お岩さんのお取り寄せ
文字数 3,251文字
たしか、よもつへぐい、だったかしら。
黄泉の国のかまどで煮炊きしたものを食べると、もうこの世には戻ってこられないというでしょう。
おいしいのかまずいのか。食べたことがないからこそ、未練たらしくもまだこの世にいるのだけど。
ええ、あたし、死んではいるけど、まだこの世にいるってことでいいのよね?
あたしをこんなにも醜い顔にしてしまった憎い人はとうの昔に死んでしまっているし、もはや怨みつらみも枯れ果ててしまっているから、さっさと成仏したってかまわないのよ。
だけど、この世にはあたしが見たことも食べたこともないごちそうがまだまだあるっていうのに、さっさとあの世に行くにはもったいないと思うわけ。
あたしが恨めしいと化けて出るのは、この世のおにぎり一つも食べられないこと。
亡霊となっておなかがすくということはなくても、なんというのかしら、食べ物を口にしたときの幸せ感、あれはときどき思い出すの。
生きてるときだってたいしておいしいものを食べていたわけでもないのにね。
目の前にあるごちそうをかすめ取ろうにも触れることはかなわない。
やっぱり、あたしはこの世の者ではないと思い知らされるだけ。
瞬く間に時代が移り変わっていって、味すら想像できないごちそうであふれかえっていても、食べることができないなんて。拷問そのもの。耐えきれなくなって、よもつへぐいに手が伸びてしまうのもわかる気がするわ。
そう、それで。ちょっと小耳に挟んだ話しだとね。
お菊さんのお皿。そうよ、あの例のお皿。一枚足りないっていう。自分で割ったのか、隠されてしまったのか、そんなことはあたしの知ったことではないわね。
とにかく、そのお皿。たいそう立派なお皿だと聞いていたけど、そのお皿に盛られたごちそうは、あたしみたいな亡霊でも食べることができるっていうじゃない。
近頃はどこにいても全国のご当地グルメを宅配便でお取り寄せできるというわよね。
お菊さんのお皿はまさに、この世とあの世の狭間にいる者の為のお取り寄せ皿。
そうとなれば行くしかないでしょ。お菊さんが現れるというあの井戸へ。
あたしのことも語り草になるくらいだけど、あのひとも不憫なものよね。まったく、美人だからって得することなんてないんだから。
あら。そうよ、あたしだってこんな顔にされるまでは器量のいい娘だったんだから。
ま、それはおいといて。
行ってみればお菊さんは相変わらずお皿を数えていたわね。
いちま~い、にま~い、ってね。すぐにわかったわ。
声をかけても没頭しているのか、なかなか気づきやしない。
「お菊さんったら」
肩をたたいても素知らぬ顔で皿を数えている。
「三枚、四枚……」
「ねぇ、ちょっと」
「五枚、六枚……」
「今更何枚でもいいでしょうが」
すると、お菊さんはものすごい形相でこちらを振り返ったの。
「何度数えても一枚足りないのよ!」
「お菊さんのせいじゃない。気にすることないわ」
「あなただって自分の顔を気にして、その長い髪で顔の半分を隠しているじゃない」
痛いところを突かれて少しひるんでしまったわ。
あたしの風貌はまさしく幽霊そのもの。
お菊さんのようにきれいに髪を結い上げるなど、おぞましくてできるはずもない。
「七枚、八枚……」
数える手を休めないお菊さんを見ながら、ここで諦めるわけにはいかないと奮い立たせた。
「もう、およしなさいな。それだけあれば用は足りるわ。難癖つけられているだけなんだから、お菊さんは悪くない」
「このお皿は十枚で一組なの。一枚でもかけていたらだめなんだから!」
そのとき気がついたのよ。お菊さんが誰かに取り憑いているのではなく、お菊さんのほうがお皿に取り憑かれていたのだと。
これほどまでにお皿に固執するなんて、そうとしか考えられない。
「そうね、悪かったわ。だけど、そんなに大事なお皿なら、こんなへんぴなところにある井戸端で数えていてはだめよ。場所が悪いんだわ。ついてらっしゃい。あなたも、お皿も、もっと日の目を見た方がいいわ」
