問題の映像

文字数 17,885文字

「それじゃ」
 須間男を北品川の病院に降ろすと、小埜沢のクーペ・フィアットは元来た道を戻っていった。空はまだ明るい。須間男は受付の壁掛け時計を確認した。まだ午後三時前だった。
 須間男は気が重かった。動画を転送してもらったタブレットの入ったリュックがやけに重たく感じ、背負うのをやめて片手で無造作に掴んだ。彼は今、ふたつの選択肢の間で揺らいでいた。ひとつは予定通り社長と千美のいる病室に向かい、三人で動画を見ること。もうひとつは──全てを放棄すること。
 後者を選択して役割を放棄した場合、どのような事態になるかわからない。しかし前者を選択した場合も、恐らく何らかのリスクが発生することは間違いない。
 出来れば封印しておきたいと言っていた小埜沢の心情が、今の須間男には理解できた。
 しかし放棄する訳にはいかない。社長が言っていたように、役割を自分の望む方向へと変化させる可能性が少しでもあるのならば、その可能性に賭けたい。
 それに、寄藤では(・・・・)呪いを(・・・)解くことは出来ない(・・・・・・・・・)
 須間男の中にあった漠然とした予感は、小埜沢の話を聞いてから確信に変わっていた。だからこそ気が重いのだ。
 同じ思いを抱いた小埜沢は、悩んだ末に須間男に託した。それが正しいと信じたからだ。ならば自分も信じるしかない。小埜沢を、社長を、千美を、そして自分自身を。
 須間男は覚悟を決めた。
 病室に入ると社長が須間男に手を振ってきた。千美は彼の傍の椅子に座っていた。耳にかかる髪の毛の隙間から僅かに見えるイヤリングに、須間男はどうしても目が行ってしまう。
「あれ? スマちゃんひとり?」
「小埜沢さんは確認したいことがあるそうで、それが終わり次第合流することになっています」
「別件……のはずはないか。あいつは昔から頭が回る方だったからな」
 社長は真顔になり、顎に手を添えた。
「……で、例の動画は?」
「預かってきました」
「スマちゃんはもう見たの?」
「まだです」
「……まいったな」
「何がですか?」
「イヤホンを使って音声が聞けるのはふたりまでだろ? 必然的にスマちゃんは動画を音声なしで見ることになるよね?」
「何で僕がハブられること決定してるんですか」
「これ……」
 ふたりのやりとりに千美が割って入る。須間男に差し出された掌の上には、音声を分配するためのアダプターが乗っかっていた。通常であれば準備の良さに呆れるところだが、須間男はそんなことすら忘れて千美の顔を見ていた。目が充血し、腫れぼったく見える。泣いていたであろうことは容易に想像が付いた。それに、彼女は明らかに落ち込んでいた。これまで表情を露わにしたことがない彼女が無防備になっていることに、須間男は少なからず動揺した。
「ほらスマちゃん、チミちゃんに見とれてる場合じゃないだろ? まあ、別にずーっと見とれてても構わないけど。何だったら仲人やろうか?」
 社長は楽しげに笑ったが、骨に響いたらしく顔をゆがめて縮こまった。
「人をからかってる場合じゃないでしょうに……」
 須間男は笑みを浮かべると、千美からアダプターを受け取った。
 タブレットを持った千美と須間男がベッドに背を向けて座り、背後から社長が覗き込む格好で、動画の再生が開始された。
「スマちゃん、これ、ファイルを間違えてるってことはないよな?」
「……あり得ません」
 もしこの場に小埜沢がいたなら、須間男も社長と同じ質問を彼にしていたに違いない。ずらりと並んだ制作日時だけのアーカイブの一覧から、小埜沢は迷わずこのファイルを選んでいた。タブレットに転送してもらった時、須間男は何の疑問も抱かなかった。
「マスターの時からこんな処理が入ってたのか?」
「私の記憶では、そんな加工はしていません」
 千美が断言する。しかし再生されている映像には、あのフィルムに傷を付けたかのようなモザイクがかかっていた。麻美奏音だけモザイクがないのも同じだった。
「撮影はいつものカメラだったの?」
「いいえ。先方が少しでも綺麗に映るようにというオーダーでしたので、メインは小埜沢さんの私物のHDVカメラで撮影しています」
「あれって私物だったのか? ハイエンドクラスだぞ? ウン十万だぞ? マイク別売りでプラス八万くらいするぞ? チミちゃん愛用のハンディの十倍以上の値段だぞ? 雑誌付録DVDの撮影に使っていい代物じゃないじゃんかよー」
 千美の使っているハンディカメラは、SDカードなどの記録媒体にデータを保存するAVCHDという規格で、DVテープを使って記録するHDVより新しい。ただ、千美のハンディは家庭用で小埜沢のカメラは映像の現場で未だ現役の業務用。性能差は明らかだ。
「社長、論点がずれてます」
「わかってるって。そっか、テープとはいえデジタル仕様か。フィルムに傷を付けたら何フレームか映像全体がぶっ壊れるよな。じゃあ、何なんだ、これ……?」
 動画サイトの映像と同様に、モザイクの入ったピクルスのメンバーが次々と自己紹介していく。やはりナンバー4の声だけノイズが交じり、何を言っているのか聞き取れない。そしてお笑いコンビ・さるぼぼのふたりが姿を現した。
「あ、あの2つの動画には入ってない場面だな、これ」
 社長の言うとおり、今再生している箇所は、動画サイトにあった「ロケ1」の直後にあたる部分だった。
『はいはいはい、みなさんよかったですよー、非常ーに、良かったですよー』
『これからピクルスの皆さんには廃村に潜入してもらう訳ですが、まず、この廃村にまつわる話を聞いて頂きましょうか。それじゃ猿田君、よろしくお願いします!』
 ボボ村上がはやし立てながら拍手をするが、メンバーたちはまばらで申し訳程度の拍手をするだけだった。明らかにテンションが低い。微妙な空気の中、猿田げんじが顔に懐中電灯を当て、カメラの正面に立った。暗闇に浮かび上がる彼の顔は、相変わらずモザイクで隠されていた。

