糞親父と俺と僕。

文字数 4,827文字

 俺はただ単に自己承認欲求を満たしたかった。褒めて欲しかった。ただそれだけ。だからこそ、あいつは許さない。あいつだけは絶対に許さない。


―――――


「貴方の病気は解離性同一性障害とうつ病ですね」
「解離性同一性障害……うつ病……ですか?」
「まずは入院してトラウマを少しずつ治療していきましょう」
「……はい」

 精神科の閉鎖病棟の一室。俺は一体何をしているのだろうか。気の狂った変人の巣窟。俺もその一人の仲間入りだ。

「駄目だな……もっと厳しく……いや、自分を責めちゃ駄目か」

 俺はどんよりした気分になる。自分を責めるのはご法度。例えば遊んだ時、無駄な時間を過ごしてしまったと俺は思ってしまう。だけど、その根本を変えていかないといけない。具体的には、無駄な時間ではなかった。休憩でリラックスするために遊んだんだ。そう思わなければ行けないそうだ。

「って言われてホイホイ変えられたら病気なんて治っちまうっつーの」

 病院の先生はいい人だ。たまに頭のオカシイ看護師が居たりするが、まぁ、底はご愛嬌だろう。どこの世界にも居るものだ。

「この麗しき牢獄からいつ出ることができるのだろうか……死にたいな……」

 だけど、死ねない。コードや紐のたぐいは全部没収されている。携帯パソコン類も持ち込み禁止。

「暇だ。医者には何も考えず休めと言われたけど、どうしたらいいのかわからない」

 幸い本の持ち込みは可能だったため、言うほど退屈ではなかった。作業療法士がたまに来てレクリエーションみたいなこともする。まぁ、爺達と一緒だから、やるレベルは低いが。

「……ああ、死にたいな」


―――――


「何度言えば分かるんだ!ふざけるのも大概にしろよ!」
「うわぁあああん!」
「うるさいって言っているのがわからないのか!」

 バチン!と何度目かわからない叩かれる音。

「痛いよぉぉぉおおおお!」
「だから泣くなって言ってるだろうが!」

 再度バチンという音がなる。

「えぇえええん!」
「うるさい!!!」

 今度は胸ぐらを捕まれソファーに投げ飛ばされた。

「うっ、ひっく」
「よし、わかればいいんだ」

 アルコールの臭いが遠ざかっていく。俺は意識を手放した。


―――――


「まずは安全領域をやっていきます」
「はい」
「では、これを手に持ってください」
「はい」
「今からこれが左右に動きます。眼球だけを動かしてこの光を追ってください」
「はい」

 眼の前の機械に表示されているライトが左右に揺れる。一定のリズムでピッ、ピッ、と音がなる。それと同時に左右の手に持った機械が振動する。

「それじゃあ、貴方の一番リラックスできることはなんですか?」
「……歌を……歌っている時」
「わかりました。ではいま貴方が歌っているという場面を想像してください」
「はい」

 そして、また機械を見る。

「はい、深呼吸をしてください……それでは次にNCをやっていきます」

 治療は進む。


―――――


「これが今日のスケジュール表だ」
「はい」
「ちゃんとやれよ」
「はい」

 渡されたスケジュール表は分単位で刻まれている。

「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」

 やっと居なくなる。これで、しばらくは殴られない。


―――――


「はい、今日の治療はここまでにしましょう」
「ありがとうございます」
「今度は乖離の方をやっていくので、そのつもりで居てください。それと勉強会にも参加してくださいね」
「はい」

 診察が終り、また閉鎖病とへ戻される。食事の時間だ。決められた場所に座り、決められたカロリーを摂取し、食後、決められた薬を飲む。そして、夜まで本を読み、夕飯で同じやり取りをした後、21時に消灯。これの繰り返し。


