3-16 黒猫に言葉はない

文字数 5,288文字

「そういえば、どうして彼らはモーネを人魚だと思い込んでたんだ?」
「私、内腿に鱗が三つ並んだような痣があるの。それを、見られたから……」
「ヒレの名残だと勝手に勘違いしたのか。災難だな」

 三人は雪の中を急ぎ足で正門へと向かう。パートの遺体が見つかっていれば、屋敷内は混乱してこちら()を気にする者はいないはずだ。

「……シェス、また挿してたのね」
「え?」
「髪飾り。アイツに外されてたでしょう?」
「ああ……仕舞っておく所がなくて。挿してた方が失くさないかと」
「恋人にもらったんだもんね」
「ああ……いや、友達、なんだが」

 気まずそうにそう言うシェスティンを、モーネは訝しげに見上げる。
 広い前庭を突っ切って、門柱を抜けたところで、一行の背後から声が掛かった。

「シェス!」

 モーネと人魚を背に庇うようにして、シェスティンは声に反応する。厳しい顔をして近付いてくるのは、トーレだった。

「トーレ?」
「どこか、怪我を……」

 ドレスの惨状に少し顔を青ざめさせて、トーレはシェスティンの腕を取り、表にして裏にして確認する。

「大丈夫だ。ワタシの血じゃない。……トーレ、触るな」

 はっとして手を離したトーレはざっと上下に目を走らせると、コートを脱いでシェスティンの肩にかけた。

「そんな格好で……何があった?」
「……何というか……色々。そっちこそ、なんでこんなとこに? 今日は迎えの日じゃないだろう?」

 シェスティンの後ろから、興味津々で覗くモーネに、ようやくトーレは気付いたようだった。さらにその後ろの人魚にも。
 彼女達の格好にとりあえず上着も脱いだものの、そこで彼は目を泳がせた。もう彼に脱げるものはない。
 くすくすと笑う人魚とシェスティンにモーネへと促されて、彼はそれを少女にかけてやった。

「これは貴女が着るといい。ワタシは寒さは平気だから」

 トーレのコートを人魚に渡そうと脱ぎかけるのを、彼女は止めた。

「寒さじゃないわ。その格好で人目につくのはやめた方がいいと思う」
「そう……か?」
「少し向こうに馬車があるから、とりあえず、そこまで。……あれ? 猫君は?」

 ちょいちょいと裾を引かれて、スヴァットを発見すると、トーレはほっとしたように彼を抱き上げた。

「なんだ。おとなしいな。地震にビビったわけじゃないんだろう?」

 顔の真ん中に猫パンチを喰らわせて、スヴァットは抗議を示す。

「ちょっと、声が出なくなってるんだ。優しくしてやってくれ」
「……それは、悪かった」

 トーレはスヴァットを抱えたまま先導して歩き出した。
 途中で街路樹が倒れていて馬車が立ち往生したので、そこから徒歩で来たのだと彼は道々話してくれる。
 地震の大きさに心配になってシェスティンの家に様子を見に行ったのだけど、帰っている気配は無く、ならばとメシュヴィッツ邸に来てみればなにやら家の中が騒がしい。玄関で声も掛けたが、取り込んでるからと、けんもほろろに追い払われるだけだった。それでもまだここに居ると思ったから、待っていたのだと。

「来るかどうかも分からないのに……」

 シェスティンは呆れ気味だったが、モーネはちょっときらきらした瞳で話を聞いていた。

「ねえ、シェスの髪飾りは、あなたが贈ったものなの?」
「え? ……あぁ、そうだよ」

 少し戻ってわざわざ彼女の後ろ髪を確認してから、トーレは照れくさそうに答える。

「そうかぁ。あなたが」

 少女の淡い夢を壊すのも悪いかと思ったが、誤解は解いておきたい。シェスティンが口を開きかけたとき、倒れた街路樹の向こうに停まっている馬車が見えた。
 トーレが少し駆け足で先に行く。

「シェス、彼、ちょっとおじさんだけど悪くないじゃない!」

 コートの袖を引きながら、ひそひそとそんなことを言うモーネに彼女は苦笑した。

「モーネ、パートにはああ言ってたけど、彼とは友人関係で」
「冗談でしょう?」

 帰ってきたのは二人分の声だった。

「来るか来ないかも分からないただの友人を、この寒空の中待ってる人なんていないわよ」

 人魚の言葉にモーネもうんうんと頷く。

「……いや、彼の気持ちは、解ってるんだが、事情もあって……」
「事情?」

 また、二人の声は重なる。

「ワタシは恋人同士のように人と触れあえない。そういう呪いがかかってる。トーレはそれを解ってて友人でいてくれてる」

 二人は同じように口を開け、眉尻を下げた。

「それって、手も繋げないってこと?」
「なんて奇特な人なの!」
「……ワタシも感謝してる」

 馬車のドアを開けて待っていてくれるトーレを、同情と応援の意味を込めてじっと見つめながら順番に二人は乗り込んでいく。
 意味の解っていないトーレはその気迫に少々戸惑い、シェスティンに助けを求めるような視線を投げかけるのだった。

