第12話

文字数 1,384文字

 別に卑下しているのではない。
 私は美人ではない。スタイルも少し痩せすぎかと思っている。吉田さんが言っていたように、すぐに寝込みそうな体型なのだ。
 「お客さんには雰囲気あるからね」
 女主人はにっこりした。
 そのとき、二階から声がした。
 「おうい、来てくれ」
 とたんに女主人は怖い顔をした。
 「主人ですよ。こうしてね、つまらん用事で呼ぶんですよ」
 私は立ち上がった。もう帰ろう。サンドイッチと二杯のコーヒーは、私を幸せな気分にしてくれた。『森林』で、私の誕生日を祝って良かったのだ。
 サンドイッチとコーヒーのセットで八百円だった。吉田さんの話では、コーヒーだけで五百八十円だったはずだ。意外に手頃な金額に、私は驚いている。
 「八百円ですか」と私は確かめた。
 「あれ、高かったんかな」
 私が出した千円札を受け取りながら、女主人は笑った。
 「また来てね。話がしたい」
 私は困った。私も女主人と話がしたい。さばさばした性格のようだし、正直な話、私は友達がほしいのだ。独りで生きると決めてはいるが、やはりひとの温もりは魅力だった。
 しかし、自分の娘と私が隣人だと分かったら、女主人はどのような反応を示すだろう。女主人は、娘への不満や悩みを私に話した。吉田さんについて何も知らないかのように、私は女主人と会話をしてしまったのだ。
 自分が嘘をついていると、私は思った。いっそ、今のうちに話しておこうかとも考えた。
 「おつり、忘れんといて」
 女主人は私に二枚の百円玉を渡した。
 私は財布にそれらをしまった。私はまだ考えている。正直に、吉田さんの隣人だと話すのが賢いような気がする。
 「また来てねと言われて、お客さん。返事もせんと、何を考えこんでんの」
 女主人は面白そうに尋ねた。
 「また来ますって、返事してや」
 「また来ます」
 そんな風にしか、私は答えられなかった。
 そうだ、その返事で良いのだ。帰宅してから、どうするか考えよう。
 「おい、早く上がってこい」
 二階からまた声が聞こえてきた。
 「ああ、うるさい」
 女主人はぼやいた。
 「娘がいたら、こんなときに私も楽なんやけどね。今日は学校なんですわ、たぶん」
 私は微笑んだ。私がここに居たら、女主人は二階に上がれない。帰ろう。
 「また来ます」
 私は灰色のドアを押した。女主人は見送ってくれた。
 「気付けてね。お客さんの名前も知らんけど」私は思わず言ってしまった。
 「木内です」
 女主人は妙な顔をした。不思議そうに聞いてくる。
 「木内さんなんやねえ。下の名前は何なん」
 訊かれるままに、私は答えた。
 「木内朝子です」
 「お客さん、律子の近所やね。律子が言うてたわ。近所の木内朝子さんが、店に来るかもしれんって」
 女主人は本当に驚いていた。
 私は真っ赤になった。
 吉田さんの部屋でお茶を飲んだとき、名前を訊かれて、木内朝子と私は答えていた。
 「私も木内さんの顔は知ってたからね、よく二階から見てたから。まさか律子の近所とは」
 私とお茶を飲んで名前を教えあったことを、吉田さんは母親に話していたのだ。
 「すみません。律子さんと話す前から、このお店に来たかったのです」
 誕生日を祝いたくて『森林』に来たのだと、私は話そうとした。
 「おい、早くしてくれ」
 二階から罵声がとんだ。
 「また来てね」と女主人は私に言うと、急いで二階へ上がって行った。






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