失なわれた日常

文字数 1,006文字

「で、さぁ、とうとう、自分の孫の死体を持って来て『この通り、人を殺しました。私は犯罪者なので、ここに入れて下さい』とか言ってきた爺ィまで出やがったよ」
 刑務官(センセイ)は、笑いながら、そう話した。
「いや、それ、死刑でいいでしょ。ブチ込まれんのは、ウチじゃなくて拘置所」
「この前の『何も悪い事してないから、ここに入れて下さい』とか言い出したホームレスの爺さんの方が気が確かだわ、そりゃ」
「どこの気○い爺ィですか、そいつ?」
「それがさぁ、中小だけど景気のいい工場の元社長さん。町内会長やら学校のPTA会長までやった、プチ名士サマよ」
「いやぁ、人間、結構、簡単に堕ちるとこまで堕ちるもんすねぇ」
 職員と囚人は一緒になって、腹を壊すほど大笑いした。

 どうやら、塀の外では、1年ほど前に、ゾンビが発生し始めたらしい。
 と言っても、洒落にならん事になるほどの数までゾンビが増えたのは、ここ半月ほどだ。
 TVで偉い学者が「しすうかんすうてきぞうか」とか言ってたが、「ある日突然一気に爆発的に増えたように見える増え方」だと云う以外は、どう云う意味かよく判らなかった。
 そんな中で、意外にも安全なの場所と化したのが……ここだ。
 外部との人の出入りは最小限。
 外部からの侵入者を防ぐ「塀」が有る。
 外が地獄と化した時、今までと変らぬ平和な生活を維持出来たのは……刑務所の中だった。

「市長の山本です‼ お願いです‼ 門を開けて下さい‼ せめて、子供だけでも、中に避難させて下さい」
「すいません。そんな事態は想定してないので、まずは、国の方に話を通して下さい」
 所長は嘲笑うように答えた。もちろん、職員の家族は、秘密裏に塀の中に避難済みだ。
 市長と所長の話は、実は所内放送で流されていた。哀れだが滑稽な市長の口調に、またしても、職員も囚人もゲラゲラと笑い続けた。
「いやぁ、悪い事はしておくものだねぇ」
 そして、その後数日間、「市長の山本です‼ お願いです‼ 門を開けて下さい‼」は、ウチの刑務所内で流行語と化した。

 だが、更に半月後、とうとう、外の善良な市民サマ達は、頭に来たようだった。
 ヤツらは、塀の中にゾンビ達を投げ込み始めた……。
 そして……外からの守りが完璧な場所は、逃げ場の無い牢獄と化し、職員も囚人も次々と……あ、そう言や、ここは元々「外に逃げられない牢獄」だった。
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