第40話『荒い運転と朝の市場』
文字数 3,941文字
リクと、レアたち食堂車のメンバーは、まだ早朝とも呼べない様な暗闇の中を、懐中電灯の明かりを頼りに歩いていた。
「車は電源車に積んであるのよ」レアが言った。「ガレージみたいに、お尻の部分が、上に開く様になっているの。そこから、車を出すのよ」
「あの瞬間、いつ見ても ハラハラ するんだよねえ。ニッキーてば、毎回毎回、凄いわ」
レアの言葉に続いて、ゾーイが吐き出す様に言った。
森の奥で、何かが動く音がした。
「ハラハラ って、どうして? 」
ほんの少しの音に、懐中電灯を落としそうになりながら、リクは尋 ねた。
「だって、電源車だよ? 変なところにぶつけたりしたらって考えると、怖いでしょう」
一方で、全く心配を見せないゾーイが答えた。
「ニックさんは、本当に運転が上手なんですね! あれ、何か今、そこに いませんでした⁉ いえ、何でもないです。本当に、憧れますよ! だってほら、今時、ハンドルを握ることが稀 になってきているじゃないですか」
リクと同じく、夜の森に恐怖を抱くソジュンは、時々 情けない声を出しながら、ゾーイに頷 いた。
森の声に恐れ戦 きながら、リクたちは、やっとニックの待つ、汽車の末端へと辿り着いた。
レアの言った通り、電源車の後ろの壁が、車庫の様に高く持ち上がっていて、鉄板のスロープが地面へ降りていた。その下に、ずっしりとした、カーキ色のバンが止まっていた。
「あれが、私たちの車よ! 」
レアが指差して言った。
「こんな大きな車が、汽車に積まれてたんだね」
リクが驚いていると、隣にいたソジュンも、頷いた。どうやら彼も、この車を見るのは初めてだったらしい。
「おう、おはよう! 」
バンの向こう側から、野太い声が飛んできた。ニックだ。
お人好しの大男は、穏やかに手を振りながらリクたちの前へと進み出ると、レアに車の鍵を渡して言った。
「ここらを探索してみたんだが、全くと言っていいほどの森だな。整地されてないから、気を付けろよ」
「ありがとう、ニッキー。それで、どこから抜ければいいかしら? 」
レアがニックにそう聞いたのに対し、リクが「え? 」と声を上げた。
「レアが運転するの? 」
「そうよ! 」リクの言葉に、レアが悲鳴に似た様な声を上げた。「不安なのかしら? これでも、事故は起こしたこと無いのよ! ドイツでも運転したこともあるわ──どうして、運転したことがあるのかってことは聞かないで頂戴ね」
彼女の悪いところは、自己の能力を高く見積もることだ、と、リクは確信した。
ニックに見送られながら出発した車は、幾度となく木に車体を掠 め、その度に、後部座席に固定されたリクとソジュンの頭を窓ガラスにぶつけた。
「痛っ! レア! 曲がる時は、もっと丁寧に曲がってよ! 」
「ゾーイさん! 僕、もう限界です! 袋、袋をください! 」
ギャアギャア と叫び声を上げる ふたりに、ハンドルを握るレアは、イライラ した口調で答えた。
「しょうがないじゃないの! そもそも道が安定していないのよ! きゃっ! また木よ! 」
しかしレアの言う通りでもあった。夜の森は、そこに住む、動物たちの所有物だ。星明りすら認めない闇の中、ヘッドライトだけを頼りに手探りで進んでゆく。
まるでお化けの様に木が目の前に突然 現れる。ハンドルを切っても、大きな木が待ち伏せしている、といった具合なのだ。それに、地面が度々ぬかるんでいて、思わぬ方向へ車体を傾ける。
「この森! 早く終わってくれないかしら! 」
動物の気配を感じたレアは、雄叫 びの様なクラクションを鳴らしながら言った。
「と、言うより、これって本当に街に着くの? 」
扉にしがみつく様に座っているリクが、レアに聞いた。しかし、答えをくれたのは、助手席に座るゾーイだった。
「着くよ! ショートカットがあるんだよ」
「ショートカット? うわっ! 」
急なカーブに、眼鏡を飛ばされそうになったリクに、ゾーイは振り返った。肉厚な美しい唇 の端を上げたウェイトレスは、リクが握っている、紙を指差した。
「それに、記されてあるでしょう? 」
「これに? 」
「うん。さっき、アディが持たせてくれたって、言ってたでしょう」
