第1話 お隣さんの森永姉妹ってこんな感じです
文字数 4,032文字
どこかでクッキングタイマーの電子音が鳴り響いている。
目覚めたばかりでぼんやりとしている頭で僕こと羽田空(はねだ・そら)十七歳はそう思う。
どたどたと慌ただしい足音が近づき、勢いよく部屋のドアが開いた。
誰かが入ってくる。
そのころにはぼんやりとしたものはどこかへ消え、明解ではないにせよ誰かの存在くらいは認識できるようになっていた。
気配は一人。
僕が目を開けたのと彼女の声が発せられたのはほぼ同時だった。
「はーい、起きて!」
彼女の手が僕を揺する。
僕はまた目をつぶり、ささやかな抵抗を試みる。
「あ、さっき目を開けてたでしょ」
知らぬふりを決め込む。
彼女の揺らす手の動きが強まった。
「ほら、起きなさい」
無視。
可愛らしい声にどきが混じる。
「あんたね、絶対起きてるでしょ」
うん。
心の中で認めるものの、今回ばかりはあと五分持ちこたえようと決める。
さらに揺さぶりは激しくなる。
もう間違いなく起きてしまうレベルだ。眠り姫や毒リンゴを食べた白雪姫だってこれには目を覚ます。
「ほーらー、観念しなさい!」
必殺脇腹くすぐり!
こちょこちょこちょこちょ……。
「うわっ、やめっ!」
たまらず目を開けた。
「はい、私の勝ち」
黒髪ツインテールの美少女がニヤリとしている。
「どうせ起きるんだから素直に起きなさいよ」
「相手がお前じゃなければ素直に起きるさ」
してやられた悔しさを隠すようにあえておどけた口調で応じる。
「お前が来たってことは、あずきが朝からはりきってるってことか。ご苦労だな」
「あんたねぇ」
ベッドから降りる僕に彼女こと森永みるく(もりなが・みるく)がため息をついた。
彼女は隣の家に住む森永家の双子姉妹の姉である。うちとは付き合いも長く、彼女たち双子は合鍵を使って自由に出入りできるほど僕の両親に信用されていた。
現在、僕の両親は家にいない。父が会社の都合でアメリカに転勤することとなり、母もついて行ってしまったからだ。
学校があるからと僕は残った。
両親不在の生活は去年の十月から始まってもう一年になる。
何かにつけて押しかけてくる双子姉妹の存在を除けば、概ね平穏な日々といえた。
みるくの二回目のため息。
「軽口叩く前に挨拶くらいしなさいよ」
「お前こそ挨拶なしだろ」
指摘されみるくは不思議そうに目をぱちばちさせた。
え?
とまず一言。
「あれ? 言ってなかった?」
「言ってないな」
「そう、じゃあおはよう」
「おはよう。とりあえずキスでもしておくか?」
「なっ」
みるくの頬に朱が走った。露骨なくらいわかりやすい。
うん、可愛い。
言葉にしてみた。
「みるくは朝から可愛いなあ」
「なっなっなっなっなっ何よ」
耳まで赤くなった。
純粋ちゃんだ。
ピュア子ちゃんだ。
ゆでだこちゃんだ。
みるくが両手で顔を隠す。リアクションがちょい気持ち悪かったが、これはこれで需要があるのかもしれない。
なけれはそのとき。
僕に嫁に来てくれる人がいなければ最終手段としてもらってやろう。
なんてね。
顔を隠したままのみるくに言う。
「みるくにはいつまでもきれいなままでいてほしいから、僕は手を出さないでおくよ」
「はぁ?」
みるくが手を顔から外した。
蹴りが飛んでくる。
ひょいとかわした。
もう一発放たれた右足を僕は掴んで止める。
このまま角度を変えてやればプリーツスカートの中身も見えそうだけどそんなことはしない。
みるくたちとは小学生からの付き合いだ。
一緒にお風呂にも入ったし、お昼寝も共にしたし、互いの家にお泊まりもした。それぞれ両親と仲もいい。
みるくたちの母親に「婿に来て」と誘われたこともある。
小六のときの話だ。
これがもっと小さかったら、わけもわからぬままみるくたち姉妹のどちらかと婚約させられていたかもしれない。
危ない危ない。
確かにあのころからみるくたちは可愛かったが、そんなものは長く時間を共有していれば慣れる。
うん。
みるくも、その妹の小豆も美少女だ。
成長して大人の魅力を身につければかなりの美人さんにもなれるだろう……いや、なれる。
僕が足を放すとみるくの拳が襲ってきた。
これには意表をつかれ、まともに腹に命中。
クリティカルヒット!
