1. 〝天路歴程〟
文字数 2,263文字
「ほんとに慌ただしいんですね」
荷台に乗り込んだ一方が、薄明りの中で言う。
「荷受けも納品も、なるべく人目につかないように、って言う決まりがあるから。トラック側に」
別の影が荷台を探りながら答える。
「それにしても、地下道にこんな出入り口があるなんてびっくりです」
「地方の地下道はほとんど人が通らないから。後は使われていない資材置き場や、据え置きされたトラックのコンテナなんかからも出入りするよ」
「へえ。何だか少しわくわくしますね」
「浮かれないで。それから、何度も繰り返すけど、この姿の時は絶対名前を言っちゃだめ。あなたはクロノス。私はガウス。そちらはパスカル。相手が年上でも、『さん』とかつけない。絶対忘れないで」
「あ、はい」
クロノスが頷き、荷台の側面から板を引き出した。
「とりあえず、座ろ?」
「あ、ベンチだ」
あおり部分と蝶番でつながった板にはせんべい布団が敷かれている。ガウスとクロノスが隣同士に、反対側にパスカルが腰掛ける。
「何か暖かくないですか?」
「この車は特別仕様で、荷台にも冷気、暖気が流れるようになってるの」
「へー」
「そこまでしてる車は他にはないけど、みんなウルヴズ用に色々と工夫してくれてるよ」
「さすが、も、じゃなくてファーレンハイトの」
「それもダメ」
ガウスがクロノスの口をマスクごと手のひらで覆う。
「私たちがウルヴズでない時の関係性も、とにかく、私たちが誰かを推測できるようなことは一切言っちゃダメ」
「私たちしかいなくてもですか?」
「厳密には聞いてる人がいなきゃいいけど、クロノスはまだ慣れてないから、とにかく個人情報を言わないことを習慣にして」
「はあい」
「それから、この車みたいに、小窓から運転席が見えるタイプもあるけど、ドライバーには話しかけないで。話しかけられたら、首を縦に振るか横に振るかだけで答えて」
「わかりました」
「あんまり外は見えないけど、どこへ行くか、とか、今どこにいるか、とかは、ほら」
ガウスが荷台の小窓の上に据え付けられたタブレットを指し示す。
「全部ここで確認できる。これはこの車だけじゃなくて、ウルヴズを搬送するトラックには全部ついてる。必要最低限のコミュニケーションはこれを通してできる」
「はい」
クロノスは頷き、ぽつりと言った。
「でも、ほ、じゃなくて私、役に立つんでしょうか?」
そして再度ガウスを見る。
「何か、さっきの話を聞いてると、役に立てる気がしないんですけど」
「役に立つかどうかはあまり問題じゃない」
パスカルがスマートフォンを見ながら言う。
「発注や納品は、一種の儀式だ。偶然生まれてしまったウルヴズを、多少強引にでも利用することで無駄をごまかそうとする。ある意味、年度末に予算を使い切るようなもんだな」
「はあ」
「例えばクロノスに限って言えば、クロスプランツはともかく、自身の皮膚や爪を培養したゴーグルなんてない方がいい。今クロノスが被っているガウスの予備のゴーグルみたいに、自分のDNAが入ってなければなおせるんだからな。それでもあえてそういう装備を作る。ゴーグルや靴ができたら、それを身につけろ、となるだろう。無駄だとわかっていても、それが決まりだからだ」
「ええ」
「で、でもね」
肩を落とすクロノスにガウスが声をかける。
「もしかしたら、クロノスのすごさがまだ理解されてないのかもしれないよ。正しく理解されて、『すごい!』ってなったら、また違う形になるかもしれないよ」
「まあ、それは言えるかもな。何にせよ、標本数が少なすぎるんだよ。もっとも、国からしたら、あまり増えてほしくない標本だけどな」
「ふーん」
クロノスが頷く。車が国道十八号、そして浅間サンラインを越えた。
「これが登山口連絡道路」
ガウスが言った。
「舗装はされてるけど、すごくカーブしてるからしっかりつかまっていて」
「は、はい」
クロノスが幌の骨組みに手をかけた。いくつか目かの左カーブで、ガードレールが崖側に落ちているのが見えた。
「事故ですか?」
「うん。先に連絡道路ができちゃったから、走り屋さんみたいな人たちがよく来るみたい。で、たまにああやってガードレールを突き破る人もいる」
「直さないんですか?」
「特にこの辺りは土地の権利関係が微妙だからな」
パスカルがクロノスを見た。
「さっきも言った通り、誰かが単独で、ってわけにはいかない。結局、意思決定が大幅に遅れる、っていう繰り返しだ。それも含めて、俺たちみたいなもんだな」
それからしばらく無言の後、クロノスが「あっ!」と声を上げた。
「あれがそうですか?」
小窓を通して前方の高い塀を指さす。
「あれはさっき言った浅間バルカンパーク。登山口はもう少し上」
ガウスが答える。
「でも、そろそろ着くから、準備して」
「何の準備ですか?」
「心の準備」
ガウスがマスクを外し、口角を上げて見せた。
「登山口の施設が完成すれば、登山の人たちだけじゃなくて、観光の人たちもたくさん来る。家族連れの親子や、デートの人たちが楽しい時間を過ごせる。パスカルの言うのはそうかもしれないけど、でも、私は、私がほんの少しでも誰かの笑顔に貢献できるって信じてる」
