第4話 80年代、不良たちの憧憬とお別れパーティー。
文字数 3,434文字
話を少しだけ戻そう。
僕が小学生の頃は、我が母校となる中学にも校内暴力の嵐が吹き荒れていた。
綿飴そっくりのリーゼントパーマをボンカレーゴールドのパッケージのような赤に染め、これまた真っ赤なカーディガンにダボダボの変形学生服をコーディネイトした不良が、しつこい関節炎にでも悩まされているかのようなしかめっ面でずいずいっとそこいらへんをのし歩いているのを何べんも見た。
その不良どもには『メンチをきる』という因習がある。
メンチをきる、つまり相対する不良を睨みつけること(不良に限ったことではなく、われら一般市民をも巻き込むことがしばしばあるのでタチが悪い)なのだが、これを受けた側の不良は『メンチをきり返す』必要に迫られる。きり返さないと、周囲から不良とは認められない。きり返さなかった不良は哀れ『憶病者 』のレッテルをアロンアルファのような強力なボンドで決して剥がれることのないようべったりしっかりと貼られ、そいつは仲間内からも使いっぱしり的存在、いわゆるパシリとして取り扱われることとなる。
もちろんメンチのきり合いから実戦に発展することもある。だが多くのパターンは目が合い、愛を語らうマスオさんとサザエさんもかくやという距離まで近づき合い、どぎつくメンチをきり合い、そしてどちらからか離れる(互いの姿が確認できなくなるほど距離が開くまで目を離してはならない)というシステムに落ち着いているようだった。そういうシーンも、僕は何べんも見た。見るにつけ、
「こいつらをもうすぐ先輩と呼ばなくてはいけなくなるのか……中学に行ったら、一体どんだけ理不尽かつ恐ろしい後輩イビリをされるんやろう?」
と恐怖的妄想を極限まで膨らませ、ランドセルの中のカンペンケースやソプラノリコーダーがかたかたかた、と音をたてるくらい震えた。
ところが僕達の代が入学したちょうどその年、凶悪でシリアスな不良達はきれいさっぱり卒業した。校内にはそれなりに平和なムードと、教師達のやれやれこれで一旦は肩の荷が降りた、といった空気がほんわりと漂っていた。
ほっとしたものの多少肩透かしを喰った感もあり、イビられる心の準備もある程度済ませていた僕達はなんとなく、穏やかなドナウ川の流れに身を任せる木の葉のように穏やかな不良になった。
もちろんそこには「先輩達がウチに点けたワルのトモシ火、ぜってぇ絶やしません!」といった体育会系オラオラROOKIES風勢いは皆無だった。
僕達がユルい不良になった理由はただ一つ、「ただなんとなくそっちの方がかっこいいと思ったから」である。マンガ『BE-BOP-HIGHSCHOOL』や『湘南爆走族』がヒットし、ヤンキースタイルの一つの潮流みたいなものが確立されようとしていた時代だ。それらには喧嘩が強く、女の子には優しく、凶暴で純粋でちょっとエッチで少年のような瞳と熱い魂を失わない、一生ついていきたくなるようなイカした不良が描かれていたのだ。
まあとにかく、千里ニュータウンとは名ばかりの(というよりはいかにもニュータウン的な)片田舎に住んでいるティーンエイジャーにとってのアクションのきっかけは、「かっこいいか、悪いか」の一点に尽きる。それは多分ゆらぐことのない真実だろう。まあそんな軽いノリで不良になったせいで、する必要もないくだらない小競り合い的喧嘩をちょこちょことする羽目になったのだけれど。
そんな僕達が、
「おれ達もロックバンドを組もう!」