『それでは、始めさせて頂きます……。この村のある家にね、ある親子が、住んでいたんですよ。お母さんの方は、こんな田舎では目立つくらいの、それはそれは綺麗な方だったそうです。子供さんの方は女の子で、十歳くらいだったそうです。お父さんはいなかったようです。亡くなられたのか、離婚をされたのか。そのあたりはもう、今となってはわかりません』
 ──父は映画監督だった。アーティストと言うよりは職業監督でね。脚本や構成に手を出さず、可もなく不可もない作品だけを撮り続けていた。納期は守るし予算内できっちり仕上げるから、仕事が途切れることはなかった。有名ではなかったけどね。
 猿田の語りと重なるように、須間男の脳裏で、小埜沢の言葉が再生されていく。
『お母さんは都心で仕事をしていた様で、朝早く出かけて、夜遅くに帰る。時には午前様になったり、仕事に出ない日もあった。口さがない人は、水商売だどこぞの愛人だと、勝手なことを言っていたらしいんですよ』
 ──家はご覧の通りの編集スタジオでね。映像に携わる人たちが作業をしながら将来を熱く語り合うのが日常の風景だった。父は輪には入らず、彼らの様子をただ見つめていた。何を思っていたのか、未だにわからない。ただ、立派な父だとは思っていたよ。事実を知るまでは。
『娘さんもね、多感な年ごろですから、いろいろと、辛い思いをしたことでしょう。ですがとてもおとなしく、聞き分けの良い子だったそうですよ』
 ──腹違いの妹がいる。そう聞かされたのは父が病に倒れた時だ。ヘビースモーカーだった父は重度の肺がんで、他の臓器への転移も確認された。余命宣告も受けた。長くて五年。それで全てを打ち明ける気になったんだろう。
『夕方になると、玄関の前に体育座りをして、お母さんの帰りを待っている、娘さんの微笑ましい姿を、多くの方が見かけたそうです』
 ──たった一度の浮気。相手は将来有望だった女優。しかも子供まで作って。父は職業監督だけどキャリアはあった。周囲が配慮して、女優を父に近づけないようにしたにも関わらず、彼女を主演に据えたオリジナルビデオの(・・・・・・・・・)企画(・・)を強引に通した。
『ところが、夏のある日から、お母さんの姿を見かけなくなった。これまでも午前様だったり、三日ほど家を空けることもあったし、噂もあったから、誰も気にも止めなかった』
 ──だけど女優の方は、無名の若手俳優と(・・・・・・・・)駆け落ちを(・・・・・)してしまった(・・・・・・)。一年後にふたりは別れ、男の方だけが映像業界に出戻り、女優は何処かへ行ってしまった。自宅にも生家にも戻らず、そこから先の足取りはどうしても掴めなかった
『娘さんはずっと、お母さんの帰りを待っていたそうです。毎日、毎日。だけど、お母さんは帰ってこなかった』
 ──父はその女優ではなく、娘の方を探して欲しいと言った。あれはああいう女だから探しても無駄だと、父は言っていた。結局それが、父の遺言になった。
『間もなく娘さんの方も、玄関前に姿を見せなくなったそうです。流石にあの子も親を待つのを諦めたか、なんて、近所の人たちはのんきなことを言っていたそうです。夏休みだったから、娘さんの姿を見なくなっても、誰も気にも止めなかったそうです』
 ──娘は女優が借りていた、隠れ家のような区外の一軒家に置き去りにされていたことがわかった。光熱費は引き落としだったから電気・ガス・水道は止められずに済んでいた。でも。
『近所の人が異臭に気づいたのは、娘さんを見かけなくなってから二週間もたってからだったそうです。通報を受けた警察官は、大家さんから鍵を借りて家の中に入ったそうです。娘さんは……』
 ──娘の姿を見なくなったと近所の方が通報し、警官が駆けつけた時には、娘は……。
『……亡くなっていたそうです。ドアの前で、膝を抱えて蹲ったまま……』
 ──餓死寸前だった。すぐに救急搬送され、なんとか一命を取り留めた。
『それから、奇妙なことが……』
 須間男の耳から動画の音声が遠ざかっていく。映像もただ目に映っているだけになった。小埜沢の独白だけが、須間男の中で続いていた。
 ──娘は遠方に住む伯父に引き取られていた。彼女は専門学校を卒業後、都心の映像製作会社に就職した。彼女の名は──鶴間千美(・・・・)。それに社長──長瀬竜次は、千美の母と駆け落ちした元役者。そんな三人がチームを組んで映像関係の仕事をしていた。偶然と言うにはあまりにも出来過ぎだ。そう思わないか?
 須間男はちらりと社長を見た。社長は瞼を閉じ、俯いていた。
 ──僕は社長から事情を聞いた。あの人も混乱していた。駆け落ち相手に娘がいたことを、あの人は知らなかった。辞職した方がいいんだろうかと逆に相談されたくらいだ。僕の方も全てを話した。奇妙な話だけど、互いの抱えていた秘密を明かしたことで、僕たちは共犯者のような強い結びつきを得た。それに、僕たちの千美に対する想いは一致していた。彼女には──彼女にだけは幸せになってもらいたいという、ずいぶん身勝手な想いだ。
 次に須間男は千美の方を見た。千美は画面をじっと見ている。その表情はやはり、何処か悲しそうに見えた。
 ──千美が僕たちのことを知っているのかどうかは、未だにわからない。話すべきかどうかもわからない。だから僕たちは彼女が尋ねるまで、過去を封印することに決めた。それから僕たちは、信じられないほどうまくやってきた。あの仕事の依頼があったのは、そんな時だ。
 ──作るのは雑誌付録DVD。クライアントからはピクルスの起用と短い納期以外、特に注文はなかった。僕達にとっては慣れた仕事だったけど、社長が入院したのは思った以上に痛手だった。
 ──脚本は千美、撮影は僕、通常ならインタビュアーは社長がやっていた。幸いなことに予算が多かったので、思い切って本格的なフェイクドキュメンタリーをやってみようということで、若手芸人と霊能者をキャスティングすることが出来た。そこまでは良かった。
 ──企画会議で千美が上げてきた脚本を見て、僕は絶句した。設定を変えるべきだと主張したけど、クライアントは千美の脚本を気に入ってしまった。納期もあり、結局映像は出来上がってしまった。
 ──あの映像の中には千美の過去が入っている。それだけじゃない。千美は過去の(・・・)自分を(・・・)殺して(・・・)呪いの(・・・)根源に(・・・)してしまった(・・・・・・)
『……不況も影響したんでしょう。ひとり減り、ふたり減り、最後には誰もいなくなってしまったそうです。そう、あの娘さんを除いては。娘さんは今でも、お母さんの帰りを、顔も知らないお父さんが訪れるのを、ずーっと、待っているそうです』
 猿山の語りが終わり、須間男は現実に引き戻された。