リクは、「どういうこと? 」と首を傾げながら、折り畳まれていた紙を開いた。
アダムが
「何、これ? 」
呟いて、リクはゾーイたちに紙を見せた。
すると、紙に書かれた輪っかの中が、火が灯った様な瞬きを見せた。蝋燭みたいに、ユラユラ、光は強まったり弱まったりを繰り返し、最後に ボワッ と、ペンで描かれた輪っかだけが焼失した。
「えっ⁉ 」
リクとソジュンは同時に悲鳴を上げた。紙を持っていた手を、咄嗟 に手放した。
その時、耳元で小鳥の囀 りが聞こえた。
「あら、いらっしゃい! 道案内、お願いね」
ゾーイがそう喋 り掛けた方向に目を向けたリクは、目を見開いた。
そこには、リーレルたちピクシーと同じくらいの背丈の、人間の女の子が浮いていたからだ。
小さな女の子は、苔色 の豊かな長い髪を乱暴に編み込んで、三つ編みを作っていた。花びらで拵 えた冠 を被り、草の葉っぱを器用に組み合わせたワンピースを着ていた。足は、裸足のままだった。背中には、モンシロチョウの羽根が生えていた。
女の子は、小さくお辞儀をすると、自らを、「森の祝福者、パック」だと名乗った。そして頬 を桃色に染めた。
「キャンディみたいな月明り。飛んだら舐められないかしらって、お羽根を伸ばしていましたら、甘い匂いが漂 ってきましたの。いつか嗅 いだ、キャンディの香り。アタシが求めていた香り」囀る様に女の子は語った。「釣られていったら捕まってしまった。蜂蜜みたいな髪の色をした、綺麗な瞳の青年でしたわ。“キミは、街への近道を知っているね?” そう話し掛けられて、アタシ、“ええ、知っておりますよ。でも、キャンディをくれたなら”って言ったのよ。だってアタシ、キャンディを食べてみたかったんですもの。青年は、アタシの願いを叶えてくれましたの。だからアタシは、“ほんの いっかい、いっかいだけ、言いなりになってあげる”って言ってあげましたわ」
パックは、もじもじ と、そこまでを説明すると、険しい顔でハンドルを握る、レアの前へと飛んで行った。
「可愛いお嬢さん。アタシの言うことだけを聞いていてくださいな。貴女は今から、真っ直ぐしか進んではいけませんわ。怖がらないで。アタシのナカマが護ってくれますから。お空に明かりが差す その時まで、貴女は真っ直ぐ走っていなさい。そうして、目の前が パッ と弾けて、光がお空に舞った時、アタシが美しい声で囀った時、左に向かって進んで頂戴ね」
「ほ、本当に、大丈夫なのかしら」
レアが聞くと、森の祝福者は可愛い笑顔で頷いた。
「アタシのとっておきの近道ですのよ。道を出たなら、すぐに止まって頂戴ね。人がたくさん、危ないわ」
「わ、分かったわ」
今度はレアが頷いた。
少女の妖精は、嬉しそうに チュンチュン と笑い声を立てると、「あら、いけない! 」と、はにかんだ。
「すぐに笑っちゃいますの。アタシの悪い習慣ですわね。では、アタシ、お外で見守っていますわ。その時になったら、貴方達のもとへ、囀りに来てあげるから。さようなら! 」
そう言い残して、パックは姿を消した。
妖精の明かりが消えた車の中、リクたちは真っ直ぐに走り続ける車に、ぼんやり口を開いていた。
「本当に、真っ直ぐ走れているわ」
レアが言った。
「これこそ、魔法だね」
ゾーイが隣で頷いた。
「アダムさん、いつの間に、あの妖精を手懐 けていたんでしょうか? パックは、気まぐれ中の気まぐれ屋だというのに」
ソジュンは、妖精が出てきた紙を見つめながら言った。その横で、リクは窓の外の景色に目を向けていた。
「それより見てよ、あの妖精の数! あんなにたくさんのピクシーたち。輝いていて、まるで星みたいだね! 」
それぞれが好きなことを言い合っているうちに、だんだんと空が白みだしてきた。森の夜明けだ。
「きゃっ! 」
レアの悲鳴に、ウトウト と瞼 を閉じかけていたリクは跳ね起きた。
「ど、どうしたの⁉ 」
「今、光がっ──! 」
言いかけた時、耳元で、小鳥が囀る声が聞こえた。
「レア、左! 左! 」
リクが叫び、レアが、「分かっているわ! 」と、体ごとハンドルを左に倒した。
「レアさん、見てください! 」
ソジュンが目の前を指して大声で言った。
新米料理長の指差す先には、木の枝で作られた、大きな、大きな輪っかがあったのだ!