となるのは、今思えばごく自然の成り行きだったのかもしれない。
当時、簡易的なバンドを組んでいるヤツはそこらへんに焼き芋のようにごろごろ転がっていた。そんな焼き芋どもはみんながみんな兄貴のライダースジャケットとレザーパンツ(もちろん合成皮革製)をこっそり身につけ、これまた兄貴のエレキギター(もちろん中国製)をこっそり部屋から持ちだして、兄貴の整髪料をでたらめにつけて髪を立て、兄貴の部屋の姿見の前で氷室京介や布袋寅泰のものまねをしてうっとりと悦に入っては、そのあと兄貴にアゴがずれるぐらい思いきりぶん殴られたり張り倒されたりしていた、そんな時代だったのだ。
日本中の不良少年、もしくは不良少年に憧れているティーンエイジャーの多くがバンドブームの熱に浮かされていた。
九月の終わりにさしかかっても、その年はなぜか蝉がやかましく鳴き狂っていた。
わーんわーん、と建物に反響する蝉の大合唱の中、ホームルームは粛々と行われていた。僕は机に突っ伏しながら、担任の松井先生が話す言葉を聞き流していた。
「蝉もたかだか十センチそこそこの身体でそれだけのボリュームで鳴いてたら一週間で死んでもしょうがないだろう」
などと暑さに浮かされた頭でぼんやりと考えながら。
僕は月が煌々と辺りを照らす夜の浜辺を、憧れのクラスメイト・日高あかねを助けるために疾走していた。僕は走るのがことのほか苦手で、体育祭の時などは数日前から鬱病のチンパンジーのようなテンションになってしまうのだが、その時の僕の足は羽のように軽く、バネのように弾んでいた。なんだ、こういうふうに走ればスピードが出るんだ、こんな簡単なことだったんだ、これがコツだったんだと僕は思った。ともあれ速く走って、崖の上の灯台に幽閉されている日高あかねを助けなければならなかった。
灯台に着くと、黒いシルクハットに黒いマントを纏った悪者がいた。その悪者を見た途端、僕は自分のイメージの貧困さに少しがっかりした。その悪者は左手で日高あかねの手首を掴んでいた。
「日高。おれ、助けに来たぞ」
日高あかねは、なぜか標準語で話している僕の声を聞き、ほっとしたような、助けに来たのが僕であることが少し残念であるような実に微妙で曖昧な表情を浮かべた。
悪者がシルクハットを僕に向けて投げつけた。僕はそれをネコ科動物のような敏捷さでひらりとよける。
悪者の正体は松井先生だった。
何故か僕はやっぱりな、と思い、松井先生の、いや悪者の言葉を待った。
「墨田よ。三月の卒業式のあとに、卒業生お別れパーティーをやることになったぞ」
ばかでかい声で松井先生は朗々と言った。
「二年の君達もパーティーには参加できるぞ」
こんな込み入った状況で悪者がする話じゃないことは百も承知だったが、僕はまたしてもやっぱりな、と思いながらその話を自然に受け止めた。その辺りでもう、これが夢であることがはっきりとわかった。
「……もちろん参加は自由だ。何かかくし芸みたいなことをするでもいいし……」
僕はむっくりと顔を上げ、よだれを拭いた。斜め後ろを振り向いて松木を見ると、やはり座したままの姿勢で両腕を胸の前で組み、白目を剥いてぐっすりと眠り込んでいた。松木はどんな夢を見ているのか、時折ねっとりとしたしめっぽい微笑みを浮かべ、「ぬふ」などと官能的な息を漏らしていた。
「……バンドで演奏する、なんてのもオーケーだ」
ぴく、と僕の耳が担任の言葉に反応した。
バンド? で、演奏? え、バンド?
今、バンドで演奏する、と先生は言わなかったか?
