ラグナロクから幾千年
文字数 2,000文字
「なあ、ロキ! 今は〝女装男子〟というものがあるらしいぞ! これなら行けるのでは?」
「いや、どこをどう解釈すれば『行ける』と思ったわけ? 絶対に無理でしょ」
終末の日 を迎えてから幾千年――虹の袂に構えるヘイムダルの屋敷で騒ぐトールを横目に、ロキが適度に突っ込みを入れながら紅茶を流し込む。
終焉を迎えたはずの世界は、後世の生き残った人間達が良くも悪くも様々な様式で言い伝えていたお陰で、世界樹のそれとは違う形で姿を取り戻していた。始めは終末の日の引き金となった人物であるロキも含めて気まずくて堪らなかったのだが、終わってしまったからにはひとまず水に流して、それ以外の事案については個々で解決してゆこうという提案によって、現在に至っている。
しかし、そんな些細な出来事を覚えているような輩なぞ、殆ど残っていないであろうとロキは考えていた。何しろ現代には溢れ返るほどの娯楽があり、遅咲きの神々はそれらを楽しむことで手一杯だったことを、彼はよく知っているからだ。
太陽や月ではなくアイドルを追いかけることに命を削っているスコルとハティ、冬のオリンピック観戦が何よりもの楽しみになったウルやスカジ、究極の林檎を作ってみせると品種改良に手を出し始めたイズンとそれに巻き込まれてしまったブラギ。
第二の人生における楽しみかたは種々様々である。しかし、そう――このロキにおいては、それがなかなか通じない。元々の彼はトリックスターである。つまり、前世でこれでもかというくらい他者に迷惑をかけてきたわけで、彼なりの謝罪行脚は長く続いていた。
そして、今日――ついに最後の謝罪相手である、ヘイムダルと相見 える日が訪れた。ロキが彼を最後にしたのには理由があった。それは終末の日――彼が戦いの果てに相討ちとなった
「ロキよ。なにかと思えば友人とズカズカと入り込んできて、随分と楽しそうだな」
「違うんだって、ヘイムダル。こいつはなんか……その、勝手についてきた」
「見れば分かる。さて、噂はかねがね。あのロキが馬鹿正直に謝り回っているとは驚きだ」
えっ、それって噂になるほどだったんだ――行脚をしていようと性格そのものが変わったわけではないロキが、ヘイムダルの発言に面食らう。おそらくはバルドルが言い触らしたのであろう。あいつは身体もそうだが、性格もそこそこ無敵なところがある。別に構わないが、彼は彼なりの形で復讐したのだろうと思うと、ロキは少しだけ恥ずかしくなった。
「あ、うん……その――当時はすみませんでした。色々と迷惑をかけて……」
ロキが椅子に座ったまま深く頭を下げる。それを見ていたヘイムダルは、暫しの沈黙の後、口を抑えながら笑い出した。
「ふふ、くくく――はははは! いや、すまない。馬鹿にしているわけではないんだ。ただ、ロキがこれほど正直な姿を見せるだなんて、前世では在り得なかったことだから、思わずな」
「気にしないでくれ。それよりも――あそこまでされておいて、君はそれでいいのかい?」
「なあに、どうせ他の奴らも同じような反応だったのだろう? 昔は昔、今は今。それでいいじゃないか。見ろよ、そこのトールなんか女装で一発当てようとしているんだぞ。当時では考えられない姿であろうに」
それもそうかと、ロキは妙に納得する。前世のヘイムダルは過酷な労働環境を文句一つも言わずにこなしている中で、ブリーシンガメンの一件で猛烈な闘争に発展してしまったり、特別に申し訳無いと思う気持ちが強かった。それをこの一言で終わらせてしまうところに、やはり彼も高潔な神であったのだと痛感する。
「ロキ、私はね。このギャラルホルンが埃を被っていることのほうがずっと嬉しいんだよ。今は良い時代だ。それぞれが何かしらの物事に対して心の底から楽しんで暮らしている。これについては、後世の人間達に感謝しなければならないな」
「あ、ああ……」
ロキは未だに前世の記憶に気持ちが引っ張られていて、ヘイムダルの割り切りようについてゆくことができない。文化英雄の一面を持つ彼であるが、今となっては出番も無さそうだし、何を目的に楽しんで生きてゆくべきか分からなかったのだ。
「この謝罪行脚は私が最後であると聞いている。ならば、前世の云々はもう終わりだ。次は君が自由に暮らす番なんだよ」
「それが、どうにも思い付かなくて……」
「ほう、なるほど。では、この屋敷で同居するなんてのはどうだ? 景観も悪くはないしな」
「え、え? ええ――?!」
「ただし、まずは小間使いとしてな」
少しだけ楽な生活ができることを期待していたロキががっくりと肩を落とす。
「おい、ロキ! だったら〝男の娘〟なんてのはどうだ! 俺が駄目でもお前ならなんとか行けるはずだろう?! ついでに分からせ要素も追加だ!」
