第20話

文字数 1,190文字


 山を下り葛葉の稲荷神社の境内まで来たとき、浩太は思い出していた──。

 昔、よくここで遊んだっけ。
 あれはまだ小学校に上がる前だ。ある日茜が、獣じゃなく蛇の化身だった結沙を連れてきて、友達になると言い張ったんだっけ。小さな結沙と茜は、それからずっと二人は一緒で、双子の蒼よりも姉妹らしかった……。
 そんな記憶の甦る稲荷神社の境内を、浩太は急ぎ足で家に向かう。

    *  *

 蒼に送られた後、結沙はお気に入りの場所──あの沼の(ほとり)…──に立って、しとしとと降る雨に濡れぬよう木陰から水面(みなも)の波紋を見ていた。

 あれから蒼との関係がぎこちない。
 それはしようがないとして、どうすれば元に戻ることができるのだろう。
 そんな思いつめた結沙に、蒼がこの場所にいるよう言ったから、それで結沙は雨の午後に、この場所にいる…──。


 こうして水面に明滅するように広がる波紋を見ていると、いろいろなことが思い出された……。

 最初に茜のこと。
 初めて逢った時から親切で、あたしのこと気に入ってくれた。
 両親が相次いで自動車に轢かれて、あたしの(そば)からいなくなったときには、ずっと手を握っていてくれてた……。
 茜がいなかったら、あたしも、いなくなっちゃってたかな……。

 (あお)ちゃんは……あたしにとっても弟だ。
 やんちゃで、意地っ張りで、とっても優しい……。
 いいお姉ちゃんを気取ってたけど、最近はなんだか蒼ちゃんの方が兄貴だよね。

 明弘は……あたしのこと、どう思ってるのかな。
 小学校の頃、蒼ちゃんと明弘に言われたっけ……ヘビ女なんて嫌いだ、って。
 ──蒼ちゃんはすぐに謝ってくれたけど、あれは結構、いまでも刺さってる。

    *  *

 明弘は自転車を止め、道端から下りていくコンクリートの階段を下りていった──。
 すこし前、帰宅してほどなく蒼が来て、ここへ来いと──ここで結沙が待ってるから、と言われたのだ。
 息せき切って走ってきたらしい蒼は、募らせていたらしい苛立ちを隠さずに言った。

 ──今から行って、結沙にあの時のこと謝ってこい。それから自分の気持ち伝えてこい、と……。

 最後に「俺ばっか道化(ピエロ)やらされて、不公平だろーが……」と結んだときの決まりの悪い表情が、
 ──…結沙がお前のこと好きなのは皆知ってるし、お前が結沙のこと好きなのは俺が知ってる。お前が人間(ひと)として生きていくかどうか悩んでんのは、そういうことだろ? ……と、言っていた。

 それで明弘は観念して、蒼をその場に残して、自転車を走らせた。


 階段を下りてしばらく行った先でつり橋を渡る。

 この先に結沙がいる。
 ──彼女のお気に入りの場所だ。

 ここに明弘が最後に来たのは、もう随分と昔だ。
 ……ある記憶が、ここへ来るのを避けさせていたから。


 あの時…──、

「俺だってヘビ女なんか好きじゃない」
 そう言ってしまった時の彼女の表情(かお)を、忘れられないでいた。
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