僕に9999のダメージ!
「ぐえっ」
腹を抱えて膝をついた。
ふう、と一仕事終えたアサシンみたいに小さく息をつき、みるくが言った。
「朝っぱらから人のぱんつじっくり干渉すんな」
いやいやいやいや。
それは盛大な誤解というものだ。
僕は抗弁を絞り出す。
「あの、角度だと、見たくても、見れない、ぞ」
「痴漢の言い訳には応じないから」
「冤罪だ、弁護士は、どこだ、人権活動家は、何をしている」
「変態に人権なし!」
容赦ないな。
このまま続けても裁判が長期化しそうなので、やむなく僕は折れる。
こうやってみるくに勝ちを譲ったのはこれで何度目になるだろう。
でも……。
「みるく」
「ん? 何よ」
「愛してるよ」
「なっ」
直接見なくても、耳まで真っ赤になったのがわかる。
ふっ、ちょろい奴。
と、思ったら……。
「もう、このバカァ!」
ようやく立ち上がりかけた僕のみぞおちにみるくのパンチが炸裂した。
★★★
暴力女のみるくを追い出し五分で身支度を済ませると僕はダイニングに向かう。
テーブルには三人分の朝食が並んでいる。
みるくが起こしに来たということはそれだけ手間のかかる料理を妹の森永あずき(もりなが・あずき)が作っているということを意味していた。余裕があればあずきが起こす役をみるくに譲ったりはしないからだ。
あずきが朝食を作るとだいたい和食になる。
ご飯に豆腐となめこの味噌汁、だし巻き玉子、焼き鮭、ホウレンソウのおひたし、筑前に、人参と白菜の甘酢漬け、それに沢庵……何というか毎度のことながらあずきには感服するしかない。
旦那になれる奴は幸せ者だ、と一応思う。
十数分後。
あずきは僕の隣でにこにこしながら自分で焼いた鮭を上品に食べている。骨を綺麗に取り分け、皿の上に散らかった様子はない。箸の持ち方も運び方も品格チェックに出しても余裕で合格できそうなくらいだ。
僕を起こしに行かなかったほうが隣に座る、というのが森永姉妹の暗黙の了解になっている。テーブルは六人用なので二人が両隣につけばいいような気もするのだが、どうも二人の間にルールが設けられているようだ。
詳しいことは知らない。
あずきは黒髪ロングの美少女。みるくと双子なだけあって顔はそっくりだ。ただ、同じように切れ長な目をしていても正確の差が表になるのかあずきからはさしてきつそうな印象を受けない。
それに比べて……。
「ん? あによ」
テーブルを挟んで反対側に座るみるくが、ご飯を口に入れたまま視線に反応する。食べながら喋るのは行儀悪いぞ。
「いや、顔は可愛いのに残念な奴だなと思って」
「ほほう、それはケンカ販売かしら?」
「そうだな、今なら希望小売価格の五十パーセントオンで売ってやろう」
「それだと値上げじゃない……って、元値はいくらよ」
「知らん」
「知らんって、あんたねぇ」
会話に割りこむことなくあずきが二杯目のご飯を完食した。当然のように三杯目のおかわりをしに席を立つ。
こいつはこいつで残念な奴だ。
あずきがダイエットにしくじった回数を数えようとしてやめる。みるくの何倍も摂取している割にデブった感じはしない。栄養の大半はおっぱいに流れているようだが。
森永姉妹の見分け方。
胸のサイズがAかF……。
「ちょっと」
Aカップ、じゃなくてみるくが睨む。
「何かものすごく失礼なこと思ったでしょ」
「いや、思ってないぞ」
「本当?」
「僕が嘘ついたことあるか?」
「ある」
即答された。
「いつ言った? 西暦何年何月何日何曜日何時何分何秒地球が何度回ったときに言った?」
「……あんたねぇ」
みるくが嘆息する。
「子供じゃないんだから」
「そうだな、みるくの子供になるくらいならあずきの子になったほうがいいな」
「……」
みるくの目が鋭さを増す。
間にテーブルがあって良かった。
あずきが茶碗にご飯を山盛りにして戻ってくる。
「ねぇ、空、」
僕とみるくの状況など完全にスルーして。
「今日、泊まってもいい?」
「ダメと言っても来るんだろ」
