Interlude:Super Heroine.
文字数 4,582文字
~~~タバサ~~~
クレーターの底部で、メリーさんと黒虎のトーラが睨み合っている。
縁の部分では人間たちがごちゃごちゃと群れ集い、2匹の巨大生物の戦いを固唾 を飲んで見守っている。
それらをさらに見下ろすのがタバサだ。
彼女は上空高く浮かんでいた。月の化身のように佇んでいた。
「人間が……いっぱい……」
タバサはつぶやいた。
なんの感情もこもっていない平坦な口調で。
交通標識を読み上げるかのようにつぶやいた。
人間たち──楪 旗下 の50名、プラスで古城と奈々、田上 。
どの顔にも覚えはなかった。
いや、正確には覚えていなかった。
古城たちはともかくとして、楪や城戸 とは何度も戦場で顔を合わせているタバサだが、覚える気がないので覚えていなかった。
「貴様! おい貴様! 呆けていないで、さっさとわたしの質問に答えよ!」
花芯部分に仁王立ちしているメリーさんの本体がタバサを見上げ、苛立ったように指をつきつけてきた。
「……質問?」
タバサはコキリと首を傾げた。
「……されたか?」
煽りでもなんでもなく純粋に疑問に思って口にしたのだが、メリーさんは悪くとったらしい。
「むぎいぃぃぃ! バカにして!」と、地団駄踏んで悔しがった。
「さっきから言ってるだろうが! どうしてわたしによくしてくれる人たちを殺したのか! そもそもなぜわたしの邪魔をするのかと!」
「どうして……? なぜ……?」
タバサはコキリコキリと、からくり仕掛けの人形のように左右に首を傾 げた。
「まさか理由がないわけじゃないだろう!? あれだけの人を殺しておいて、ただの気まぐれで済ますつもりじゃなかろう!?」
「理由……は……?」
タバサは首を傾げながら考えた。
どうしてこんな辺鄙な土地を訪れたのか。
どうしてこんな連中と戦い始めたのか。
「どうして……だったかな……?」
なかなか答えが出せずにいると……。
横合いから、ビョウと強い風が吹きつけた。
銀髪がなびき、マフラーがなびいた。
赤い繊維が、視界の片隅で踊った。
「──あ」
ようやく、答えを見つけた。
「正義の味方、だから」
「……は?」とメリーさんは眉をひそめたが、タバサは構わず続けた。
「正義の味方をすると、タスクが喜んでくれるから。お姉ちゃんかっこいいよって、タスクが褒めてくれるから」
「待て、さっぱり意味が……」
「ふひっ……」
表情を変えないまま、口元だけをわずかに緩めた。
「ふひっ、ふひひ……っ」
乱れた呼吸音のようなものを喉から漏らした。
実にわかりづらいが、それがタバサの笑い方だ。
「タスクは言ってた。悪党を倒してみんなを危機から救う。それが正義の味方だって。この赤いマフラーは熱き血潮の証であり、これを巻いている者は、必ず正義を行わなければならないんだって」
そっとマフラーを撫でてから、メリーさんに目をやった。
「……おまえは、悪そうだな 」
「──ひぃっ……?」
メリーさんが、何かに怯えたように背筋を震わせた。
「な、な、な……なんだ貴様は……っ? その目は……!?」
後ずさり、声を上ずらせた。
タバサの目の、特別何かが変わったというわけではなかった。
変わらぬ銀色。永久凍土のような、不変の静寂。
しかし人は、そこに恐れを見る。
自分自身の恐れを反射し、竦み上がる。
その現象をタバサは、こう解釈している。
「その顔……やっぱり……」
口元を緩めた。
「悪いやつは 、みんな同 じ顔をする 」
「バカな……! 誰か……っ!」
メリーさんは助けを求めるように辺りを見回した。
だがすぐに、その行為に意味がないことに気がついた。
みんな死んだ、殺された。
目の前の化け物たち に。
「トーラ……」
タバサがトーラに呼びかけた。
それが戦いの合図だと気づいたメリーさんは、「やるしかない……っ!」と自分自身に言い聞かせた。
「戦い抜くしか道はない……っ!」
抗い突破する、決意を固めた。
花弁で本体を覆うと、長い根を3本、鞭のようにしならせた。
ほぼ同時に──
「トーラ、切り裂け 」
タバサの命令 に従い、トーラが身を低くして走った。
「防御が甘い!」
根っこの1本がしゅるしゅるとトーラを迂回し、タバサに向かう。
狙いはむき出しの飼い主──
