第7話 一葉

文字数 1,944文字

 お島はひょっとしたら、書物問屋でまた、新八と再会できるのではないかと

わずかな期待を抱きつつも、

あの時、贈られた書物の挿絵を参考に描いた絵を懐に忍ばせた。

尾張のお殿様の屋敷に到着すると、

なぜか、同じ敷地内にある小屋敷へと案内された。

「あなたさまが、牧野さまのご子息なんですか? 」

 お島は、牧野の息子が、指の汚れを指摘したお侍であると知り驚いた。

「牧野新六と申す。殿から直々に、橋渡しを仰せつかった」

 牧野の息子が名を名乗ると意外な一言を告げた。

「橋渡し役とはいったい、どういうわけですか? 」

 お島は、ただ、送り主の正体をつかむだけで

良いと安易に考えていたことに気づいた。

「のちに、殿は、梅小路を側室に迎えたいとお考えのご様子。

お忍びで、奥を訪れた折、梅小路とお会いになりお気に召したそうじゃ」

 新六が冷静に言った。

「それは、まことの話でございますか? 」

 お島は驚きを隠せなかった。

(寵愛する側室が同じ大奥に滞在中でありながら、

別のおなごに心を移したということ? )

尾張のお殿様は何とも、気が多いお方なんだろうと思った。

福は気性が激しい性格だという。梅小路が恋敵と知ったらどう思うことか。

「まさに、異例のことであるが、

公方様のお付の者には、それとなく、話を通してある。

その時が来るまで、そなたとわしとで、

おふたりの橋渡し役を務めることになる」

 新六が言った。新六の落ち着いた様子から、

日常茶飯事であるとうかがいみた。

早くも、小姓に話を通すとは、実に手慣れている。

一方、家綱公は、御台所とは、一定の距離を保ちつつ、

側室の振とも淡白な関係を保っている。

大奥取締役の立場上、将軍付の上臈女中たちと交流があるが、

将軍とふたりきりで会うことはない。

それもあってか、梅小路への関心はうすく、

こたびの縁談への障害はなさそうに思えた。

「ご寵愛なされている福さまはどうなるのでございますか? 」

 お島は、福の気性を考えると、何かないとは言えないと心配した。

「そなたが気にする必要はない。殿が自ら、お望みなのだから」

 新六が咳払いすると言った。

はたして、元将軍側室である気高い梅小路が、

将軍家の分家の側室になりたいと思うのだろうか?

大奥にとどまっていた方が、

権力を維持しながら安定した余生が過ごせるはず。

養母の矢島局も結婚はしているが、

嫁ぎ先の家には住まず、大奥暮らしを続けている。

大奥にいた方が、職務上、何かと便利だからだ。

 大奥へ戻る前に、書物問屋に寄り道した。

店内を1周したものの、新八の姿はなかった。

ふと、沖田幽仁のことを思い出して、医院を訪ねてみることにした。

幽仁が営む医院は、幕臣が集住する

町内に位置しているため、患者は武家が多い。

邪魔にならないよう、中をのぞくと、

忙しなく働く医者見習いや女中たちの姿が見えた。

繁盛しているようで、数名の患者が待合室に座っている。

「あれ? 」

 お島が医院をあとにしようとした矢先、聞き覚えのある声が聞こえた。

お島は、その声の主が意中の相手であることに気づき、思わず、顔を赤らめた。

「お久しぶりです。こんなところで、お会いできるとは思いもよりませんでした」

 お島がやっとのことで告げると、新八がニコッと笑った。

「元気で何より。わしは、幽仁先生のもとで修業をしておる」

「そう言われてみれば‥‥ 」

 お島はようやく、新八が、医者見習いの姿をしていることに気がついた。

書物問屋で出会った時は、上着を羽織っていたため気づかなかった。

「いただいた書物を見て描いたのですが‥‥ 」

 お島はおずおずと絵を差し出した。

「わしにくれるのか? 」

 新八が言った。

「どうぞ」

 お島が告げた。

「上達しておるのう。あ、そうだ! 」

 新八が満足気に絵を懐にしまうと、次の瞬間、何を思ったのか、

腕に抱えていた書物の間に、しおり代わりに、

はさんでいたもみじをお島の手の平に置いた。

今は新緑の季節。紅葉している樹木はどこにもない。

「去年のもみじじゃ。あまりに美しかった故、書物の間にはさんで取っておいた。

そなたに授けることにいたす」

 新八が意味深な一言を残した。

去年のもみじを託すと言うことは、つまり、今年の秋に再会できることを

新八自身も期待しているという意味なのだろうか?

それとも、何かあげたいが、他に思いつくものがなかったからなのか?

「わたしはこれを」

 お島は、財布についていた根付を手渡した。

それは、実父が生前、お島のために蒔絵を描いた根付だった。

「大切なものではないのか? 」

 新八が訊ねた。

「書物のお礼です」

 お島が答えた。

お島は、いつも、身近に身に着けているものを自分の分身として、

新八には持っていてほしいと考えた。

この根付を見た時、きっと、自分のことを思い出してくれるだろう。

 




 
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