『猿山君ありがとう。はいみんな拍手ー!』
 ボボ村上の言葉に、メンバーたちはまばらな拍手をする。
『少女の霊は実在するのか? ピクルスのみんなにはこの廃村を探索してもらって、噂を検証してもらいます。順番はこのくじ引きで決めまーす!』
「あ、ここから二つ目の動画になるのか」
 社長の指摘通り、動画サイトの「ロケ2」はくじ引きから始まっている。つまり、廃村の因縁──千美の過去の部分だけがカットされていることになる。最も重要な呪いの根源を投稿者は削り落とした。その理由が須間男にはわからなかった。
『一番はナンバー4の******ちゃんに決定!』
「このくじは仕込みです」
 千美が補足説明を行う。
「ナンバー4が選ばれたのは何で?」
「四という数字と、霊感を持っているらしいという前情報があったので」
「前情報、ねえ……」
 情報源は奏音だろう。そして彼女を寄藤が扇動したであろうことは容易に想像が付く。霊感云々も本当かどうか怪しい。要はナンバー4に一番嫌な役回りをさせることだけが目的だったのだろう。映像作品ですらいじめに利用したのだ。それがあからさまだだったからこそ、社長は不快感をにじませたのだ。
『今回のロケにあたり、頼もしい助っ人の方をお呼びしています。どうぞ!』
『御前累です。ここ……あまりよろしくありませんね』
「御前のギャラ、高かっただろう?」
「セルDVDと同程度の予算だったのでキャスティングできました。社長が骨折していなかったら、霊能者は社長がやっていたと思います」
「骨折してて良かった……」
 モザイクのかかった御前の映像を見ながら、社長はため息をついた。
『**ちゃん、霊感が強いって聞いてますけど、もしかして、少女の家をあっさり見つけちゃうんじゃないのぉ?』
『彼女、強い力を持っていますよ。きちんと修行をしないと、いずれ振り回されることになりそうで心配です』
「今の発言は台本にはありませんでした」
「アドリブなのか? リップサービスなのか? それとも、まさか……」
 社長の問いに、千美は沈黙で答えた。
『これは期待できますね! それでは**ちゃん、よろしくお願いします!』
 ボボ村上が無責任なことを言い、ナンバー4にハンディカメラを持たせて廃村に向かわせた。映像はハンディの暗視モードのものに切り替わり、彼女の息づかいだけが聞こえる。
「ここまでが公開された部分か……しかしこれ人選ミスだな。リアクションが殆どない」
 通常の心霊スポットロケでは、アイドルの役割は騒ぐことだ。雑草が揺れれば騒ぎ、鳥が飛べば騒ぎ、「怖い、怖い」とか「やだ、帰りたいよー」などとひとりごとを言うのがパターンであり、通常のリアクションだ。
 しかしナンバー4は何も喋らず驚かない。自撮りもしないので、彼女が怖がっているのかどうかすら伝わってこないのだ。作り手から見て明らかにダメだとわかる映像に須間男が絶句していると、すぐに他のメンバーたちへ映像が切り替わった。
「端折りました」
「だよねー」
 社長は苦笑した。
 映像は切り替わったが、そこでも通常のロケとは異なる光景が繰り広げられていた。それぞれのメンバーが固まって恐怖を訴え合い、さるぼぼのふたりが彼女たちを煽り、黄色い悲鳴を上げさせていた。
「……こいつら、ナンバー4のこと完全に忘れてるな」
 社長の言うとおり、彼女たちは突入を行っているナンバー4を無視して盛り上がっている。通常であれば、突入する仲間に声援を送る場面だ。グループの結束力と優しい自分をアピールする絶好の機会を、彼女たちは放棄していた。
「これって台本通りなのか?」
「いえ、次の場面まではナンバー4のハンディ映像で繋ぐ予定だったので、この場面で他のメンバーには何の指示もありませんでした」
「これは最悪だな……」
 期せずして差し込まれた映像には、隠しようのない真実が映し出されていた。
 不意に映像が御前のアップになった。彼女は険しい顔で周囲を見渡している。再び引きの映像になると、いくつかの発光体(・・・)が画面を横切った。
 カメラはメンバーたちの背後に広がる廃村に向けられた。山の斜面に建てられた家屋はいずれも古く、中には完全に倒壊しているものもあった。そんな家屋の間を、ナンバー4がゆっくり歩いて行く後ろ姿をカメラが捉えた瞬間、映像にブロックノイズが走った。
 映像はふたたびハンディに切り替わる。立ち止まっては家屋を映し、ナンバー4は次の場所へ向かう。ハンディの映像にはより激しいノイズが混ざっていた。
『この感じ……いけない! その家に近づいてはいけない!』
 御前が叫ぶが、ナンバー4はある一軒の平屋の前に辿り着いた。映像がハンディに切り替わった瞬間、社長は息を飲んだ。
 ハンディが映し出したのは、久千木の映像に混ざり込んだ、あの廃屋だった。
 平屋建ての一軒家、瓦屋根にトタンの外壁、引き戸の玄関、玄関先に放置された三輪車。アングルも完全に一致していた。カメラは──ナンバー4は玄関へと近づいていく。ハンディのマイクは彼女に呼びかける御前の声を拾っていたが、彼女は無視して玄関の前に立ち、引き戸を開けた。
 再び映像が切り替わり、玄関の中へ入っていくナンバー4の後ろ姿が映し出された。
『やめて! 戻って! あなたは(・・・・)彼女と近すぎる(・・・・・・・)! 彼女に引き込まれてしまう!』
 ナンバー4に向かって、御前が大声で呼びかけた。
 御前の言葉に須間男は違和感を覚えた。廃屋で待っているのは十歳の少女のはずだ。ならば「彼女」ではなく「あの子」と呼ぶ方が自然だ。にもかかわらず、御前は「彼女」という言葉を使った。仮に台本通りの台詞だとしたら、呼称の違和感に千美が気づかないとは思えない。例え自分の過去を投影した話だとしても、こんなミスを見過ごすような千美ではないはずだ。
 もし御前の台詞が台本通りでなかったとしたら、「彼女」とは、鶴間千美を指した呼び方なのではないだろうか。ナンバー4が千美の作り出した虚構に取り込まれると、御前が直感したのではないだろうか。
 御前の呼びかけは迫真の演技だった。いや、鬼気迫ると言ってもいい。あれは演技なのだろうか? 事実、他のメンバーは先程までとは違い、異様な雰囲気にざわついていた。
『何をしてるんですか! あの子を助けないと!』
 御前はナンバー4のことを「あの子」と呼んだ。十代の少女を「あの子」と呼び、十歳の少女の霊を「彼女」と呼んだ。明らかに矛盾している。
 いや……明確に使い分けている。
 御前は廃屋に向かって駆け出し、カメラを持った小埜沢が後に続く。ふたりはすぐに廃屋へ辿り着いたが、引き戸が閉じられていた。御前が何度か引くが、引き戸はびくともしない。カメラが地面に置かれ、小埜沢が加勢する。
「社長、これ……」
「……ああ……」
 画面に映る小埜沢の顔には、あのモザイクがかかっていなかった。やはり、死者のみに付けられる印のようなものだったのかと、須間男は改めて戦慄を覚えた。
 小埜沢は何度も扉を引いたり、体当たりを行った。しかし扉はびくともしなかった。
『下がってください』
 御前は小埜沢を下がらせると引き戸の前に立ち、略九字を切った。再び彼女が引き戸に手をかけると、あっさりと扉が開いた。カメラを持ち直した小埜沢が近づく。
 ナンバー4は土間に丸まって倒れていた。御前が彼女の体を揺すり、呼びかける。
『**ちゃん、しっかりして! あなた! 早く彼女を病院へ! 早く!』
 カメラに──小埜沢に呼びかける御前のアップで、映像は暗転していった。

