第1話

文字数 6,004文字




 タン、タン、タン、タン、
わざと音が出るように靴で地面を叩きながら歩いている女の子。
 タン、タン、タン、タン、
音に合わせてカラフルなゴムで結んだ二つくくりの髪が揺れる。
口をとがらせてうつむきがちな目には怒ったような、すねたような色が浮かんでいた。
周りには友達の姿はなく、ひとりのよう。
下校時刻にしては遅い時間だったので、同じ小学校の生徒はまばらだった。
「はぁ…」
溜息をつくと、その女の子…未央は音を立てて歩くのを止めるがあまり元気は出ない様子。
川沿いの道を過ぎると住宅街に入っていく。
自分の家へとつづく通学路、見慣れた街の見慣れた道路や家、いつもの見飽きた景色の中に見慣れない立て看板があらわれた。

『洋菓子店 すみれ屋』

そう書かれた木でできた立て看板が左の方へとつづく道路の角、住宅街のなかのブロック塀脇にある電信柱の陰に寄り添うようにひっそりと立っていた。お店の名前にそえられたいちごのショートケーキのイラストが可愛らしくてとてもおいしそう。
急にお腹が空いていたことに気付く。さっきまでは他のことを考えていたので、全然気付かなかったけれどはらぺこだった。
(この辺って、お店なんてなかったのに…)
寄り道は禁止されている。でも、少しのぞくくらいはいいかも知れない。少し遠回りするだけで、これは帰り道の途中なのだ。
(だってあの看板…ぜったいおいしい予感しかしない!)

甘いものが大好きな未央はスーパーでお菓子を選ぶときだって、直感をとても大事にしていた。お母さんがスーパーを一周するあいだ中、長い時間をかけて一つしか買ってもらえないお菓子を選んでいる。ひとつひとつのお菓子を手に、その時の気分と味が合うかどうか、初めて見るお菓子がどんな味なのか、想像してたくさんの中から選ぶのだ。

さっきまで落ち込んでいた気分が急に上向きになる。
看板の矢印に従い、左へ曲がって住宅街を進んでいくとその店はあらわれた。
普通の住宅を改装したような見た目。玄関の脇にもう一つ入口があって、そっちの方は木製でうす明るい紫色の扉。入口の前はさまざまな種類のハーブや草花が植えられていて、うさぎや猫、こびとたちが植物の陰から顔を出している。そばのポストも雑貨屋に売っているようなかわいいもので、ここだけぽっかり洋風な童話の世界のようだった。
扉についた小さな窓からしか中が見えないけれど、そこから見えるのは店内の壁に掛けられたきれいなお花の写真だけ。角度を変えてみたら何か見えるかもしれない。遠巻きに店の前をうろうろしてみるけれど、さっぱり見えない。

入口の脇に木製の椅子が置かれていたので、それにのぼってのぞいてみようかと迷っていると、
「いらっしゃいませっ」
突然未央の近くで声がした。
飛び上がりそうなほどおどろいて、そちらを見ると男の人がエプロン姿で立っている。
「すみれ屋へようこそ」
優しそうな笑顔。背の高いふわふわした髪型のお兄さん。
(うわ…男の人だ…どうしよう)
未央は男の人が苦手だったので、つい固まったまま動けなくなってしまう。
「せまいけど、中へどうぞ」
お兄さんはそんな未央をよそにうす明るい紫色の扉を開けて手をさし示した。
「あ、あの、お、おかね、ないから…」
手と顔をぶんぶん振りながら未央が言う。せまいところへ知らない男の人とふたりきりが怖かったので、断ろうといいわけをしてみた。
「いいのいいの、見てくれるだけでいいからさ」
あせる未央の背中をそっと押して、引き下がる様子を見せないお兄さん。未央は困り顔のまま、仕方なくお店の中へと足を踏み入れた。

手前にちいさな丸いテーブルと椅子が2脚。壁に飾られた写真と絵。店の奥、つきあたりの棚に並べられた本と装飾品。その手前の壁際に置かれた二人がけのソファ。どれもがその場所になじんでいてお店の雰囲気を作り出していた。
そして一番メインのショーケース。それは低いかすかな振動音をたてて、入口から奥へとつづく。中にはもちろんおいしそうな洋菓子がきらきらの存在感をはなっていた。
「うわぁ…」
未央は吸い寄せられるようにショーケースの前に立つ。いつも見ているケーキたちとはどれも少し違っている。つややかなイチゴの乗ったショートケーキのクリームはうすいグリーンをしていたし、くりの渋皮煮が乗ったモンブランはマロンクリームの上にピンク色のクリームが重ねられていた。つるんとしたドーム型のチョコレートケーキはスポンジがオレンジ色で、小ぶりのシュークリームのシューはいろんな色の種類がある。
「こんなの初めてみた…」
つぶやいた未央の目はうっとりと夢を見ているようにうるんでいた。
「そう?それはうれしいね」
未央のようすがおかしいのか、笑いをこらえるようにお兄さんは目を細める。いつの間にかショーケースの向こう側にいた。
ふと、それぞれの洋菓子にそえられた値段の書かれている説明書きを読んでみると不思議なことが書いてあった。

