第2話

文字数 3,511文字

 私は専門学校を卒業して入社した旅行雑誌社を一年で辞めた。
 その後、就職先も探さず、失業保険と貯金を切り崩して暮らしたが、それでは心許なくて、失業手当の給付に差障らないアルバイトを探した。
 アルバイトサイトでダンススタジオ・ドリームホールの求人を見て履歴書を送った。求人広告の仕事内容は「ダンススタジオの受付」に加えて「ダンス情報誌の編集」と書いてあった。
 ドリームホールは大阪駅から一駅の下町ふうな地域にあった。私鉄の線路に交差した大きな商店街があって、駅から商店街を数分歩いたところに七階建てのテナントビルがあり、その最上階にドリームホールがある。
 私はそれまでダンススタジオという場所に足を踏み入れた事がなかった。
 初めて面接で訪れた時、やけに明るい場所だと感じた。壁一面に貼られた鏡に木の床のつやが乱反射してまぶしいくらいだった。一つだけある出入口のすぐ横に受付カウンター、つきあたりにフロアから一段高くしたミーティングスペースに四人掛けの白いテーブルがあって、そこで私はオーナーの門田(かどた)さんとルミ先生の面接を受けた。
「うちは今回はじめてアルバイトの募集をしたんやけどね、予想以上にたくさんの応募があって、僕たちもびっくりしているの」
 オーナーの門田さんは丸顔で、浅黒い肌にあばたの目立つおじさんだった。背筋がまっすぐな、社交ダンスをする人特有の姿勢の良さで、動作もきびきびしている。体には老化をほとんど見せないが、着ている洋服の派手さに古めかしい昭和のムードが漂っていた。この時も、シルバーと紫の縦縞のシャツがチョコレートの包装紙みたいにてらてらと光っていた。私の履歴書の職歴を指す右手の小指に赤い石の指輪をはめて、その先に延ばした爪があった。
「この、『トラベルソース』編集部勤務、というのが気になってね」
 なあ、と、門田さんは横にいるルミ先生を肘でつついた。
 ルミ先生はクスリと笑った。彼女は色白で、目鼻立ちのはっきりした日本人離れした顔だった。毛先をルーズに弾ませた短い髪を金髪に染めていたので私は最初、彼女をハーフかクウォーターだと思った。長い睫の目を細めて笑うルミ先生は、オーナーの門田さんとは気心の知れた仕事のパートナー、といったふうに見えた。
 ドリームホールはオープンして三年目。ジャズダンス、クラシックバレエ、フラメンコ、ヒップホップなど、さまざまなジャンルのダンスレッスンを開いたが、メインは社交ダンスのダンススタジオである。
 空き時間は昇級試験を目指すアマチュアダンサーの稽古場として、また、ダンスサークルにパーティ会場として貸出した。この頃、社交ダンスの映画のヒットをきっかけにテレビでは芸能人が社交ダンスに挑戦するバラエティ番組もあった。メディアの作るブームとイメージの追い風もあり、安定した競技人口に恵まれていたようである。
「そんな事もあるんやけど、元々から社交ダンスする人はたくさんいるの。君みたいな若い人なんかは知らないでしょ。僕の世代の学生の頃はダンスパーティばっかり。今でいうとね、コンパする感じで、ダンパしてたの。先輩からダンパのチケット持たされてね、しょっちゅう売ってたね。そういうノリ。そういう青春してた人たちがね、定年迎えて、女性なんかは子どもが自立して家の事も落ち着いて、さあ、自分の好きだった事をやろうって、今、戻ってきた感じなの」
 と、門田さんは熱っぽく語った。
 後日、ルミ先生から聞いた事だが、門田さんも会社を早期退職して、このダンススタジオをはじめたという。元々趣味だった社交ダンスの試験を受けて級を取り、今では講師としてレッスンもしている。
 社交ダンスに囲碁や将棋みたいに試験を受けて級を取る制度がある事くらいは私も知っていた。門田さんは、昇級があるから上達した事がわかりやすく、目標を設定して練習に励む事ができるから、社交ダンスは日本人向きだと語った。さらに競技ダンスとしてオリンピック種目になるって話もあってね、ととっておきの情報を聞かせるようにいい、せやからね、ビジネスチャンスもあるよ、と声をひそめていった。
 私が仕事内容を尋ねると、ルミ先生が数行の箇条書きを印字したA4の紙を差し出した。受付、そうじ、給茶機のセット、情報誌の編集、情報誌の発送……。オープンから受付まわりの雑務の一切をルミ先生が担ったが、自分のレッスンに集中したいので仕事の一部を誰かに任せたく、オーナーの門田さんと話し合い、今回受付のアルバイトを一人雇う事にしたという。