どうにかなだめてお菊さんを連れ出したの。
目星をつけていた料亭はちょうど夕飯時で、板前さんたちがめまぐるしく調理場で作業をしていたわ。
作業台に並べられたお皿に仕上がった料理が盛り付けられて、次々と給仕が運び出した。
それはもう見ているだけではどうにかなりそうなほど、おいしそうな料理なのよ。
隙を見てお菊さんに作業台にお皿を並べるよう進言してみたの。
お菊さんはまるで時間の流れなど関係ないように、いつもどおりゆっくりとお皿を数えながら並べていった。
よく見れば薄い緑色をしたなんてことのない瀬戸物だったわ。
板前さんは見たことのないお皿に首をかしげながらも、忙しさで頭が回らなくなったのか、それとも料理が適温で給仕されないよりはましと思ったのか、ガス台から振り向きざまに盛り付けていった。
そしてまた板前さんが次の料理へと取りかかったとき、ここしかないわと、あたしはひといきにほおばったの。
噂どおり、お菊さんのお皿に盛られた料理はあたしの口の中でしっかりと味わえた。
食べるとは、まさにこの世でのできごと。
出汁 のきいた葛餡 に包まれたしんじょは、ふんわりとして、あたたかくて、上品な魚の香りがしたわ。
生前の最後の晩餐がなんであったのか思い出せないけど、何十年かぶりの食事は、これきりとなるのが惜しくなるほど魔性の代物だった。
だというのに、お菊さんは浮かない顔していうのよ。
「やっぱり一枚足りない」
「そんなことより、お菊さんもお食べなさいよ」
「そんなことって、なによ!」
怒って帰って行くお菊さんを慌てて追いかけたわ。
ここで絶交されてしまっては、二度とおいしいものが食べられないんだもの。
そりゃあ、必死になるわよ。
なだめては、連れ出して。なくした一枚のお皿を一緒に探すふりをしながら。あたしはそうやって何度もお菊さんのお皿に盛り付けられた料理を食べていったわ。
そうしたらね、いつも陰鬱にお皿ばかり数えているお菊さんが、やけに柔和な表情であたしを迎えたの。
「わたし、間違っていたわ」
「ええ? どうしたの?」
「いつも気遣ってくれていたのに。どうしてあなたの優しさに気づかなかったのかしら」
調子狂っちゃうけど、お菊さんもようやく怨念から解放されるときが来たのだと、あたしも心から歓迎したわ。
だって、お菊さんったらすでに料理を用意してくれていたの。井戸の縁にぐるりとお皿を並べて。
伊勢エビほど大きな頭のついたエビフライとか、ナマズだかアンコウだかの洗い、拳くらいに大きな芋煮。あれは何かしら。牛……ではないわね、象の背骨ほどある骨髄の丸焼き。
世界から選りすぐりの食材を集めてきたに違いなかったわ。
あたし、すっかり感動してしまったの。
「食べてもいいのかしら?」
「ええ。でも、その前にお皿を数えてほしいの」
「あたしが?」
そんなのはお安いご用なので、数えてあげたわ。
だけど、料理に目をとられてどこから数え始めたかわからなくなってしまったのね。
ほらだって、井戸って丸いでしょ。ぐるっと一周してるから。
「しょうがないわね。一皿ずつ食べながら数えていったらどうかしら?」
お菊さんがそういうので、あたしは喜んで食べていったわ。片っ端から全部。
結構な量だったけど、残すなんて考えつかなかった。夢中で食べ尽くしたの。
はたと我に返ってお菊さんを見上げると、お菊さんはにこやかにあたしを見ていた。
だからあたしは素直に反省の弁を述べた。
「ごめんなさい。あたし、ひとりで食べてしまったわ」
「いいのよ」
「すごいわ。おいしくて、とまらなくて、永遠に食べられそうだった。こんな料理、どこで手に入れたの」
するとお菊さんはにやりと笑ってこういったの。
「黄泉の国のかまどで煮炊きしたものらしいわ」
なんてことなのかしら。気がついたらここにいて。
まさかと思うんだけど。
あなた、地獄の番人じゃないわよね?