『時間がゆっくり流れるようになるチョコレートケーキ』

 どうしてお菓子にそんな文章がそえられてあるのかと、きょとんとした表情で向かい合うお兄さんと説明書きを交互にみつめる。
 だけどお兄さんはすました顔で少し首をかしげるだけだった。未央は納得できないようすで唇を結び、他の説明書きを読んでいった。

 『言いたいことが言えるようになるチーズケーキ』

 ふわふわのスフレチーズケーキにそえられたその文字に目を止める。チーズケーキは2層になっていて、下の方は黄色い色の生地だった。
(言いたいこと…)
 今日学校であったできごとを思い出してしまう。ケーキを見つめる未央の瞳にだんだんといやな色と怒りが浮かんできた。そのあとにすぅっと情けない気持ちがやってくる。
「なにか言えなくて辛い思いをしたんだね」
 未央の様子をみていたお兄さんは、未央の辛さをそっと受け取ってくれたような表情で静かに語りかける。「今日は開店のお祝いにサービスするよ。そこに座ってな」
 テーブル席を指すとさっそくケーキをお皿に取り分ける。
「そ、そんな、いいです、タダだなんて!」
(おごってくれるってことだよね、これ)
 初めて会った、しかも男の人にケーキをごちそうになるなんて、用心深く人見知りの未央にとってはありえないことだった。
(いくらすてきなお店だろうが、おいしそうなケーキだろうが、そんなすきを見せるなんてありえない!)

 すっと未央の目の前をさっきのチーズケーキが通り過ぎていく。かちゃかちゃと音をたててケーキと紅茶が小さな丸テーブルに並べられる。
 気付くと未央はランドセルを背中からおろして手に抱え、すとんと席についていた。
(ありえない…けど…)
 テーブルに置く振動で2層のチーズケーキがふるんと大きく揺れる。目が離せなくなっていた。(これが今からわたしが食べるケーキ…)
お兄さんが未央の手からランドセルを取り上げ、近くのソファに置いたことにも気付かず、ケーキをぼんやりながめている。

「紅茶はこの砂時計がぜんぶ下に落ちてからね」
言いながら向かい側に座るお兄さん。「君、名前はなんていうの?」
「…未央」
チーズケーキごしに砂時計がさらさらと落ちていくのを見ながら答える。
「今日は嫌なことがあったみたいだね」
お兄さんの声は静かで落ち着いていてとても、ここちがいい。
「…友達が…先生に頼まれたのは友達なのに…」
(どうしてわたしは知らないお兄さんにこんな話をしているんだろう…)
「ピアノのレッスンがあるからって…。かわいそうだから、いいよってわたしがやっとくよって…」
未央の表情がだんだんくもっていく。「でもね…」
「わたし聞いちゃって…その子が他の子と、今日待ち合わせの約束してたの」
「そうか…それは、がっかりしたよね」
砂時計はあともうすこし。お兄さんはティーポットを手に取ると円を描くように軽くゆすった。「未央ちゃんはその子に何も言わなかったの?」
 未央は少し責められているような感じがして、うつむいて答える。「だってショックだったから…」
「それでそのまま先生の用事、未央ちゃんが代わりにやってあげたんだね」
 うつむいたままこくりとうなずく。「じゃあ、用事のあいだ中、すっごくいやな気持ちだよね。用事が終わって帰り道も、今も、家に帰ってからもずーっといやな気持ちが続くよね」
こぽこぽとカップに紅茶をそそぐ音に未央は顔を上げた。うつむいている間に砂時計の砂はぜんぶ下に落ちている。紅茶とそれとは違う、どこかでかいだことのあるはなやかで甘い香りがお店中に広がる。ほっとするようないい香り。
「それなのに、未央ちゃんは言えなかった、どうしてだろう」
(どうしてだろう…)
心の中でお兄さんの質問を繰り返す。
「…うーん、…嫌われたくない、から…?」
「なるほど…」
 お兄さんはびみょうな表情をした。自分の答えがあっているのか、間違っているのか不安になる。「さぁ、どうぞ。紅茶が入ったよ。話はケーキを食べながらでいいからね」

 未央は手にしたフォークでチーズケーキのとがった部分を2層とも一口で食べられるサイズですくいとった。ふわふわで簡単に切り取れる。口にふくむとクリームチーズのやわらかい酸味とトロピカルな風味が合わさって、さわやかに広がる。とてもおいしい。この後味が消える前に、はやく次の一口が食べたくなる。さっきまでのいやな気分はどこかへ隠れてしまったみたいだった。
(言いたいことが言えるようになる…まさか…)
 未央はさっき読んだ説明書きを思い出していた。きっと、お兄さんが面白がって書いているだけなんだろう。ただのケーキにそんな効果があるはずがない。これはただのとってもおいしいケーキに違いない。

