前世譚1 ❀ 本屋さんの裏庭

文字数 1,236文字

これは、もう1人の隠遁者記憶


影の道に入る前、彼の日々は菩提樹の甘い花の香に満ちていた。

(建物に挟まれた小道を進むと、菩提樹の植えられた袋小路の庭に着く。【彼女】はそこで、いつもを読んでいた……)

目を閉じると、まぶたの裏に、あの日の光景が浮かぶ。


リカルドの足音に気付き、顔を上げる【彼女】の姿が。

こんにちは、魔法使いさん。

こんにちは。


今日は何の本を読んでいるんですか?

児童書です。

子どもたちが、力を合わせて無人島で生活するお話で……。

彼女の目は、次の展開に想像を膨らませ、輝いていた。

アリエッタ。

もうじき雨が降るかもしれません。

雨が……まぁ、本当に?

大事な本が濡れてしまう。

お入りになった方がいいです。

魔法使いさんがそうおっしゃるなら。
彼女は本を閉じ、長椅子から立った。
今日も本を見て行きますか?
ぜひ。
では、こちらからどうぞ。

また裏口を開けてもらって申し訳ない。けれどもここに来ると、扉の向こうに本屋さんの秘密の部屋があるのではとわくわくします。

ご招待しましょうか、本当にあるんですよ。

アリエッタは、2階の部屋へ案内した。


二階の広い部屋には、ところせましと書棚が並んでいた。

父はどんな本も必ず一冊ここへ残します。

全部初版ですよ。

どれも貴重なものでは?

勝手に入って本当によろしかったのですか。

ええ。あなたはいつも雨が降る時を教えてくださるからほんのお礼です。

けれど他の方には内緒ね?

はい、秘密にします。

お読みになる時はその卓を使ってください。

私は洗濯物を取りこんできます。

彼女が部屋を出ると、リカルドは順に書棚を見て回った。

種類ごとに分けられていて探しやすい。

でも、どれもこれも出して場所が分からなくなっては失礼ですね。


ひととおり棚を見て、読みたいものを選ぼう。

読みたいものだけ出し、卓で本を読んでいると。


 キィィ…


扉が開いて、足音が近づいた。

読書のお供に温かいものを、と思って。
アリエッタは、卓に茶器を並べた。

ありがとうございます。なんて良い香りだろう。

これは、あなたがよくいる裏庭の……。

ええ、リンデンの花ですわ。
彼女は卓の向かいに座り、窓を見た。

本当に雨が…。いつも大当たりです。

どうして分かるのですか?

雨の気配がしたから、としか言い様がありません。

リカルドは不思議な方ね。

あなたがどうやって、魔法を身につけたか知りたいわ。

アリエッタは、リカルドの読んでいる本を見つめた。

アラビア語の辞書をお選びになったの?

辞書がお好きなのね。

同じ響きで違う意味を持つ言葉が世界中にたくさんあることが不思議で……。探るだけ深い。言葉魔法と深い関わりがありますから。
なるほど。魔法を使うには、たくさん勉強しなければならないのね。
魔法は、それほど難しくはありませんよ。
……そう?

晴れた空を美しいと思う心があれば奇跡には十分。

あとは天に祈るだけです。

心から生まれた祈りが、魔法を起こすのね。

やってみるわ。この雨が止みますように、と。

では僕は、虹がかかるよう祈りましょう。
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登場人物紹介

帯刀 咲良  (たてわき・さら)


 高校2年生、剣術道場の娘。

ジョン・リンデン


イギリス人

インターポールの捜査官。

天羽 理々(あもう・りり)


高校2年生、咲良の親友

合気道部

ラルフ・ローゼンクランツ


ドイツ人

インターポールの捜査官。

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