おやつの時間に気づかない 1
文字数 2,969文字
少女が落ち着くまでにはそれなりの時間を要した。
その間、しばらくは話しかけても答える余裕もないほどに取り乱していたから、結局出来るのはただ見守ることだけ。時間が無限というわけではないが、ここで下手に刺激する方が後に響く。
自分でも全く気づかないままで周囲に、今だって妙齢の美男子もいるような所でずっと胸を全部さらしていたわけだから、年頃の乙女としてこれは無理もない反応だろう。家族にだって見られたくない姿を、ただの他人に見られた衝撃は年齢性別問わないが、年頃の乙女となったら、ここで簡単に割り切って普段通りに振る舞える筈もない。
大きく叫んだ後はずっとうつむいて小声でぶつぶつと「恥ずかしい死ぬ」「もう無理」などと、延々呪文のごとく独り言を繰り返していた少女が、やっと自らゆっくり顔を上げてこちらを見たのは、それが数十回は繰り返された後だった。窓から入る光が多少傾く程度の時間が経っている。
その間、カトレアは黙ってノーティの様子を見守り、ハーミットは壁からずっと動かずに顔ごと違う方を向いていた。彼は部屋に入ってきた少女の姿を視認した瞬間からずっと、その姿を直接見ないよう最大限の配慮をしているようだったが、それでも部屋を出て行くつもりが全くないらしい。
それがスケベ心からくるものならば追い出せたものを。
彼の頑固さにも困ったものだ。
やっと視線が合った少女に、苦笑しつつ問いかける。
「落ち着いた?」
「あー、いや、落ち着いたっつーか、いやその、恥ずかしいっちゃ恥ずかしいんだけど」
言いながら、まだ赤い頬のまま、隠すように己の胸元を両手で押さえて少女がチラッと見るのはやはり彼の方。
当然だろう。仮に気のある相手であったって、普通誰でも、そういう姿を見られたいとは思わない筈だ。
本当にこれは申し訳ない。命じて動くような相手なら良かったのだけど。
「ごめんなさいね」
「どーりであの人、最初から殆どこっち見てなかったんだなーって。いやめっちゃ見られてても困るけど」
意外に観察していたらしいその言葉を聞きながら、全くだと思う。もしそこで鼻の下伸ばしてちらちら見るような男なら追い出すのは簡単だったのに、最初に確認した瞬間から徹底してノーティへ視線を向けないあたり、ここから動く気はないと、ずっと態度で主張しているから参る。
はぁ、と少女はため息をついた。
「でもさぁ、アタシずっとこの姿だったってことは、どっちにせよもう見られた後ってことでしょ」
「そうね。彼は別に言いふらすような事はしないけど、希望するなら最大限に配慮はするわよ。ここで見たものをオカズに使用しないよう要請するとか」
「おかず?」
ことんと首を傾げ繰り返す少女。年頃だが、この辺はまだ無垢だったらしい。
同時にがたっと壁際で音がするのを無視して言葉を続ける。
「自分だけその姿が恥ずかしくて嫌だというなら、私が脱いでもいいし」
「何言ってんだ」
ついに聞こえてきた声も無視して言葉を続ける。
「何ならあいつも脱がせるし」
おそらく、出て行くか脱ぐかの二択を迫れば、彼なら上の服くらいは脱ぐだろう。
「う、それはちょっと気になる提案ですけどー、あの人が案内終わるまでこの部屋から出るっつー選択肢はないんですかね?」
そこで少女から示されたのは非常に建設的かつ合理的な提案だったが、過去の経験に基づいて彼女は沈痛に頭を横に振った。残念なことだが、その選択肢があるならちゃんと最初に提案している。いや提案するより前、少女が部屋に入ってきたその時に彼を部屋から追い出している。
「あいつ私の言うこときかないのよ。あれで変態的嗜好の持ち主っぽくて、私がどんなに罵倒してもお願いしても絶対出ていかないのよね残念ながら。むしろそれがご褒美になっちゃうのよね。申し訳ないんだけど、案内が終わるまで我慢してもらえる?」
「うわぁ……あれが噂の残念な美形ってやつですか」
同情するような顔になった少女に対して頷く。この際多少の誤解は致し方ない。
「そうよ」
「うんじゃあ仕方ないですね。兄が言ってました変態は人の数に入れないって」
その話が多少気になる。