黄泉の国のかまどで煮炊きしたものを食べると、もうこの世には戻ってこられないというでしょう。
おいしいのかまずいのか。食べたことがないからこそ、未練たらしくもまだこの世にいるのだけど。
ええ、あたし、死んではいるけど、まだこの世にいるってことでいいのよね?
あたしをこんなにも醜い顔にしてしまった憎い人はとうの昔に死んでしまっているし、もはや怨みつらみも枯れ果ててしまっているから、さっさと成仏したってかまわないのよ。
だけど、この世にはあたしが見たことも食べたこともないごちそうがまだまだあるっていうのに、さっさとあの世に行くにはもったいないと思うわけ。
あたしが恨めしいと化けて出るのは、この世のおにぎり一つも食べられないこと。
亡霊となっておなかがすくということはなくても、なんというのかしら、食べ物を口にしたときの幸せ感、あれはときどき思い出すの。
生きてるときだってたいしておいしいものを食べていたわけでもないのにね。
目の前にあるごちそうをかすめ取ろうにも触れることはかなわない。
やっぱり、あたしはこの世の者ではないと思い知らされるだけ。
瞬く間に時代が移り変わっていって、味すら想像できないごちそうであふれかえっていても、食べることができないなんて。拷問そのもの。耐えきれなくなって、よもつへぐいに手が伸びてしまうのもわかる気がするわ。
そう、それで。ちょっと小耳に挟んだ話しだとね。
お菊さんのお皿。そうよ、あの例のお皿。一枚足りないっていう。自分で割ったのか、隠されてしまったのか、そんなことはあたしの知ったことではないわね。
とにかく、そのお皿。たいそう立派なお皿だと聞いていたけど、そのお皿に盛られたごちそうは、あたしみたいな亡霊でも食べることができるっていうじゃない。
近頃はどこにいても全国のご当地グルメを宅配便でお取り寄せできるというわよね。
お菊さんのお皿はまさに、この世とあの世の狭間にいる者の為のお取り寄せ皿。
そうとなれば行くしかないでしょ。お菊さんが現れるというあの井戸へ。
あたしのことも語り草になるくらいだけど、あのひとも不憫なものよね。まったく、美人だからって得することなんてないんだから。
あら。そうよ、あたしだってこんな顔にされるまでは器量のいい娘だったんだから。
ま、それはおいといて。
行ってみればお菊さんは相変わらずお皿を数えていたわね。
いちま~い、にま~い、ってね。すぐにわかったわ。
声をかけても没頭しているのか、なかなか気づきやしない。
「お菊さんったら」
肩をたたいても素知らぬ顔で皿を数えている。
「三枚、四枚……」
「ねぇ、ちょっと」
「五枚、六枚……」
「今更何枚でもいいでしょうが」
すると、お菊さんはものすごい形相でこちらを振り返ったの。
「何度数えても一枚足りないのよ!」
「お菊さんのせいじゃない。気にすることないわ」
「あなただって自分の顔を気にして、その長い髪で顔の半分を隠しているじゃない」
痛いところを突かれて少しひるんでしまったわ。
あたしの風貌はまさしく幽霊そのもの。
お菊さんのようにきれいに髪を結い上げるなど、おぞましくてできるはずもない。
「七枚、八枚……」
数える手を休めないお菊さんを見ながら、ここで諦めるわけにはいかないと奮い立たせた。
「もう、およしなさいな。それだけあれば用は足りるわ。難癖つけられているだけなんだから、お菊さんは悪くない」
「このお皿は十枚で一組なの。一枚でもかけていたらだめなんだから!」
そのとき気がついたのよ。お菊さんが誰かに取り憑いているのではなく、お菊さんのほうがお皿に取り憑かれていたのだと。
これほどまでにお皿に固執するなんて、そうとしか考えられない。
「そうね、悪かったわ。だけど、そんなに大事なお皿なら、こんなへんぴなところにある井戸端で数えていてはだめよ。場所が悪いんだわ。ついてらっしゃい。あなたも、お皿も、もっと日の目を見た方がいいわ」
