第43話 テーマ『別れ』①
文字数 1,841文字
某氏が、公募ガイドのコンテストについての活動報告をされているのを何度かお見かけしまして。そこで「某氏が投稿すなる公募ガイドといふものを、我も覗いてみるなり」と。
覗くと短編小説のコンテストがありました。6月のテーマは「別れ」でした。
6月上旬にさっそく書き出しましたがエッセイになってしまい、「これ、違うよね」と途中で放置……。
それから6月中旬はパソコンのMicrosoft edgeが壊れるという事態となり、初期化をしたりなんだりで時が過ぎ……。
6月下旬は私にとって参加することに意義があるコンテストにあたふた……。
誰も待ってはいないと思いますが、ようやく「別れ」をまとめましたので、ここにアップします。虚実混ぜています。
**********
私が27歳の頃だったか。
母親は、私をこのまま放っておいたら婚期を逃すと考えたらしい。
いろんな人に声をかけお見合い話を募 った。
紹介してくれた人に悪いから、断ってもいいからとりあえず会ってと言うので、とりあえず会って断ると、
「あんたみたいなのは一生結婚できない、ずっと仕事を続けて職業婦人として生きていくんだね」
と、母はプリプリ怒った。
職業婦人? OLのこと? すごい言葉だな。私はしばし、「職業婦人」をスルメのように味わった。
とある公務員とのお見合い話がやってきた。
その頃私はほんのり失恋をしていて、もう恋愛で消耗したくない、恋愛という戦いから降りたいという「恋愛合戦場」からの逃亡兵の心持ちだった。結婚すればそういうものから解放されるのだ。
見合い、してみるか。
相手の男性は田中(仮名)さんといった。
田中さんと一度食事して、翌週、田中さんの母親も家に挨拶に来ることになった。
その当日、鳥肌に似たある種の気配を感じ玄関を開けると、向こうからずんずん歩いてくる赤い中年女性と目が合った。
赤い柄のワンピース。長年PTA役員をしており、集まりのとき華を添えるため派手な服ばかり持っていると、その中年女性つまり田中さんの母親は、後日語った。
田中さんの母親がズームインして、お相手の田中さん本人はフレームアウト。その現象はずっと続いた。
田中さんの母親は私と目が合うと、ハッとした表情になった。所作振る舞いが漫画のような人だった。
私はなぜか田中さんの母親に気に入られたのだった。
とにかく田中さんの母親が非常に熱心だったので、田中さんとは何回か会ってしまった。
当の田中さんと言えば、真面目だが要領が悪そう。
評価すべきは、勤めが固いということか。
会った日に社交辞令のつもりで「〇〇じゃ、責任が重くて大変ですね」と田中さんに話を向けたところ、愚痴が止まらなくなった。
「本当に大変、毎日毎日なにかある」
「こっちは生もの相手だからね」△△のことを「生もの」と言った。
次に会ったときも同じような愚痴がリピートしたので、私は思わず、
「大変な上に収入が低い人だってたくさんいる」
「健康で仕事ができるだけありがたいと思った方がいい」
そんなようなことを言い放ってしまった。
田中さんは黙り込んだ。
すると数日後、私の母親が渋い顔で言った。
「あんた、田中さんにすごいこと言ったんだって? 田中さんのお母さんから電話がきたよ」
「だって愚痴ばっかりだからさ、それにそんなすごくないよ」
母はそんなことよりも、田中さんの車にぶら下がっているジブ〇のキーホルダーが気になっているようだった。
「なんだい、あの人形は。男のくせに」
実際に母は直で田中さんに言っていた。車の窓を指さし半笑いで、
「なんだかいっぱいぶら下がっているけど、なんなのそれ?」
我が家にはファンシーを愛でる文化が無い。
田中さんはそれを無視した。
つぎの土曜日の朝九時、自宅に田中さんの母親が単独 でやって来た。もう田中さんとのおつきあいを断ろうとしていた矢先だった。
「ここでいいから」と田中さんの母親は玄関の前でにこやかに話し出す。
「和季さんからすごいこと言われたって晋一(仮名)が」
クレームなのかと思ったが、
「晋一は愚痴っぽいでしょう? でもね、見方を変えれば単純でわかりやすいの。楽なの。そう考えて欲しいの。和季さん、大きな気持ちでコントロールしてあげて? お釈迦様の掌のつもりで。なにかあったら私に相談して? 全部私にぶつけていいから、ね?」