―――――


「今日は飲み会?」
「ああ、俺が居ない間もちゃんと宿題はやれよ?」
「うん。ちゃんとやっておくね」
「それじゃあ行ってくる」

 飲み会、これが僕の唯一の楽しみ。だって夜にお父さんが部屋に入ってくることもないし、お母さんの部屋に逃げなくても済む。

「お父さん行ったね」
「今日は飲み会なんだっけ?」
「あっ、せらちゃん、起きたの?」
「うん。今日はお父さん飲み会なら酷いことされなくて済むね、お兄ちゃん」
「そうだね……学校に行こうか」
「うん」


―――――


「結局4つあった人格も全て統合できたし、近い内に退院できると思うよ」
「先生、本当にありがとうございます」
「後は自分自身の癖をなんとかしようね。そのためにも弁証法的行動療法の日記をつけていってね」
「はい」

 先生に勧められて買った弁証法的行動療法の本。というより半分以上が日記になっている。一日どれくらい、ちゃんと行動できたか。それが一個でもあればそれを褒める訓練。自分を許す訓練。自分を愛する訓練。俺にとってはかなりきついが、まぁ、なんとかなるだろう。俺はそういう心境で、また閉鎖病棟へ戻っていった。


―――――


「なんで国語の点数、満点じゃないんだ!」

 ゴッ、という音が響く。ああ、また殴られる。アルコールの臭いがする。

「ごめんなさい」
「他の教科は全部満点なのに!どうしてだ!漢字の特訓もしただろ!!!」

 ゴッ、何度も聞いた殴られる音。もはや慣れた。

「ごめんなさい」
「謝れば済むって問題じゃないだろ!」

 ゴッ、また殴られる。

「ごめんなさい」
「……次のテストは必ず100点取るんだぞ?」
「はい。わかりました」

 ああ、やっと終わった。殴られる長い時間。僕はただただ謝っただけだった。


―――――


「うわぁあああああああああ!!!!!」

 深夜の閉鎖病棟に響く絶叫。すぐに当直の看護師がやってくる。俺はそれに構わず暴れる。看護師は抑えようと必死に俺にしがみつく。俺自身にも何が起きたのかわからない。怖い夢を見たのか、それとも何なのかわからない。急に声を出して暴れたくなったのだ。
 次の日、俺は閉鎖病との中でも隔離室へ移された。


―――――


「ねぇ、見てお父さん!」
「ん?どうした?」
「全部の教科100点取ったよ!」
「ん、そうか。じゃあ、次も100点取らないとな」

 え?それだけ?僕100点取ったんだよ?おじいちゃんもおばあちゃんもお母さんも褒めてくれたんだよ?お父さんは褒めてくれないの?


―――――


「何があったのか詳しく教えてくれるかい?」
「僕もよくわからなかったです。とにかく叫びたくて、暴れたくて。それしか頭になかったです」
「そうか……もう少し入院が必要だね……しばらくしたら隔離室から出れるようにしてあげるからそれまで頑張ってね」
「はい」


―――――


 眼の前が真っ白になった。お父さんがお母さんを殴った。

「人殺し!!!!!」

 僕は叫んだ。近隣の人々が集まってくる。僕は怖くなって、逃げた。お父さんの来ないところへ。


―――――


「そろそろいいだろう。隔離室から元の病室に戻っていいって看護師には私の方から伝えておくからね」
「ありがとうございます」

 俺はまた元の生活に戻る。なにもない空虚な生活へ。休むってこういうこと?俺にはもうよくわからない。


―――――


 お父さんのお父さん、おじいちゃんが遠くで死んだ。俺はお父さんと一緒に葬式に参加するため、新幹線で向かう。そんな中、妹とお母さんは葬式には来たが、一足先に車で帰った。そして、千葉にある有名な所で遊んでから帰ったそうだ。なんだろう。ハラワタが煮えくり返る。