ガチィィィンッ。
鋭く尖った根の先端は、タバサの体まであと1メートルというところで、何かにぶつかって弾かれた。
一辺10センチ程度の六角形の金属板の集合体だった。それは根を弾くとすぐ消えた。
「……物理障壁 の類 か!?」
驚くメリーさんに、今度はトーラが迫る。
1本目の根をかいくぐり、2本目の根を飛び越えた。
小刻みにステップを踏んで再び跳び上がると、十分に勢いをつけた爪を振り下ろした。
防壁となる花弁の数枚を、真っ二つに切り裂いた。
直接本体までは届かなかったが、相当なダメージ。しかし──
「ふん、ぬるい攻撃だ!」
メリーさんは鼻で笑った。
「なんだ、この程度か。びび……いや、警戒して損したぞ!」
白い煙を噴き上げながら、傷口はみるみるうちに修復されていく。
「……治ってる?」
タバサはこきりと首を傾げた。
煙がおさまった時には、傷はすべてふさがっていた。
ピンクホワイトのバラの花弁は、最初と同じような優美さで咲き誇っていた。
「驚いたか! どうだ、わたしに立ち向かうことの愚を悟っただろう!」
「ふむ……」
首をかしげるタバサに、根が三本、同時に襲い掛かった。
上から一本、左右から二本。
先ほどと同じく、上の一本は金属板に弾かれた。
左右の二本もまた弾かれたが、こちらはそれだけでは終わらず、大蛇が獲物を締め上げるように巻き付いた。
金属板が、タバサの周囲を一周するように展開して防御した。
ミシミシギシギシ、力が拮抗する音が辺りに響く。
「どうだ! 一撃で破れぬなら、徐々に徐々に締めつけて、防壁ごと圧潰してくれるわ!」
「ふむ……」
根に囲まれても、しかしタバサに動揺の気配はない。
コキリコキリと首を傾げ続け、考え続けた。
「驚いて声も出ないか! そうだろうそうだろう! どうだ、降参するなら見逃してやるぞ!? このまま争い続けてあたら命を落とすよりは、五体満足で生を全うする道を……!」
「……そうか、盾を封じればいいのか」
「こら、人の話を聞け! 今なら──」
「トーラ、吼えろ 」
──ふぅるるるるぅぅぅぅあぁぁぁーっ!
四肢を踏ん張り、トーラが吼えた。
木管楽器を数千本束ねて吹き鳴らしたかのような甲高い咆哮が、超音波となってメリーさんを襲った。
「う、あ、あ、ああぁ……!?」
強力な振動がメリーさんの体内の水分に干渉し、気泡崩壊 を引き起こした。
細かな気泡が絶え間なく発生し、崩壊する現象。それは超高温超高圧の極限反応場を生み出した。
根、茎、葉、花弁に花芯にと、連鎖的に拡がった。
「あ、あ、あぁ……!?」
メリーさん本体も、音の波を逃れることは出来なかった。
皮膚が内臓が筋肉が、無数に泡立つ。弾けて崩れる。
ついに再生機能までも停止した。
「トーラ、かっ捌 け」
がるると一声唸ると、トーラは再び花弁に跳びついた。
本体を防御するために折り重なった花びらを、一枚一枚、左右の爪で削ぎ取っていく。
「ひっ……ひぃあっ!?」
瞬く間に、本体が外気に晒された。
タバサと同じ目を持つ獣と、目が合った。
「あ……あ……あ……!?」
タバサには預かり知らぬことだが、メリーさんはその時、シロとの戦いを思い出していた。
自分が捕食される側の存在であることを思い出していた。
「やだ……また ……食べられちゃう……っ! やだ……もうやだ……助けて!」
ガタガタと恐怖に震え、涙ながらに助命を願うが……。
「トーラ、欠片も余すな」
タバサは一切の容赦なく、命令を下した。
トーラはメリーさんに頭からかぶりついた。
切り裂き、噛み砕いた。
悲鳴はすぐにやんだ。
四肢が力なく垂れさがり、やがてすべて、トーラの腹の中に消えた。
残された外装部分は力なく崩れ落ち、地響きを立ててクレーターの底に横たわった。
タバサが地面に降り立つと、トーラはメリーさんの外装部分を平らげ始めた。
手持ち無沙汰にトーラの食事風景を眺めるタバサの耳に、彼女の名を呼ぶ声が届いた。
声のほうを振り向くと、楪を先頭に古城と奈々、田上らが駆けて来ていた。
「……誰?」
タバサはコキリと首を傾げた。
どの顔にも覚えはなかった。
いや、正確には覚えていなかった。
古城たちはともかくとして、楪には何度も会っているはずのタバサだが、覚える気がないので覚えていなかった。
なぜ覚えようとしないのか?
