文字数 9,321文字

        二

「――最後の生み名、はじめます!」
 わきあがる気力を胸に、(じゅん)はオンとナノコに笑顔でうなずいた。
「悪い。心配かけた。でももう大丈夫だ。最後の最後、逆転してやるよ」
 オンとナノコは瞳を潤ませ、潤の胸に頭をこつんとくっつけてきた。潤はそれぞれの肩を一瞬だけ抱き締め、それから前に進み出た。
 平面台に残った最後の対象物、水槽の中の小さなシマヘビ。一度深呼吸してからそれに手をかざし――集中力を高めろ。精神を研ぎ澄ませ。感性を極めろ――そして祝詞(のりと)を紡いだ。
「――この世に、ただひとつ、おまえだけの、愛の名を」
 大切なものを守れるようになりたい。
 その大切なものが守り神や家族、上雲津(かみくもつ)のひとや九十九(つくも)(がみ)だなんて、すごいことじゃないか。
 そんなでかい責任を背負える強い名授(めいじゅ)になってやる。
 潤は大きな決意を秘め、蛇の生み名に心を傾けた。多彩な言葉が頭を巡る。それは永遠の()となって、潤の選択を待ち望んでいる。
「生まれてこい、九十九神」
 潤の感性がその環を断ち切る。そこから零れた名を掬いとると、それは、さあ声に出してくれと潤を促した。
 ああ、まかせろ。
 潤の想いと九十九神の名が、今、手を取り合うように融合する。
「おまえの名は――」
 この瞬間に(くさび)を打つように、潤は声を炸裂させた。
「〝未来ドラゴン〟!」
 それは小さな蛇が天翔ける竜になるのなら、今は頼りない自分もきっと強くなれる。そんな切実な願いを投影した名でもあった。
 潤の手の先に【愛】の字が出現する。まるでシャボン玉を吹いたように、数多の【愛】が宙に舞った。その数は十を超え、二十、いや三十に迫るほどの【愛】の乱舞だ。
 これが今の俺のすべてだ!
 潤は念じた。生まれでる九十九神にかけがえのない祝福を、と。
 横ではオンとナノコが、胸の前で手を重ねて祈っている。
 無数の【愛】は水槽の中に落ち、とぐろを巻く蛇に、吸い込まれて消えた。蛇が発光しだす。それはすぐに光の塊になると、見る見るうちに大きさを増した。元の二倍、三倍、四倍……膨張に耐えかねて水槽が割れた。やがて光の塊は、潤の胸の高さほどに巨大化して、横幅はそれの倍以上になった。
 これは?
 光が収まり、姿を現した九十九神に、潤は目を丸くした。胴体は直方体の箱型に近く、背中部分がぽっかりと、ひとが二、三人乗れそうなほど抉れている。その箱型胴体の前とうしろには、イグアナのような頭部と尾が生え、胴体の両脇には丸みを帯びたフォルムの小さな翼が、パタパタはためいている。
 ドラゴンのようでドラゴンでないそれは、無邪気な声で元気に名乗った。
「夢と希望を運ぶミライゴンドラ……じゃなくて、ミライドラゴンなのダ」
 本人が間違うほどに、その姿、ドラゴンというよりゴンドラだった。
「……」
 想像とは微妙に、というより根本的にずれた九十九神の誕生に、潤は拍子抜けした。だが今重要なことは、生まれた九十九神の神数(かみかず)がいくつかということだ。
 潤は覚悟を決め、ミライドラゴンの頭上に目を凝らした。高い神数でありますようにと、ひたすら願いながら。
!?
 それを見た瞬間、潤は脱力し、両膝がガクッと折れてひざまずいた。
 ああ、俺は……俺は……。
 深々と息を吐く潤に、オンとナノコが勢いよく抱きついてくる。
「おめでと夫くん!」
「すごいのです夫さん!」
 俺は……――やったんだ!