―――――


 一体いつになったらこの生活が終わるのだろうか。早く終わらせたい。何もかも。人生すらも。


―――――


 お父さんが単身赴任した。やっと開放されると思った。安心しきっていた。単身赴任してから普通に生活していたから。だけど、それは突然やってきた。

「来いって言ってるだろ!」
「嫌だ!やめろ!離せ!」

 俺は扉にしがみつく。眼の前には母と妹が居る。

「お母さん!聖良!救急車を呼べ!こいつ頭が狂ってる!」
「何だとこの野郎!いいからこっちへ来い!」

 俺は首を締められる。抵抗して顔面を殴ったりけとばしたりした。だけど、所詮大人と子供。だけど俺も中学に上がり、力はついた。今でやっと拮抗している状態だ。

「救急車じゃなくてもいい!警察でもいいから呼んでくれ!」

 聖良もお母さんも俺と目を合わせない。ふざけるな!ふざけるな!フザケルナ!お前らは俺を見捨てるのか!お前らは俺とは目も合わせず、事なきを得るというのか!

「何やってるんだ!」

 じいちゃんの声が聞こえる。俺はやっと開放された。お父さんとじいちゃんが口論する。間にばあちゃんも入ってくる。何を喋ってるか理解する余裕は一切ない。とにかく、死ななくて済んだ。俺の中にはそれだけしかなかった。
 お父さんは捨て台詞を吐き、単身赴任先の家へ戻っていった。俺は今日という日を忘れないだろう。絶対に二人は許さない。


―――――


「あれからどうかな?変わりはないかな?」
「はい。特には何も」
「それは良かった。じゃあ、今日はこれで終わりにしましょう。また午後の勉強会のときに会いましょう」
「はい。ありがとうございます」

 昼食を摂り、勉強会へ参加する。


―――――


 お父さんとお母さんが離婚した。もう会わなくても済む。それだけで、心が躍る。だけど、まだ問題があった。

「おい、デブ。こんな所で何やってんだよ」

 陳腐だが学校の不良グループというやつだ。

「デブって言うな。言うならボンレスハムと言え」

 すると奴らは笑った。

「ボンレスハム!はははははは!おい聞いたか?ボンレスハムだぞボンレスハム」

 そう言うと満足したのかどっかへ行った。保健室登校をしていた俺はこうやって不良たちから逃げる。自傷して。そして、放課後、吹奏楽部に顔を出す。みんなに白い目で見られながらも参加する。ここでのいじめも苛烈だった。次第に部活にも参加しなくなった。


―――――


「貴方は心の底から何を求めていますか?」
「……わかりません」
「これは貴方の課題です。ちゃんと何を求めているのか明確にしておいてください」

 先生がそう言って、今日の診察も終わる。そして訪れる退屈な日々。


―――――


 高校に入った。いじめはなくなると思った。だけど、そんなことはなかった。
 短大に入った。いじめは更に加速した。
 卒業し、専攻科に入った。その頃にはもうすでに孤立していた。
 大学院に入った。俺の身体と心はボロボロだった。
 そして……。


―――――


「ああ、俺って本当に何がしたいんだろうか」

 独り言が最近増えてきた。昔のことを振り返る。そして、いつものように自己分析を行う。何が原因なのか。
 この日はたまたまその答えに行き着いてしまった。

「ああ、許しが欲しかったのか。褒めてほしかったのか」

 俺はナースステーションへ行き、携帯を借りる。親父の形態の番号にかける。

「あっ、親父か?俺だ。なぁ、一つ頼みがあるんだけど聞いてもらえるか?……昔の話、俺さ、親父に褒めてもらいたかったんだよ。許してほしかったんだよ。だからさ、本当に今までの人生、頑張ったと認めてくれるなら、頼むから一言だけ、一言だけ「よくやった」って言ってくれないか?」


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 俺はただ単に自己承認欲求を満たしたかった。褒めて欲しかった。ただそれだけ。だからこそ、あいつは許さない。あいつだけは絶対に許さない。
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