意味がないからだ。
人間は弱く脆い。
たまに強い個体もいるが、タバサとトーラを脅かすほどの者はいない。
そもそも寿命が短く、覚えてもすぐに死ぬ。
だから彼女はいつも、こう思っていた。
──どうでも、いい。
アリの行軍を眺める気持ちで、タバサは楪たちの到着を待っていた。
そしてふと、思い出した。
「ああ、そうだ……」
マフラーを頬に当てた。
カシミヤの細かな毛が、彼女の心の中の何かをくすぐった。
「もうすぐだった。約束の日……」
タスクの母、つまりはタバサの義母と交わした約束の刻限が間近に迫っていた。
「オカアサンは言ってた……。タスクが、タバサを、幸せにしてくれるって……」
10年と少し前。
禍 が起こるよりももっと前。
タバサは初めてタスクと出会った。
その時タスクの母は、タバサにある約束をした
「タスクが、タバサに、『愛』を教えてくれるって……」
だからお願い、今はあのコを食べないで って──
──その時、凄まじい爆音が轟いた。
地を揺るがし、空気を震わせた。
結界内に反響した。
『………………!?』
みんな一瞬、動きを止めた。
タバサですら、その場に釘付けになった。
同じ方向を見上げた。
炎の尾を引いて、何かが天へ向かって昇っていく。
その日、地球上の多くの人間が見た光。
凄まじい勢いで上昇する、流星のような何か。
それが次元破砕船であり、中にタスクが乗っているだなんて、タバサはまだ、想像もしていなかった。
クレーターの底部で、メリーさんと黒虎のトーラが睨み合っている。
縁の部分では人間たちがごちゃごちゃと群れ集い、2匹の巨大生物の戦いを
それらをさらに見下ろすのがタバサだ。
彼女は上空高く浮かんでいた。月の化身のように佇んでいた。
「人間が……いっぱい……」
タバサはつぶやいた。
なんの感情もこもっていない平坦な口調で。
交通標識を読み上げるかのようにつぶやいた。
人間たち──
どの顔にも覚えはなかった。
いや、正確には覚えていなかった。
古城たちはともかくとして、楪や
「貴様! おい貴様! 呆けていないで、さっさとわたしの質問に答えよ!」
花芯部分に仁王立ちしているメリーさんの本体がタバサを見上げ、苛立ったように指をつきつけてきた。
「……質問?」
タバサはコキリと首を傾げた。
「……されたか?」
煽りでもなんでもなく純粋に疑問に思って口にしたのだが、メリーさんは悪くとったらしい。
「むぎいぃぃぃ! バカにして!」と、地団駄踏んで悔しがった。
「さっきから言ってるだろうが! どうしてわたしによくしてくれる人たちを殺したのか! そもそもなぜわたしの邪魔をするのかと!」
「どうして……? なぜ……?」
タバサはコキリコキリと、からくり仕掛けの人形のように左右に首を
「まさか理由がないわけじゃないだろう!? あれだけの人を殺しておいて、ただの気まぐれで済ますつもりじゃなかろう!?」
「理由……は……?」
タバサは首を傾げながら考えた。
どうしてこんな辺鄙な土地を訪れたのか。
どうしてこんな連中と戦い始めたのか。
「どうして……だったかな……?」
なかなか答えが出せずにいると……。
横合いから、ビョウと強い風が吹きつけた。
銀髪がなびき、マフラーがなびいた。
赤い繊維が、視界の片隅で踊った。
「──あ」
ようやく、答えを見つけた。
「正義の味方、だから」
「……は?」とメリーさんは眉をひそめたが、タバサは構わず続けた。
「正義の味方をすると、タスクが喜んでくれるから。お姉ちゃんかっこいいよって、タスクが褒めてくれるから」
「待て、さっぱり意味が……」
「ふひっ……」
表情を変えないまま、口元だけをわずかに緩めた。