 潤はようやく破顔した。あらためてミライドラゴンの神数を確認する。
【四十六】。
 何度瞬きしても見間違いではない。その数値は燦然と輝いて見えた。
 勝てる、俺は名授になれる。
 生み名を成功させたことによる激しい疲労も、計り知れない喜びへ代わっていく。
 神数【四十六】。(ささ)のカエンシトネの【三十一】より十五も高い。もちろん笹の最後の試技が残っているから安心はできない。が、潤に大きなアドバンテージができたことはたしかだろう。
 それを感じた観衆からも「お見事古賀崎(こがさき)殿!」「あっぱれ名授殿!」「この調子で町を守ってくだされ!」と、潤の勝利が決まったかのような声が飛ぶ。
 思いがけない称賛を浴び、潤は浮き立つような心持ちにしばし酔った。九十九神たちに認められたみたいでうれしい。なにより大切な守り神に喜んでもらえたことが、胸を熱くさせた。
 が、その空気に抗う、低い怨嗟のうめき。
「ふ……ふざけ……るな」
 笹だ。その端正な顔立ちは怒りにゆがみ、充血した目で潤を憎々しく睨みつける。
 まさか潤が、これほどの九十九神を誕生させるとは思っていなかったのだろう。額から汗をぽたぽた垂らし、顔面蒼白。噛んだ唇が裂け、口元からひとすじの血が流れている。鬼気迫る美しい顔に、壮絶な破滅の匂いが浮かんだ。
「……負けねえ」
 よろっとふらつき、そのまま蛇のいる水槽の縁に手をついた。
「負けねえ負けねえ負けねえ負けねえ負けねえ負けねえ負けねえ」
 見開いた目が激しく揺れ動き、まぶたが痙攣している。怒気によって髪は膨れ上がり、激しい呼気が肩を大きく上下させた。
「僕は負けられねえ…………家のため…………ママやパパに楽をさせてあげるため……」
 笹の悲愴な呟きに、潤は複雑な気分になった。
 言霊(ことだま)夫婦(めおと)になって守り神を迎え、それによって綾乃瀬(あやのせ)家に幸を招いて両親に豊かな暮らしをさせる。おそらくそれが笹の本心なのだろう。それはとても痛切で、思いやりに満ちた願いだ。だがもし潤が勝てばその望みは叶わなくなる。
「笹……」
 潤の勝ちたい気持ち、名授になるという決意に変わりはない。でも決着を先延ばしにしたいような、そんな当惑が胸に広がった。
 そのとき、
「笑止、笑止。うろたえることなぞ、微塵もない。あんな世間知らずの青臭いガキ僕ちゃんに、きさまは負けない。なあ、そうだろ綾乃瀬笹?」
 冷笑とともに飄然とした声が響いた。笹のほうから聞こえてくるが、もちろん声の主は笹ではない。大声ではないのに、庭園の隅々にまで行き届く不穏なバリトン。
「なあ、笹よ。きさまにはまだあれがあるじゃないか? とっておきのヤツが。俺が教えた唯我独尊、天下無双の至高の名が。遠慮はいらん、使っちまえ。きさまの尊い欲望を叶えるには今が頃合いだと思わんか?」
 軽さと重さが同居し、聞くものを引きつける流暢で洗練された口ぶり。場に流れる空気は一変し、誰もが身動きとれずに沈黙した。沈黙せざるを得なかった。圧倒的な言い知れぬ圧力によって。まるでその声に、言葉に、すべてが支配されたみたいだ。
「さあ、言えよ綾乃瀬笹。勝つんだ綾乃瀬笹。その手は幸福をつかむためのもの。誰もそれを邪魔立てする権利などない。それこそ素晴らしい(ことわり)ではないか。さあ、つまらん運命などねじ伏せてみろ――綾乃瀬笹!」
 不意に笹の背後に影が現れた。まるで墨をつけた刷毛(はけ)を無造作に走らせ、描いたようなその姿。
「クロ!?