「えへへー」
あずきが笑い早速三杯目のご飯に箸をつける。
みるくの視線を感じるがあえて無視。
どうせこいつも泊まりたいのだろう。
あずきに応えた。
「うちに来るのなら『温泉お嬢様の事件簿』が終わってからにしてくれ」
言うだけムダとは思いつつも一応抵抗する。
「それだと夜の十一時を過ぎちゃうよ」
と、あずき。もちろんもう口の中にご飯はない。みるくとは違うのだ。
「空とあんなことやこんなことをする時間が減っちゃう」
「いや、どうせしないから」
「またまたぁ」
「万が一にも、なんてことはないが、うっかり手を出そうものなら絶対に僕の将来は決まってしまうからな。森永姓を名乗るつもりはない」
「それなら心配ないよ」
「あずきが羽田姓になるってのもなしだ」
「夫婦別姓でもいいよ」
「くっ」
なかなかしぶとい。
「結婚はしないぞ」
「空がそうしたいならあたしは構わないよ」
「一生未婚だぞ」
「ずっと一緒にいられるならそれでもいい」
「子供もなしだ」
「あたしが好きなのは子供じゃなくて空だし」
「千代子(ちよこ)さんが泣くぞ」
千代子というのはみるくとあずきの母親の名前だ。
「泣かないよ。お母さんはあたしの幸せを願ってくれるもん」
「じゃあ……」
「お父さんにあたしの幸せを邪魔する権利はないもん」
「……」
一吾(いちご)さん……哀れだ。
僕が父親なら娘にこんなこと言われたくない。
「ねぇ」
おもむろにみるくが口を開いた。
「空は私のこと愛しているのよね?」
ぴたりとあずきの動きが止まった。
みるくが顔を赤らめながらも続ける。
「あれも嘘なの?」
やばい。
僕は思った。
こいつ信じてやがる。
目覚めたばかりでぼんやりとしている頭で僕こと羽田空(はねだ・そら)十七歳はそう思う。
どたどたと慌ただしい足音が近づき、勢いよく部屋のドアが開いた。
誰かが入ってくる。
そのころにはぼんやりとしたものはどこかへ消え、明解ではないにせよ誰かの存在くらいは認識できるようになっていた。
気配は一人。
僕が目を開けたのと彼女の声が発せられたのはほぼ同時だった。
「はーい、起きて!」
彼女の手が僕を揺する。
僕はまた目をつぶり、ささやかな抵抗を試みる。
「あ、さっき目を開けてたでしょ」
知らぬふりを決め込む。
彼女の揺らす手の動きが強まった。
「ほら、起きなさい」
無視。
可愛らしい声にどきが混じる。
「あんたね、絶対起きてるでしょ」
うん。
心の中で認めるものの、今回ばかりはあと五分持ちこたえようと決める。
さらに揺さぶりは激しくなる。
もう間違いなく起きてしまうレベルだ。眠り姫や毒リンゴを食べた白雪姫だってこれには目を覚ます。
「ほーらー、観念しなさい!」
必殺脇腹くすぐり!
こちょこちょこちょこちょ……。
「うわっ、やめっ!」
たまらず目を開けた。
「はい、私の勝ち」
黒髪ツインテールの美少女がニヤリとしている。
「どうせ起きるんだから素直に起きなさいよ」
「相手がお前じゃなければ素直に起きるさ」
してやられた悔しさを隠すようにあえておどけた口調で応じる。
「お前が来たってことは、あずきが朝からはりきってるってことか。ご苦労だな」
「あんたねぇ」
ベッドから降りる僕に彼女こと森永みるく(もりなが・みるく)がため息をついた。
彼女は隣の家に住む森永家の双子姉妹の姉である。うちとは付き合いも長く、彼女たち双子は合鍵を使って自由に出入りできるほど僕の両親に信用されていた。
現在、僕の両親は家にいない。父が会社の都合でアメリカに転勤することとなり、母もついて行ってしまったからだ。
学校があるからと僕は残った。
両親不在の生活は去年の十月から始まってもう一年になる。
何かにつけて押しかけてくる双子姉妹の存在を除けば、概ね平穏な日々といえた。
みるくの二回目のため息。
「軽口叩く前に挨拶くらいしなさいよ」
「お前こそ挨拶なしだろ」
指摘されみるくは不思議そうに目をぱちばちさせた。
え?
