一発でいいから

文字数 4,986文字

”一発だけでいいから最後に勇者とやらせて欲しい”

 うーん。これはいまいちだな。さすがに直球勝負過ぎる。
 ため息を漏らしながら、手元の羊皮紙を丸めて部屋の隅にある籠にぽいっと投げ捨てた。
 明日にはこの世界からいなくならないといけない。
 この世界に愛着があるわけじゃない。文句を言いたいやつがいるだけだ。
 
 魔王を倒して帰還の儀までの間、勇者と離れ離れのまま幽閉される身で、あいつと会うために自分が出来るのは、偉い騎士団長様に手紙を書いて許可を乞うことくらいだ。
 なんとかうまい文章は書けないものかと、緑色に輝く二つの丸い月を見ながら机の前で頬杖をつく。夜明けまでには書き上げたいんだがな…。

”親愛なる緑凰騎士団長 フィオナーレ様へ どうかこの世界から退去しなければいけない哀れな獣に御慈悲を下さりませんか?”

 へりくだり過ぎても怪しまれそうだな。 
 鬣を無造作に掻きむしりながら、再び目の前の羊皮紙をちぎって捨てながら、虹色に光る羽根ペンでトントンと軽く机を叩く。
 
”魔王亡き今、王都の皆様方が勇者を疎ましく思っていることは知っています。自分も勇者に恨みがないわけでもありません。この世界から退去してしまう哀れな獣の細やかな願いです。どうか最後に勇者と会わせてください。勇者に恨みを少し晴らすだけでいいんです”

 これでなんとか許可は出るだろうか?
 書き上がった文面を見直して見たがなかなかいい出来だ。
 羊皮紙を丁寧に四つ折りにして、部屋の粗末な格子状の扉を手の甲で叩き衛兵が来るのを待つ。

「最後の手紙だ。どうかフィオナーレ様へお目通ししてほしい」

「異世界の獣風情が図々しい…」

 銀色の兜を深くかぶった衛兵は、差し出した手紙を見ると口元を歪めて吐き捨てるように言った。
 格子状の扉の隙間から尾を伸ばして衛兵の首を掴むと、ヒュッと息を飲む音が聞こえる。こいつの喉くらいなら握りつぶしても良かったんだがな…それだとせっかくの作戦が台無しになっちまう。

「こっちは部屋から出られないとはいえ明日帰る身だ。ここで暴れてやってもいいんだぜ?」

「ヒッ」

 ずらりと並んだ牙を見せつけるように笑ってから手を離して、その場で尻餅をついた衛兵に手紙を投げつけて背を向けた。
 ちらりと後ろを見ると衛兵は手紙を受け取り、無事に砦の奥へと逃げるように去っていったようだ。
 干し草が敷かれたベッドに横たわり朝を待つ。窓から見える空がしらんでくる頃、こちらに近付いてくる足音に気が付いて扉の方へと目を向けた。
 扉の向こうには、昨日とは違う衛兵がニヤニヤしながら立っている。

「騎士団長からの許可が出た。四ツ鐘の刻に執り行われる帰還の儀が発動したら勇者会わせてやろう。なに…あの勇者を我々も不気味に思っていたところだ。それに…」

 ニヤニヤと口元を歪ませた衛兵は、格子状の扉に寄りかかるように近寄り、声を潜めた。

「田舎町から出てきた農民風情にこき使われてお前もつらかっただろう。あんたに一発でもぶっぱなされれば処刑の前に弱らせる手間が省けるってもんだ」

 この衛兵の態度を見てもわかるとおり、勇者は王都に住む連中からは疎まれているんだな…薄々気が付いていたけども。

「処刑…?魔王を倒した勇者は天の神々へお目通りするのでは?」

「そうだ。しかし、天の神々には肉体を捨てないと会えないのだ。勇者殿が城に初めて来た時に出来た歴史の薄い伝説なもんだから、本当に天の神々なんぞいるのか俺は知らんがね…カカカ」

「なるほど。こりゃ遠慮する必要なんてねぇな」

「思いっきりぶっ放してくれよ。俺も戦場に出たクチだが、あんたの強烈な一発のファンなんだぜ?手足の一、二本折っても構いやしないんだ」

「ああ…」

 衛兵は、機嫌よく一人語りをしたあと扉の隙間から最後の朝食を差し入れて去っていく。
 これであいつに会う手筈は整った。
 きっとあいつは、自分が何かされると知っていても薄気味悪い微笑みを顔に張り付けて聖人みたいな顔をして壇上に立つんだろう。クソ喰らえだ。