 朽ちたこうもり傘を思わせる風貌に、潤は目を見張った。
 背中でなびく、あちこち裂けた黒マント。顔まですっぽり覆った黒フードに、黒一色の布を身体に巻きつけた装い。黒いミイラ男然とした痩身は、先日、潤の前に現れ、潤を散々侮辱した九十九神――クロだった。
 クロの登場に、オンとナノコは「誰?」と、小首をかしげ、観衆の九十九神たちも怪訝顔を見合わせる。ただ大根おじじだけが、驚きをあらわに唸った。
「なにゆえ、今、ここに?」
 しかしその呟きは、笹の慟哭のごとき叫びにかき消されてしまった。
「そうだ、僕は勝つ! 誰にも邪魔させねえ! 勝ってパパとママを幸せにするんだ!」
 笹は水槽のシマヘビに手をかざした。
「我いだきし! こはき宿望(しゅくぼう)! 天照(あまて)(こと)()にて! 〝(まな)〟のしるしとせむ!」
 ひきつった声は不協和音となって叩きつけられ、瞳はなにかに憑かれたみたいに黒くよどんでいる。
九十九(つくも)(ことわり)綿々と! (つち)にまざりて! かの生みし名に! 御霊(みたま)を降ろしたてまつらん!」
 背後ではクロがゆらゆらとマントを揺らし、ときおり満足気な笑い声をもらす。
「汝の名は――!」
 水槽の中の蛇が、二又に裂けた舌をしゅるっと伸ばした。まるで笹から名を引き出すように、誘うように、名を早く呑み込ませろと、ほくそ笑むように。
 そして笹は天に向かって、生み名を叫んだ。
「〝堕天(だてん)蛇蝎(だかつ)!!
 その名が雷鳴のように轟いた瞬間、大根おじじが悲鳴を上げた。
「いかん! それは忌避(きひ)(ことわり)! 『陰陽(おんみょう)雑記(ざっき)忘却(わすれじ)(こう)に記されし厄神(やくがみ)の名! 災いを呼び、世に(あだ)なす仇名(あだな)ですぞ!?
 厄神? 仇名?
 不吉な単語に、潤、オン、ナノコが眉をひそめる。しかし大根おじじに問い返す間もなく、笹の手の先からおびただしい【愛】の字が奔出した。サイズは飴玉ほどだが量は無数だ。それはまるで蟲の大群のように蠢き、水槽の蛇に一気になだれ込んだ。とたんに蛇は眩い光に包まれ、つぎの瞬間、カッと爆発した。
 目を開けていられない光の氾濫。観衆の悲鳴。閉じた瞼の裏が日光に向けたときのように赤々と染まる。
 なにが起きた!?
 潤は顔の前に手をかざし、目を細く開けた。光が暴力的に渦巻く白一色の景色に、おぼろな影がにじむ。一瞬、クロかと思ったが、巨大すぎる。潤はさらに目を凝らす。影の大きさはマイクロバスほどもある。不気味な影は身震いし、蛇がとぐろをほどくようにその体躯を伸ばした。
 なんだあれは?
 しだいに目を射る爆発光が弱まり、視界に庭園の景色がよみがえる。それとともに、影色の巨躯が圧倒的な全体像をあらわにした。
!?
 潤も、オンも、ナノコも唖然とした。観衆は恐怖におののき、悲鳴のシャワーを庭の中央へ浴びせた。
 竜。そこにいたのは、どす黒い邪霧(じゃきり)をまとった巨竜だった。
 (わに)に肉を分厚く盛りつけたような醜い頭、鹿に似た角、(ひげ)は鞭のごとくしなり、欠けた月の(まなこ)は、血が噴きでそうなほど赤い。でっぷりと太った蛙を思わせる胴はいかつい鱗に覆われ、禍々しい爪を持つ二本の手と二本の足がある。背びれは鋭く、陽光を反射。背からは(ふし)が浮き彫りとなった漆黒の片翼が生え、丸い肉塊が数珠状につながった尻尾は、その先端がさそりのそれのように尖っている。
 身体を折り曲げてはいるが、それでもこの場のどの九十九神より大きい。背を伸ばせば屋敷の屋根を優に越えるだろう。
 そんな巨大な竜――ダテンダカツが咆哮した。空気を引き裂く轟音に、誰もが腹を打たれるようだった。
「生まれたばっかなのに、なんでもう九十九(つくも)堕使(おとし)なのあれ!?
「しかも邪霧の色があれほど黒いなんて前代未聞なのです!」
 オンとナノコがダテンダカツを警戒し、身構える。大根おじじが観衆に避難を呼びかけながら、顔をしかめた。
「厄神の名の力に負け、正気が喰われておるのです。ご覧なされ、ダテンダカツの神数を」
 オンとナノコがダテンダカツの頭上に目を向け、潤もそれに倣った。目を凝らすと、ダテンダカツのいかつい頭の上に漢数字が浮かび上がる。
【八九】。それが厄神の名を与えられた九十九神の神数だ。
 高い数字だ。しかし今は分かれているとはいえ、守り神オンナノコの神数は【九十九】。オンとナノコが力を合わせれば、邪霧を祓えるのでは?