『彼女は病院に搬送されて事なきを得た』
 夜陰に浮かび上がる病院の遠景に、小埜沢のナレーションが重なる。
『しかしその翌日、彼女は病院から姿を消した。数時間後、自宅で首を吊っている彼女の姿が発見された。発見された時には既に、息絶えていたという』
 映像はマンションの遠景に切り替わり、続いてゴミ捨て場に群がるカラスの映像へと切り替わった。
『ここで、ある映像をご覧頂こう』
 ナレーションと共に映像が切り替わる。映し出されたのは、暗視カメラで撮影されたあの廃屋だった。
『この映像は、ロケの際に彼女が撮影していた画像である』
 平屋建ての一軒家、瓦屋根にトタンの外壁、引き戸の玄関、玄関先に放置された三輪車。カメラは玄関に近づき、引き戸が開けられる。戸をくぐって土間に足を踏み入れた瞬間、引き戸が音を立てて閉じた。しかし、カメラはゆっくりと振り返っただけで手ぶれもなく、叫び声などもない。ナンバー4はこの段階で「取り込まれている」ということなのだろう。
 続いて、パサッと何かが落ちる音をマイクが捉えた。カメラが再びゆっくりと振り返り、真っ暗な廊下を映すが、そこには何もない。次にカメラがゆっくりと足下に向けられると、そこに一枚のハンカチが落ちていた。
 色あせたピンクの縁取りがなされたハンカチには、可愛らしいウサギのキャラクターがいろんなポーズで印刷されていた。ナンバー4の手がゆっくりとハンカチに伸びる。その手がハンカチを掴んだ瞬間、映像が激しく乱れた。
 映像の乱れが収まった時、カメラはかなり低い視点から、土間に倒れているナンバー4の姿を捉えていた。微動だにしない彼女の傍に、不意に何かが浮かび上がる。
 それは子供の足だった。酷くやせ細って血色の悪い素足のつま先は、ナンバー4の方を向いている。
『つぎはあなたのばん』
 女の子と思しき声と共に映像が再び乱れ、そして途切れた。真っ暗になった画面に「Replay」の文字が浮かぶと、ナレーションと共にスロー再生が始まった。
『映像に映っている足と、謎の少女の声。これが、廃屋に現れる少女の霊なのだろうか。そして******は、少女に取り憑かれたために、あのような死を迎えてしまったのだろうか』
 少女の足がズームアップされ、映像はゆっくりと暗転した。
『それから数日後、スタッフルームに一本の電話が入った』
 ナレーションに合わせて、映像がパーテーションで区切られたフロアの一角に切り替わった。ノートPCだけが置かれた一角で、電話を受けているのは小埜沢だった。
『電話をかけてきたのはピクルスのメンバーのひとり、萩野恵美子だった。我々スタッフは、彼女から詳しい話を聞くことにした』
 映像はファミレスと思われる店内に切り替わる。カメラはやや斜めから、対面席に座る恵美子と思しき少女を捉えていた。恵美子はポーチの中から携帯電話を取り出した。
『昨日の深夜、こんなメールが届いたんです』
 彼女は携帯電話を対面の小埜沢へ差し出した。映像は携帯の画面を撮影した静止画に切り替わる。差出人の欄には例のモザイクがかかっていたが、ナンバー4の名前が書かれていたであろうことは須間男にも容易に想像できた。本文は『つぎはあなたのばん』のたった一行だけだった。
『それと、これ……』
 映像は再びファミレスに戻った。恵美子はポーチの中から何かを取り出し、テーブルの上に置いた。再び映像が切り替わる。次に映し出されたのは、フリーザーバッグに入れられたハンカチの静止画だった。
『それは間違いなく、******が拾った、あのハンカチだった』
 ハンカチをじっくり映してから、映像はファミレスに戻った。
『いつの間にか、貸しスタジオでいつも使うロッカーの中に入っていたんです。何だか気味が悪くて……』
『スタッフはそのハンカチをひとまず預かることにした』
「……小さなキャラクターもののアクセサリーを、小道具として目立つ場所に置いていたんです。台本にも書いてありましたし、打ち合わせでも現物を見せていました」
 千美がぽつりとつぶやく。
 須間男も社長も何も言えなかった。ハンカチが仕込んだ小道具でないならば、廃屋にいる少女の霊の所有物だということになる。
「あのハンカチは……」
 千美は続けようとして言葉を詰まらせた。須間男も社長も、彼女に続きを促す気はなかった。
『スタッフは早速、霊能者の御前累に連絡を取ることにした』
 小埜沢が電話をかける。しかし、呼び出し音が続くだけで出る気配がない。
『駄目ですね』
 小埜沢が受話器を置いたところで映像が切り替わり、何処かの寺が映し出された。遠景に続いて小埜沢が住職と思しき人物と対面し、フリーザーバッグに入れられたままの例のハンカチを、小埜沢が住職に受け渡した。
『仕方なく我々は懇意にしているお寺へハンカチを持ち込み、供養をお願いした』
 本堂で住職がお経を唱えている後ろ姿が映り、暗転していく。次にフェードインしてきたのは電話のアップだった。
『そうですか。ありがとうございます。メールも消していいですよね? 私、とても怖くて……』