 部屋の中で数少ない荷物をまとめていると、複数人の足音が聞こえて姿勢を正す。音の方を見ていると格子状の扉に手がかかる。

「世界を救った勇者の剣、異世界からの来訪者(サモナー)よ。帰還の時がきた。魔王を倒すという大役、ご苦労だった」

 白銀の鎧に若草色のマントを羽織ったフィオナーレを先頭にしてやってきた数人の騎士たちは扉の施錠を外側から解除してゆっくりと扉を開く。

「許可はもらえたが、まさか騎士団長殿直々にお迎えが来るなんてな…なにか特別な用件が?」

 扉を潜って外へ出ると、フィオナーレと衛兵がそっと身体を寄せ、辺りに人影がないか確認するかのように周囲を見回す。

「直接話したいことがあってな。移動しながら話すとしよう」

 全く上品なお国柄だぜ…と笑ってしまいそうになるのを耐えていると、フィオナーレは両脇を衛兵に守らせて前を向いたまま声を潜めて話し始めた。

「勇者の処遇についてだが、君の手紙を読んで思うところがあってだな」

 腰にぶら下げている立派な剣に手を添えた騎士団に厳重に守られながら砦の中でも人通りが少ない道を歩いていることに気がつく。少し遠回りすることに身構えながら彼女の言うことに耳を傾ける。

「奴に恨みがあると言ったな?。提案があるんだ」

「恨みも言ってやりたい文句も山ほどありまさぁ」

「それならば…君に勇者を殺す機会をやろう。なに、君は帰還する前にサクッと自慢の一撃で勇者に

入れてくれればいい。後々の処理は我々が引き受けよう」

 頭の高い位置で一つにくくられたフィオナーレの銀色の髪が風に吹かれて揺らめく。こちらを振り向いた彼女の若葉色の瞳に憎悪が宿っているのがわかる。
 文武両道、容姿端麗、公正明大と言われている騎士団長殿の口元は醜く歪んでいた。

「勇者を裏切った獣っていう汚れ役をやれと?」

「いや、君は勇者の目論見に気付き、勇者の叛逆を止めた英雄になるのだよ。あの聖人ぶった微笑み、化け物のような魔力、そしてろくに訓練も受けた訳でもない田舎育ち風情には分不相応な剣技…どんな無茶な指令でも微笑んだまま帰ってくる豪運…ああ…見ているだけで不愉快だ。神々に会うために肉の檻から解き放とうという案も民衆が激しく抵抗をしているときた。まったく忌々しい存在だ」

「麗しの騎士団長殿とは思えない人間らしい表情だねぇ…あの聖人じみた勇者よりよっぽど親近感が持てるってもんだ」

「…まぁいい。この王都の…いや、世界の英雄となるチャンスだ。きちんとあの勇者を屠ってくれまえ」

 チッと小さな舌打ちをした後、すぐにスッといつもの澄まし顔に戻って前を向いたフィオナーレは帰還の儀を行うために広場に誂えた舞台の裾でコホンと小さく咳払いをして立ち止まる。
 隣に習って目線を前に向けると、しばらく会ってなかったあいつの姿が目に入った。
 分不相応に見えるやたら豪奢な服を着せられて、別れる前に見たときよりやつれている勇者はこちらに気がつくと相変わらず気持ちの悪い微笑みを浮かべたまま頭を軽く下げてみせる。

「これより異世界からの召喚者を帰還させるための儀式を行う」

 高らかに角笛が鳴り響き、太鼓の音と広場に集まった人々の歓喜の声が響きわたる。
 濃い灰色のローブを身にまとった数人の魔法使いが行う詠唱によって舞台の中央には複雑な魔法陣が描かれていく。

 衛兵に両脇を固められたまま壇上にあがると、人々の歓声は一層大きくなった気がした。
 青く光る魔法陣の中に足を踏み入れると、なんだか生暖かい風が吹いているのがわかる。これは、故郷の香りだ。直感的にそう思った。
 異世界に来て数年、よくわからないまま勇者に召喚獣として使われ、共に旅をしてきた。魔王を倒してやっと帰るときが来たのかと思うと感慨深くなる。
 あとは…最後の目的を果たすだけだ。