 しかし潤の考えを察したのか、大根おじじは重々しく頭を振った。
「八十九ではありませぬぞ。すでにあれは(ことわり)から逸脱した(やから)なのですから」
 そこで潤も妙なことに気がついた。神数が八十九なら【八十九】と表示されるはずだ。【八九】はおかしい。
 パタッ。
 そのときダテンダカツの【八九】が、幾重にも重ねた数字パネルがめくられるように変化した。パタッと【八九】の【八】が【や】へ、【九】が【く】となって【やく】となり、続けざまにパタッと、今度は【やく】が【厄】となった。
 なんだありゃ……。
 潤は目を疑った。厄神だから神数【厄】なのか。もう意味がわからない。たちの悪い冗談みたいだ。が、ダテンダカツの巨体がのたうち、暴れだしたのを見て、それどころではなくなった。
「笹!?
 ダテンダカツのわずか後方にしゃがみ込み、血の気のない顔でその忌まわしい姿を見上げている笹がいた。見開いた双眸からはとめどなく涙があふれている。
「ち、違う……違う……こ、こんな……こんなことになるなんて……ぼ、僕は……僕は……」
 腰が抜けているのか、逃げようともせず、ただ全身をガタガタと震わせている。
 潤はとっさに駆けた。ダテンダカツが野太い足を踏み鳴らし、丸い肉塊が連なる尻尾を振り払った。その尻尾が笹に迫る。
 間に合え!
 潤は笹に飛びつき、その身体を抱いてふたりで地面に転がった。ダテンダカツの尻尾の先が笹の胸元をかすめ、着ていたパーカをビリッと裂く。
「夫くん!?」「夫さん!?
「大丈夫だ!」
 オンとナノコに応えつつ、潤は笹を抱えて垣根のそばまで避難した。
「怪我はないか、笹?」
 ダテンダカツの尻尾は寸でのところで回避できたはずだが、笹の胸元を念のため確認した。パーカは無残に破けているが出血はなく、やはり怪我はしてないみたいだ。ただ白い肌と白いブラジャーが覗いている。
「……え?」
 ブラ……ジャー?
 巨大な牙を光らせ、口から唾液を垂らして暴れる巨竜――ダテンダカツ。オンが拳を振り上げてそれに飛びかかり、ナノコは「上雲津(かみくもつ)守護之(まもりの)霊妙(れいみょう)――(えん)(はらえ)!」と唱え、出現させた炎の円盤をダテンダカツに放つ。そして観衆の九十九神たちは、ほうほうの(てい)で屋敷の外へ逃げだしていく。
 そんな非常事態、危機的状況だというのに、潤の意識は笹の純白のブラジャーに釘づけになった。そのあまりの異質さに、頭がうまく働かない。
 笹がブラジャー? 男の笹がブラジャー?
 見間違いかと思い、顔を近づけてみる。パーカの破れ目をわざわざ指でつまんで広げてみると、控え目に膨らむ胸があった。
 おや? これは?
