第10話 捨てたい能力

文字数 2,517文字

 何かが髪に触れ、頬に触れた。

「……お母さん……?」

 自分の声で秀一(しゅういち)は目を覚ました。
 車の中だった。
 隣の運転席では従兄弟の正語(しょうご)が前を向いていた。

 いつの間に眠ったのか、関越自動車道を走っていた車は湯川インターを降り、一般道で信号待ちをしていた。

 車内には、聞き覚えのあるピアノ曲が小さくかかっていた。

 ああ、これのせいで母が近くにいる気がしたのかと、秀一(しゅういち)は身を起こしながら思った。
 寝起きのせいか、まだ頭がぼんやりしている。

「……この曲なんていうの? 母さんがよく弾いてた」

「ノクターンの一番な、俺も昔、練習した」

 信号が青に変わり、正語はアクセルを踏んだ。

 ふと視線を感じて、秀一はバックミラーを見上げた。
 髪の長い女がじっとこっちを見ている。

「なあ、次曲がって、この道を通った方が近くないか?」

 正語がナビを指しながらきいてきたが、秀一はおそるおそる後部座席を見た。
 後ろには誰もいなかった。
 再びバックミラーを見たが、今度は何も映っていない。

 (……気のせいか)

 秀一はシートに身を預けた。
 まだ心臓がドキドキしている。

「どうした?」と正語が横目でこっちを見てくるが、秀一はそれには答えず、

「その道はやめた方がいいよ。舗装されてないし、狭いから対向車とすれ違うの大変だよ」

 と、早口で言った。
 動揺を隠すように多弁になった。

「オレが子供の時はこのバイパスがまだなくって、駅まで行くのにそっちの旧道を使ってたんだ。途中に母さんとよくアイスクリームを食べに行ったお店があったけど、そのお店ももうなくなっちゃった。今はハイキングに来た人しか通らないよ」

 正語は脇道を諦めたようで、みずほバイパスを直進した。

 電車の通らないみずほ町にとって、幹線道路と直結するこのバイパスは町民の悲願だったが、県内では税金の無駄遣いと評判が悪い。
 事実、インター付近にはショッピングモールやロードサイド型の飲食店などが並んでいたが、みずほ町が近づくにつれて景色は閑散としていった。
 介護施設付きの老健病院の前を過ぎてからは、セルフのガソリンスタンドと閉店したコンビニがあるだけ。
 通る車も見当たらなかった。

「みずほの人は、地元の店しか使わないから、コンビニが出来ても利用しないんだよ。オレ、隣の湯川市のテニススクールとか、塾とか行かせてもらってたんだけど、母さんはその事で町の人から注意されたんだ。テニス教えてくれる人も勉強教えてくれる人もみずほにいるのに、なんで町の外に行くんだって言われたんだよ」

 秀一は再び視線を感じ、自分の足元に目を向けた。
 さっきの女がいた。

 (うわっ!)

 思わず正語の腕にしがみつき、固く目をつむった。

「具合悪いのか?」

 頭の上から正語の声がした。
 秀一は目を閉じたまま首を振った。

「……用が済んだら、早く東京に帰ろうよ……」

 我ながら弱々しい声が出た。

「俺だって、このままUターンして東京に戻りたいくらいだ。お前もテニスなんかやめて、兄ちゃんのスマホの件、一緒に調べろよ」

 秀一は正語の腕から手を放した。

「約束があるんだ」

 正面を向いて深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
 

を見たくない時にはどうすればいいか、子供の時に兄から教わっていた。

 『深呼吸して、現実の世界で自分がすべきことに集中するんだ』
 
 兄に教わった通り、秀一は何度も深呼吸した。

「どこかで休んでいくか?」
 
 遠くで正語の声がしたが、秀一はゆっくりと呼吸を続け、自分がこれからすることを頭で確認した。

 一つ、みずほ町で開催されるテニス講習会に行き、子供たちとテニスをする。
 二つ、岩田に会って話をきく。

 岩田は手紙で『大事な話があるから、2人きりで会う時間を作って欲しい』と書いてきた。
 何の話か見当もつかないが、岩田に頼まれなければ、みずほに帰ろうなどとは思わなかった。

 (東京にいた時は何も見えなかったのに、みずほに来た途端、これだもんな……)

 死者が見える能力など厄介なだけだと、秀一は心から思った。

 ただ見えるというだけで、兄のように話が出来るわけではない。
 何か訓練でもすれば自分も兄のようになれたのか、それとも生まれつきのものなのか……。

 秀一は深い呼吸を続けながら、去年亡くなった兄のことを考えた。
 町に入れば兄の霊に会えるのか、
 兄とだったら話ができるのか……。

 そんなことを考えていたら突然、肩に手が置かれ、秀一は飛び上がった。

 (ひええっ!)
 
「酔ったのか?」

 正語が真っ直ぐにこっちを見ていた。

 彫りの深い引き締まった顔だった。
 眼窩の窪みと、高い鼻筋が憂いのある影を作っている。

 秀一は思う。
 この頼もしい従兄弟に相談できたらどんなにいいかと……。

 だが体をよじり、正語の手から離れた。
 窓にもたれ、

「なんでもない。早く行こうよ」

 と目を閉じた。

 路肩に停まっていた車が静かに走り出した。



 母親が亡くなり正語の家に預けられた時、空いている部屋がなかったので、秀一は高校生の正語の部屋に同居させてもらった。
 それ以来、このクールな従兄弟は秀一の憧れだった。

 ——だがこの事だけは言えない——

 東京暮らしに慣れてきた頃、正語(しょうご)の父親の正思(しょうじ)がきいてきた。

 『ねえねえ、秀ちゃんも幽霊、見える? 坂本龍馬って知ってる? 僕、お話ししてみたいんだけど、呼び出せる?』

 秀一は正直に、みずほにいた時は見えたけど、東京に来たら見えなくなった、と答えようとした。
 ところがその場にいた正語が突然怒り出した。

 『気持ち悪いこと言うな、くだらねえ‼︎』

 正語が声を荒げたのを秀一は初めて聞いた。(いつもニコニコご機嫌というわけでもないが)
 ショックを受けて固まっている秀一の頭を正思が撫でてきた。

 『正語くんは見えるものしか信じないの。死んだ人が見えるなんて話、嫌いなんだよ。人間がまだ出来てないんだ、長い目で見てあげてね』

 秀一は正語を見上げて急いで言った。

 『オレは何もみえないよ。そういうの、兄さんだけだ!』

 
 正語には絶対に嫌われたくなかった。
 ——昔も今も。

 窓にもたれながら秀一は、誰にも聞かれないようにそっと、静かに、ため息をついた。






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登場人物紹介

鷲宮秀一、主人公の高校生

九我正語(くがしょうご)、秀一の従兄弟、警察官

九我正思(くがしょうじ)正語の父親。人の恋愛感情を瞬時に見抜く特殊能力を持つ。

九我光子、正語の母親。秀一の伯母。

雅、介護士。雅は熟女スナックにいた時の源氏名。本名は不明

夏穂、秀一の幼馴染。秀一に片思い。

涼音(すずね)、秀一の幼馴染

武尊(たける)、秀一の幼馴染

賢人、秀一の甥っ子

真理子、みずほ中学の教師

コータ、真理子の弟、秀一の幼馴染

野々花、パンケーキ店の女主人

岩田、秀一のテニスの師匠

鷲宮一輝(故人)秀一の兄

鷲宮輝子(故人)秀一の母親。正語の母親、九我光子の妹

水谷凛、夏穂の従姉妹

鷲宮智和、秀一と一輝の父親

鷲宮高太郎、智和の兄

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