「いよいよ、森を抜けるよ! 」
ゾーイが弾ける様に笑った。
車が、輪の中に突入した。全ての光が、真っ暗に遮断 された。
「あ、この感覚、知ってる」
長い 長いトンネルを、真っ逆さまに落ちていく感覚。
「レア、ブレーキ踏んで! 」
ゾーイの呼び掛けに、リクたちは ハッ と我に返った。
車内にブレーキ音が響き渡り、ガクン と停車する感覚を覚えた。
視界がだんだんと明るくなってゆく。水の中にいる時の様に、ぼんやりしていた音も、ゆっくりと明瞭になってゆき、何度か瞬 きを繰り返していたら、ここがどこなのか、分かってくるようになった。
ここは──……
「大きな川だ! 」
「そう。そして、ここが、私たちが目指していた、“水上の市場”だよ! 」
ゾーイがリクに振り返って、笑った。
「車は電源車に積んであるのよ」レアが言った。「ガレージみたいに、お尻の部分が、上に開く様になっているの。そこから、車を出すのよ」
「あの瞬間、いつ見ても ハラハラ するんだよねえ。ニッキーてば、毎回毎回、凄いわ」
レアの言葉に続いて、ゾーイが吐き出す様に言った。
森の奥で、何かが動く音がした。
「ハラハラ って、どうして? 」
ほんの少しの音に、懐中電灯を落としそうになりながら、リクは
「だって、電源車だよ? 変なところにぶつけたりしたらって考えると、怖いでしょう」
一方で、全く心配を見せないゾーイが答えた。
「ニックさんは、本当に運転が上手なんですね! あれ、何か今、そこに いませんでした⁉ いえ、何でもないです。本当に、憧れますよ! だってほら、今時、ハンドルを握ることが
リクと同じく、夜の森に恐怖を抱くソジュンは、時々 情けない声を出しながら、ゾーイに
森の声に恐れ
レアの言った通り、電源車の後ろの壁が、車庫の様に高く持ち上がっていて、鉄板のスロープが地面へ降りていた。その下に、ずっしりとした、カーキ色のバンが止まっていた。
「あれが、私たちの車よ! 」
レアが指差して言った。
「こんな大きな車が、汽車に積まれてたんだね」
リクが驚いていると、隣にいたソジュンも、頷いた。どうやら彼も、この車を見るのは初めてだったらしい。
「おう、おはよう! 」
バンの向こう側から、野太い声が飛んできた。ニックだ。
お人好しの大男は、穏やかに手を振りながらリクたちの前へと進み出ると、レアに車の鍵を渡して言った。
「ここらを探索してみたんだが、全くと言っていいほどの森だな。整地されてないから、気を付けろよ」
「ありがとう、ニッキー。それで、どこから抜ければいいかしら? 」
レアがニックにそう聞いたのに対し、リクが「え? 」と声を上げた。
「レアが運転するの? 」
「そうよ! 」リクの言葉に、レアが悲鳴に似た様な声を上げた。「不安なのかしら? これでも、事故は起こしたこと無いのよ! ドイツでも運転したこともあるわ──どうして、運転したことがあるのかってことは聞かないで頂戴ね」
彼女の悪いところは、自己の能力を高く見積もることだ、と、リクは確信した。
ニックに見送られながら出発した車は、幾度となく木に車体を
「痛っ! レア! 曲がる時は、もっと丁寧に曲がってよ! 」
「ゾーイさん! 僕、もう限界です! 袋、袋をください! 」
ギャアギャア と叫び声を上げる ふたりに、ハンドルを握るレアは、イライラ した口調で答えた。
「しょうがないじゃないの! そもそも道が安定していないのよ! きゃっ! また木よ! 」
しかしレアの言う通りでもあった。夜の森は、そこに住む、動物たちの所有物だ。星明りすら認めない闇の中、ヘッドライトだけを頼りに手探りで進んでゆく。
まるでお化けの様に木が目の前に突然 現れる。ハンドルを切っても、大きな木が待ち伏せしている、といった具合なのだ。それに、地面が度々ぬかるんでいて、思わぬ方向へ車体を傾ける。
「この森! 早く終わってくれないかしら! 」
動物の気配を感じたレアは、
「と、言うより、これって本当に街に着くの? 」
扉にしがみつく様に座っているリクが、レアに聞いた。しかし、答えをくれたのは、助手席に座るゾーイだった。
「着くよ! ショートカットがあるんだよ」
「ショートカット? うわっ! 」
急なカーブに、眼鏡を飛ばされそうになったリクに、ゾーイは振り返った。肉厚な美しい