「へ、変態!」
 笹にバチンッと頬を叩かれ、目から火花が散った。我に返った。
 笹は両手で胸を隠し、真っ赤な顔であわあわとうろたえている。
「な、なななななに見てんだ、バカッ、へ、変態エロ野郎!」
「いや、え~と……笹……おまえって女?」
 驚きのあまり頬の痛みも忘れ、潤は笹に尋ねた。笹は悪戯を見咎められた子供みたいに身を縮め、か細い声で答えた。
「お、女で悪いかよ…………だって……だってしかたないだろ……今の守り神は女の子だから……だからクロさんに言われて男の子のふりを」
「はあ?」
 潤は耳を疑った。理解できない。狐につままれたようだ。今の笹の言葉だけではとうてい納得できず、訊きたいことが山ほどある。だがダテンダカツの吼え声が音圧とともに叩きつけられ、悠長に話をしている場合ではないと気がついた。
 大きな破壊音とともに、屋敷の門がダテンダカツに押し潰される。その巨体だけでも厄介なのに、ダテンダカツは口を大きく開けると、口腔からいかずちを吐いた。ダテンダカツに迫りかけていたオンがとっさに身をひるがえして避け、その後方のナノコが「上雲津(かみくもつ)守護之(まもりの)霊妙(れいみょう)――(つち)(はらえ)!」と、地面を壁のようにせり上げていかずちを防いだ。土壁はそのままダテンダカツに突進。巨体を庭園の外へ弾き飛ばした。
 しかしダテンダカツに衰えた兆候はない。邪霧の色も変わらず、暗黒の霧がしたたり、全身を覆っている。
「無駄に手強いじゃん、あのデカいの」と、オンが歯噛みする。
「ええ、でもわたくしたち、負けるわけにはいかないのです」
 静かに闘志を秘めたナノコにオンがうなずく。目線を交わしたふたりは声を合わせた。
「だって守り神だから」
 不意に屋敷の外でダテンダカツが飛び上がった。漆黒の片翼を羽ばたかせ、起こした強風で瓦礫を飛ばす。それによってオンとナノコを足止めし、瞬く間に高度を上げた。
「うわぁ、飛んじゃったよ、あいつ。これ、まずいよね? あんなのを野放しにしたら」
「上雲津のひとと九十九神に危険が……いいえ、上雲津そのものが滅びかねません」
 ダテンダカツはぐんぐん上昇しながら、いかずちを吐いた。その光は眩く、視界が一瞬白く染め上げられる。と同時に、バリバリと雷鳴が鳴り、屋敷や庭園のあちこちが弾け飛んだ。
陽気(ようき)(ほうき)!」
 辺り一面焦げた匂いでむせ返る中、オンが叫んだ。屋敷の中から、おそるおそるといった様子で、竹箒の九十九神、陽気箒が姿を見せる。
「ヤだなヤだな、ヤな予感しかしないっすよ」
「あたしとナノコを乗せて」
「ほらやっぱり! いやいや、稲妻食らったら、それはもう簡単に燃えるっすよ、おいら竹だから」
「乗せてくれないなら、今ここでわたくしが燃やしますよ」
「どうぞお乗りくださいっす!」
 ナノコに笑顔で脅された陽気箒は、慌てて守り神のふたりの元へ飛んで行った。
「オン、ナノコ、待ってくれ!」
 陽気箒に跨るふたりを、潤は呼び止めた。
「俺も行く」
 一緒に行って、なにができるかはわからない。でも先日、肖像蛾との戦闘に赴く際、大根おじじは、名授が一緒にいるだけで守り神の力になると言っていた。それにそのときオンナノコは自分からは言わなかったが、潤に一緒に来てほしいと願っていた。
 なら今回だって一緒に行かない手はない。
「む、無理だよ夫くん。あいつ、今までの九十九(つくも)堕使(おとし)とは段違いだよ。やばすぎるってば」
「お気持ちはありがたいのですが、夫さんを危ない目に合わせるわけにはいかないのです」
「ていうか、おいら三人も乗せられないっす。重量オーバーっす」
 同行を反対する三人をよそに、潤は視線を巡らせ呼びかけた。
「ミライドラゴン! いるか!?