とまず一言。
「あれ? 言ってなかった?」
「言ってないな」
「そう、じゃあおはよう」
「おはよう。とりあえずキスでもしておくか?」
「なっ」
みるくの頬に朱が走った。露骨なくらいわかりやすい。
うん、可愛い。
言葉にしてみた。
「みるくは朝から可愛いなあ」
「なっなっなっなっなっ何よ」
耳まで赤くなった。
純粋ちゃんだ。
ピュア子ちゃんだ。
ゆでだこちゃんだ。
みるくが両手で顔を隠す。リアクションがちょい気持ち悪かったが、これはこれで需要があるのかもしれない。
なけれはそのとき。
僕に嫁に来てくれる人がいなければ最終手段としてもらってやろう。
なんてね。
顔を隠したままのみるくに言う。
「みるくにはいつまでもきれいなままでいてほしいから、僕は手を出さないでおくよ」
「はぁ?」
みるくが手を顔から外した。
蹴りが飛んでくる。
ひょいとかわした。
もう一発放たれた右足を僕は掴んで止める。
このまま角度を変えてやればプリーツスカートの中身も見えそうだけどそんなことはしない。
みるくたちとは小学生からの付き合いだ。
一緒にお風呂にも入ったし、お昼寝も共にしたし、互いの家にお泊まりもした。それぞれ両親と仲もいい。
みるくたちの母親に「婿に来て」と誘われたこともある。
小六のときの話だ。
これがもっと小さかったら、わけもわからぬままみるくたち姉妹のどちらかと婚約させられていたかもしれない。
危ない危ない。
確かにあのころからみるくたちは可愛かったが、そんなものは長く時間を共有していれば慣れる。
うん。
みるくも、その妹の小豆も美少女だ。
成長して大人の魅力を身につければかなりの美人さんにもなれるだろう……いや、なれる。
僕が足を放すとみるくの拳が襲ってきた。
これには意表をつかれ、まともに腹に命中。
クリティカルヒット!
僕に9999のダメージ!
「ぐえっ」
腹を抱えて膝をついた。
ふう、と一仕事終えたアサシンみたいに小さく息をつき、みるくが言った。
「朝っぱらから人のぱんつじっくり干渉すんな」
いやいやいやいや。
それは盛大な誤解というものだ。
僕は抗弁を絞り出す。
「あの、角度だと、見たくても、見れない、ぞ」
「痴漢の言い訳には応じないから」
「冤罪だ、弁護士は、どこだ、人権活動家は、何をしている」
「変態に人権なし!」
容赦ないな。
このまま続けても裁判が長期化しそうなので、やむなく僕は折れる。
こうやってみるくに勝ちを譲ったのはこれで何度目になるだろう。
でも……。
「みるく」
「ん? 何よ」
「愛してるよ」
「なっ」
直接見なくても、耳まで真っ赤になったのがわかる。
ふっ、ちょろい奴。
と、思ったら……。
「もう、このバカァ!」
ようやく立ち上がりかけた僕のみぞおちにみるくのパンチが炸裂した。
★★★
暴力女のみるくを追い出し五分で身支度を済ませると僕はダイニングに向かう。
テーブルには三人分の朝食が並んでいる。
みるくが起こしに来たということはそれだけ手間のかかる料理を妹の森永あずき(もりなが・あずき)が作っているということを意味していた。余裕があればあずきが起こす役をみるくに譲ったりはしないからだ。
あずきが朝食を作るとだいたい和食になる。
ご飯に豆腐となめこの味噌汁、だし巻き玉子、焼き鮭、ホウレンソウのおひたし、筑前に、人参と白菜の甘酢漬け、それに沢庵……何というか毎度のことながらあずきには感服するしかない。
旦那になれる奴は幸せ者だ、と一応思う。
十数分後。
あずきは僕の隣でにこにこしながら自分で焼いた鮭を上品に食べている。骨を綺麗に取り分け、皿の上に散らかった様子はない。箸の持ち方も運び方も品格チェックに出しても余裕で合格できそうなくらいだ。
