第1話

文字数 2,930文字

 “Change me back,” George pleaded. “Change me back — please. Not just for my sake but for others too. You don’t know what a mess this town is in. You don’t understand. I’ve got to get back. They need me here.”
-Philip Van Doren Stern from” The Greatest Gift” 1943

「お願いだから元の世界に戻してくれ。自分のために頼んでいるんじゃない。家族や友人のために戻りたい。彼らは僕を必要としている」
― 1943年 ”いちばんのおくりもの“ フィリップ・ヴァン・ドーレン・スターンから  


「ちょっと君、大丈夫?」
隙を見て忍び込んだ深夜のオフィスビルの屋上は地上からの喧騒も遠く、辺りは静まり返っていた。那美(ナミ)は数時間前からずっと一人でそこにいたから、突然話しかけられて飛び上がるほど驚いた。
見るとそこには警備員のおじさんが心配そうな表情で立っていた。


両親を少しでも楽しい気分にしてあげたくて、今日那美はお小遣いで小さなクリスマスケーキを買った。
最初はケーキを囲んで和やかな雰囲気だった。だが母親が去年のクリスマスケーキの話などを始めた時から様子がおかしくなった。父親が数か月前にリストラされたばかりなのだから、去年のような飾りのたくさんついたクリスマスケーキがないのは仕方がないことなのだ。
母親の言葉は次第に愚痴になり、父親がそれを叱ったから事態は最悪になった。
せっかくの気遣いが無駄になったことが腹ただしくて、那美はケーキを鷲掴みにして壁にぶつけ、家を飛び出した。


「何か嫌なことでもあったのかい?」
「あんたに関係ねぇよ」那美は精一杯強がってみせた。
「ちょっと座らないか。おじさんが話を聞いてあげるよ」
「話すことなんかねぇよ」そう言いながらも那美は大人しくその場に座った。
屋上から飛び降りてしまおうと思ってビルに忍び込んだまではよかったが、どうしてもその勇気は出なかったのである。

気がついた時には那美は大声で泣いていた。
聞かれるままにこの数か月間の自分の想いを一度話し始めたら止まらなくなった。那美は素直に悩みを打ち明けている自分が信じられなかったが、おじさんの暖かい声にはそうさせる何かがあった。

父親が仕事を失ったことは悲しい。だが一番悲しいのは、仲の良かった両親が変わってしまったことだった。
両親の口論で時折聞こえてくる進学費用などの言葉は、中学生の那美に重すぎた。両親を少しでも楽にするためには、重荷になっているだろう自分を消す以外の方法は、中学生の那美にとても思いつかなかったのである。

「そうだ。とっておきの物があるんだ。機会があれば使おうと思って今日まで肌身離さず持っていてよかった」
おじさんはそう言うと胸のポケットから一本の何の変哲もない小さいキャンドルを取り出した。
「なんだよそれ」
那美は頬の涙をぬぐって言った。
「そんな汚い言葉ばかり使ってもカッコよくなんてないよ。まぁ見ててごらん。これは魔法のキャンドルだ。昔フィリップ・スターンって作家がいてね。彼はこんな話を書いた」

ジョージという名の男がいた。
クリスマスイブの夜、彼は橋から飛び降りようとしていた。
するとその場に不思議な男が現れた。
ジョージは言う。
「生きていていい事など何もなかった。生まれて来たことが間違いだったのだと思う。僕の望みはただこの世からいなくなりたいことだけだ」
すると男はうなずき「よし。君の願いを叶えてあげよう」と言い、ジョージに村へ戻るように言った。
ジョージはその言葉を疑いながらも自分の村へ戻ったが、驚いたことに誰もジョージを知らなかった。
河で溺れかけていた弟を助けたはずだったのに、弟は死んでしまっていた。ジョージのいない世界で両親は、一人息子の死を嘆き悲しむ毎日を送っていた。
ジョージは自分の家へ向かったが、そこには不幸そうな様子の妻がいた。
村一番の乱暴者と結婚した妻は、毎日の生活に疲れきっていたのである。

ジョージは慌てて橋に戻ると、男を探して言った。
「お願いだから元に戻してくれ。僕は自分の大切な人たちのことも自分自身のことも、何も理解していなかった。何て愚かだったんだろう」
男は言った。
「お前は自分の大切なものを粗末に扱おうとした。だから懲らしめてやろうと思ったんだ。人間に与えられた一番の贈り物は、命なのに」
ジョージは自分の行為を深く反省し、再び自分の世界へと帰って行った。


「このキャンドルはね、昔アンティークのお店で買ったんだ。クリスマスイブの夜にこれに火を灯すと、物語のジョージと同じ体験が出来るって言われてね」
那美は笑った。
「騙されたんだよ。バカだな」
「いいじゃないか。今日はせっかくのクリスマスイブだ。騙されたつもりで使ってみよう」
ライターで火を点けると、キャンドルの火は12月の空の下で寒そうに揺れた。


那美は驚いた。
キャンドルの火の向こうに、両親が自宅のテーブルに向い合って座っているのが見えたからである。二人の姿は数時間前に見た両親の姿よりも遥かに疲れていた。
「お父さん、お母さん」那美は呟いた。

「これでやっと家族全員が一緒になれるな」
「那美が生きていれば今年で16歳ですね。あの子の白血病が分かった時には運命を呪ったものだったけれど・・・」
母親が涙ぐむのが見えた。母の手には那美の写真があった。
「心残りは、お前を幸せにしてあげられなかったことだ」
母親は疲れた顔に笑みを浮かべた。
「私のことはいいんですよ。私の願いは那美の元に行くことだけ」
父親がうなずくのが見えた。
「さぁ、あなた。申し訳ないですが最後の仕事をお願いします」
そうだな、と父親はそう言うと立ち上がり、母親の細く白い首に手をかけた。


「待って!」
那美は慌ててキャンドルの火を吹き消した。
「何なんだよ、これ。ふざけんじゃねぇよ」
「今のは君の両親かい?」
那美は怖ろしさに震えながら、何度もうなずいた。

「ごめんよ。キャンドルをアンティークショップで買ったというのは噓だ。君を思いとどまらせようと思ってついた嘘だったのに、こんな不思議なことが起こるなんて」
おじさんの表情は本当に申し訳なさそうであった。
那美はしばらく怒りで身体を震わしていたが、急に力が抜けたようにその場に座り込んだ。

「警備員室においで。暖かいお茶を淹れてあげよう」
おじさんはそう言ったが、那美の脳裏には先程の両親の姿が焼きついていた。
帰ろう。両親と一緒にいなくては。二人が生きる気力を失わないためには私が必要だ。那美はそう思った。

「家に帰る」
するとおじさんは、「それがいい」と笑顔でうなずいた。
「でも寂しくなったらまたいつでもここにおいで」

「二度と来ねえよ、こんなとこ」那美はそう言いかけたが、しばらく考えてから「ありがとう」と小さい声で言った。
「君は優しい子だ。気を付けて家までお帰り」
那美はクリスマスイブの奇跡に感謝しながら、おじさんに手を振りビルの階段を駆け下りた。
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