第3話  梅雨

文字数 3,087文字

季節は梅雨。

私は雨が好きだ。雨だと面倒なんだけれど。通勤が。
それなのに煙ったような雨が静かに降っていたりすると、幸せな気持ちになる。
つくづく暗い性格だと思う。

雨に濡れた樹木は生き生きしていて、この人達も雨が好きなのねって思う。
緑の葉っぱも新しく伸びた茎や枝も雨に打たれてきらきらと光っている。

校門を過ぎると、花壇に大振りの紫陽花の花が見える。
まだ薄ピンクだけど、そのうちに色がどんどん変わって綺麗な桃色になる。薄水色の花もいつかは深い青紫の花になる。紫陽花の赤と青は土の酸性、アルカリ性によるモノらしい。
まるでリトマス紙ではないか。


ぼそぼそと降る雨の中、3人程の女子が何やら植え込みを覗いていた。
「おはよう。何見てんの?」
私は声を掛けた。
「あっ、宇多先。おはよう~。」
三年の女子達だ。
「見て、見て。カタツムリ。超きもいよね。」
そこは可愛いじゃないのか?きもいじゃなくて。
私はちらりと見て通り過ぎた。
「そんなの、山程いるよ。田舎に行くと。」
「うわっ。マジで。きも過ぎ。きっしょ」

何人かの生徒が私を抜かしながら挨拶の声を掛けていく。
私はそれに応える。

職員室に入って、「ピッ」とカードをタッチして出勤簿に押印をする。ペットボトルのお茶を一口飲む。と、いい感じにチャイムが鳴る。
すでに神技とさえ言われているチャイム出勤。

今日の授業は1年の2クラス、そして2年の・・2クラス。
そう思っただけで気持ちが萎える。

一年生はまだ、海のものとも山のものとも判別がつかない。そろそろ付きそうなものだが、一年の担任達は「いや~何だか、よくわからないんですよね。」と言う。
落ち着かないせいか、ばらばらって印象で。それぞれが向いた方向を見ているって感じでと言う。
もしかして、それが特徴か?ばらばらって言うのが。
3年間ずっとまとまらないで過ごす人達なのか?。

2年はこの地区内でも荒れた学年として知られている。そして3年は比較的落ち着いている。各学年とも3クラスだが2年生は本当にどこのクラスを見ても、誰かしら、有名人がいる。

ごっそりといた「嵐を呼んじゃう人達」を3分割したのだが、これがなかなか薄まらない。
あれこれ考えて、これで完璧!と思ったクラス替えだったらしい・・・(担任後日談)が、やっぱり生き物だからいろいろと周囲に影響されるし、影響を及ぼす。

引力が強くて、たまたま傍にあった似た様な小惑星達を仲間に引き入れて星団を構成しつつあるクラスとか、3分の一がまた二つに分かれて敵対しているところとか、時に噴火する火山の動きに連動して近くの小山が隆起したり、もしくはプレートが離れてぱっくり溝ができたり・・・ダイナミズムに溢れている。

彼等の流動性が生み出す波の大きさが予想できない。思ったより小さくてほっとしたり、思いも寄らぬ大波が来たりして。担任を始め、諸関係の先生方はその波に翻弄されほぼ溺れる。たまに溺死。

私は担任ではないのでまだ気楽な感じで見ているが、事件も多くて2年担任の先生達は常に疲れている。その人達に社会科を教えている私もかなり頻繁に無力感に襲われる。

この授業を聞いていない人達に何を教えればいいのかと思う。
本当、腹が立つ。
「うるせーんだよ。そのおしゃべり。喋る位なら寝てろっつうの。つかもう帰れ。お前ら。」
心の中で言いながら口では
「そこ、静かにしてね。迷惑だから。」などと言う。そんな注意、誰も聞かないよ。

この日は、「近代革命の時代」の第一時でフランス革命やアメリカの独立戦争などを扱った。世界史に関してはそれほど深くまで追求しない。
大体、フランスってどこにあるのって所から始める。フランスはヨーロッパってことは皆知っているけど、正確な位置は結構あやふやだったりする。パリなんて言ったら、名前は知っているけど場所は知らないって子の方が多い。
 みんなが地図帳でフランスの位置を確認して、ついでにパリ位置も確認しているのに、後ろの方では全く違う話で盛り上がっている。