「ふひっ、ふひひ……っ」
乱れた呼吸音のようなものを喉から漏らした。
実にわかりづらいが、それがタバサの笑い方だ。
「タスクは言ってた。悪党を倒してみんなを危機から救う。それが正義の味方だって。この赤いマフラーは熱き血潮の証であり、これを巻いている者は、必ず正義を行わなければならないんだって」
そっとマフラーを撫でてから、メリーさんに目をやった。
「……おまえは、
「──ひぃっ……?」
メリーさんが、何かに怯えたように背筋を震わせた。
「な、な、な……なんだ貴様は……っ? その目は……!?」
後ずさり、声を上ずらせた。
タバサの目の、特別何かが変わったというわけではなかった。
変わらぬ銀色。永久凍土のような、不変の静寂。
しかし人は、そこに恐れを見る。
自分自身の恐れを反射し、竦み上がる。
その現象をタバサは、こう解釈している。
「その顔……やっぱり……」
口元を緩めた。
「
「バカな……! 誰か……っ!」
メリーさんは助けを求めるように辺りを見回した。
だがすぐに、その行為に意味がないことに気がついた。
みんな死んだ、殺された。
目の前の
「トーラ……」
タバサがトーラに呼びかけた。
それが戦いの合図だと気づいたメリーさんは、「やるしかない……っ!」と自分自身に言い聞かせた。
「戦い抜くしか道はない……っ!」
抗い突破する、決意を固めた。
花弁で本体を覆うと、長い根を3本、鞭のようにしならせた。
ほぼ同時に──
「トーラ、
タバサの
「防御が甘い!」
根っこの1本がしゅるしゅるとトーラを迂回し、タバサに向かう。
狙いはむき出しの飼い主──
ガチィィィンッ。
鋭く尖った根の先端は、タバサの体まであと1メートルというところで、何かにぶつかって弾かれた。
一辺10センチ程度の六角形の金属板の集合体だった。それは根を弾くとすぐ消えた。
「……
驚くメリーさんに、今度はトーラが迫る。
1本目の根をかいくぐり、2本目の根を飛び越えた。
小刻みにステップを踏んで再び跳び上がると、十分に勢いをつけた爪を振り下ろした。
防壁となる花弁の数枚を、真っ二つに切り裂いた。
直接本体までは届かなかったが、相当なダメージ。しかし──
「ふん、ぬるい攻撃だ!」
メリーさんは鼻で笑った。
「なんだ、この程度か。びび……いや、警戒して損したぞ!」
白い煙を噴き上げながら、傷口はみるみるうちに修復されていく。
「……治ってる?」
タバサはこきりと首を傾げた。
煙がおさまった時には、傷はすべてふさがっていた。
ピンクホワイトのバラの花弁は、最初と同じような優美さで咲き誇っていた。
「驚いたか! どうだ、わたしに立ち向かうことの愚を悟っただろう!」
「ふむ……」
首をかしげるタバサに、根が三本、同時に襲い掛かった。
上から一本、左右から二本。
先ほどと同じく、上の一本は金属板に弾かれた。
左右の二本もまた弾かれたが、こちらはそれだけでは終わらず、大蛇が獲物を締め上げるように巻き付いた。
金属板が、タバサの周囲を一周するように展開して防御した。
ミシミシギシギシ、力が拮抗する音が辺りに響く。
「どうだ! 一撃で破れぬなら、徐々に徐々に締めつけて、防壁ごと圧潰してくれるわ!」
「ふむ……」
根に囲まれても、しかしタバサに動揺の気配はない。
コキリコキリと首を傾げ続け、考え続けた。
「驚いて声も出ないか! そうだろうそうだろう! どうだ、降参するなら見逃してやるぞ!? このまま争い続けてあたら命を落とすよりは、五体満足で生を全うする道を……!」
「……そうか、盾を封じればいいのか」
「こら、人の話を聞け! 今なら──」
「トーラ、
──ふぅるるるるぅぅぅぅあぁぁぁーっ!
