第1話:魔女の本分。

文字数 4,908文字

 その日ミザリイが帰って来たのは、日が完全に落ちてからだった。
 時計は二十時を少し回っている。コリンは奥の部屋のベッドで未だ爆睡中。おれは何をするでもなく、只々部屋の中でぶらぶらしたり、読めない文字が羅列してる本をぱらぱらと捲って過ごしていた。

「――すまぬな、遅くなってしまった。コリンは……奥で寝ておるのか。やはりこれだけの魔導具の鑑定となると、流石に骨が折れるのだろうな」
 ミザリイは扉を閉じると、すぐに鍔の広い帽子を手に取り、ローブを脱いだ。それぞれ棚に置き場所が決まっている様で、帽子は汚れを払い、ローブは丁寧に折り畳みしまっていた。
 そして、床の上を滑る様に歩き、鍋を火にかけ茶の準備をする。
 流れる様な所作。金髪の美しい少女の無駄と隙の無い行動と言うのは見てるだけで目の保養となる。
「どうした、ぼうっとして。貴様もコリンの相手をして疲れたのか?」
 彼女は愛用の椅子に腰かけ語り掛けてきた。
「いや、おれは特に何かをしたってわけでは無いから。コリンは凄く頑張ってくれたんだと思う。ここにある道具全部の属性鑑定をしてくれて、この金槌にどういう効果があるのかまで特定してくれたから……」
 おれはそう言い、コンビハンマーを彼女の前へと差し出した。その瞬間に、光と闇の反応が発生したのを彼女が見逃す筈も無く「ほう、闇と光の共存とは珍しい」と呟いていた。

 魔紋を刻み五感共有をしているのだから、おれを使役してるミザリイは何から何まで遠くからでも見通せているのかもしれない……と思っていたが、今の反応を見る限りそこまで完璧な繋がりでは無い、ということなのだろう。
「光側で打撃すると傷が癒えて、闇側で打撃すると傷が広がっていた。コリンが自身の身体で試していたし、おれもこの目でその効果を確認したから、間違いない」
 説明を受けた彼女は、指先でハンマーのグリップに触れていた。これで何かしら反応が出たら、少なくともおれ専用の魔導具というわけではなくなるが、ミザリイが触れただけでは、何も変化は起こらなかった。
「ふむ。特定の者の魔力にしか反応せんのか。で、あれば森から持ち帰りここに並べた時もあそこまで注意を払う必要は無かった、と言うことになるな」
 彼女はそう言い、沸いた湯で茶を淹れてくれた。空腹に熱い茶がじんわりと広がる感覚が心地良い。
「コリンは、今おれから漏れ出てる魔力の五倍程度をソレに注いだみたいだけど、微弱な反応しか無かったって言ってた。おれと同等の効果は十倍か二十倍かそれ以上の魔力を使わないと出せないかもって」
 それを聞き、彼女は次に赤い工具箱へと手を伸ばす。そして指先から触れ、手のひらをぴたりと着けた。反応は全くない。おれは待ってる間怖くて触れることも出来なかったのだけれど、彼女は感覚的に自分が触れても問題ないと判断したのだろう。

「確かに、反応せんな。森から持ってくる時は、一時的に魔力を抑え込む不味い薬を大量に飲み、その上魔力を殆ど遮断してしまう糸で編んだ手袋を装着して、更にマグナラタンからも救援を呼んで万全を期したわけだが……くくく、今思うと先にコリンを呼ぶべきだったな」
 言葉は大人びているし老獪にも聞こえるが、その笑みは見惚れてしまうほど可愛らしい。
 それから彼女は、次々と魔導具化した工具に触れ、反応なしとみると手早く工具箱の中へ仕舞いこんでしまった。恐らく、綺麗好きな彼女のことだからいつまでもテーブルの上に工具を出しっぱなしにするのは好ましく無かったのだろう。

