第3話

文字数 2,048文字

「それで、先方は麻貴ちゃんのこと、その…」

「大丈夫よ、こうめちゃん。すべて分かっていて、その上でのお話だから…」

「私たちも悩んだんだけどね。麻貴にとって、これ以上ありがたい縁談はないだろうという結論に達してね」


 先方は『老舗菓子店』ということで、それ相応の品格を持つ女性を探していたそうです。

 今の時代、昔ほどには口煩くなくなりつつあるとはいうものの、老舗のお嫁さんともなれば、そのお宅の『顔』になり得ますので、素行や品性は勿論、家柄や人柄、容姿に至るまで、周囲からあれこれ詮索されることも少なくありません。

 それ以上に厄介なのが、周囲からの妬み嫉み。あることないこと噂を立てられたり、濡れ衣を着せて陥れようとしたり、陰で誹謗中傷されたりということが、日常茶飯事なのだとか。

 麻貴ちゃんのお姑さんになられる方も、かつてご自身が嫁がれたとき、そうした陰湿ないじめを経験され、今尚続いているのだそうです。



 その老舗菓子店は、百人を超える従業員の多くが女性で、一部の古株が、お嫁に来た若女将(当時)をターゲットにするという構図があり、それを先導しているのが大女将だというのです。

 たとえば、『金庫の売上金が足りない』などと言って、従業員に『若女将があなたを疑っている』と疑心暗鬼にさせ、信頼関係にヒビを入れるのが常套手段。小売店故に、従業員にとって、お金で疑われるほど嫌なことはありません。

 お店に何の利益もない愚行を、なぜ誰も注意しないのか。それは、首謀者である大女将が、この老舗菓子店の『跡取り娘』だったからでした。

 一人娘で、幼い頃から蝶よ花よと甘やかされて育った大姑。当時はまだ『旧家制度』だったため、女性が家長になることは認められておらず、跡継ぎとして婿養子に入ったのが先代のご主人です。

 彼は大変腕の良い職人さんではありましたが、お店の実権は実の娘である大姑が握っており、もともと従業員で婿養子という立場から、自分の妻に強く物を言えなかったのです。

 彼女と私の祖母は、(旧制)藍玉高等女学校の同級生で、彼女の傍若無人な言動は幼い頃からの筋金入り、あまり他人を悪く言わない祖母が、珍しくぼやいていたのを覚えています。

 何より問題なのは、そうした大姑の悪行を、周囲が黙認している最大の理由が、その矛先を、お客様に向けさせないためだということ。祖母は、今もお店が繁盛しているのは、お菓子の味に絶対の自信があったからだけではない、と申します。

 先々代の大女将(大姑の実母)が引退して、彼女が表に出るようになると、気に入らないお客様に対して、『二度と来るな!』と言い放つことは茶飯事。そうした言動が一気に口コミで広がり、一時は酷い客離れでお店が傾くほど。

 そんな窮地を救ったのが、今の女将さんでした。大姑の長男と恋愛で結婚した彼女は、そうした姑の人間性をすべて知ったうえで、あえて自分が攻撃対象となるように仕向けることで、お客様への暴言を食い止めようと画策したのです。

 その思惑通り、嫁の粗探しに余念のない大姑は、ほとんど表に顔を出すこともなくなり、もともとお菓子の味には定評があったことと、若女将の人柄によって徐々に客足も戻り、今では多くの支店を出すほどに盛り返しを見せました。



 時は流れ、幼かった長男も結婚適齢期になっていました。ですが、件の理由からなかなかお嫁さんの来手が見つからず、たとえ来てくれたとしても、幸先は不安だらけです。

 一切の感情を封印出来るほど、メンタルの強い女将さんでさえ、何度心が折れそうになったか数知れず。それほど強烈なパーソナリティーの持ち主である大姑と上手くやって行ける女性を見つけるのは、砂浜に落ちた一粒の砂金を探すようなもの。

 長男の竜太郎さんが30歳を過ぎた頃から、茂義家では諦めムードが漂い始めていたのですが、いつもお菓子を卸している茶道の家元から、麻貴ちゃんのことを聞いた女将さんはその人となりを知るにつれ、彼女以外にはいないと確信を持ったのだそうです。

 女将さんの予感は的中。藍玉のOGであり、家事一切は完璧、何よりまったく他者と争わない性格で、最初こそ難癖をつけていた大姑も、一緒にいるだけで穏やかな気持ちにさせる麻貴ちゃんにすぐに魅了され、孫の結婚に異存はない、むしろ早急に話を進めるようにと、大歓迎の意向を見せていました。


「お待たせしました~。お料理が出来上がったので、こちらへどうぞ」


 麻貴ちゃんの呼び掛けにお話を中断し、ダイニングに移動すると、そこには目を見張るようなお料理が並んでいました。

 女将さんが麻貴ちゃんに白羽の矢を立てたもう一つの大きな理由は、彼女のお料理の腕でした。美味しいだけではなく、彼女の舌は一度味わっただけで完璧に再現してしまう、ずば抜けた味覚と感性を持っていたのです。

 食べ物を扱うお仕事ゆえ、彼女の才能はこれ以上ない財産である上に、彼女の作るお料理は、食べ物にうるさい大姑を満足させるのに十二分の効果を発揮していました。




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