 気付くとお兄さんはほおづえをついてこちらを見ていた。近くてちょっとびっくりしたので、椅子の背もたれに背中をおしつけるように距離を取った。
「嘘ついて用事押し付けてくるような子に、本当に好かれたいの?」
 未央はきょとんとお兄さんを見つめる。「だってさ、未央ちゃんに嘘ついても悪いと思わない子なんでしょ?そんな子に好かれたいなんて、未央ちゃんって変わってるね」
(…本当だ…好かれ、たい…?)
 天井をみあげて、首をかしげる。
「その子、また未央ちゃんに嘘ついて用事頼みに来るよ」
 お兄さんの言葉に、その時のことを想像してとてもいやな気持ちになった。
「そんなのいや、好かれたくない…」
「うんうん」
 未央の言葉に何度もうなずいてお兄さんはほほえんだ。「じゃあ、他の理由だよね。少しむずかしいかな」
「う~ん…」
 今日のことを思い出しながら答えをさがす。「んー…、めんどうなことになったら嫌だから…?」

 自分の頼みごとことわるなんて、失礼!とか、あの子文句いうからもう遊ばないでおこうって、ほかの友達に言いふらすかもしれないし…、女の子どうしってフクザツなんだ。いろいろ陰口言われたり、仲間外れにしたり、シール交換の仲間に入れてもらえなかったり…ほーんと、やっかいなんだから。
「女の子ってたいへんなんだよ、お兄さん」
二口目のケーキをほおばりながら、未央はため息まじりに言ってみた。
「あはは、そう、そうかもね」
 お兄さんは軽く笑うけど、目はまじめなままだった。「でもね、未央ちゃんは僕のこと、ちょっと怖がってるよね」
 お兄さんにばれてしまっていたことを知って、未央は目をぱちぱちさせておどろいた。ケーキをあわてて飲み込むと、
「だって、知らない人だし、初めてだし、どんな人かわからないし…」
 早口でまくしたてる。
「何をしてくるかわからないし、どんなことで怒るかわからないから…怖いんでしょう?」
 未央の言葉のつづきのようにお兄さんは話した。

「………」
 未央は言うべきことがわからなくなって、お兄さんの顔をまじまじと見るしかなかった。「……そう、…かも…」
「大丈夫、僕はあまり怒ることもないし、人のいやがることはしないよ」
 それは未央にもちゃんとわかっていた。まだ出会ったばかりだったけれど、この短い時間でなんとなく信用できる大人だということが知れたから。それは紅茶のやさしい香りのせいかもしれないし、ケーキのおいしい味わいのせいかもしれない。
 だって、作るものやその人の好きなものって、その人自体の味わいみたいなものが出るものだと思っていたから。

「未央ちゃんはね、きっと、人の反応が怖いんだよ」
 その言葉の意味を考えながら、フォークを置いた。「文句を言ったり、人と違う意見を言うのが怖いんだ。相手がなにをしてくるかわからないから」
「…お兄さんはこわくないの?」
「僕も怖かったよ。でも今は大丈夫」
「わたしも大丈夫になる?」
「そうだね、そのケーキを全部食べたらきっとね」

「…でも、ね。思ったこと言わなければ、困ったことも起こらないんだよ」
 ケーキと紅茶をゆっくり味わいながら、未央はたずねる。不思議とこのお兄さんには素直に話すことができた。
「そうだよね。でもそれだと、未央ちゃんは今日みたいないやな思いをたくさんするよ」
「どうして?」
「なんでもガマンしてくれる未央ちゃんが好きな人ばかりが集まるからね」
 お兄さんのその言葉に未央は大きなショックを受けた。「たぶん、未央ちゃんがこの人いやだなーって思う人ばかりが周りに集まるようになっちゃうよ。平気でうそつく人とかね」
「そんなの、やだ…」
「でしょう?」
 お兄さんはこの日一番のやさしい笑顔で答えた。「だからね、自分の気持ちにすなおに行動するのが一番いいんだ」

「じゃあ、相手がいやがらせしてきたらどうしたらいいの?」
「いやがらせされたら、未央ちゃんはどう思う?」
「いやだなーって思って、きらいになる」
「それでいいんだよ」
「えー…」
「いやだったら、近づかないでしょう。本人にこういうことしてくるからきらいだって言えばいい。周りの人にも、あの人が苦手だって言えばいい。そうすればだんだんその人と距離がとれるようになるよ」
「えー…できるかなぁ」
「ケーキ、食べたでしょ」
「いや、これケーキ食べたから言えるようになるわけじゃないでしょ!お兄さんが教えてくれたからじゃない!」
「ははぁ、信じてないんだね。悲しいなぁ」
 おおげさに両手をあげ、悲しそうな顔をするお兄さん。
ケーキと紅茶はすっかり未央の胃袋の中へおさめられた。


 タ、タ、タ、タ、
すみれ屋を出た未央の軽やかな足音。さっきまでの足音とは大違い。
『未央ちゃんは、僕をうそつきなんかにしないよね?』
 帰り際、そう言ったすみれ屋のお兄さん。
(ほんと、勝手なんだから)
 ほおをふくらましてみたけれど、どうしても顔がにやけてしまう。
(明日、ちゃんと言うんだ。
べつにお兄さんのためではないけど…)

 今度はおこづかいをたっぷり持ってすみれ屋へ行こう。
つぎはどんな魔法のケーキを食べようか。今からすごく楽しみだった。
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