文字数 3,841文字


 その後は特に問題が起こることもなく、楽しいだけの時間が過ぎて。
 夕暮れ時が近くなると、文化祭は終わりを迎えることとなった。
 終わりを告げる放送がスピーカーから流れて、名残を惜しむ者も多くいるようではあったが、学校の各所で生徒たちは後片付けをするべく動き出す。
 この頃になると、本来であれば一般客の姿は校内には無いはずだったけれど。 
 その様子を、少女の幽霊と得たいの知れない青年の二人が屋上から眺めていた。
 彼女は屋上の縁に腰掛けて。
 彼はその脇に立ったままで。
「終わりましたねえ、文化祭」
 そして、彼女は後片付けの様子を眺めながら、呟くようにそう言った。
 その顔には、寂しげな笑みが浮かんでいる。
「名残惜しいかね?」
 彼が彼女を見ないまま問いかける。
 彼女は苦笑を浮かべて聞き返す。
「それはどっちのことを聞いてるんですか?」
「君が思いついたものすべてについてさ」
「そうであれば――勿論、何もかもが名残惜しいと思っていますよ」
「出来ることならこの生き方を続けるか――それとも、生き返ったりしてみたいと思うほどに?」
 彼女は彼が口にした言葉を聞いて、眉をひそめながら彼を見上げて、
「……いったい、何を」
 言っているんですか、と言葉は続かなかった。
 なぜなら、彼がじっと彼女の顔を見つめていたからだった。その視線の力に押されて、彼女の言葉は喉の奥に引っ込んでいた。
 それ以上を聞いていない。
 そう言われているようだったから、口を噤んだのだ。
 だから、彼女は彼から視線を逸らして俯いた後で、ぽつりと呟くように言った。
「それは……生き返る形にもよるんじゃないかと思いますけど」
「君の望む通りに生き返れるとして、の話だよ」
「例えば?」
 それを俺に聞くのか、と彼は驚いたような呆れたような、どちらともつかない声を漏らしたが――少し思案するような間を空けた後で言葉を続けた。
「……そうだな。俺が思いつく状態としては、二通りある。
 ひとつは、今の君の状態を変化させるというやり方だ。
 つまり、君に生きた体という器を与えてやる――受肉させるという方法になる。この場合、新しく生まれるのとほぼ同じだからな、戸籍は存在しないことになるわけだが。そこはまぁ、きちんとフォローするさ。その辺の伝手はあるしな。しっかりとその後に続く社会生活が送れるのであれば、十分生き返ったと表現することが出来るだろう。
 ただし、この場合において問題があるとすれば、それは君の両親や友人と関わろうとするときにいちから関係性を築きあげなければならなくなる、という点だろう。この方法では、それまでの君とは別人としての生きていく他に道がない。だから、記憶が残ってしまう以上は辛いと感じることもあるかもしれない。
 残るもうひとつは、時間を戻して事故で君が死ななかったことにするという方法だ。一番単純でわかりやすい解決策だろう?
 もっとも、これを生き返ると表現できるかどうかは微妙なところかもしれんがね。
 過去の死を改変すれば、現在はもちろん生きていることになるだろう。この場合における問題をあえて挙げるとするならば、それは君がその体になってから過ごした、この一年という時間が無意味になるという点だろうが――前者における問題と比較すれば些細なものだろう」
「…………」
「俺に提案できる内容はこの程度だな。
 それで、君はどうする? どうしたい? 
