◇◇ 幕間 Part1 ◇◇

文字数 2,146文字

 ――そこまでの回想を終えると、僕は手早く自分が飲む分のコーヒーも淹れて、給湯室に置かれていた焼き菓子数種類と一緒にトレーに載せ、給湯室を出た。
 ちなみにこの焼き菓子は、僕たちの結婚式引き出物の残りである。どうも義母による発注ミスがあったようで、招待客の人数より多めに届いてしまったらしい。

 トレーを抱えて会長室のドアをノックすると、彼女が中からドアを開けてくれる。この習慣は結婚前から……いや、彼女が会長に就任した日からずっと変わっていない。
 僕は彼女にキチンとお礼を言い、トレーを応接スペースの木製ローテーブルの上に置いた。

「――お待たせしました。会長、休憩タイムにしましょう」

「うん。――わぁ、今日はお菓子もあるのね。……あれ? これって引き出物にお出ししたお菓子よね? ママったらもう、数を間違えて発注かけちゃうなんて」

 彼女はパッと見ただけで、焼き菓子の出処を見抜いた。母親の失態に苦笑いしている。

「お義母(かあ)さまって、しっかりなさってるように見えて実はけっこうウッカリものですよね」

「あっ、貴方までそんなこと言って! ママに言っちゃお♪」

 僕も一緒になって笑っていると、絢乃さんは意地悪く声を弾ませてそうからかってきた。本気で怒っているわけではないらしく、そのままトレーからカップとココア味のマドレーヌを取り上げる。

「ええっ!? それだけはカンベンして下さいよぉぉ~~~~」

「……なぁんてね、冗談よ。からかってゴメンね」

 悲鳴のような声を上げた僕に、彼女は可愛くウィンクをして、マドレーヌを開封した。ホッとしたような、ちょっとガッカリしたような複雑な気持ちで、僕もフィナンシェをお供にコーヒーを飲み始めた。
 ……ん? なんでガッカリ? 今まで気づかなかったが、もしかして僕にはMっ気があるのだろうか……?

「――美味しいね、このマドレーヌもだけど、貴方の淹れてくれたコーヒー。これ、どうにかして一階のカフェスタンドで販売できないかな……」

「はい?」

 こうして休憩している間にも、彼女は仕事のことを考えてしまう。仕事熱心なのはいいことだとは思うが、夫としては、彼女にもう少し脳を休めてほしい。

「この味、ちゃんと商品化できたらもっと大勢の人に楽しんでもらえるでしょ? わたしたちだけで飲むなんてもったいないもん」

「そう……ですかねぇ? まぁ、できるものなら僕も嬉しいですけど……」 

 ここは総合商社である。(じゅん)(たく)な資金もあることだし、やろうと思えばできないこともないだろう。が、僕はこのコーヒーを売り物にしようと思ったことはない。バリスタになる夢を、諦めたわけではないが……。

「……すみません。この話は当分保留ということで」

「そう? まあ、貴方がそう言うんなら、またの機会にしましょうか」

 彼女は僕のためらいを()んでくれたのか、納得して肩をすくめた。

「――ところで貢。副社長就任の話、引き受けてくれてありがとね」

 彼女はそう言って、僕に深々と頭を下げた。実は結婚式の日に、僕は会長である彼女から副社長の任命を受け、それを引き受けることに決めたのだ。
 すでに秘書室主任の役職には()いていたものの、やっぱり会長の夫は役員である方がいいということになり、義母である加奈子さんの助言もあって、彼女は僕を副社長に任命することにしたのだそうだ。

「いえ、とんでもないです。僕に務まるかどうかは分かりませんが、精一杯務めさせて頂きます」

「またそんなに畏まっちゃって。大丈夫よ、村上社長もいるんだし。貴方は肩肘張らないで、気楽に考えてればいいのよ。形式上の肩書なんだし」

「……そうでしたね」

 副社長として僕がすべきことは、村上社長のサポートが主なところである。他はこれまでとほとんど変わらないのだから。
 ちなみに四月から経営体制が少し変更され、これまで村上社長が兼務されていた常務と、山崎人事部長が兼務されていた専務には別の幹部が任命されている。