「ああ、そう言われてみれば、ミザリイが帰って来たら起こしてくれと、コリンに言われてたんだった」
 おれは咄嗟に椅子から腰を浮かせたが、ミザリイから「まだ良い。あれだけ昏睡状態にあるのだから、起こしても起きんだろう」と言われたので、そのまま腰を下ろした。
「魔女って、あんまり睡眠はとらないんじゃ無かったっけ?それとも属性鑑定って眠らない魔女が昏睡状態になってしまうほど、魔力を消耗するってことなのか?」
「まあ、そういうことだ。普通の魔女は、一日に一つか二つ属性鑑定出来ればいい方だからな。これほど多くの属性鑑定をすれば、疲弊して当然。どうせ短時間で一気に鑑定しよったのだろう?この馬鹿者は……」
 一日に一つか二つと最初から分かってれば、昏睡状態になるほど無茶なことはさせたく無かったが、果たしてコリンの探求心と集中力をおれが抑え込むことが出来るかどうかは定かではない。
「普通の魔女が一日に一つか二つしか鑑定しないのは、それが魔女の本分ではないから……かい?」
「そうだな。以前にも言うた通り、魔女の本分は自らの支配域の繁栄にある。日に幾つもの魔導具の調査をして疲弊しておっては、その本分が疎かになるであろう?」
「って、それってさ?コリンは大丈夫なのかい?彼女の支配域は……」
 今更もう、どうしようも無いが、罪悪感が湧いてきてしまう。そして、そんな重要なことは最初に説明してくれ、とも思っていた。

 しかし、ミザリイは平然としていて。好物の魔力が回復する茶をかなりのハイペースで飲み堪能していた。
「いや、それに関しては案ずる必要はない。コリンは姉弟子のアリアと支配域を共有しておるのだ。いや、共有と言うかアリアの支配域に吸収されてしまったと言った方が良いのか」
「それって、元々はコリン個人の支配域があったってこと?」
 おれの問い掛けに対し、ミザリイは深い溜息を吐いていた。
「貴様もコリンと一日おって気が付いたであろう?この馬鹿者は魔導具に関しては超一流の知識と技術を有しておるが、それ以外の分野に関しては全く関心を示さんのだ。欠落してると言っても過言無いほどにな」彼女はそう言い、奥の部屋へ顔を向けた。
 その視線の先には、未だ健やかな寝息をあげるコリンがあった。
 おれはまだ魔女の支配域がどの程度の広さなのか知らないが、森の周辺にある集落や村なども含まれるらしいから、東京ドーム一個分とかよりも広大な土地なのは間違いないだろう。
 その森や集落の繁栄に、超人的な魔女が寝る間も惜しんで心血を注がなければならない……と考えると、コリンの様な何か一つに特化してるだけの魔女にミザリイや普通の魔女と同じ成果を求めるのは難しいのかもしれない。

「――もしかして、自分の支配域を放置して荒れ放題になって、姉弟子さんが見るに見かねて……みたいな感じかい?」
「ああ、全く以てその通りだ。いや、しかし、これがまた悪いことばかりでは無くてな……」ミザリイはそう言いつつ、空いてしまったおれのコップに茶を注いでくれた。そしてそのまま自分の分も注ぎ語りだす。
「コリンの支配域を吸収したことにより、姉弟子のアリアはこの地域で一番広大な支配域を有する魔女となった。その名は一躍各地の魔女の間にも広まり、彼女の下には多くの有能な人材が集まったのだ」
「なるほど。そしてその有能な人物たちに魔紋を刻んで使役したってことかい?」
「うむ。今やその使役した者たちだけでも、広大な支配域を管理できるほどだと聞いておる。だからこそ、アリアは自分の支配域を出て自分のしたいことに力を注ぐことが出来るし、コリンのことも野放しに出来るということだ。そして、そのコリンは我ら同盟内の魔女にほぼ無償で良質の魔導具を供給してくれるのだからな……」