「プリントを配るからよく読んでおくように。参加希望者は先生までな」
ワラ半紙のプリントが前から回ってきた。そこには、
『生徒会執行部より〜卒業生お別れパーティーについて・参加者募る!』
と印刷されてあった。
パーティー。
バンド演奏オーケー。
参加者募る。
キーワードがぽんぽんぽーん、と頭に飛び込んできた。
「バンド演奏オーケー」
僕はぽつりと口にしてみた。
バンド演奏オーケー。不思議だ。口にしてみると、むらむらむら、と心の奥底から何か熱いものが湧き上がってくる。
ひょっとしたら。いや、ひょっとしたら。
心の中にもやもやと渦巻いている極彩色のまだら模様を、一つの美しい色に混ぜ合わせることが、ひょっとしたらできるかもしれない。確信などどこにもないが、その時確かにほんの少しだけ、何か手ごたえのようなものを感じた。
振り返って松木を見ると、両手でプリントを持って凝視していた。
そのあと先生がどんなことを喋っていたか、心臓の鼓動と蝉の大合唱がうるさくてあまりよく聞こえなかった。ふと斜め後ろの席の日高あかねを見た。彼女はもうプリントを鞄にしまっていた。僕は日本舞踊を思わせる、日高あかねの淀みない一連の動きを盗み見た。そしてほんの少しだけ、夢に出てきた日高あかねの不思議な表情について考えた。
僕が小学生の頃は、我が母校となる中学にも校内暴力の嵐が吹き荒れていた。
綿飴そっくりのリーゼントパーマをボンカレーゴールドのパッケージのような赤に染め、これまた真っ赤なカーディガンにダボダボの変形学生服をコーディネイトした不良が、しつこい関節炎にでも悩まされているかのようなしかめっ面でずいずいっとそこいらへんをのし歩いているのを何べんも見た。
その不良どもには『メンチをきる』という因習がある。
メンチをきる、つまり相対する不良を睨みつけること(不良に限ったことではなく、われら一般市民をも巻き込むことがしばしばあるのでタチが悪い)なのだが、これを受けた側の不良は『メンチをきり返す』必要に迫られる。きり返さないと、周囲から不良とは認められない。きり返さなかった不良は哀れ『
もちろんメンチのきり合いから実戦に発展することもある。だが多くのパターンは目が合い、愛を語らうマスオさんとサザエさんもかくやという距離まで近づき合い、どぎつくメンチをきり合い、そしてどちらからか離れる(互いの姿が確認できなくなるほど距離が開くまで目を離してはならない)というシステムに落ち着いているようだった。そういうシーンも、僕は何べんも見た。見るにつけ、
「こいつらをもうすぐ先輩と呼ばなくてはいけなくなるのか……中学に行ったら、一体どんだけ理不尽かつ恐ろしい後輩イビリをされるんやろう?」
と恐怖的妄想を極限まで膨らませ、ランドセルの中のカンペンケースやソプラノリコーダーがかたかたかた、と音をたてるくらい震えた。
ところが僕達の代が入学したちょうどその年、凶悪でシリアスな不良達はきれいさっぱり卒業した。校内にはそれなりに平和なムードと、教師達のやれやれこれで一旦は肩の荷が降りた、といった空気がほんわりと漂っていた。
ほっとしたものの多少肩透かしを喰った感もあり、イビられる心の準備もある程度済ませていた僕達はなんとなく、穏やかなドナウ川の流れに身を任せる木の葉のように穏やかな不良になった。
もちろんそこには「先輩達がウチに点けたワルのトモシ火、ぜってぇ絶やしません!」といった体育会系オラオラROOKIES風勢いは皆無だった。
僕達がユルい不良になった理由はただ一つ、「ただなんとなくそっちの方がかっこいいと思ったから」である。マンガ『BE-BOP-HIGHSCHOOL』や『湘南爆走族』がヒットし、ヤンキースタイルの一つの潮流みたいなものが確立されようとしていた時代だ。それらには喧嘩が強く、女の子には優しく、凶暴で純粋でちょっとエッチで少年のような瞳と熱い魂を失わない、一生ついていきたくなるようなイカした不良が描かれていたのだ。
まあとにかく、千里ニュータウンとは名ばかりの(というよりはいかにもニュータウン的な)片田舎に住んでいるティーンエイジャーにとってのアクションのきっかけは、「かっこいいか、悪いか」の一点に尽きる。それは多分ゆらぐことのない真実だろう。まあそんな軽いノリで不良になったせいで、する必要もないくだらない小競り合い的喧嘩をちょこちょことする羽目になったのだけれど。
そんな僕達が、
「おれ達もロックバンドを組もう!」
となるのは、今思えばごく自然の成り行きだったのかもしれない。