陸上部の大村、中野、帰宅部の木村、山崎だ。
いつものメンバー。
昨日の帰りに・・ゲーセンで・・・・マジで?・・げらげら(笑)・・勘弁してくれって言うの。・・馬鹿じゃねーの、そいつ。

 私は注意をする。
「はーい。そこ、静かにしてね。早く地図帳出してフランスの場所を確認してください。」
彼らはちらりと私を見て、何も聞こえなかったかの様におしゃべりと続ける。
私はじっと彼らを見る。
「ちょっとそこ・・・聞こえていますか。・・・ちょっと。いい加減にしてくれる。」
段々声が大きくなる。

木村は舌打ちをしながら地図帳を出す。それでおしまい。後は頬杖を付いて外を眺める。重症中二病患者。・・・まあ地図帳出しただけでも今日はマシか。中野と大村は椅子を揺らしながら言う。
「忘れました~。」「俺も~。」
「知るか。」
私は心の中で言う。

山崎は注意を全く無視しておしゃべりを続ける。これもある意味感心する。
「位置を確認したら今日の課題を確認しましょう。」
あたしは板書をしながら言った。

その時、山崎がひときわ高い声で笑った。
「やっべえ。大村。それやば過ぎ。」
皆が一斉に振り向いた。
「お前、声でけーよ。」大村が山崎に言った。

はあ・・・ため息が出る。

私は楽しそうにはしゃぐ彼らの近くにつかつかと行くと、大村の机に、バンと音を立てて両手をついた。
「・・・楽しそうだね。何がそんなに楽しいのかちょっと他の人にも教えてよ。」
「何でもないっす。」
大村が答える。他の3人は椅子を揺らしながらにやにやしている。

この配置はすごくまずい。ヤカラを一箇所に集めて周囲に害を及ぼさないようにって配慮なのだろうけど、うるさいのなんのって・・いい加減にしとけよ。お前ら。と視線で伝える。この人達にも勿論伝わるが、伝わっても気にしない。
特に山崎。今日はテンションが異常に高い。甲高い声でけらけらと笑っている。

「うるせえんだよ。てめえら。」

突然、廊下側の一番前から怒鳴り声がした。
今度は皆一斉に前を見る。
ああ・・・このクラスにはもうひとつあったんだわ。火山が。と今更ながらに気付く。
「ああ、何だよ。うぜえ。」
山崎が机を蹴飛ばした。
「てめーらみてえな低脳は帰れよ。マジ迷惑だし。」
ボルケーノ西が言った。
「うっせえよ。てめえ。やんのか。」
山崎が西の方に歩いて行く。

うわあ・・。何これ。マジで?乱闘?勘弁してくれよと心の中で呟く。

「てめ、もう一回言ってみろ。」
山崎が凄む。
しかし今日の山崎はめちゃくちゃ変だ。目が三角に釣り上がっている。

私は山崎を止めた。
「席に着きなさい。」
「うっせえんだよ。」
山崎は怒鳴って私のシャツの襟元を掴んだ。
「てめえ、殴るぞ。」
おい、おい。あんたが殴るのは私じゃなくて、西だろう。

クラスが固唾を呑んで見守っている。
中にはニヤニヤしている者や、小声で「やれ、やれ。」ってけしかける不届き者もいる。
「離しなさい。」私は静かに言った。
「あっ?何だよ。」
「・・・離せよ。いい加減にしろよ」
山崎を睨んで低く言った。

山崎の目がふと泳いで、その手が一瞬ゆるんだ。その時、西が横から突然山崎を殴った。ごつって音がして山崎はよろけた。うわあっっていう声が生徒から上がる。山崎はこめかみを押さえた。
「いってえ・・・・。この野郎。」
駄目だ。こりゃ。目が据わっている。
「止めなさいってば。」
あたしは山崎を抑えた・・・・積りだったが、間が悪く・・・彼の拳が私の顔面に炸裂して、脳裏には火花が散った・・・。

この時、村上春樹の小説の主人公のように
「ふーっ、やれやれ。」なんて言えたらいいんだけどと思った。
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