最後の一話

文字数 3,672文字

 この文字が途切れたとき、「ああ、日常」は終わっちゃうんだ……。

 ということで皆さま、こんにちは。村山です。なんだよ、終わってないじゃん! と思われた方、すみません。この一話(ひとわ)が終われば、本当に「完結」ですので、ご容赦ください。
 
「ああ、日常」を読んでいただきまして、有り難うございます。令和三年夏の夜、ふと「部屋とYシャツと私」の歌詞が頭の中で流れました。なぜこの曲だったのか、きっかけが全く分かりません。でも、その歌詞が「部屋でYシャツの私」と変換され、しかもリピートされてしまいました。小中学生の頃よく替え歌を作って遊んでいました。それを思い出して、このタイトルで歌詞を作ってみようかな、と思い立ったのです。それを“NOVEL DAYS”に出したら面白いかも? と閃いたのですが、今は著作権バリバリの時代。内容によっては名誉棄損ものです。ということは、歌詞そのものはダメだ。じゃあ、小説! ということでタイトルから想像を膨らませたのでした。(その1)「部屋でYシャツの私」は主人公の一人語りとして作っていき、意外といい感じで完成したなあ、と自画自賛。そしてこれ、何作か行けそうじゃん? とまた閃きました。ちょうど神奈川県知事選に田中康夫さんが出馬するというニュースがあり、「なんとなく、クリスタル」を読んだところだったのですが、そこで(その2)「なんとなく、クイスギル」を同様のスタイルで作りました。偶然両方五百文字くらいで一段落したので、以降も五百字以内の掌編に統一しました。ウェブの横書きでサラッと読み終えられる分量だから、他の方に読んでもらえそうな気がしてきました。これを週末にアップして、土日のお楽しみ作品になれたら面白いな、という野心も芽生えておりました。二作のどちらも日常生活の一コマなので、やはり既存作品のタイトルを使って「ああ、日常」と名付けて、いよいよ投稿です。
 
 (その1)「部屋でYシャツの私」には有り難いことに、当日のうちに二通のファンレターをいただきました。うち一通は、いい意味で誤解いただき、お話の続きへの期待が綴られていました。これは意図が伝わっていない、と解釈し、今までの投稿作品には付けなかった[了]を文末に入れ、一話完結であることをアピールしました。同時に、タイトルのもじりなので元作品を知らない読者には通じない、という厳粛なる事実を突きつけられました。やりとりさせていただいたレターと、交流のある別の作家さんがやられていた制作舞台裏作品を参考に、「こまったら、ココイチバン」というものを数日後にアップして元ネタを明かす、というスタイルを作れました。その「ココイチバン」はその週の掌編からすぐ後ろに配置して、読みやすくしたつもりです。

 多くの方に読んでいただきながら(その30)「セーラー服と祈願中」まで続けられましたが、これは上の例を始めとする皆さまのお力添えによるものであります。感謝してもしきれません。さらに似たコンセプトの作品を出されている作家さんの存在は、焦りとともに共闘しているような気分に、少なくとも村山はなれました。重複は避けきれなかったのですが、これについては高木亮さんの『きりえや偽本大全』との出会いについて書いた「こまったぞ、ココニキテ(その24まで)」でも記載通り、思い切らせていただきました。

 ここで「完結」にするのは、元ネタが不足してきたこともありますが、それよりも内容のマンネリ化を危惧した部分が大きいです。「日常生活」を描くという縛りを設けているので、ああ、無感動という……。その証拠が、(その8)「昼間の賭け事」の登場人物たちをその後も使っていったことでしょう。このお話を好んでくださった方もおられ、それは作者としても当然嬉しく、調子に乗って(その22)「おちょこじゃつらいよ」、(その28)「あんなカレーに、なあ。」と出しています。でも、この間隔が狭まっているところに自分の限界をみる思いがしました。だからといって、この村山の学生時代を回想するようなお話だけを連作で出して行くのも、あんまりおもしろく無さそうだし。
 また自分の経験・記憶が元になるのは当然ですが、大学時代の他、小学生時代、新入社員時代、中年オヤジ以降の話が重なっていきました。まあ、面白く思っていただけるうちは良いのですが、というあたりも気がかりでした。