僕を起こしに行かなかったほうが隣に座る、というのが森永姉妹の暗黙の了解になっている。テーブルは六人用なので二人が両隣につけばいいような気もするのだが、どうも二人の間にルールが設けられているようだ。
詳しいことは知らない。
あずきは黒髪ロングの美少女。みるくと双子なだけあって顔はそっくりだ。ただ、同じように切れ長な目をしていても正確の差が表になるのかあずきからはさしてきつそうな印象を受けない。
それに比べて……。
「ん? あによ」
テーブルを挟んで反対側に座るみるくが、ご飯を口に入れたまま視線に反応する。食べながら喋るのは行儀悪いぞ。
「いや、顔は可愛いのに残念な奴だなと思って」
「ほほう、それはケンカ販売かしら?」
「そうだな、今なら希望小売価格の五十パーセントオンで売ってやろう」
「それだと値上げじゃない……って、元値はいくらよ」
「知らん」
「知らんって、あんたねぇ」
会話に割りこむことなくあずきが二杯目のご飯を完食した。当然のように三杯目のおかわりをしに席を立つ。
こいつはこいつで残念な奴だ。
あずきがダイエットにしくじった回数を数えようとしてやめる。みるくの何倍も摂取している割にデブった感じはしない。栄養の大半はおっぱいに流れているようだが。
森永姉妹の見分け方。
胸のサイズがAかF……。
「ちょっと」
Aカップ、じゃなくてみるくが睨む。
「何かものすごく失礼なこと思ったでしょ」
「いや、思ってないぞ」
「本当?」
「僕が嘘ついたことあるか?」
「ある」
即答された。
「いつ言った? 西暦何年何月何日何曜日何時何分何秒地球が何度回ったときに言った?」
「……あんたねぇ」
みるくが嘆息する。
「子供じゃないんだから」
「そうだな、みるくの子供になるくらいならあずきの子になったほうがいいな」
「……」
みるくの目が鋭さを増す。
間にテーブルがあって良かった。
あずきが茶碗にご飯を山盛りにして戻ってくる。
「ねぇ、空、」
僕とみるくの状況など完全にスルーして。
「今日、泊まってもいい?」
「ダメと言っても来るんだろ」
「えへへー」
あずきが笑い早速三杯目のご飯に箸をつける。
みるくの視線を感じるがあえて無視。
どうせこいつも泊まりたいのだろう。
あずきに応えた。
「うちに来るのなら『温泉お嬢様の事件簿』が終わってからにしてくれ」
言うだけムダとは思いつつも一応抵抗する。
「それだと夜の十一時を過ぎちゃうよ」
と、あずき。もちろんもう口の中にご飯はない。みるくとは違うのだ。
「空とあんなことやこんなことをする時間が減っちゃう」
「いや、どうせしないから」
「またまたぁ」
「万が一にも、なんてことはないが、うっかり手を出そうものなら絶対に僕の将来は決まってしまうからな。森永姓を名乗るつもりはない」
「それなら心配ないよ」
「あずきが羽田姓になるってのもなしだ」
「夫婦別姓でもいいよ」
「くっ」
なかなかしぶとい。
「結婚はしないぞ」
「空がそうしたいならあたしは構わないよ」
「一生未婚だぞ」
「ずっと一緒にいられるならそれでもいい」
「子供もなしだ」
「あたしが好きなのは子供じゃなくて空だし」
「千代子(ちよこ)さんが泣くぞ」
千代子というのはみるくとあずきの母親の名前だ。
「泣かないよ。お母さんはあたしの幸せを願ってくれるもん」
「じゃあ……」
「お父さんにあたしの幸せを邪魔する権利はないもん」
「……」
一吾(いちご)さん……哀れだ。
僕が父親なら娘にこんなこと言われたくない。
「ねぇ」
おもむろにみるくが口を開いた。
「空は私のこと愛しているのよね?」
ぴたりとあずきの動きが止まった。
みるくが顔を赤らめながらも続ける。
「あれも嘘なの?」
やばい。
僕は思った。
こいつ信じてやがる。