第3話 丹原颯

文字数 1,423文字

 風の降る街、宮中街は日ごとに薄汚れていった。
 煙草の吸殻、空き缶、団子のくし、そこには何だって落ちていた。誰もそのゴミを拾おうとはしない。人々は揃って「それを捨てたのは私ではない」と主張しているようだった。街がまだ目覚めぬ頃、丹原颯は風で乱れた髪を整えるふりをして額をかいていた。彼はもうお気に入りではなくなった自転車に跨り、また一つ下がったサドルを上げる気力すら失ったまま、ペダルを漕いだ。颯が通う高校では自転車通学が禁止されていた。颯自らそのルールを作った。そのルールを壊したのも彼だった。
 風が降る街では、向かい風もない代わりに、追い風もない。だから、世界が真っ白になったような気分になることがあった。颯は大学生になったらこの街を出ようと決めていた。大学を卒業したらこの次元を出ようと決めていた。ただ、きっと自分は出られないまま、この生を終えるような予感があるのも事実だった。
 業務スーパーに自転車を停めて、徒歩の時間が始まる。颯は無意味な散歩は嫌いだが、歩くのは好きだった。宮中街に隣接するこの街には不法投棄されたゴミが少なかった。それは颯の進学の決め手ですらあった。だが結局浪費にすぎなかった。
 数歩先に見慣れたクラスメイトの背中が見えた。坊主頭のその男のことを颯は認識したが、声をかけることはせず、少しだけ歩調を緩めた。颯は無意味な会話は嫌いだが、心の通った対話は好きだった。颯には友だちと呼べる存在がいない。友だちという言葉を使わずにクラスメイトという言葉を使うことを好んだ。
 颯は、ガードレール越しにクラスメイトが走って自分を追い越していくのを見た。あれは、たしか、みいこと呼ばれる女子生徒だ。車道にいたから自動車かと思った。だけど、走っていたのに、非常に遅かったから車ではないとも思った。自動車が徐行している可能性は考えなかった。ありとあらゆる可能性を考慮することはもう既にやめていた。遅刻しているのではないのに、なぜ急いでいるのか颯は疑問だった。だけど、考えることを止めた。分からないことを考えすぎるのは時間の無駄だと颯が自分に言い聞かせてちょうど4年が経ったのが今だった。
 みいこという少女は目立つタイプの生徒ではない。颯の認識はそうだった。クラス一目立たない颯に言われるのは屈辱かもしれないが、颯が客観性に長けていることを無視するべきではなかった。
 彼女の言動からは、隠しても隠しきれない奇異さがにじみ出ていた。だが、それを見て興味を持つほど、颯の興味の幅は広くなかった。颯目線の物語を書くとこうなってしまうから良くない。青春群像劇を描きたいからって、誰でも主人公にしていいわけではない。
 颯が高校に着く頃、みいこと呼ばれる女子生徒は、正門の先で肩を上下させ息を切らして立ち止まっていた。明らかに通行の妨げになっていた。颯には全く彼女の意図が分からないし、興味もなかった。けれど、颯は見てしまったのだ。息を切らしているはずの彼女は鼻呼吸をしていた。唇はぎゅっと閉じられ、そこからは吸われる空気も吐かれる空気もありはしなかった。
 みいこを避けて通る人は数百人いたはずなのに、みいこを見ていた人間は颯一人だった。颯はこの現場の唯一の目撃者になった。これが彼の主人公たる所以だった。
 颯はこの件を機に、みいこを許せなくなった。
「もうどうでもいい生だったのに、どうでもよくなくしないでほしかった」
 颯は誰にも聞かれぬ声で呟いた。

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