16、

文字数 4,637文字

「きれいに結い上げてちょうだい」
 十八歳になった王太子ルバートが妃を選ぶ舞踏会の当日。
 鍋いっぱいのミルクにひとすくいだけ木苺ジャムをたらしたような、まろやかな淡紅の繻子のドレスをまとったリンコレッタは、鏡に向き合い、嬉々と言った。
「少しでも痛かったりしたら、承知しないんだから」
「大丈夫、まかせて」
 アーレインはピンに櫛、髪紐、花飾りをサイドテーブルに並べ、リンコレッタのやわらかな金髪に指を差し入れた。
 高い位置で髪を三房に分け、そのひと房をていねいに編む。編み終えた先を紐できつく結び、後頭部で丸くまとめてピンをとめる。
 まじない師は器用でなくては務まらない。薬草の調合に毒草の取り扱い、護符作りに、幻影の編みかた――いずれも集中力と技術が必要とされる。護符のために複雑な紐結びをすることに比べれば、髪を結うのはむずかしいことではなかった。実際、ディッセルベーンでは町の祭りや祝い事のたび、おませな少女たちの髪を飾ってやったものだ。
 アーレインが左に分けた髪を編みこむあいだ、右側では、宙に浮いた髪がおのずと編みこまれていた。余った髪を巻きつけてピンを入れ、細かな三つ編みでレースのふちどりのように耳の上を飾る。
 全体の具合を見、最後にアーレインが軽く手招きすると、浮かび上がった花飾りがまとめ髪の横におさまって彩りを添えた。
「よし、できあがり」
 正面からは見えない後ろの部分を、手鏡で鏡台に映して見せると、リンコレッタがほうとため息をついた。右、左、斜め上、下。いろいろな角度からたしかめ、編まれた髪にふれてみる。
「意外な特技があったものね」
「素直にほめなさいよ」
「すばらしいわ。ありがとう」
 あからさまな棒読みは、リンコレッタの照れ隠しだ。アーレインは笑いを噛み殺しただけで、言い返しはしなかった。
 軽くノックが響き、アーレインが返事をすると黒い頭がひょっこりのぞいた。アイルだ。
 彼も濃紺のヴェストコートを着こみ、瞳と同じ薄紫のブローチをとめている。少々長すぎる前髪を形よく整えたそのいでたちは、とても辺境領からやってきたようには思えないほどに洗練されていた。
 その貴公子らしく装ったアイルが、リンコレッタを前にして、ぽかんと大口をあけた。
「……ちょっと。何か言ったらどうなの」
 ようやく我に返っても、賛辞を贈るどころか、ほとんど弱音だった。
「僕、リンコレッタが皇王妃候補に選ばれても、責任とれないよ」
「あなたが責任感じることなんてないじゃないの」
「そんなことになったら国中がひっくり返るから、言っているんだよ」
 アイルが薄桃色の紅をさしたリンコレッタの唇から無理に視線をはがそうとするさまを見て、アーレインは察した。アイルの耳は(すもも)のように染まっている。
「王太子も宮廷の人も、君のわがままには耐えられっこないんだ。君とうまくやっていける人間なんて、とても奇特なんだよ」
「あなたともヒュルストー様ともアーレインとも、わたくしはうまくやってるつもりだわ」
「だから、僕たちが奇特なんだよ」
 花のかんばせにいらいらと棘をのぞかせ始めたリンコレッタを見かねて、アーレインはそっとささやいた。
「あのねえリンコレッタ。つまり王太子にわたすのがもったいないくらい、リンコレッタはきれいだってアイルは言っているの。あんたが王太子に選ばれてほしくないのよ」
「そんな殊勝なこと、アイルが考えているわけないでしょう!」
 頬を火照らせ、リンコレッタはすっとんきょうな声を上げた。