 電話越しの恵美子の声が映像に重なる。
『この電話の翌日、事件が起こった』
 ナレーションと共に、新聞記事の切り抜きが映し出された。
〈連続通り魔事件 ついに死者が〉
 記事がズームアップされ、黒塗りされた他の被害者たちの名前に交じり、萩野恵美子の名があった。ナンバー4の縊死、恵美子の刺殺、どちらも現実で同じ死に方をしている。
『果たしてこれは、偶然なのだろうか』という小埜沢のナレーションが、二つの意味を伴って須間男に問いかけてくる。
『他のメンバーの安否が気がかりになったスタッフは、彼女たちに連絡を取ることにした』
 ナレーションと共に、映像はスタッフルームから電話をかける小埜沢の姿を映し出した。呼び出しに応答しないケース、『この電話はお受けできません』と着信拒否をされるケース、『あなた方とは関わりたくありません』『役立たず!』『人殺し!』と罵倒されて電話を切られるケースが相次ぐ。
『結局スタッフは、誰からも話を聞くことが出来ずに終わった』
 小埜沢が受話器を下ろしたところで映像が暗転した。変わってフェードインしてきた映像は、またも新聞記事の切り抜きだった。
〈痴情のもつれで女性を刺殺 容疑者は依然逃走中〉
〈工事現場で大型クレーンが転倒 男女三人を巻き込む大惨事に〉
〈深夜、○○区で三軒を巻き込む火災が発生 逃げ遅れた二棟の家族が死亡〉
〈下校途中の女子生徒を轢き逃げした犯人を逮捕 携帯の「ながら運転」の疑いも〉
 不吉な記事が次々と映し出される。全ての記事にも、メンバーの名前が記されていた。
『何も出来ないまま、彼女たちは次々と亡くなっていった。彼女たちの死亡記事を確認していると、スタッフはあることに気づいた』
 映像が切り替わり、廃村ロケの映像が映し出された。メンバーがくじ引きを行っている場面だ。
『彼女たちが持つくじの番号にご注目頂きたい』
 映像がズームアップになり、ナンバー4から順番に、彼女たちが持つくじの番号が映し出される。最後に番号部分だけを切り取った映像が八分割の映像として映し出された。そして画像の明度が下がると、その上に文章が表示されていく。
【順番1 ナンバー4:****** 自宅で首吊り自殺】
【順番2 ナンバー3:萩野恵美子 通り魔に刺されて死亡】
【順番3 ナンバー7:与那嶺あい 恋人に刺されて死亡】
【順番4 ナンバー5:呉さとみ 工事現場事故に巻き込まれて死亡】
【順番5 ナンバー6:佐和田恵 火災で一家全員焼死】
【順番6 ナンバー2:喜谷利香 轢き逃げに遭い死亡】
『彼女たちは、くじ引きの順番通りに死亡していた。次に、先程の記事をご覧頂きたい』
 続いて六枚の新聞記事の切り抜きが一気に表示された。全記事の事件発生日が一度にアップになり、発生順に並べられた。
『もうお気づきだろう。全ての出来事は、一週間おきに発生しているのだ。そしてこの時、六番目の犠牲者、喜谷利香が死亡してから、すでに五日が経過していた。スタッフはすぐに七番の札を引いたメンバー、藤田綾乃に連絡を取った』
 スタッフルームで受話器を耳に当てた小埜沢の姿が映る。呼び出し音がしばらく続き、諦めて受話器を下ろそうとした時、呼び出し音が止まった。
『もしもし、藤田綾乃さんですか?』
『ふふ』
『藤田……さん?』
『リカがねぇ、アタシのことを呼んでるのぉ。ふふふ、ふふ』
『藤田さん、しっかりしてください!』
『次はぁ、アタシの番なのぉ。エミコもサトミもメグもアイちんも、みぃんなアタシを待ってるんだってぇ。嬉しいなぁ。ふふ、ふふふふふふふふ』
 綾乃の声は呂律が回っていなかった。
『藤田さん、藤田さん!』
『お兄さぁん、カノンちゃんに伝えてぇ。あ、いいのかぁ。自分で伝えればいいんだもんねぇ、へへ、ふふふ、ははははははは!』
 けたたましい嬌声は不意に途切れた。電話を切られたのだ。
『スタッフは再度電話をかけたが、彼女は出なかった。所属事務所に経緯を説明し、彼女の自宅住所を聞き出そうとしたのだが』
『おかけになった電話番号は、現在使われていません』
『芸能関係者に当たってみたところ、ピクルスは既に解散していることが判明した。個人経営だった事務所も廃業し、社長の連絡先も掴めなかった。何も出来ないまま、時間だけが過ぎていった』
 映像は曇り空、ゴミ捨て場に集まるカラス、東京駅から吐き出される人々などを映し出していた。
『八日目の朝刊に、その記事は掲載されていた』
 ナレーションと共に映像が切り替わる。七枚目の新聞記事だ。
〈山中の車内で男女三名の遺体発見 サイトで知り合い集団自殺か〉
『彼女が自殺を図ったのは七日目の夜だった。スタッフは最後のひとり、麻美奏音に連絡を取ろうとした、その時』
 映像がスタッフルームに切り替わる。小埜沢がポケットから携帯電話を取り出す。
『もしもし。はい……わかりました。これからそちらへ向かいます』
 小埜沢はうろたえながら電話に応対する。
『電話をかけてきたのは、麻美奏音だった』