田中さんは絵に描いたようなマザコンなのだ。
その元凶の田中さんの母親があまりにも熱心で勢いがあって、元凶が問題をうやむやにした。
《続く》
覗くと短編小説のコンテストがありました。6月のテーマは「別れ」でした。
6月上旬にさっそく書き出しましたがエッセイになってしまい、「これ、違うよね」と途中で放置……。
それから6月中旬はパソコンのMicrosoft edgeが壊れるという事態となり、初期化をしたりなんだりで時が過ぎ……。
6月下旬は私にとって参加することに意義があるコンテストにあたふた……。
誰も待ってはいないと思いますが、ようやく「別れ」をまとめましたので、ここにアップします。虚実混ぜています。
**********
私が27歳の頃だったか。
母親は、私をこのまま放っておいたら婚期を逃すと考えたらしい。
いろんな人に声をかけお見合い話を
紹介してくれた人に悪いから、断ってもいいからとりあえず会ってと言うので、とりあえず会って断ると、
「あんたみたいなのは一生結婚できない、ずっと仕事を続けて職業婦人として生きていくんだね」
と、母はプリプリ怒った。
職業婦人? OLのこと? すごい言葉だな。私はしばし、「職業婦人」をスルメのように味わった。
とある公務員とのお見合い話がやってきた。
その頃私はほんのり失恋をしていて、もう恋愛で消耗したくない、恋愛という戦いから降りたいという「恋愛合戦場」からの逃亡兵の心持ちだった。結婚すればそういうものから解放されるのだ。
見合い、してみるか。
相手の男性は田中(仮名)さんといった。
田中さんと一度食事して、翌週、田中さんの母親も家に挨拶に来ることになった。
その当日、鳥肌に似たある種の気配を感じ玄関を開けると、向こうからずんずん歩いてくる赤い中年女性と目が合った。
赤い柄のワンピース。長年PTA役員をしており、集まりのとき華を添えるため派手な服ばかり持っていると、その中年女性つまり田中さんの母親は、後日語った。
田中さんの母親がズームインして、お相手の田中さん本人はフレームアウト。その現象はずっと続いた。
田中さんの母親は私と目が合うと、ハッとした表情になった。所作振る舞いが漫画のような人だった。
私はなぜか田中さんの母親に気に入られたのだった。
とにかく田中さんの母親が非常に熱心だったので、田中さんとは何回か会ってしまった。
当の田中さんと言えば、真面目だが要領が悪そう。
評価すべきは、勤めが固いということか。
会った日に社交辞令のつもりで「〇〇じゃ、責任が重くて大変ですね」と田中さんに話を向けたところ、愚痴が止まらなくなった。
「本当に大変、毎日毎日なにかある」
「こっちは生もの相手だからね」△△のことを「生もの」と言った。
次に会ったときも同じような愚痴がリピートしたので、私は思わず、
「大変な上に収入が低い人だってたくさんいる」
「健康で仕事ができるだけありがたいと思った方がいい」
そんなようなことを言い放ってしまった。
田中さんは黙り込んだ。
すると数日後、私の母親が渋い顔で言った。
「あんた、田中さんにすごいこと言ったんだって? 田中さんのお母さんから電話がきたよ」
「だって愚痴ばっかりだからさ、それにそんなすごくないよ」
母はそんなことよりも、田中さんの車にぶら下がっているジブ〇のキーホルダーが気になっているようだった。
「なんだい、あの人形は。男のくせに」
実際に母は直で田中さんに言っていた。車の窓を指さし半笑いで、
「なんだかいっぱいぶら下がっているけど、なんなのそれ?」
我が家にはファンシーを愛でる文化が無い。
田中さんはそれを無視した。
つぎの土曜日の朝九時、自宅に田中さんの母親が
「ここでいいから」と田中さんの母親は玄関の前でにこやかに話し出す。
「和季さんからすごいこと言われたって晋一(仮名)が」
クレームなのかと思ったが、
「晋一は愚痴っぽいでしょう? でもね、見方を変えれば単純でわかりやすいの。楽なの。そう考えて欲しいの。和季さん、大きな気持ちでコントロールしてあげて? お釈迦様の掌のつもりで。なにかあったら私に相談して? 全部私にぶつけていいから、ね?」
田中さんは絵に描いたようなマザコンなのだ。
その元凶の田中さんの母親があまりにも熱心で勢いがあって、元凶が問題をうやむやにした。
《続く》