 そして、その恩恵をおれは既に受けているという事になるのか。
 火傷の治療をしてくれたのはアリアだと聞いているし、工具に関してはコリンがいなければここまで早い進展は望めなかっただろう。
 しかし、そうなると最近マグナラタンに出ずっぱりのミザリイはどうなるのだろう?今日なんて、殆ど支配域から出ていたのだから。
「あの、ミザリイ?」
「なんだ?神妙な顔をしよって。まだ何か不安に思う事があるのか?」
 恐らく、彼女の性質上、おれの存在が彼女にとって多大な不利益だったとしても、それをおれに告げてくることは無いと思う。
 だがしかし、そうと知りつつそれを見て見ぬ振りをするのは、おれの性質上的に出来ないことだった。
「おれがいることで、ミザリイの支配域の繁栄……魔女の本分ってやつに滞りが生じてるんじゃないのか?」
「ほう、そう思うのか。なるほど。貴様なりに魔女の本分を理解はしておると言う事だな」
 それに対しておれは言葉を発せず頷くに留まった。感覚的に理解はしていても口で説明するのは難しいこともあるから。

「――先に答えから申すと、不利益は生じておる。しかし、ほぼ無いと言って良いほどに微小な不利益だ」彼女はそう言い、茶を啜っていた。
 しかし、具体的な説明を聞くまでは「はい、そうですか」と言う気にはなれない。
「それって、なぜ不利益が生じてないか教えてくれるのかな?」
「ああ、全く問題ない。マグナラタン……いや、師匠には、私を図書館へと呼びつけるのなら、支配域の管理の為に図書館の職員を十名以上寄越せと言っておるからな。故に、私はその者たちが支配域に到着せんと図書館へは赴かん。図書館の職員は、師匠が魔紋を刻んだ有能な人間ばかりでな、その能力は申し分無い。故に、生じてる不利益と言うのは、私よりも完璧に支配域を管理するということだな。あやつらは過剰に魔獣を甘やかす故に、最近獣たちの私への甘え方が尋常では無いのだ……。折角長い時間を掛けて厳しく躾けてきたというのに」

 それは想像していたより可愛らしい不利益だった。いや、ミザリイの口振りからすれば微小では無い様な気がするが……。
 と、それよりも気になるのは十名以上もの図書館の職員たちの事で。
「その、図書館の職員ってのは、今日一日、支配域にいたってこと?十名以上も?コリンと工具の鑑定した時に外に出たけど、誰一人会わなかったけどな」
 外に出たと言っても、この家の周辺のみだが、それでも十名以上もいるのだから、一人くらい挨拶に来るか様子見に来てもいいだろう?とおれは思うのだ。
 こういう感覚はこちらの世界では一般的では無いのかもしれないけれど。
「職員どもには、貴様にちょっかいを出すなと言うておるから。師匠が使役してる人間だけあって能力は高いが、如何せん曲者が多いのだ。この家の周囲に立ち入ることを禁じた……と言うか、強力な結界を張っておいた」
「へえ!強力な結界か。だから誰も近寄れないってことか。ちなみに、おれがその結界を越えることは出来るのかい?」
「私が魔紋を刻んだ者は問題なく越えれる。まあ、正直な話……師匠と私の魔紋は図柄が一緒だから、図書館の職員どもも、結界を越えようとすれば難なく越えれるのだ。しかし、それをしたら私にバレるからしないだけの話。私が(へそ)を曲げたら、師匠から怒られるのは職員どもだからな――」

 会話の流れの中でおれの腹がぐぐぐぐ、と鳴り響いた。腹の中の魔獣もこれ以上の空腹には耐えれないのだろう。
「ん?なんだ、貴様、腹が減っておるのか?」
「ああ、かなり空腹だよ。今日一日何も食べて無いから。水とこの茶しか飲んでない」
「そうか、では……今宵は貴様が食事を作ってみるか?」
「そう言えば、次はおれが作るんだったな。そうだなあ……じゃあ、部屋にある食材と塩やら香料やらは、好きに使っていいのかい?」
 おれはそう言い、改めて部屋の中を見渡した。暇な時に部屋の中を探索して、どの様な食材があるのかは、大体把握出来ている。
「好きに使って構わん。折角だから、私とコリンの分も作ってみてくれ。異世界の者が作る料理は、少し興味がある。コリンを起こすのは、料理が出来次第で良いだろう」
「あ、ミザリイたちも食べるわけね。じゃあ、ちょっと気合入れて作るかな。おれ一人ならなんでもいいけど、魔女に振る舞うとなったらそれなりのモノを作らないと、な――」
 取り合えず、おれは席を立ち食材漁りをすることにした。その様子を、ミザリイは興味深そうに見つめていた。
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