どうにかなだめてお菊さんを連れ出したの。
目星をつけていた料亭はちょうど夕飯時で、板前さんたちがめまぐるしく調理場で作業をしていたわ。
作業台に並べられたお皿に仕上がった料理が盛り付けられて、次々と給仕が運び出した。
それはもう見ているだけではどうにかなりそうなほど、おいしそうな料理なのよ。
隙を見てお菊さんに作業台にお皿を並べるよう進言してみたの。
お菊さんはまるで時間の流れなど関係ないように、いつもどおりゆっくりとお皿を数えながら並べていった。
よく見れば薄い緑色をしたなんてことのない瀬戸物だったわ。
板前さんは見たことのないお皿に首をかしげながらも、忙しさで頭が回らなくなったのか、それとも料理が適温で給仕されないよりはましと思ったのか、ガス台から振り向きざまに盛り付けていった。
そしてまた板前さんが次の料理へと取りかかったとき、ここしかないわと、あたしはひといきにほおばったの。
噂どおり、お菊さんのお皿に盛られた料理はあたしの口の中でしっかりと味わえた。
食べるとは、まさにこの世でのできごと。
生前の最後の晩餐がなんであったのか思い出せないけど、何十年かぶりの食事は、これきりとなるのが惜しくなるほど魔性の代物だった。
だというのに、お菊さんは浮かない顔していうのよ。
「やっぱり一枚足りない」
「そんなことより、お菊さんもお食べなさいよ」
「そんなことって、なによ!」
怒って帰って行くお菊さんを慌てて追いかけたわ。
ここで絶交されてしまっては、二度とおいしいものが食べられないんだもの。
そりゃあ、必死になるわよ。
なだめては、連れ出して。なくした一枚のお皿を一緒に探すふりをしながら。あたしはそうやって何度もお菊さんのお皿に盛り付けられた料理を食べていったわ。
そうしたらね、いつも陰鬱にお皿ばかり数えているお菊さんが、やけに柔和な表情であたしを迎えたの。
「わたし、間違っていたわ」
「ええ? どうしたの?」
「いつも気遣ってくれていたのに。どうしてあなたの優しさに気づかなかったのかしら」
調子狂っちゃうけど、お菊さんもようやく怨念から解放されるときが来たのだと、あたしも心から歓迎したわ。
だって、お菊さんったらすでに料理を用意してくれていたの。井戸の縁にぐるりとお皿を並べて。
伊勢エビほど大きな頭のついたエビフライとか、ナマズだかアンコウだかの洗い、拳くらいに大きな芋煮。あれは何かしら。牛……ではないわね、象の背骨ほどある骨髄の丸焼き。
世界から選りすぐりの食材を集めてきたに違いなかったわ。
あたし、すっかり感動してしまったの。
「食べてもいいのかしら?」
「ええ。でも、その前にお皿を数えてほしいの」
「あたしが?」
そんなのはお安いご用なので、数えてあげたわ。
だけど、料理に目をとられてどこから数え始めたかわからなくなってしまったのね。
ほらだって、井戸って丸いでしょ。ぐるっと一周してるから。
「しょうがないわね。一皿ずつ食べながら数えていったらどうかしら?」
お菊さんがそういうので、あたしは喜んで食べていったわ。片っ端から全部。
結構な量だったけど、残すなんて考えつかなかった。夢中で食べ尽くしたの。
はたと我に返ってお菊さんを見上げると、お菊さんはにこやかにあたしを見ていた。
だからあたしは素直に反省の弁を述べた。
「ごめんなさい。あたし、ひとりで食べてしまったわ」
「いいのよ」
「すごいわ。おいしくて、とまらなくて、永遠に食べられそうだった。こんな料理、どこで手に入れたの」
するとお菊さんはにやりと笑ってこういったの。
「黄泉の国のかまどで煮炊きしたものらしいわ」
なんてことなのかしら。気がついたらここにいて。
まさかと思うんだけど。
あなた、地獄の番人じゃないわよね?