第1話

文字数 2,000文字

「ねえ 機嫌直してよ」

「誕生日に休日出勤なんてありえない」

茜は僕に見せびらかすように硝子のペンギンを落とした。

「え。大丈夫?」僕は駆け寄った。

「どこまでヒロシはお人好しなの! ここ怒るところでしょ。そんなんだから、休日出勤断れなかったんじゃないの。私は、こんなペンギンの置物がほしかったんじゃないの!」

硝子のペンギンは粉々に散らばった。
茜はスリッパで破片を踏みつけながら、寝室に行ってしまった。

掃除を終えると、茜は寝室で寝息を立てていた。
僕は彼女に布団をかけて、部屋を出た。

駅前で後輩の上田にばったりあった。
上田は以前は同じ部署にいて、よく飲みに行った仲だ。

「十文字さん なんかあったんすか」

「上田 聞いてくれるか?」

馴染みの焼き鳥屋に入り、カウンター席に座った。

「彼女さん 怒ってるんすね」

「参ったよ。彼女 看護師で残業あるから わかってくれると思ったんだけど」

「僕 いいもの入手したんです」

「へえ いい物って またガラクタ?」

上田は以前からネットショッピングで、変な物を見つけてきては僕に力説してくる。

「今度のは使えます」

上田はスマホの画像を見せた。

「これです」

胡桃ほどのサイズの黒い物体だった。

「何?」

「T・ストーンっていって これ すごいんすよ」

「もったいぶるなよ」

「念力が使えちゃうんです」

僕は声をあげて笑った。

「僕も最初は胡散臭いと思ったんすよ。レビューも★5ばっかだし。しかも1万しないし」

「上田さ よく考えてから買えよ。こんな石ころに1万も誰が払うかよ」

「聞いてくださいよ。この前 ちょっと渋っててダメかなってお客さんがいたんすけど これ持っていったら 契約取れたんすよ」

「上田の実力でとってきたんだって」

「そうじゃないんす。B社の社長が倒れて 家族経営だったんすけど そのまま倒産しちゃって それでうちに来たっていう」

僕は焼き鳥にかぶりついて、焼酎で流し込んだ。

「もう一件は 先方が事故って 担当変わったんすよ。その担当がなんていうか お人好しっていうか断れないタイプで すんなり契約もらえて」

「おいおい 気味が悪いな。その 元の担当者はどうなった?」

「退院したって聞きましたけど。頭の硬い人で 担当が変わって本当にラッキーでしたよ。だから これ効くんすよ」

「仕事で使うのはやめろよ。社内で誰か犠牲になるのは御免だ」

「はいはい」

上田はレモンサワーをぐいっと飲み干した。

「で 使ってみませんか?」

「え? いらないよ」

その時は本当に興味がなかった。使う気なんてなかった。



翌朝、目が覚めるとT・ストーンのことばかり考えていた。

茜「別れよう」

メールを見て僕はその場にしゃがみ込んだ。

ヒロシ「誕生日のことはごめん 
    もう一度、交渉してみる 
    それと、きちんと会って話したい」

それから何度スマホを見ても既読がつかなかった。


昼休み。近くの定食屋に上田を呼び出した。

「例のストーン貸してくれないか」

「ほらきた。やっぱり効くんすよ」上田はニヤニヤして言った。「念じたんです。十文字さんがストーンを使ってくれるようにと」

「いいから早く貸せよ」

「使い方があるんです。それに 人に渡したらもう僕は使えないんです」と上田。

「そうなのか? 上田は もういいのか」

「僕は今の生活に満足していますし 買ってみて思ったけど 願い事なんてなかったんです。今の僕はただ お世話になった十文字さんが幸せになってほしいと」

なんとできた後輩だろうと感心した。

「このストーンは3回しか使えません。僕はもう持っていても仕方ありませんからね」

実物は石炭のように黒く、どっしりしていた。

「最後には 必ず大切な人に渡してくださいね」

「わかった」

念の掛け方を教えてもらうと、会社に戻り、トイレに駆け込んだ。

個室に入ると、ストーンに念じた。

−茜と会って話せますように
−休日出勤がなくなりますように

トイレから出ると上司に呼び止められた。

「明日の休日出勤のことだが、取りやめになった」

「そうなんですか」

(すごい効き目!)

「どうされました? 顔色が悪いですよ」

「それが今度のプロジェクトメンバーが次々とダウンしているんだよ。俺もちょっと」

上司が咳こむようにして口元を押さえた。その指の隙間から血がいく筋も流れ出てきた。

「大丈夫ですか」

上司はその場で倒れ込んだ。

「救急車!」

「十文字さん 大丈夫ですか?」

僕の口からも血がどくどくと溢れ出した。

「十文字さん」

みんなの声がだんだん遠のいていく。



気がつくと、白い部屋にいた。
窓の外も雲がもくもくと続いている。

手を動かそうとすると、何かチューブが巻きついている。

看護師姿の茜が優しい顔で立っていた。

「茜?」

「昨日はごめんね」

茜の手には例のストーンが握られている。

「それは」

「いいの これ 私も前に使ったよ。こんな形で誕生日を一緒に過ごせるなんて このストーンって悪趣味よね。ヒロシ ありがとう」


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