「どこの馬の骨とも知れないで養子になったアイルと田舎に埋もれているよりも、わたくしがアルソレイムの玉座に座ったほうが、亡くなったお父様もお母様もきっと喜んでくださるんじゃないかしら」
「リンコレッタ、本心でないにしても言いすぎでしょう」
「どうして本心ではないなんて決めつけられて?」
 リンコレッタの両親――ライナスの兄夫妻は、事故に見せかけてバイスンに殺されたのだ。それを知らないリンコレッタは、無理に笑顔をつくろうとしたアーレインを不思議そうに見上げただけだった。
「さて! エスコートはヒュルストーがするんでしょう?」
「え、ええ」
 リンコレッタはうなずいて、
「ヒュルストー様は、わたくしのお兄様という設定だから。アイルは同行してきた遠い親戚ね」
「アイルがエスコートしてもいいんじゃないの?」
「駄目だわ。アイルの髪は黒いもの」
 彼女はきっぱり言いきった。
「金髪と黒髪の兄妹なんて、なかなかいたものではないでしょう? 兄がいるのに遠い親せきにエスコートを任せるわけにはいかないわ」
「私は黒い髪だけど、弟は淡い褐色よ」
 リンコレッタは首を横にふった。
「それだけじゃなくって。ヒュルストー様のほうが背も高いし、並んだときに見栄えがするのよ」
 残酷な事実だ。アイルが目に見えて肩を落としていた。
「そう言えば、アーレインはどうするの? 聞いていなかったけれど」
 問われて内心どきりとしたのを、アーレインは表情に出る手前でおしとどめた。
「どうするって?」
「わたくしの従者役といっても、舞踏会のフロアに出るのでしょう? 夜会服がないのだったら貸してあげるわ」
「衣装は大丈夫、バートラムさんが用意してくれたから。私は、少し遅れて行くのよ」
「どうして。従者なら、一緒に来るものでしょう」
「心配しないで。開宴には間に合わないかもしれないけれど、ダンスの時間には合流するつもり」
「……バートラムって三十年くらい前のセンスでしょう? とっても時代遅れなドレスじゃないでしょうね?」
「選んだのはヒュルストーよ」
「まあ! ヒュルストー様がドレスを選ぶだなんて、嵐が来るのではなくて?」
「それは言いすぎじゃない?」
 とりあえずかばいはしたが、たしかに天変地異を心配するほどに、彼が女性用の夜会服を選ぶ姿は想像がつかなかった。
 ――だってライナスが今晩のために用意させた衣装は、ドレスではないのだものね。
「そういえばアイル、あなた、何か用事があってここへ来たのではない?」
 髪がどこもほつれていないのをもう一度確認して、スカートのひだを直しリンコレッタは立ち上がった。
「忘れてた。ヒュルストーに、準備が終わったらリンコレッタを連れてくるように言われていたんだ」
「だったら、あの堅物にこのお姫様を見せつけてやるといいわ」
 リンコレッタの背中を押して送り出した。
 リンコレッタを追いかけると思われたアイルはふと立ち止まり、アーレインに向き直った。灰みを帯びたアメジストの瞳は、リンコレッタに見惚れていた先ほどまでとは別人のまなざしで、アーレインを冴え冴えと見つめた。
「君は、いったいどこまで気づいてる? ……いや、知らされている?」
「なん――のこと?」
「知らされているんでしょ? 僕のこと」
「アイルの、こと?」
 てっきりライナスの素性のことだと思いこんでいたところへ、拍子抜けした気持ちと新たな緊張とが同時に打ち寄せた。
 ――アイルに関することで聞かされた重要な話が、これまでにあった? 