当時、簡易的なバンドを組んでいるヤツはそこらへんに焼き芋のようにごろごろ転がっていた。そんな焼き芋どもはみんながみんな兄貴のライダースジャケットとレザーパンツ(もちろん合成皮革製)をこっそり身につけ、これまた兄貴のエレキギター(もちろん中国製)をこっそり部屋から持ちだして、兄貴の整髪料をでたらめにつけて髪を立て、兄貴の部屋の姿見の前で氷室京介や布袋寅泰のものまねをしてうっとりと悦に入っては、そのあと兄貴にアゴがずれるぐらい思いきりぶん殴られたり張り倒されたりしていた、そんな時代だったのだ。
日本中の不良少年、もしくは不良少年に憧れているティーンエイジャーの多くがバンドブームの熱に浮かされていた。
九月の終わりにさしかかっても、その年はなぜか蝉がやかましく鳴き狂っていた。
わーんわーん、と建物に反響する蝉の大合唱の中、ホームルームは粛々と行われていた。僕は机に突っ伏しながら、担任の松井先生が話す言葉を聞き流していた。
「蝉もたかだか十センチそこそこの身体でそれだけのボリュームで鳴いてたら一週間で死んでもしょうがないだろう」
などと暑さに浮かされた頭でぼんやりと考えながら。
僕は月が煌々と辺りを照らす夜の浜辺を、憧れのクラスメイト・日高あかねを助けるために疾走していた。僕は走るのがことのほか苦手で、体育祭の時などは数日前から鬱病のチンパンジーのようなテンションになってしまうのだが、その時の僕の足は羽のように軽く、バネのように弾んでいた。なんだ、こういうふうに走ればスピードが出るんだ、こんな簡単なことだったんだ、これがコツだったんだと僕は思った。ともあれ速く走って、崖の上の灯台に幽閉されている日高あかねを助けなければならなかった。
灯台に着くと、黒いシルクハットに黒いマントを纏った悪者がいた。その悪者を見た途端、僕は自分のイメージの貧困さに少しがっかりした。その悪者は左手で日高あかねの手首を掴んでいた。
「日高。おれ、助けに来たぞ」
日高あかねは、なぜか標準語で話している僕の声を聞き、ほっとしたような、助けに来たのが僕であることが少し残念であるような実に微妙で曖昧な表情を浮かべた。
悪者がシルクハットを僕に向けて投げつけた。僕はそれをネコ科動物のような敏捷さでひらりとよける。
悪者の正体は松井先生だった。
何故か僕はやっぱりな、と思い、松井先生の、いや悪者の言葉を待った。
「墨田よ。三月の卒業式のあとに、卒業生お別れパーティーをやることになったぞ」
ばかでかい声で松井先生は朗々と言った。
「二年の君達もパーティーには参加できるぞ」
こんな込み入った状況で悪者がする話じゃないことは百も承知だったが、僕はまたしてもやっぱりな、と思いながらその話を自然に受け止めた。その辺りでもう、これが夢であることがはっきりとわかった。
「……もちろん参加は自由だ。何かかくし芸みたいなことをするでもいいし……」
僕はむっくりと顔を上げ、よだれを拭いた。斜め後ろを振り向いて松木を見ると、やはり座したままの姿勢で両腕を胸の前で組み、白目を剥いてぐっすりと眠り込んでいた。松木はどんな夢を見ているのか、時折ねっとりとしたしめっぽい微笑みを浮かべ、「ぬふ」などと官能的な息を漏らしていた。
「……バンドで演奏する、なんてのもオーケーだ」
ぴく、と僕の耳が担任の言葉に反応した。
バンド? で、演奏? え、バンド?
今、バンドで演奏する、と先生は言わなかったか?
「プリントを配るからよく読んでおくように。参加希望者は先生までな」
ワラ半紙のプリントが前から回ってきた。そこには、
『生徒会執行部より〜卒業生お別れパーティーについて・参加者募る!』
と印刷されてあった。
パーティー。
バンド演奏オーケー。
参加者募る。
キーワードがぽんぽんぽーん、と頭に飛び込んできた。
「バンド演奏オーケー」
僕はぽつりと口にしてみた。
バンド演奏オーケー。不思議だ。口にしてみると、むらむらむら、と心の奥底から何か熱いものが湧き上がってくる。
ひょっとしたら。いや、ひょっとしたら。
心の中にもやもやと渦巻いている極彩色のまだら模様を、一つの美しい色に混ぜ合わせることが、ひょっとしたらできるかもしれない。確信などどこにもないが、その時確かにほんの少しだけ、何か手ごたえのようなものを感じた。
振り返って松木を見ると、両手でプリントを持って凝視していた。
そのあと先生がどんなことを喋っていたか、心臓の鼓動と蝉の大合唱がうるさくてあまりよく聞こえなかった。ふと斜め後ろの席の日高あかねを見た。彼女はもうプリントを鞄にしまっていた。僕は日本舞踊を思わせる、日高あかねの淀みない一連の動きを盗み見た。そしてほんの少しだけ、夢に出てきた日高あかねの不思議な表情について考えた。