第17話:本能の合理性

文字数 1,397文字

 私が言うと、パドマは少し考えるそぶりを見せてから、口を開いた。
「感情って、本能的なものだよね」

「まぁ、どちらかと言えばそうかな」
「じゃあ、アガサは本能が合理的じゃないと思ってるの?」

「うーん、0か1かで評価するのは難しいなぁ。少なくとも、全部が全部合理的ではないとは思うけど」そう言いながら、頭の中で例え話を探した。「例えばさ、数十年前の世界では、薬なりナノマシンなりで、食欲を押さえる人がいたらしいんだよね。食欲に任せて食事をすると、健康を損ねちゃうから。これってつまり、本能は生命維持という(ことわり)に合致していない、ってことにならない?」

「食料が余っている時代には、そうだね。本能は保守的だから、時代遅れになりがちなんだよ。でも、少なくともある時点では、合理的だったはず。食欲で言えば、石器時代には適していたでしょ?」

「なるほど」
 確かに、食料の少ない時代であれば、糖分をはじめとするエネルギー源に対する執着は、合理的だろう。甘いものを好まない個体は、すぐに淘汰(とうた)されてしまうはず。
 他の本能も、すべてそうなのだろうか。適者生存の果てに、不合理な指向性がそぎ落とされたというロジックは、妥当に感じるけれど。

「でも、人を排除するという本能は、そこから外れている気がするんだよね。むしろ、石器自体の方が近代よりも協調が大事だったはずだから、排除するという本能は非合理的じゃない?」
 パドマが言った。

「協力の重要性が高かった、というのは賛成かな」
「でしょ? だから本能的に人を殺めたい、と思うのはおかしいんだって」
「でも、さっきの仮定が正しいとすると、人を殺めたいと思うことにもある程度の合理性があった、と考える方が自然なのかも」
「例えば?」

「例えば――
 私は再び、自分の頭の中を掘り起こして、妥当性のある仮説を探した。パドマは食欲がわいてきたらしく、オムレツを口に放り込んでいる。

「食料が不足した時とかは、合理的かもしれない」
「あぁ」口をもぐもぐとさせながら、彼女は声をもらした。「共倒れになるくらいなら、ってこと?」

「うん」
「……まぁ、そうだね。食糧不足の時に、他人を押しのけて生き残ったのが私たちの先祖だとしたら、攻撃性の薄い人が淘汰された可能性はあるのか」

「普段は協調できるけど、いざとなったら仲間を押しのけられる性質が、かつては合理的だったんだろうね」
「そんな仲間を見捨てるようなことを、って今の感覚で評価しても仕方ないんだろうなぁ」少女は視線を窓の外に向けた。「でも、もう少し攻撃性を発揮する時を選べるといいんだけど」

「攻撃性のモジュールが、頭の中で呼び出されちゃうんだろうね、何かの瞬間に。道具って、想定してなかった使われ方をするものだし」
「ナイフは他人を刺すために作られたわけじゃない、か」
「そういうこと」

「人を排除するスイッチがあるのに、人と一緒にいたがるんだから、どうしようもない」
 そう言って、長い溜息をつくパドマ。再び、オムレツを口の中に放り込んだ。

「これもいる?」
 私は、目の前の皿を彼女のほうへ滑らせた。
「いいの?」
 もごもごとした声で返事がある。

「お腹すいてないから」
「じゃあ、遠慮なく」
 パドマはそう言うと、軽やかに皿を引き寄せて、楕円形のふくらみをフォークで切り取った。その様子は、どことなく楽しげである。

 私の心が重く沈み切ってしまわないのは、きっと彼女のおかげだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み