 馬車に乗り込むとシェスティンはコートを人魚に渡してやり、自分はスヴァットを膝に抱いた。
 女性ばかりの車内で、目の前のシェスティンの扇情的とも言える格好にトーレは目のやり場に困っていた。結果的に窓から目が離せず、何ともぎこちない。

「何処に行けばいい? とりあえず、街の広場に向かうよう言ったんだが」
「うちに帰るところだったから、それでいい」
「お嬢さん方もいっしょで?」
「ああ、二人ともうちに連れて行こうと……」
「あの家に!?」

 驚くトーレがシェスティンを見て、慌ててまた窓の外に視線を戻す。

「君達冷え切ってるだろう? 今日はうちにおいで。お湯を用意させるから。心配しなくても兄は病院に詰めてるし、こんな日に知り合いを助けるのを咎められたりしない。まだ揺れるかもしれないし」

 そのままトーレは皆の返事も聞かずに小窓を開け、御者に行先の変更を告げた。

「トーレ……すまない。迷惑をかける」
「いいって。頼れって言っただろう?」

 向かい合わせで座っている人魚とモーネが、視線を合わせてくすくすと笑っていた。



 リリェフォッシュ邸は特に混乱した様子もなく、ただいつもより明かりが多い気がした。周囲は人がいるのかいないのか、ひっそりと闇に沈んでいる家も多いのだが、この家と病院の明かりは不安に思う人の心に仄かな安心をくれるに違いない。
 急な来客が想定されているのか、それほど待たされることもなく三人は部屋に案内される。
 続き部屋で、ダブルのベッドが置いてある部屋とシングルベッドが二つ並んでいる部屋。バスタブにはたっぷりのお湯が張られていた。

 お湯をいただく前に、アルファベットの表かカードがあれば貸してほしいと、シェスティンはトーレにお願いした。スヴァットの新しい呪いの詳細を聞いておきたかったのだ。
 部屋の調度品やふかふかのベッド、彫金のみごとなシャンデリアに、あんぐりと口を開けて言葉もないモーネと人魚を、お湯の冷めないうちにとお風呂へ促した。人魚は熱いお湯は苦手だからとシェスティンとモーネに先を譲る。

「あ、じゃあスヴァットも一緒に入る?」

 モーネの無邪気な言葉にブルーの双眸を思い出して、シェスティンの心臓が跳ねた。

「だ、だめだ! スヴァットはみんなが入った後でワタシが洗う」

 慌てた様子にモーネは少し首を傾げたが、そんなものかと風呂場へ向かう。
 あんなにスヴァットを怖がっていたのに、とシェスティンはどきどき言っている胸をそっと押さえた。
 猫の姿しか知らなければ、積極的にとは言わないが裸くらい見られたって、まあ、と軽く考えてたのに、人の姿も持ち合わせているのだと自覚させられた今は、とても恥ずかしくて一緒になんて無理だった。
 見下ろしたスヴァットと目が合う。いつものように『なーん』と口は開くのに、その声は聞こえず、ほんのりとした寂しさがシェスティンの胸の奥に居座る。
 それを誤魔化すように黒猫の額を指で弾いて、彼女は「覗くなよ」と睨みつけた。

 モーネに続いて風呂場に入ると、泡だらけの彼女が目に入る。あちこち泡を飛ばしているのに、背中だけが綺麗なままだ。シェスティンは小さく笑いながらその背を洗ってやる。
 モーネの内腿には確かに親指の爪くらいの大きさの鱗に似た痣が三つ、逆三角形に並んでいた。

「あれ。モーネ、首飾りしたままなのか?」

 泡を流してやってシェスティンは彼女が革紐を首にかけているのに気が付いた。

「あー、うん。はずしちゃダメって母さんに言われてるの」

 猫みたいにぶるぶると頭を振って水気を飛ばすと、モーネは湯船に浸かりつつそう言った。
 二人で入るとぎゅうぎゅうになる湯船に、シェスティンも身体を滑り込ませ、それを見せてもらう。
 角の取れた菱形に近い、掌で握り込めそうなくらいの大きさの乳白色の石が革紐で括られている。明かりに翳して見ると乳白色の中にブルーの光が見えた。

「ムーンストーン、か。青が濃い。いいものだな」

 うふふ、とモーネは少し大人びた笑いを浮かべた。
 これだけの大きさなら価値も高い。彼女が困った時のために母親が持たせたものなのかもしれない。
 お湯の冷めきらないうちにと人魚と交代して、モーネの髪を拭いてやる。体つきは少女から大人に向かう微妙な段階だけれども、その反応や、はしゃぐ様子からはもう少し幼い印象を受けた。
 人魚も湯浴みを終え、用意してもらった着替えに袖を通すと、二人はダブルのベッドに転がってきゃっきゃとはしゃいでいる。時々小さな揺れがくるとぴたりと動きを止め、顔を見合わせては、また笑っていた。