「それに、記されてあるでしょう? 」
「これに? 」
「うん。さっき、アディが持たせてくれたって、言ってたでしょう」
リクは、「どういうこと? 」と首を傾げながら、折り畳まれていた紙を開いた。
アダムが
地図
と言って渡してきた紙は、すっからかんだった。道という道は無く、森の記号はおろか、等高線すら描かれていなかった。茶色く薄汚れた紙の中央に、黒いインクで、綺麗な円形が書かれているだけだった。それ以外に特筆すべき点と言えば、紙の端々に、薄っすらと、砂糖の粒がくっついているくらいだ。「何、これ? 」
呟いて、リクはゾーイたちに紙を見せた。
すると、紙に書かれた輪っかの中が、火が灯った様な瞬きを見せた。蝋燭みたいに、ユラユラ、光は強まったり弱まったりを繰り返し、最後に ボワッ と、ペンで描かれた輪っかだけが焼失した。
「えっ⁉ 」
リクとソジュンは同時に悲鳴を上げた。紙を持っていた手を、
その時、耳元で小鳥の
「あら、いらっしゃい! 道案内、お願いね」
ゾーイがそう
そこには、リーレルたちピクシーと同じくらいの背丈の、人間の女の子が浮いていたからだ。
小さな女の子は、
女の子は、小さくお辞儀をすると、自らを、「森の祝福者、パック」だと名乗った。そして
「キャンディみたいな月明り。飛んだら舐められないかしらって、お羽根を伸ばしていましたら、甘い匂いが
パックは、もじもじ と、そこまでを説明すると、険しい顔でハンドルを握る、レアの前へと飛んで行った。
「可愛いお嬢さん。アタシの言うことだけを聞いていてくださいな。貴女は今から、真っ直ぐしか進んではいけませんわ。怖がらないで。アタシのナカマが護ってくれますから。お空に明かりが差す その時まで、貴女は真っ直ぐ走っていなさい。そうして、目の前が パッ と弾けて、光がお空に舞った時、アタシが美しい声で囀った時、左に向かって進んで頂戴ね」
「ほ、本当に、大丈夫なのかしら」
レアが聞くと、森の祝福者は可愛い笑顔で頷いた。
「アタシのとっておきの近道ですのよ。道を出たなら、すぐに止まって頂戴ね。人がたくさん、危ないわ」
「わ、分かったわ」
今度はレアが頷いた。
少女の妖精は、嬉しそうに チュンチュン と笑い声を立てると、「あら、いけない! 」と、はにかんだ。
「すぐに笑っちゃいますの。アタシの悪い習慣ですわね。では、アタシ、お外で見守っていますわ。その時になったら、貴方達のもとへ、囀りに来てあげるから。さようなら! 」
そう言い残して、パックは姿を消した。
妖精の明かりが消えた車の中、リクたちは真っ直ぐに走り続ける車に、ぼんやり口を開いていた。
「本当に、真っ直ぐ走れているわ」
レアが言った。
「これこそ、魔法だね」
ゾーイが隣で頷いた。
「アダムさん、いつの間に、あの妖精を
ソジュンは、妖精が出てきた紙を見つめながら言った。その横で、リクは窓の外の景色に目を向けていた。
「それより見てよ、あの妖精の数! あんなにたくさんのピクシーたち。輝いていて、まるで星みたいだね! 」
それぞれが好きなことを言い合っているうちに、だんだんと空が白みだしてきた。森の夜明けだ。
「きゃっ! 」
レアの悲鳴に、ウトウト と
「ど、どうしたの⁉ 」
「今、光がっ──! 」
言いかけた時、耳元で、小鳥が囀る声が聞こえた。
「レア、左! 左! 」
リクが叫び、レアが、「分かっているわ! 」と、体ごとハンドルを左に倒した。
「レアさん、見てください! 」
ソジュンが目の前を指して大声で言った。
新米料理長の指差す先には、木の枝で作られた、大きな、大きな輪っかがあったのだ!
「いよいよ、森を抜けるよ! 」
ゾーイが弾ける様に笑った。
車が、輪の中に突入した。全ての光が、真っ暗に
「あ、この感覚、知ってる」
長い 長いトンネルを、真っ逆さまに落ちていく感覚。
「レア、ブレーキ踏んで! 」
ゾーイの呼び掛けに、リクたちは ハッ と我に返った。
車内にブレーキ音が響き渡り、ガクン と停車する感覚を覚えた。
視界がだんだんと明るくなってゆく。水の中にいる時の様に、ぼんやりしていた音も、ゆっくりと明瞭になってゆき、何度か
ここは──……
「大きな川だ! 」
「そう。そして、ここが、私たちが目指していた、“水上の市場”だよ! 」
ゾーイがリクに振り返って、笑った。