クロノスはガウスを見つめ、「は、はい!」と大きく頷いた。
荷台に乗り込んだ一方が、薄明りの中で言う。
「荷受けも納品も、なるべく人目につかないように、って言う決まりがあるから。トラック側に」
別の影が荷台を探りながら答える。
「それにしても、地下道にこんな出入り口があるなんてびっくりです」
「地方の地下道はほとんど人が通らないから。後は使われていない資材置き場や、据え置きされたトラックのコンテナなんかからも出入りするよ」
「へえ。何だか少しわくわくしますね」
「浮かれないで。それから、何度も繰り返すけど、この姿の時は絶対名前を言っちゃだめ。あなたはクロノス。私はガウス。そちらはパスカル。相手が年上でも、『さん』とかつけない。絶対忘れないで」
「あ、はい」
クロノスが頷き、荷台の側面から板を引き出した。
「とりあえず、座ろ?」
「あ、ベンチだ」
あおり部分と蝶番でつながった板にはせんべい布団が敷かれている。ガウスとクロノスが隣同士に、反対側にパスカルが腰掛ける。
「何か暖かくないですか?」
「この車は特別仕様で、荷台にも冷気、暖気が流れるようになってるの」
「へー」
「そこまでしてる車は他にはないけど、みんなウルヴズ用に色々と工夫してくれてるよ」
「さすが、も、じゃなくてファーレンハイトの」
「それもダメ」
ガウスがクロノスの口をマスクごと手のひらで覆う。
「私たちがウルヴズでない時の関係性も、とにかく、私たちが誰かを推測できるようなことは一切言っちゃダメ」
「私たちしかいなくてもですか?」
「厳密には聞いてる人がいなきゃいいけど、クロノスはまだ慣れてないから、とにかく個人情報を言わないことを習慣にして」
「はあい」
「それから、この車みたいに、小窓から運転席が見えるタイプもあるけど、ドライバーには話しかけないで。話しかけられたら、首を縦に振るか横に振るかだけで答えて」
「わかりました」
「あんまり外は見えないけど、どこへ行くか、とか、今どこにいるか、とかは、ほら」
ガウスが荷台の小窓の上に据え付けられたタブレットを指し示す。
「全部ここで確認できる。これはこの車だけじゃなくて、ウルヴズを搬送するトラックには全部ついてる。必要最低限のコミュニケーションはこれを通してできる」
「はい」
クロノスは頷き、ぽつりと言った。
「でも、ほ、じゃなくて私、役に立つんでしょうか?」
そして再度ガウスを見る。
「何か、さっきの話を聞いてると、役に立てる気がしないんですけど」
「役に立つかどうかはあまり問題じゃない」
パスカルがスマートフォンを見ながら言う。
「発注や納品は、一種の儀式だ。偶然生まれてしまったウルヴズを、多少強引にでも利用することで無駄をごまかそうとする。ある意味、年度末に予算を使い切るようなもんだな」
「はあ」
「例えばクロノスに限って言えば、クロスプランツはともかく、自身の皮膚や爪を培養したゴーグルなんてない方がいい。今クロノスが被っているガウスの予備のゴーグルみたいに、自分のDNAが入ってなければなおせるんだからな。それでもあえてそういう装備を作る。ゴーグルや靴ができたら、それを身につけろ、となるだろう。無駄だとわかっていても、それが決まりだからだ」
「ええ」
「で、でもね」
肩を落とすクロノスにガウスが声をかける。
「もしかしたら、クロノスのすごさがまだ理解されてないのかもしれないよ。正しく理解されて、『すごい!』ってなったら、また違う形になるかもしれないよ」
「まあ、それは言えるかもな。何にせよ、標本数が少なすぎるんだよ。もっとも、国からしたら、あまり増えてほしくない標本だけどな」
「ふーん」
クロノスが頷く。車が国道十八号、そして浅間サンラインを越えた。
「これが登山口連絡道路」
ガウスが言った。
「舗装はされてるけど、すごくカーブしてるからしっかりつかまっていて」
「は、はい」
クロノスが幌の骨組みに手をかけた。いくつか目かの左カーブで、ガードレールが崖側に落ちているのが見えた。
「事故ですか?」
「うん。先に連絡道路ができちゃったから、走り屋さんみたいな人たちがよく来るみたい。で、たまにああやってガードレールを突き破る人もいる」
「直さないんですか?」
「特にこの辺りは土地の権利関係が微妙だからな」
パスカルがクロノスを見た。
「さっきも言った通り、誰かが単独で、ってわけにはいかない。結局、意思決定が大幅に遅れる、っていう繰り返しだ。それも含めて、俺たちみたいなもんだな」
それからしばらく無言の後、クロノスが「あっ!」と声を上げた。
「あれがそうですか?」
小窓を通して前方の高い塀を指さす。
「あれはさっき言った浅間バルカンパーク。登山口はもう少し上」
ガウスが答える。
「でも、そろそろ着くから、準備して」
「何の準備ですか?」
「心の準備」
ガウスがマスクを外し、口角を上げて見せた。
「登山口の施設が完成すれば、登山の人たちだけじゃなくて、観光の人たちもたくさん来る。家族連れの親子や、デートの人たちが楽しい時間を過ごせる。パスカルの言うのはそうかもしれないけど、でも、私は、私がほんの少しでも誰かの笑顔に貢献できるって信じてる」
クロノスはガウスを見つめ、「は、はい!」と大きく頷いた。