 映像は何処かの公園に切り替わった。ベンチで待っていた奏音が小埜沢に会釈する。
『今朝、こんなメールが届きました』
 奏音は沈痛な表情で携帯電話を取り出し、小埜沢に差し出す。
 映像は携帯の画面を映し出す。差出人は藤田綾乃。本文は「つぎはあなたのばん」。
『これはかつて、萩野恵美子の元に届いたメールと酷似している。しかし、差出人だけが異なっていた』
『それと、こんなものがバッグの中に……』
 映像が切り替わり、奏音がバッグの中からある物を取り出した。
『彼女が取り出したのは、かつて我々がお寺の住職に預け、供養をお願いしたはずの、あのハンカチだった』
 小埜沢がつまんで撮影しているハンカチは、紛れもなくあのハンカチだった。
『スタッフは、彼女から詳しく話を聞くことにした』
『夢を……見るようになったんです』
『彼女の話によると、ナンバー4の******が自殺してから、他のメンバー全員が同じ夢を見るようになったのだという』
 映像が切り替わり、再現VTRになった。
『夢の中では、彼女たちは輪になって座っているのだという。その背後を、ひた、ひた、と、何者かが歩く足音が聞こえる。足音は彼女たちの周囲をゆっくりと回り始めるのだが、その姿は見えない。やがて足音が誰かの後ろで止まる。次の瞬間、足音に止まられたメンバーが、すうっ、と、姿を消す。そこで夢は終わるのだと、彼女は言う』
 再現VTRが終わり、再び映像は公園に戻る。
『最初に消えたのはエミコでした。あなた経由で霊媒師さんに何とかしてもらおうって全員で相談して、エミコはあなたに連絡したんです。どうにかしてもらえるってエミコは喜んでいたんですが……』
 奏音は言葉を切るとゆっくり立ち上がり、突然小埜沢の頬を叩いた。
『社長は事務所を閉じて逃げるし、みんな、お互いを信じられなくなるし、次は私の番だし、どうすればいいの!』
 奏音は何度も何度も小埜沢を叩いた。その目に溜まった涙が、小埜沢を叩くたびにきらきらと飛び散る。
『スタッフは彼女を何とかなだめ、話の続きを聞くことにした』
『エミコの時は、誰かがいたずらでこんなことをやっているんじゃないかと思ったんです。ですが、エミコが死んで、あいちんにエミコからメールが来て、「夢の中」ではあいちんが消えて。あいちんが死んだら今度はサトミで。みんな、仲間だったのに……』
 奏音は言葉を詰まらせ、俯いて静かに泣いた。
『何かが彼女たちを次々と引き込み、次の使者に仕立て上げている。これほど酷い話があるだろうか。スタッフはすぐに、霊能者の御前累へ連絡を取ることにした。これまでも何度か連絡を試みてきたが、すべて空振りに終わっている。しかし今の我々には、彼女以外に頼れる人がいなかった』
 小埜沢は天を仰ぐように見上げ、携帯を耳に当て続けていた。
『あっ! もしもし?』
『電話に出たのは御前氏の弟子にあたる人だった。御前氏はつい最近まで病に倒れていたのだという。しかし我々から連絡が来ることを予言し、数日前から病を押して清めの行に入っていたのだという。スタッフは麻美奏音を伴い、御前氏のいる修行場へと向かった』
 白いワゴンが山道を走る。今、カオスエージェンシーで使用している、須間男たちが乗り慣れたあの車だった。ワゴンは何処かの山に到着した。白装束を来た弟子と思しき三人の男性が、奏音と小埜沢を出迎えた。少しして、白装束の御前が姿を現した。
『時間がありません。行きましょう』
『行くって……何処へですか?』
『あの廃屋です。あそこで全てを終わらせなければなりません』
 カメラが捉えた御前の表情は、やはり芝居には見えない。最初の廃屋ロケの時よりも、目に強い意志、あるいは決意のような物が宿っているように見えて、須間男は息を飲んだ。