「僕は知らされたんじゃなくて、自分で気づいたんだけども」
 彼は唇の端を歪めて、
「さっきリンコレッタも言っていたけれど――どこの馬の骨とも知れない僕が伯爵家の養子同然なんて、妙だと思わなかった?」
「まったく思わなかったといえば、嘘になるけど……」
 かといって、これといって怪しんだこともなかったのだ。女中のメリルも執事のバートラムもリンコレッタを「お嬢様」と呼ぶのと同様にアイルを「坊っちゃん」と呼んでいたし、アイルも我が物顔で伯爵邸を歩きまわっていた。
 南の塔にただひとり、亡霊が住むという噂まで作り隠されていたライナスとはまるで違い、彼は太陽の下をいつでも堂々と歩いていたのだから。
「――でも」
 彼から、自嘲の笑みが消え去った。そして、
「僕は僕だから」
 アーレインだけではなく、自分自身にも言い聞かせるように。
「ほかの何者でもない。ヘーデンのアイルに違いないから」
 言い置いて去っていった彼の背中は、ヘーデン領でにぎやかでわがままなリンコレッタとともに育っただけの少年のものとは、とても思えなかった。


 馬車が次々と門を抜けていく。
 ライナスとリンコレッタ、アイルが乗った馬車がアルソレイム宮殿に向けて走り出したのを窓から見届けて、アーレインは行李の一番下に入れていた衣装を取り出した。
 膝下まである上衣に柔らかな革のレギンス――アーレインがディッセルベーンで日頃着ていた服と、同じ形のもの。ただ、いずれも影に紛れる黒色で、気候に合わせて薄手の素材が使われている。
 室内着から手早く着がえ、乗馬ブーツを履いた。馬に乗らなくてはならない。乗馬の訓練はライナスの指示で、ヘーデン城館の馬丁頭につけてもらっていた。
 必要な荷物を鞄につめこみ、肩から提げ、ひととき目を閉じる。しん、と世界が沈黙する。何も聞こえなくなる。
 胸の中は張り詰めたまま、身体にふわりと広がるものを感じ、そっと目をあける――成功だ。今のアーレインは、誰の目にも留まらない。目くらましの幻影を動きながらまとい続けるのは骨が折れるが、厩舎にたどりつくまでは保たせることができるだろう。
 半地下に下りると、タマネギやジャガイモの皮がいっぱいに入った籠を抱えて勝手口から出ようとしている下働きの少年を見つけ、その後に続いて外に出た。そのまま厩舎に走り、周囲に誰もいないのを確認して術を解く。
 用意されていたのは小柄な牝馬で、よく訓練が行き届いていた。アーレインのおおざっぱな手綱さばきでも、不満げでありながらも従った。
 アルソレイム宮殿を目指す道の両脇には、名だたる貴族の大邸宅が軒を連ねている。翼を広げた竜紋のフォンティーナ侯、タカと戦斧を組み合わせた印章のバウレン伯、棹立ちになった白馬のガルテン侯。尖塔や装飾ガラスをあしらったきらびやかな城館が並ぶ中、大きく黒い土地のその場所だけ、ぽっかりと建物がないのだった。真黒い地面には、いったい誰の仕業なのか、錆びついた槍と剣が交差し突き刺さっていた。まるで戦死者の墓地だ。
 手綱を引いて馬を止め、鞍の上から眺め遣る。とうにあらゆる城館の貴族の面々は宮殿に出かけた後らしく、あたりに人の気配はない。
 ――妙に胸がざわつくのはなぜだろう。
 にわかにおびえたように足踏みしだした馬をなだめるうちに、思い出した。
「そうだ……ライナスの、紋章」
 交差した槍と剣はシェルパーダ家の家紋だ。彼の左肩にもある紋章。
 ライナスは家族も家もすべて失ったと言っていた。ここに――かつては、彼の家があったのだろうか。ここで、大勢の人々が死んだのだろうか。バイスンのために。
 けれども、そこには何かを呪うような禍々しいものが澱んではいなかった。ひたすらに哀しいだけだ。
「聖母の(かいな)と女神の楽園に、幸いあれ」
 下馬して跪き、聖句を唱えた。花があれば手向けたかった。死者たちのためではなく、自分のために。ここには慰めるべき迷い霊も、祓うべき禍つものも遺されてはいない。
 時間に急かされて立ちあがると、そのまま鞍に飛び乗って、アーレインは再び走り出した。
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