猪熊家
文字数 550文字
猪熊家は元は武家の組討を得意とする京都の武闘家系であった。
戦のない時は、猪や熊などを取って暮らしていた。四五六が産まれたのは足利の力が弱まり、戦乱の世が始まろうとしていた折だった。もともと組討は屋敷内で長い刀や槍が使えないような空間で行う体術であった。しかし、四五六は広い屋外でこそ一対一での組討には向くと考えていた。それは、どんな超人でも数名の敵に囲まれてはひとたまりもないからである。
素手の組討での戦いは、間合いの長い刀や槍に比べ不利である。そのため、まずは敵の武器を奪う必要があった。そのために棒術を習った。相手を知るために剣術も勉強した。特に白羽取りの研究には余念がなかった。ちなみに真剣白羽取りは正面で受けるのではなく、相手の刀の腹を横に払い、手のひらで抑え込み、刀をひねりながら足で相手の手を攻撃して刀を奪う技である。
体術というと、最近の柔道選手のように重量級のほうが向いていると思われがちだが、それは短時間での勝負だからだ。太っていればすぐに息があがる。これでは、実践には向かない。マラソンと一緒で、いかに効率よく相手を倒し、長時間戦い続けるか。これが、当時の戦法なのである。
普段は横になって寝ることのない四五六だったが、二三がいる時だけは大の字になって休んでいた。
戦のない時は、猪や熊などを取って暮らしていた。四五六が産まれたのは足利の力が弱まり、戦乱の世が始まろうとしていた折だった。もともと組討は屋敷内で長い刀や槍が使えないような空間で行う体術であった。しかし、四五六は広い屋外でこそ一対一での組討には向くと考えていた。それは、どんな超人でも数名の敵に囲まれてはひとたまりもないからである。
素手の組討での戦いは、間合いの長い刀や槍に比べ不利である。そのため、まずは敵の武器を奪う必要があった。そのために棒術を習った。相手を知るために剣術も勉強した。特に白羽取りの研究には余念がなかった。ちなみに真剣白羽取りは正面で受けるのではなく、相手の刀の腹を横に払い、手のひらで抑え込み、刀をひねりながら足で相手の手を攻撃して刀を奪う技である。
体術というと、最近の柔道選手のように重量級のほうが向いていると思われがちだが、それは短時間での勝負だからだ。太っていればすぐに息があがる。これでは、実践には向かない。マラソンと一緒で、いかに効率よく相手を倒し、長時間戦い続けるか。これが、当時の戦法なのである。
普段は横になって寝ることのない四五六だったが、二三がいる時だけは大の字になって休んでいた。