 黄昏時の廃村前で、御前の弟子たちが護摩壇(ごまだん)を素早く組み上げて火を起こす。奏音が護摩壇の前に座らされると、彼女を囲うように御前と弟子たちが立ち、祝詞(のりと)を唱え始めた。最初は穏やかなテンポが徐々に早くなり、声量も次第に上がってゆく。神鈴(みれい)錫杖(しゃくじょう)を振る力も強まり、囲まれている奏音の額に汗がにじむ。
『えい! えい! えい!』
 御前が御幣(ごへい)を奏音に向けて三度振り、祈祷は終わった。
『例のものは持ってきていますね?』
 御前の問いに小埜沢は頷き、機材バッグからあのハンカチを取り出す。
『麻美さん、受け取りなさい』
 御前に促された奏音はゆっくりと立ち上がり、恐る恐るハンカチを受け取った。
『これからあなたは、ひとりであの廃屋に入って、そのハンカチを彼女に返さなければなりません』
『え、あの、御前さんは一緒に行ってくれないんですか?』
『私たちはここで祈祷を続けてあなたを守ります』
 狼狽する奏音の肩に手を置き、御前は優しく語りかけた。
『あなたなら出来ます。私たちを、そして、自分を信じなさい』
『……わかりました』
 奏音は小声で答えた。彼女は御前に一礼すると、ゆっくりと廃屋へ向けて歩き出した。同時に御前たちの祈祷が始まる。
 映像は奏音の持つハンディの映像に切り替わった。ここでようやく、須間男は自分が見ている映像がフェイクドキュメンタリーだったことを思い出した。現在の状況や映像中のフィクションと思えない要素などで、虚構と現実の境目が曖昧になっていたのだ。
 携わっていない自分でさえ混乱する映像を、千美はどんな気持ちで見ているのだろうか。須間男は彼女の顔を見ようとしてやめた。恐らく、見られたくないだろうと思ったからだ。
 暗視モードの映像は奏音が進む方をしっかりと捉えている。音声には彼女の息づかいと御前たちの祈祷の声だけが捉えられていた。しかし途中から、奏音が何か歌のようなものを口遊み始めた。
 その時、映像がメンバーの練習風景に切り替わった。練習場所はあの貸しスタジオだ。やがて奏音の小さな歌声に、メンバー全員で歌っている曲が重なる。どうやらこの歌は、彼女たちの代表曲だったらしい。
拙い歌声と練習風景、スタジオライブの映像、メンバーたちのアップ。これはプロモーションビデオを兼ねた作品だったことを須間男は思い出した。ただし、奏音以外のメンバーの顔にモザイクがかかっていることを除けば、だが。
 歌のクライマックスで映像はハンディに戻り、歌も奏音の声だけになった。彼女が歌い終えた時、カメラはあの廃屋を映し出していた。映像にブロックノイズが混入し始め、奏音の息づかいも荒くなる。
『きゃっ!』
 唐突に奏音が驚きの声を上げた。カメラが足下に向けられると、奏音の足下に、古びた三輪車があった。
そんなものに(・・・・・・)構わないで(・・・・・)!』
 御前が奏音に檄を飛ばす。再び須間男は、御前の言い方に引っかかりを覚えた。恐らく三輪車が動いて奏音の足に当たるというのは、小埜沢か千美が仕込んだものなのだろう。台本に沿うならば、御前は何も言わないか「惑わされないで!」などの言葉で奏音を励ますべき場面だ。しかし彼女は「そんなもの」に「構わないで」と言い切った。まるで、そんな芝居に付き合っている場合ではないと切り捨てるかのように。
 御前の言葉が伝わったのか、それとも台本通りなのか、奏音はカメラを前方に向け直すと、引き戸を一気に開いた。
『ひっ!』
 奏音は小さく叫んだ。小刻みに揺れる映像には、上がりかまちの縁に座って彼女を見上げる少女の姿が映っていた。枝切れのように細く筋張った足を揺らすたびに、無造作に束ねたボロボロのツインテールが揺れる。ストライプの半袖ワンピースには、所々に染みが広がっている。闇に包まれつつある室内で、少女の体は薄ぼんやりと光を帯びていた。その周囲を、無数の発光体(オーブ)が螢のように飛び交っていた。
 これが千美の過去の姿、そして葬り去った成れの果てだというのか。
 ホラー映画ではよくある光景だったが、成立までの過程を知っている須間男にとって、それはあまりにもおぞましく、あまりにも悲しい姿だった。
 そして少女の顔にも、あのモザイクが容赦なく刻まれていた。恐らく子役を使ったのだろう。設定年齢に近い子を選んだのであれば、僅か十歳ほどで、この子役は理不尽な死を迎えたことになる。千美が死の連鎖を狙ってこの映像を作成した訳ではないことは、須間男もちゃんと理解している。理解しているからこそ、やり場のない怒りが彼の中に沸き上がった。
『さあ! 彼女(・・)にハンカチを返しなさい! 早く!』
 御前の声に後押しされて、奏音が少女へと近づく。すると少女は、ゆっくりと右手を奏音に差し出した。奏音は少女にハンカチを返そうと手を伸ばす。そして、少女の手がハンカチに触れた。
 しかし次の瞬間、少女が左手で奏音の手を掴んだ。不意の出来事に奏音は尻餅をつき、ハンディカメラを手放してしまった。土間に落ちて滑ったハンディは、奏音を背後から捕らえるポジションで止まった。
 まだ体勢を立て直せないでいる奏音に対し、少女は立ち上がり、両手で彼女を引っ張り始めた。更に少女の背後から無数の腕が伸びてきて、奏音の全身を捕らえた。
『いやああっ!』
『この気配は……っ!』
 御前が護摩壇から離れて廃屋へと駆け出した。小埜沢も御前の後に続く。御前は淀みなく祝詞を詠唱しながら走る速度を上げていく。最初は彼女のすぐ後ろに付いていた小埜沢が徐々に引き離されていく。そして御前があの廃屋に入ったと同時に、彼女の祝詞がまるで恫喝するような語気と迫力に変化した。遅れて小埜沢が廃屋の前に辿り着く。
『ひいっ!』
 小埜沢が悲鳴を上げた。
 屋内では異様な光景が繰り広げられていた。少女に両腕を捕まれながらもどうにか踏みとどまる奏音。彼女を引っ張りながら薄ら笑いを浮かべている少女。そして少女の周囲に浮かび上がる七つの顔と七対の腕。七つの顔は既に犠牲になったメンバーたちのもので、皆無表情だ。
 奏音を捕らえようとする腕を、御前は祝詞を唱えながら御幣で振り払う。しかしモグラ叩きのように引っ込んでは伸びてきて、まるで埒があかない。
『諦めてはいけない! 気をしっかり持ちなさい! あなたは彼女(・・)とは違う! あなたのやりたいこと、それを思い出しなさい!』
 腕を払いのけながら御前が檄を飛ばす。御前が「彼女たち」ではなく「彼女」と言い切ったのを、須間男は聞き逃さなかった。
『私の……やりたいこと……』
 奏音はぽつりとつぶやくと、ゆっくりと立ち上がった。メンバーたちの腕が、彼女に向かって一斉に伸びてくる。
『私はっ!』
 突然、奏音が叫んだ。その声にひるんだかのように、腕がぴたっと止まった。
『私は、アイドルを続けたい! 歌も! 演技も! もっともっと、いろんなことがしたいの! 本当は、本当は! みんなと一緒にしたかったのっ!』
 奏音は泣きながら、強い思いを訴えた。
『だからっ! 今はそっちに行けないのっ! みんなの分まで、私がんばるからっ!』
 奏音の呼びかけに答えるように、メンバーの顔がひとりずつ、闇に溶けて消えていく。そして全ての顔が消えると、あとには少女と七対の腕が残った。奏音は少女の手にハンカチを握らせると、ゆっくりと少女の両腕を振りほどいた。
『……ごめんね』
 奏音の言葉と同時に、七対の腕が少女を包んだ。腕から逃れようともがく少女は、腕と共に闇の中へと消えた。少女の最期を見届けた奏音はその場にしゃがみ込んだ。御前はそっと彼女を抱きしめた。
『これで、全てが終わった』
 ナレーションと共に、ゆっくりと映像が暗転した。