「あいあ~い! ミライゴンドラ、じゃなくてミライドラゴンはここにいるのダ!」
 垣根を飛び越えて、ミライドラゴンが飛んでくる。ゴンドラ胴体の翼はミニサイズだが、飛ぶのに支障はないようだ。飛行艇のように宙を横切り、潤の前に降りたった。
「俺を乗せてくれ」
「あいあ~い! 名前をくれた名授さまのためなら、ミライゴンドラ、じゃなくてミライドラゴンは命を懸けるのダ!」
 興奮気味に翼を動かす九十九神に、潤は「いや、それはダメだ」と、優しくたしなめた。
「誰も命なんて懸けなくていい。死んだらダメだ。皆でダテンダカツの邪霧を祓って戻ってくること。そのために力を合わせよう」
 そう言って、オンとナノコに向き直った。
「危険だからこそ俺も行く。俺はおまえたちの夫で、上雲津の名授なんだから」
 オンとナノコはぴくっと全身を震わせ、二、三度瞬きをした。はぁっと、感じ入るように息を吐き、それから胸に手を置くと「はい」と返事をした。
「行こ、夫くん」
「行きましょう、夫さん」
 潤はうなずき、ミライドラゴンに飛び乗ろうと、ゴンドラ胴体の縁に手をかけた。が、今まで唖然と成り行きを見ていた笹が、潤を呼び止めた。
「こ、古賀崎潤……おまえバカか?……そこまで大バカか?……なにかっこつけてんだよ?……あんなのと人間が……中学生のおまえが戦えるわけないだろ…………死ぬよ……死んじゃうよっ」
 笹は腕で胸を隠しながら、その場にへたり込んでいる。悄然とした様子が、その細い身体をさらにはかなげに見せる。
「都合いいこと言ってんのはわかってる……わかってるよ、全部身勝手なわたしのせいだってこと……こんなことになるなんて思わなくて……だから……だからホントはわたしがどうにかしないといけないってのもわかってる……でも……でも……」
 笹は声を振り絞った。髪の毛から土埃がパラパラと、涙とともに零れ落ちた。
「ごめん……ごめんなさい……わたしはなにもできない……怖くて……動けない……」
 この状況を招いた罪に苛まれ、責任の重さを痛感し、笹は身を震わせる。それを抑えようとするかのように、自分の両腕でおのれを抱きしめ、嗚咽をもらした。
 なにもできないことで、どんどん自分を追い詰める笹に胸が痛み、潤はあえて明るい声で言った。
「笹、おまえってホントは自分のこと〝僕〟じゃなく〝わたし〟って呼んでんだな」
 思いがけないことを言われ、笹は涙で濡れた顔をきょとんとさせた。潤は「そのほうが全然いい」と、顔をほころばせる。
「なあ、笹」
 潤は屈託なく語りかけた。
「俺はべつにかっこつけてるわけでも、正義感とか、たいそうな志があるわけでもない。全然そういうんじゃないんだ。ただ……ただホントの自分で〝自分らしく〟やっていこう。それがいちばん大切だって思ってるだけなんだ。たとえ迷ったり間違ったりしたときでもさ、そのことを忘れなかったら前に進めんじゃないか……て、まあ、偉そうなこと言ってっけど、俺も最近になって気づけたんだけどな」
「古賀崎潤?」
「だから俺は守り神と一緒に行くんだ。一緒に行きたいんだ。俺が〝自分らしく〟決めたことだから」
「……〝自分らしく〟……?」
「ああ、〝自分らしく〟だ。それを貫こうとすれば、そりゃあ、大変なこともいっぱいあるだろうけど、でもきっとそのほうが後悔しない」
 潤は胸を張って、笹をまっすぐ見つめた。
「俺はオンとナノコと一緒に戦いたい。彼女たちを守って、ときには守られて、皆を守って、皆が住む上雲津を守りたい。それができたら……なんていうか、うん……俺は今より〝自分らしく〟強くなれそうだから」
 きっぱりと言い切った潤に、笹は眩しげな表情を向け、やがて深々と息を吐いた。憑き物でも落ちたみたいに、カドの取れた柔らかい雰囲気をまとい、蒼白だった肌にはほんのりと赤みが戻ってくる。
 そこにあるのは、まだあどけない少女の素顔だった。
「古賀崎潤、お願い……お願いします」
 笹は神妙に頭を下げ、切実に訴えた。
「ダテンダカツを止めて。町を守って。それから皆で戻ってきて。そしてわたしにちゃんと謝らせて。お願いだから。わたし、ここで待ってるから。笑顔で帰ってきて。必ずだよ!」
「まかせとけ!」
 潤はそう言って、ミライドラゴンのゴンドラ胴体に飛び乗った。

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登場人物紹介

古賀崎 潤(こがさき じゅん)


十三歳の中学生。

故郷、上雲津の守り神のパートナーになり、つくも神の世界に関わっていくことになる。


守り神のオンナノコ


上雲津の地を守護する守り神。

責任感が強く、上雲津のつくも神と人々が大好き。潤のことはそれ以上に愛している。

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