 俺が提案したもの以外でも何でもいい。もしも生き返ることができるのであれば、君はどうするんだ?」
 彼女はしばらく黙って俯いていたが――やがて、顔をあげて彼の顔をまっすぐ見つめながら言った。
 それでも私は消えることを選ぶでしょうね、と。
 彼は面食らったように目を見開いて驚いた後で、吐息をひとつ吐いて表情をリセットしてから少女に問いかける。
「理由を聞いてもいいかな?」
 彼の質問に、彼女はどう答えるべきか悩むように目を閉じた後で、ぽつりぽつりと呟くように言葉を作って口にする。
「最初から、そう決めてたから、です。
 あの時に言ったじゃないですか、私の未練。
 私は私が居なくなったことを傷にして、どこかで誰かがそれを思い出す度に、痛むことがイヤだっただけです。
 ――今思えば、たかだか一人の人間が死んだくらいのことなんて、ちっぽけな傷なんですけどね。
 まぁそれがわかったのは、そう決めた後でしたけど。
 少し経てば埋もれるような、小さな傷なんですよね。だけど、それでも私は、それが埋もれていくのを見届けないまま消えたくなかった。
 ……そう思って、一年も居続けたわけなんですけど。
 こんなに長く居る必要は、なかった気はしないでもないですねぇ。一ヶ月も経てば、家族以外の人たちはそれなりに暮らしてましたし。半年も経てば、家族も少し思い出すくらいで、ちゃんといつも通りになりました。今となっては、私が居ないことがもうすっかり普通になっちゃって、誰も痛んだりしません。感傷に浸ることは、あるかもしれませんけどね」
 一息。だから、と彼女は笑う。
「だから、もう充分なんですよ。見届けるべきものは、見届けましたから」
「それでいいのか?」
 彼が意思を確認するように聞くと、彼女は迷い無く頷いて応じた。そして言う。
「はい。寂しいのは確かですけど、それはそれです。
 まぁ、ある意味で私は、自分の死に場所と死ぬ時間を全て決められるんですから幸せ者ですよ。ただ……」
「ただ?」
 彼女は彼の顔を見て、
「私は死ぬほどの痛みと傷を得たことはありますけど、死んだことはまだ無いので――それがちょっと怖かったりはします」
 はにかむように笑いながらそう言った。
 彼をその顔を見て、ああ、と頷いてから、顔を手で隠しつつ笑い始めた。
「な、なんで笑うんですかっ!」
「いや、すまない。――君はとてもいいな。こんな気分になるのは久しぶりだ」
 謝りながらも、彼は笑い声を止めなかった。
 笑い声が収まるまでしばらくの時間を要した。
「もう。笑うなんて失礼ですよ」
「いや、本当に悪かった」
 そしてそのまま、出会ってから今までの間に起こったいくつかの出来事について、彼女が口を尖らせながら不満を言う様子をしばらく見ていた彼だったが。
「……最後に一曲、聞かせてもらってもいいかな?」
 彼女の言葉が途切れた瞬間に、そんな要望を口にした。
 彼の言葉を聞いて、彼女は口を閉じてちょっと驚いたような表情を見せて固まっていたけれど。
 やがて、わっかりました! と言いながら勢いよく立ち上がって。
「どんな曲がいいですか?」
「君が気持ちよく歌えるものなら、なんでもいいよ」
「何でもいい、っていうのは一番難しいリクエストなんですけどね。――うーん、わかりました。いきますよ」
 そう言ってから、彼女は一度深呼吸を挟んだ後で静かに歌い始めた。
 高く、低く、ラとアの音を響かせてできる流れが彼女の口から紡がれる。
 響く音は静かに、しかし確かな音をもって曲を奏でた。
 それは、そこに込められた純粋な思い――歌が好きで好きでたまらないという気持ちが聞く者に正しく伝わるものだっただろう。
 ――もし、聞く者がいれば。
 そして、
「君がその気持ちを持ち続ければ」
 彼がそう呟くのと同時に、彼女の歌は終わった。
 彼女は歌い終わると大きく息を吐いてから、彼を見て尋ねる。
「どうでした?」
「ああ。あの時と同じ――いや、それ以上に、聞いていて気持ちが晴れやかになるいい歌だったよ」
 彼女は彼の言葉を聞いて、目が弓になるような笑みを浮かべると、
「よかった」
 と安堵の吐息を吐いた。
「心残りなく歌うことはできた?」
「それは……時間が経てば、いくらでも湧いちゃう気持ちですから、なんとも。
 でも、今は歌いきったーって感じで、胸がいっぱいで、気持ちいいですね」
「そうか」
 頷く彼に、彼女は頭を下げた。
「今まで、ありがとうございました」
 上げた顔にはとびきりの笑顔が浮かんでいる。
 彼は彼女の笑顔につられたように、口元を緩めながら問いかける。
「もう行くのか?」
 彼女はその笑みのまま、はい、と頷いた。
「楽しかったです。変ですけど、本当に、楽しかったです。
 ……それじゃ、名残惜しいですけど――いえ、名残惜しいからこそ、これでお別れです」
「寂しくなるな」
「またまたー。そんな感傷は無いでしょうに」
「そんなことはないさ」
 彼女は彼の反応にうれしそうな困ったような、どちらともつかない表情を浮かべた後で、うんと頷いて表情を笑みに戻すと、顔の横で小さく手を振った。
「それじゃあ――さようなら、です」
 直後。
 彼女の体についていた色が失せ、細部が曖昧になり、
「――――」
 ただの靄になったそれは、一瞬すらその場に漂うことなく霧散した。
 それらの変化にかかった時間は、瞬きが終わるより早かっただろう。
「……随分とあっさりしてるもんだ」
 彼は小さく笑いながらそう呟くと、吐息をひとつ、肩を落とす動きと共に吐き出した。
 続く動きでフードを被り、
「さて、そろそろ俺も行くか。――その前に、一仕事してみるのも面白いかもしれないな」
 くく、と喉を鳴らして笑いながら、彼はその場から姿を消した。
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