすればいいのかなんて、わからなかった。妻恋先輩、蔵前……、どちらも大事な……仲間だ。ずっと、これからも一緒にいたい、仲間なんだ……。
 でも、仲間だなんて都合の良い言葉で、このことを片づけられるのだろうか。
 先日、俺が妻恋先輩に告白したことで、いままで止まっていた時間が動き始めた。ずっと、うやむやになっていた恋愛関係が動き始めてしまったのだ。
 そもそも……全部、俺が悪いんだ。蔵前のことを会ったときに思い出せていれば、たぶんまた違った現在もあった。
 蔵前のことを思い出した上で、付き合うのか、付き合わないのか……それがハッキリしてからなら、もしかすると俺の告白に対する妻恋先輩の答えも変わっていたんじゃないか。……いや、それはうぬぼれか。
「……過去は、帰ってこないんです。ですから、現在の気持ちが、すべてだと思います」
 いまの俺は蔵前に対して、恋愛感情があると言えるだろうか。確かに話しやすくてかなりの美人で、思い出の中では大好きだった。ただ、それは子供の頃の感情であり、それが続いているかというと、そうではない。暗闇の引きこもり生活で過去と現在は断絶していた。
「先輩は……わたしのこと、好きですか?」
 蔵前がポツリと尋ねてくる。
「……まだ、わからない」
 俺はなんて情けないやつなのだろうか。ここまで来て、まだ蔵前を待たすのか。自分が情けなくて、ぶん殴りたくなる。
「……ふふっ、やっぱり、先輩は優しいですね。妻恋先輩のほうが好き、とは言わないんですから」
 再び、蔵前の瞳から涙が溢れていた。やっぱり、こいつは、全部、俺のことをわかっている。
 不意に、蔵前のことを抱きしめたくなった。抱きしめて、感謝したかった。こんな俺のことをずっと捜してくれて、思い続けていてくれて、ありがとう――。
 でも、いまここでそれをしたら、俺は最低の人間になってしまう。いま以上の苦しみを、蔵前に与えてしまう。
「最っ低……!」
 そのとき――背後から、女の子の声が聞こえて来た。俺は心に衝撃を受けながら、そちらを振り向く。
「この! バカ新次ぃーーーーーーーーーッ!」
「ぐえぇえぇえええええええっ!?
 振り向いた瞬間、助走をつけた来未の蹴りがもろにわき腹に入って、もんどり打って倒れ込んだ。

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登場人物紹介

末広新次……一次落選を連発するワナビ。高校二年生。

末広来未……未来からやって来た子孫を自称する少女

蔵前明日菜……常に高次まで原稿が残るハイワナビ。高校一年生。

妻恋希望……文芸部部長。高校三年生。

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