 舞台の裾にいたフィオナーレが壇上に上がって両手を上げると、人々は水を打ったように静かになった。
 しんと静まり返った人々に満足そうな表情を浮かべたフィオナーレは、帯刀していた剣を抜き天高く掲げてこちらを向いた。

「異世界よりの来訪者よ。貴殿はこの世界でよく働いてくれた。魔王討伐に留まらず、貴殿はさらなる我らが繁栄を祈り、一つの助言をくださった。それは…」

「勇者ルッティオが、次なる魔王になろうと目論んでいるという驚愕の事実だった…。仕えていた主人を裏切るのは心苦しいが…世話になった国の新たな危機を見過ごせないという貴殿の騎士道精神に私は非常に感激した…」

 どよめきはじめる観衆たちをよそに、勇者は相変わらず微笑みを絶やさないままだ。

「静粛に!静粛に!仕えていた者として勇者の召喚獣殿は一つの決断を下したのだ。帰還する前に勇者を粛清してけじめをつける…と。勇者ルッティオよ、なにか申し開きはあるかね?」

 勇者はこちらを見て少し淋しげに目を細めただけで、無言のまま首を横に振る。そして、手に持っていた宝剣を足元に落とすと、無防備なまま舞台の中央…光り輝く魔法陣の前に立った。

「許可は出た。最後ってことで派手に一発やらせてもらうぜ」

 魔法陣の光が強くなっている。体中の鱗が逆立つような感覚に襲われながら、目の前にいる勇者を睨みつける。
 最初はピーピー泣いてばかりの頼りないやつだったのに、いつからこんな微笑みを顔に張り付けたままのつまらないやつになったんだよ。
 苛立ちを抑え切れないまま、両手の爪を出して牙を剝きながら尾を左右に大きく揺らすと、さっきまで静かだった観衆は好き好きに罵倒やヤジを飛ばし始めた。

「俺を故郷から引きずり出してきた憎き勇者。ざまぁみろ…お前の好きになんてさせないぜ」

 腕を振り上げて勇者に振り下ろした。そして、勇者の柔らかな首にそっと指を回す。
 青く光る魔法陣から吹く風が強くなり、故郷の魚と緑の臭いが混じった懐かしい香りが鼻腔を刺激する。
 観衆達からの「殺せ」というコールが響く中、尾を伸ばしてさっきまで勇者がいた場所にある宝剣を尾の先で掴んだ。

 宝剣を掴んだまま尾を横に思いっきり薙ぐと、しっかりとした肉を切る感覚が伝わってきて、舞台の上には血飛沫が飛び散り、観衆たちからの悲鳴がそこかしこから聞こえてきた。

「なん…で…」

「貴様!話が違うぞ!?」

 鎧の上から胸元を叩き切られたフィオナーレは、両膝を付きながら驚愕の表情を浮かべている。
 やっと微笑みを崩して、目を丸くしている勇者をこの手にしっかりと抱き寄せたまま、尾をもう一度振り回し、膝をついているフィオナーレの喉元に宝剣を突き刺した。
 噴水のように血飛沫が上がるのを見て満足しながら、魔法陣の中に引きずり込んだ勇者の顔をしっかりと両手で掴む。

「お前への文句はたった数秒なんかじゃ言い切れねーんだよ。だから、何十年もかけて言わせてもらうぜ。元の世界で、ゆっくりとな」

「でも…僕は…勇者だから…ちゃんと責務を果たさなきゃ…神様に僕が会って儀式を済ませないと…魔王の封印が完全にはならないって…」

「そんなあからさまな嘘を信じるところも、自己犠牲すればなんでも済むって思ってるところも全部大っ嫌いだ。ほら、一緒に行こう?あたしの故郷なら二人で幸せになれる。勇者としての義務なんて忘れちまえよ」

 そのまま涙を流す勇者の柔らかな唇に、自分の嘴をそっと重ねると、魔法陣は一層強い光を放ち始め、吹き上がる風であたしの鬣も勇者の柔らかな金色の髪も上にたなびく。

 魔法陣から放たれる光でいよいよ外が見えなくなる寸前、昨日別に書いておいた手紙をしたためた巻物をそっと放り投げた。
 これが本当のこの世界への最後の手紙だ。

"ざまあみろ!ルッティオがお人好しだからってなんでもかんでも背負わせて用済みになったら処分なんて考えやがって!魔王を倒した勇者に酷い仕打ちをするこんな世界なんて滅んじまえ!"
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