 スヴァットは風呂へと呼んだ時も洗っている間も少しぼんやりしていた。時々じっとシェスティンを見つめるので名を呼ぶと、はっとする。
 はしゃぎ疲れて眠る二人に布団をかけてやり、トーレが用意してくれたのだろうアルファベットのカードを床に並べる頃には、スヴァットもいつもの様子に戻っていたので、彼も疲れていて風呂の温かさに眠くなっていたのかもしれない。
 寝かせてやりたいが人魚からもらった呪いが気になった。

「呪いは、どうなんだ?」
『声が出ないだけ。少し、ストレス』
「少し黙ってろってことなんじゃないのか」

 にやりと笑ったシェスティンにスヴァットは器用に猫の手でカードを飛ばした。

「で。どうすれば解ける? 解かないで『始まりの(つるぎ)』だかを探しに行くか?」

 カードを並べ直すシェスティンを見上げて、スヴァットは少し迷っているようだった。

『妖精の森の四つ葉のクローバー』
「妖精の森……南だな」

 『人魚の涙』を思えばシェスティンにはひどく簡単に思えた。

『行ったことある?』
「妖精に会う前に退散してきたがな。あそこは方向感覚が狂う」

 『妖精の森』は大陸の南西にある深い森で、妖精が住み、入る人を惑わせるという言い伝えがある。森のどこかにある『妖精の輪(フェアリーサークル)』に踏み込むと妖精の国に行けるのだと言われていた。

「クローバーなら入り口付近にもいくらでも生えてるし、すぐ見つかるんじゃないか。さっと行って一度戻ってこよう。モーネ達がそれでやっていけそうなら『始まりの剣』の探索に向かえばいい」

 それでいいと、スヴァットは頷いた。
 控えめなノックが響いて、シェスティンは対応に立ち上がる。ドアを開けると白衣を着こんだトーレが立っていた。

「遅くに悪い。俺も近所の家と知り合いの所を少し回ってくる。明日もゆっくりしてていいから」
「トーレ」

 廊下に出てしまって、シェスティンは彼に向かい合った。

「忙しい時に申し訳ないが、しばらくの間、彼女達をお願いできないだろうか。もちろん明日にはうちに連れて行ってくれて構わない。そこでワタシが帰るまで待っててほしいと伝えてくれ。それで……できれば時々様子を見てほしいんだ。どうも、ワタシ以上に世の中に疎い気がする。お金はうちに残していくから」
「……行くのか」
「ちょっと、スヴァットを治しに南の方へ行ってくる。ひと月はかからずに戻ってくると思うから、それまで」

 大陸の南の方までは途中まで船で行くとしても七日程度はかかる。迷惑は重々承知だった。
 シェスティンの家ならばあまり目立たないし、恐らくメシュヴィッツ家が彼女達に言及することはないだろう。そんなことに構っていられる状態ではないはずだ。それに、監禁されていた彼女達よりも、使用人に顔を合わせているシェスティンがこの街にいない方がいいような気がした。

「戻ってくるんだな。わかった。任されるよ」
「助かる。詳しく説明もせずに……ごめん。引き止めて悪かった」
「君も家に帰るつもりなんだろう? 一緒に出よう。その方が見咎められたりしなくて面倒がない」
「トーレ……ありがとう」

 シェスティンは部屋に取って返してカードを片付け、忘れないように髪飾りをつける。スヴァットを抱え上げて一度モーネと人魚を見やってから、彼女は部屋を後にした。

「着ていけ」

 彼女が来るときに肩に掛けられていたコートをトーレはシェスティンに渡す。自分はまた別なコートを羽織って薬箱を抱えた。

「うちに、置いておくから」
「ああ」

 外に出ると塀が崩れたり、壁の崩れた家が目についた。
 そのうちの一軒のドアを叩くトーレの後ろ姿に目礼して、シェスティンは自分の家へと足を向けるのだった。
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登場人物紹介

シェスティン


 主人公。死ねない。年を取らない。

 常にあちこちを旅している。

 本人は呪いだと言っているが、呪いを感知できる竜は呪いではないと言う。


 イラストは 深海さん よりいただいたもの

 (表紙イラストは さかなさん からのいただきもの)

スヴァット


 非常食にしようと思っていたウシガエルが変身した?!

 どうやら多くの呪いにかかってる模様。シェスティンと呪いを解く旅に出る。

 月の光に当たっている間だけ……


 イラストは作者落書き

ラヴロ


 竜の生き残り。かつては『孤高の竜』と呼ばれていた。

 洞窟の奥深くにひっそりと暮らしている。シェスティンとは長い付き合い。

 真実の名前をシェスティンに預けている。


 イラストは pendleburyannetteさんによるPixabayからの画像 (著作権フリーのもの)

トーレ


 行商をしているが、実は薬師。お人好しで少々危なっかしい。

 シェスティンが竜の鱗を持っていると知って、何やら画策するのだが……


 イラストは 樹里さん よりいただいたもの

時紡ぎ


 大陸に残るおとぎ話に出てくる、時を紡ぐ存在。

 お姫様に恋をして、仕事が手につかなくなる。お話のラストにいろいろなバリエーションがあるが、ハッピーエンドは少ない。


 イラストは作者落書き

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