そんな中、未だに女装ネタから離れられないトールの声が屋敷中に響いていた。
「いや、どこをどう解釈すれば『行ける』と思ったわけ? 絶対に無理でしょ」
終焉を迎えたはずの世界は、後世の生き残った人間達が良くも悪くも様々な様式で言い伝えていたお陰で、世界樹のそれとは違う形で姿を取り戻していた。始めは終末の日の引き金となった人物であるロキも含めて気まずくて堪らなかったのだが、終わってしまったからにはひとまず水に流して、それ以外の事案については個々で解決してゆこうという提案によって、現在に至っている。
しかし、そんな些細な出来事を覚えているような輩なぞ、殆ど残っていないであろうとロキは考えていた。何しろ現代には溢れ返るほどの娯楽があり、遅咲きの神々はそれらを楽しむことで手一杯だったことを、彼はよく知っているからだ。
太陽や月ではなくアイドルを追いかけることに命を削っているスコルとハティ、冬のオリンピック観戦が何よりもの楽しみになったウルやスカジ、究極の林檎を作ってみせると品種改良に手を出し始めたイズンとそれに巻き込まれてしまったブラギ。
第二の人生における楽しみかたは種々様々である。しかし、そう――このロキにおいては、それがなかなか通じない。元々の彼はトリックスターである。つまり、前世でこれでもかというくらい他者に迷惑をかけてきたわけで、彼なりの謝罪行脚は長く続いていた。
そして、今日――ついに最後の謝罪相手である、ヘイムダルと
宿敵
だったからである。「ロキよ。なにかと思えば友人とズカズカと入り込んできて、随分と楽しそうだな」
「違うんだって、ヘイムダル。こいつはなんか……その、勝手についてきた」
「見れば分かる。さて、噂はかねがね。あのロキが馬鹿正直に謝り回っているとは驚きだ」
えっ、それって噂になるほどだったんだ――行脚をしていようと性格そのものが変わったわけではないロキが、ヘイムダルの発言に面食らう。おそらくはバルドルが言い触らしたのであろう。あいつは身体もそうだが、性格もそこそこ無敵なところがある。別に構わないが、彼は彼なりの形で復讐したのだろうと思うと、ロキは少しだけ恥ずかしくなった。
「あ、うん……その――当時はすみませんでした。色々と迷惑をかけて……」
ロキが椅子に座ったまま深く頭を下げる。それを見ていたヘイムダルは、暫しの沈黙の後、口を抑えながら笑い出した。
「ふふ、くくく――はははは! いや、すまない。馬鹿にしているわけではないんだ。ただ、ロキがこれほど正直な姿を見せるだなんて、前世では在り得なかったことだから、思わずな」
「気にしないでくれ。それよりも――あそこまでされておいて、君はそれでいいのかい?」
「なあに、どうせ他の奴らも同じような反応だったのだろう? 昔は昔、今は今。それでいいじゃないか。見ろよ、そこのトールなんか女装で一発当てようとしているんだぞ。当時では考えられない姿であろうに」
それもそうかと、ロキは妙に納得する。前世のヘイムダルは過酷な労働環境を文句一つも言わずにこなしている中で、ブリーシンガメンの一件で猛烈な闘争に発展してしまったり、特別に申し訳無いと思う気持ちが強かった。それをこの一言で終わらせてしまうところに、やはり彼も高潔な神であったのだと痛感する。
「ロキ、私はね。このギャラルホルンが埃を被っていることのほうがずっと嬉しいんだよ。今は良い時代だ。それぞれが何かしらの物事に対して心の底から楽しんで暮らしている。これについては、後世の人間達に感謝しなければならないな」
「あ、ああ……」
ロキは未だに前世の記憶に気持ちが引っ張られていて、ヘイムダルの割り切りようについてゆくことができない。文化英雄の一面を持つ彼であるが、今となっては出番も無さそうだし、何を目的に楽しんで生きてゆくべきか分からなかったのだ。
「この謝罪行脚は私が最後であると聞いている。ならば、前世の云々はもう終わりだ。次は君が自由に暮らす番なんだよ」
「それが、どうにも思い付かなくて……」
「ほう、なるほど。では、この屋敷で同居するなんてのはどうだ? 景観も悪くはないしな」
「え、え? ええ――?!」
「ただし、まずは小間使いとしてな」
少しだけ楽な生活ができることを期待していたロキががっくりと肩を落とす。
「おい、ロキ! だったら〝男の娘〟なんてのはどうだ! 俺が駄目でもお前ならなんとか行けるはずだろう?! ついでに分からせ要素も追加だ!」
そんな中、未だに女装ネタから離れられないトールの声が屋敷中に響いていた。
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