「わたしは、貴方がついててくれるだけで頼もしいんだから。秘書として、また副社長として、これからもよろしくね」

「はい」

 僕と彼女の間は、もちろん夫婦として男女の絆で結ばれているが、それ以前に仕事上の信頼関係がしっかりと根付いているのだ。

「――あ、そうそう。僕、さっき給湯室にいた間、絢乃さんと出会った頃のこと思い出してたんですよ」

 僕はおやつタイムを楽しみながら、先ほどまでの回想について話した。

「……それ、わたしも十日前にやってたよね。結婚式の前に」

「ハイ、そうでした」

「いいのいいの。貴方には貴方の感じ方があったはずだもん。わたしにも聞かせてほしいなぁ。ねえ、どの辺りまで思い出してたの?」

 彼女が目を輝かせて、僕に話の続きをせがんできた。

「えーと、絢乃さんと出会った夜。あなたをお家まで送り届けてから、兄に『会社は辞めないことにした』と電話で宣言したところまでですかね。――でもいいんでしょうか? こんなにゆっくり話なんかしてて」

「いいの! 今日はまだハネムーン休暇が明けて初日だし、急ぎで処理しなきゃいけない案件もないから」

「……そういうことでしたら、続きは絢乃さんにもお付き合いいただくということで」

 ――そして、今度は彼女も一緒に、僕はまた回想を始めた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

桐島貢(きりしまみつぐ)

篠沢グループ本社・篠沢商事・秘書室所属。大卒。

五月十日生まれ、二十五歳。A型。

身長一七八センチ、体重六〇キロ。

絢乃が会長に就任する際、本社総務課から秘書室に転属し、会長付秘書になった。マイカー(軽自動車→マークX)を所持している。

恋愛に関しては不器用で、現在も彼女なし。

絢乃と同じくコーヒー党。微糖を好む。スイーツ男子。

篠沢絢乃(しのざわあやの)

私立茗桜女子学院・高等部二年A組。

四月三日生まれ、十七歳。O型。

身長一五八センチ、体重四四キロ。胸はDカップ。

趣味は読書・料理。特技はスイーツ作り・英会話。好きな色は淡いピンク。

主人公。高二の一月に『篠沢グループ』の会長だった父・源一(げんいち)をガンで亡くし、父の跡を継いで会長に就任。

小学校から女子校に通っているため、初恋未経験。

大のコーヒー好き。ミルクと砂糖入りを好む。

桐島悠(きりしまひさし)

フリーター。飲食店でのバイトを三ヶ所ほど掛け持ちし、調理師免許を持つ。

六月三十日生まれ、二十九歳。B型。

身長一七六センチ、体重五八キロ。

桐島貢の兄。一人暮らしをしている弟の貢とは違い、実家住まい。高卒でフリーターになった。

貢曰く、かなりの女ったらし……らしい。兄弟仲は決して悪くない様子。

愛煙家である(銘柄はメビウス)。

篠沢加奈子(しのざわかなこ)

篠沢グループ会長代行。篠沢家当主。短大卒。

四月五日生まれ、四十三歳。O型。

身長一六〇センチ、体重四五キロ。胸はDカップ。

絢乃の母で、よき理解者。娘が学校に行っている間、代わりに会長の務めを果たしている。

亡き夫で婿養子だった源一とは、見合い結婚だったがオシドリ夫婦だった。

大の紅茶党。ストレートティーを好む。

ちなみに、結婚前は中学校の英語教諭だった。

広田妙子(ひろたたえこ)

篠沢グループ本社・篠沢商事の秘書室長。大卒、四十二歳。秘書室に異動した貢の直属の上司。

入社二十年目、秘書室勤務十年のベテラン。バリバリのキャリアウーマン。職場結婚をしたが、結婚が遅かったためにまだ子供には恵まれていない。

絢乃とは女性同士で気が合う様子。

小川夏希(おがわなつき)

篠沢グループ本社・篠沢商事の秘書室所属。会長付秘書→村上社長の秘書。貢と同じ大学の二年先輩。

七月七日生まれ、二十七歳。O型。

身長百六十二センチ、体重四十八キロ。

美人でスタイルもよく、仕事もバリバリできるキャリアウーマンで、社内では「彼女にしたい女性社員ナンバーワン」らしいが、現在彼氏ナシ、未婚。

同じ大学の後輩である貢のよき相談相手で、仕事上でもよき先輩。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み