四肢を踏ん張り、トーラが吼えた。
木管楽器を数千本束ねて吹き鳴らしたかのような甲高い咆哮が、超音波となってメリーさんを襲った。
「う、あ、あ、ああぁ……!?」
強力な振動がメリーさんの体内の水分に干渉し、
細かな気泡が絶え間なく発生し、崩壊する現象。それは超高温超高圧の極限反応場を生み出した。
根、茎、葉、花弁に花芯にと、連鎖的に拡がった。
「あ、あ、あぁ……!?」
メリーさん本体も、音の波を逃れることは出来なかった。
皮膚が内臓が筋肉が、無数に泡立つ。弾けて崩れる。
ついに再生機能までも停止した。
「トーラ、かっ
がるると一声唸ると、トーラは再び花弁に跳びついた。
本体を防御するために折り重なった花びらを、一枚一枚、左右の爪で削ぎ取っていく。
「ひっ……ひぃあっ!?」
瞬く間に、本体が外気に晒された。
タバサと同じ目を持つ獣と、目が合った。
「あ……あ……あ……!?」
タバサには預かり知らぬことだが、メリーさんはその時、シロとの戦いを思い出していた。
自分が捕食される側の存在であることを思い出していた。
「やだ……
ガタガタと恐怖に震え、涙ながらに助命を願うが……。
「トーラ、欠片も余すな」
タバサは一切の容赦なく、命令を下した。
トーラはメリーさんに頭からかぶりついた。
切り裂き、噛み砕いた。
悲鳴はすぐにやんだ。
四肢が力なく垂れさがり、やがてすべて、トーラの腹の中に消えた。
残された外装部分は力なく崩れ落ち、地響きを立ててクレーターの底に横たわった。
タバサが地面に降り立つと、トーラはメリーさんの外装部分を平らげ始めた。
手持ち無沙汰にトーラの食事風景を眺めるタバサの耳に、彼女の名を呼ぶ声が届いた。
声のほうを振り向くと、楪を先頭に古城と奈々、田上らが駆けて来ていた。
「……誰?」
タバサはコキリと首を傾げた。
どの顔にも覚えはなかった。
いや、正確には覚えていなかった。
古城たちはともかくとして、楪には何度も会っているはずのタバサだが、覚える気がないので覚えていなかった。
なぜ覚えようとしないのか?
意味がないからだ。
人間は弱く脆い。
たまに強い個体もいるが、タバサとトーラを脅かすほどの者はいない。
そもそも寿命が短く、覚えてもすぐに死ぬ。
だから彼女はいつも、こう思っていた。
──どうでも、いい。
アリの行軍を眺める気持ちで、タバサは楪たちの到着を待っていた。
そしてふと、思い出した。
「ああ、そうだ……」
マフラーを頬に当てた。
カシミヤの細かな毛が、彼女の心の中の何かをくすぐった。
「もうすぐだった。約束の日……」
タスクの母、つまりはタバサの義母と交わした約束の刻限が間近に迫っていた。
「オカアサンは言ってた……。タスクが、タバサを、幸せにしてくれるって……」
10年と少し前。
タバサは初めてタスクと出会った。
その時タスクの母は、タバサにある約束をした
「タスクが、タバサに、『愛』を教えてくれるって……」
だからお願い、今はあのコを
──その時、凄まじい爆音が轟いた。
地を揺るがし、空気を震わせた。
結界内に反響した。
『………………!?』
みんな一瞬、動きを止めた。
タバサですら、その場に釘付けになった。
同じ方向を見上げた。
炎の尾を引いて、何かが天へ向かって昇っていく。
その日、地球上の多くの人間が見た光。
凄まじい勢いで上昇する、流星のような何か。
それが次元破砕船であり、中にタスクが乗っているだなんて、タバサはまだ、想像もしていなかった。