 元気な歌声と男たちの声援と共に、奏音が歌を披露する映像がフェードインした。
『麻美奏音は数日伏せっていたが、元気を取り戻し、今は精力的に、ライブ活動を行っている』
 純白のフリルドレスに身を包んだ奏音が歌っているのは、あの歌だった。
『まだ彼女は無名に等しい。しかしいずれ、誰もが麻美奏音の名を知る日がやってくることを、彼女は信じている』
 歌は最後のサビに入り、映像は奏音のアップになる。笑顔を振りまき、振り付けを交えながら歌う彼女の額に、きらりと汗が引かる。小埜沢愛用のHDVカメラの性能が遺憾なく発揮されたシーンだ。
『彼女はこれからも、夢に向かって走り続ける。いや、走り続けなければならないのだ。なぜなら……』
 奏音の歌が終わると同時にナレーションが入る。映像は引きになり、ステージ上の奏音がフリートークを始める姿が映し出された。しかし不意に映像がステージ右上へとズームアップしていく。
 ステージ右上には、複数の腕がエノコログサのように揺らめいていた。
 そこで映像は終わっていた。
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登場人物紹介

鈴木須間男(32)


小さな映像製作会社に勤務。

弱腰で流され体質。溜め込むタイプ。

心霊映像の制作と、その仕事を始めるきっかけを作った千美に、かなりの苦手意識を持っている。

よくオタク系に勘違いされる風貌だが、動物以外のことは聞きかじった程度の知識しかない。

鶴間千美(34)


須間男の同僚。

須間男よりもあとに入社してきたが、業界でのキャリアは彼よりも長く、社長とは旧知の間柄。

服装は地味でシンプル、メイクもしていない。かなりのヘビースモーカー。

感情の起伏がほとんどない、ように見えるが……。

社長(年齢不詳)


須間男たちが勤める映像製作会社の社長。

ツンツンの金髪、青いアロハに短パン、サンダル履きと、「社長」という肩書きからはほど遠い見た目。

口を開けばつまらないダジャレや、やる気のなさダダ漏れの愚痴がこぼれる。

本名で呼ばれることが苦手なようなのだが……。

麻美奏音(24)


地下アイドル「ピクルス」の元メンバーで、メンバー唯一の生存者。

六年前の事件以降、人前に出ることはなかったが、今回の騒動で注目を集めてしまう。

肝心の「呪い」については、まったく覚えていないようなのだが……。

寄藤勇夫(42)


有名アイドルグループ「@LINK(アットリンク)」の厄介系トップオタ。

須間男たちの会社に送られてきたふたつの映像に映り込んでいた人物。

@LINKの所属事務所から出禁を喰らってから、消息が途絶えている。

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