 でも、振り返ってみると意外にいろいろ挑戦していましたね。(その3)「溶いてかける少女」以降、行あけモノローグはスマホを擬人化した(その7)「画面の独白」だけ。基本は一人称でしたが、最後の(その29)「二十四のひがみ」、(その30)「セーラ服と祈願中」は三人称で作りました。(その3)「溶いてかける少女」や(その11)「牛蒡の意地」で女の子になってみたり、(その13)「皿の危険日」や(その26)「延びたの今日言う?」では母親の気持ちを考えてみたり。あ、(その17)「口臭のあなたに」は娘への願望を……。そうそう、地方色、といいますか、村山に縁のある土地をネタにしたり舞台にした作品もいくつかありましたね。方言を使うの、好きです。元ネタを活かしたパロディとしては(その8)「昼間の賭け事」、(その14)「吾輩はコネである」くらいしか作れませんでしたが、二作でもあって良かったです。また、(その6)「風邪で友が去りぬ」は新型コロナウイルス流行下に是非書いておきたかったお話で、別に載せていた「王冠に屈す」の視点変化型にしました。何か伝われば、嬉しいです。それと元ネタは歌謡曲、国内外の小説、漫画、映画といろいろ出しましたが、これはある程度統一感があった方が分かりやすかったかもしれません。でも、謎解き的な楽しみ方をしてくださった方もあり、その場合はこのような混載でよかったかな、とも思います。

 

 読まれることを目標とする場合には特に、タイトルが大事だと思います。“NOVEL DAYS”内で読まれることを考えると、タイトル・表紙イラスト・作者名。これとランキング(表示される位置という意味)。そうやって「ああ、日常」を選んでいただいた後、どの作品をクリックしていただけるか。これはもう、ほぼタイトルの出来のみに依存しますね。有り難いことに、「マイページ」→「設定」→「アクセス数」で確認できます。古いものから順に減っていくのが順当なはずですが、時々数に凹凸が生まれています。連載だと、凹直前の話が面白くなかった、と考えられますが、この場合、凹は魅力のないタイトル。凸は逆にタイトル勝ち。これを執筆している日現在の凹代表は(その13)「皿の危険日」と(その23)「社畜の下」。凸代表は(その14)「吾輩はコネである」、(その18)「週五で寄る」そして(その22)「おちょこじゃつらいよ」。なるほどなあ。

 また、いただいたファンレターから見える人気については、(その11)「牛蒡の意地」、(その15)「言わんの?バカ!」、(その17)「口臭のあなたに」、(その19)「最低二万入る」、(その25)「二人の『買って♡』」でしょうか。ファンレターは読んでくださる方の中でもコアな方からいただくもので、タイトルだけで「読まない」という判断をしない方だと思いますので(ですよね?)、これらはタイトルと内容とを合わせて総合的に評価をいただいたのだと思っています。
 



 この先ですが、ここの掌編から始まる物語をいくつか書いてみようかなあ、と考えています。いただいたファンレターの中にも、ある話の続きを期待する声をいただいていましたし。時期はお約束できませんが……。期待外れにならないように気を付けつつ。あと、同様の企画については、ファンタジー的なものにも対応できるような工夫ができそうならやってみたいな、と思います。ここで一つネタを捨てますが、例えばロボットアニメの「マジンガーZ」から「魔神がセット」というのを思いついていました。が、「ああ、日常」だと何かのおまけが魔神だった、という話くらいしか思いつかず没にしました。でもこれ、同じくロボットアニメにしたら……。





 なんだかダラダラした話になってきました。まだ書き足りない気もしますが、ここら辺でお話を終えることにします。掌編の続きも、タイトルパロディの続編も、日の目をみることがあれば、またご贔屓にお願いいたします。皆さまからの反響をいただきながらの執筆は、本当に楽しかったです! これが投稿サイトの喜びですね。
 オー・ヘンリーの「最後の一葉」でベアマンが壁に描いた葉っぱの絵。あの葉っぱの絵のように、偽物だけど希望を持たせることができる。「ああ、日常」は系統が異なりますが、そんな小説の世界を作れたらいいなあと思います。”NOVEL DAYS”でもそんな世界を目指して、高めあえたらいいな、と思っています。

 最後に、繰り返してばかりですが、ご愛読、そしてあたたかい応援をいただき誠に有り難うございました。

[完結]
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