「キッズクラスの生徒を増やしたいと思っているの」
 と、ルミ先生は自分のレッスンについて話した。
「私のレッスンはプロダンサーの養成レッスンじゃなくて、あくまでお稽古事。キッズクラスは、子どもが学校帰りに寄り道するみたいな感じで、遊びに来る感覚で踊りに来る。それでお母さんたちはお仕事帰りにここに迎えに来てもらったらいいな、と思っていて」
 子どものジャズダンスレッスンを親の交流の場にもしたい、と、ルミ先生はいった。
 はあ、と、まぬけな声を出すだけで私はよくわかっていなかった。当時二十二歳で独身の私に、子どもや子育ての事をいわれてもピンとこなくて、親の生活感覚や子育て事情など、イメージすらできなかったのである。
 ぽかんとした私にルミ先生は、自分のダンスレッスンは子どもの親が集まり他愛のない世間話ができて、子育ての不安や悩みを和らげる場になったらいい、と話してくれた。
「ま、私、バツイチなんやけどね」
 と、ルミ先生はあっけらかんといった。彼女は一年前に離婚して、小学一年生の息子を一人で育てる四十歳のシングルマザーだった。
 ダンス情報誌も見せてもらった。
 スタジオと同じ『ドリームホール』という名前の情報誌だった。
 表紙以外は白黒のB5版の薄い冊子である。プロダンサーのインタビュー記事、貸スタジオ、ダンス用品とダンスレッスン広告もあったが、頁のほとんどは社交ダンスパーティ情報だ。
「ほらね、ダンスパーティは今もこんなにたくさんあるの」
 と、門田さんは得意そうにいった。
 確かにパーティ情報ページを見ると、大阪市内に限っても毎週どこかで社交ダンスパーティがある事がわかった。なるほど、と私は思ったが、各パーティの名称と日時、会場と料金を記した素っ気ない一覧表で情報ページなのに肝心な事が抜けている。そう思ってよく見ると、各パーティの問い合わせ先が載っていない事に気づいた。これでは誌面を見てパーティに行きたいと思った読者がいても詳細を尋ねる事ができない。
 私が遠慮気味に問い合わせ先についてたずねると、パーティの主催者の連絡先は個人宅で、個人情報であるから載せない、と、門田さんはいった。
 使えない情報誌だと私は思ったが、門田さんは読者に利用される事などには関心がなく、社交ダンスパーティがたくさんある事を確かめて満足しているようだった。
 学校の卒業文集くらいに思えば微笑ましい冊子だが、求人広告に「ダンス情報誌の編集」とあって応募した私はなんだか肩すかしを喰らった感じである。
 フロアでは真っ赤なTシャツに黒のフレアスカートをはいた中年女性の、スロー、スローという声に合わせて初老の男性二人が慎重に足を運んでいた。歩幅か、角度か、タイミングに誤りがあるのか、同じ動きを何度も繰り返している。
「あれはね、ワルツ」
 門田さんはフロアを見る私にいった。「モダンは難しいから、最初はラテンのほうがいい。ジルバから入ってもいいね」と、彼は私に社交ダンスを勧めて、「君ならタダで教えてあげてもいいよ」と、ニコニコした。
 ダンスに興味がないわけではないが、まず、受付まわりの仕事をきちんと覚えたい、という意味の事を私はいった。
 門田さんはうれしそうに微笑み、ルミ先生は軽く頷いた。
「若い人なんかも社交ダンスはハマるよ。ルミ子さんも最近はじめてね。彼女はジャズダンスが専門やけど、先週はルンバとチャチャをやったね」
 ルミ先生は門田さんから社交ダンスを教わっていた。「ちょっと見せてあげたら」と、門田さんはルミ先生にいった。
 ルミ先生は椅子から立ってフロアに降りた。背は高くなかったけれど、彼女は筋肉でしまった健康的な体つきで、立ち姿に迫力がありフロアに降りると大きく見える。
 ワン、ツー、チャチャチャ、ワン、ツー、チャチャチャ、と、口ずさみながらステップを踏んだ。ワン、ツー、チャチャチャ、ワン、ツー、チャチャチャ……。
 フロアにこすれたルミ先生のジャズスニーカーがキュッキュと音を立て、ラテンのリズムを刻んでいた。

(つづく)
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