だが今は関係がないし案内が優先だ。それに彼の残念さと美形さは間違っていないので肯定すれば、なぜか妙に納得したようにすっきりした顔になったノーティは完全に落ち着きを取り戻したが、その向こうにいる残念な美形の方は視線だけで人を殺せそうな程の表情である。
だが何をどれだけ言っても出ていかないことは事実だし、変態的嗜好も彼の普段の言動から疑われる事案なので訂正しない。
少女の兄の発言の経緯もかなり気になるところだが、ここまで聞いた限りでは普段から非常に溺愛されているという話だったので、きっと何かあったのだろう。一緒に街を歩いている時に露出狂を見たとか……。
落ち着いたものの、あらわな胸元は両手で隠したまままで、少女が困った顔をして言う。
「それにしてもなんでアタシこんな姿なんだろ」
「覚えてないの?」
「全っ然! ってか覚えてたら最初からもっと気にしますよ!! こんな姿で堂々してたらアタシ完全にただの露出狂じゃないですか」
「それもそうね」
断固として否定するノーティに、特に異論はないので頷いておく。
実はその結わえられた茶色の髪も少しほつれ乱れているのだが、霊は鏡で己の姿が見れるわけではないのでそこは指摘しないでおく。今の姿でふらっと街中にいたら、真っ先に疑われるのは露出狂ではなく犯罪被害者だろう。近くに親切な人がいれば慌てて保護するような状態。
元気はあるものの、少女は少し不安そうに続ける。
「こういう、自分でわかんないのって、よくあるんですか?」
「霊に関して言えば、珍しくないわね」
それは記憶に関してだろうか。それとも状態に関してだろうか。どっちにせよ答えは同じなので、また頷く。
霊とはそういう存在だ。
更に言うなら、今回はまだ明らかに外側から見えるおかしな部分が「服の上半身の一部だけ」な分、かなりマシな方である。
霊の全てではないものの、何らかの事件や事故に巻き込まれた情報を持ってやってくる霊は、時にもっと凄惨だったり生々しい外見でここに訪れることも少なくない。自らが(あるいは誰かが)流した血がそのままついていたり、受けた暴行の傷が褪せもせずに残っていたり、腹から内臓がさらけ出されていたり、自分以外の何かの体液が全身のあちこちについていたり。時には、そんな状態の上、男女問わず全裸の者だっている。
しかも生き霊の場合は霊になるその時の身体の状況を引きずるので、余計にそれらは生々しい。
そうなる経緯を思えば、真実がわかる前であっても推定することさえ気分が悪くなる位、酷い状態の場合だってある。
が、そんなことはこの少女が知る必要はない。
「そうなんだ。じゃあ賢者様はこういうの見慣れてる感じ?」
「まぁね」
霊が見える目を持つ限り、見えるものに慣れてしまうのは仕方ないだろう。人が街ゆく群衆の一人一人に、滅多に気を配らないのと同じだ。葬儀屋が客となる死体には動揺しないのと同じ。
慣れるのは構わない。案内をするなら、大事な情報を見逃さなければ、それでいい。
見えるものに動揺する前にやるべきことは山ほどある。
特に今回のような場合は。
その間、しばらくは話しかけても答える余裕もないほどに取り乱していたから、結局出来るのはただ見守ることだけ。時間が無限というわけではないが、ここで下手に刺激する方が後に響く。
自分でも全く気づかないままで周囲に、今だって妙齢の美男子もいるような所でずっと胸を全部さらしていたわけだから、年頃の乙女としてこれは無理もない反応だろう。家族にだって見られたくない姿を、ただの他人に見られた衝撃は年齢性別問わないが、年頃の乙女となったら、ここで簡単に割り切って普段通りに振る舞える筈もない。
大きく叫んだ後はずっとうつむいて小声でぶつぶつと「恥ずかしい死ぬ」「もう無理」などと、延々呪文のごとく独り言を繰り返していた少女が、やっと自らゆっくり顔を上げてこちらを見たのは、それが数十回は繰り返された後だった。窓から入る光が多少傾く程度の時間が経っている。
その間、カトレアは黙ってノーティの様子を見守り、ハーミットは壁からずっと動かずに顔ごと違う方を向いていた。彼は部屋に入ってきた少女の姿を視認した瞬間からずっと、その姿を直接見ないよう最大限の配慮をしているようだったが、それでも部屋を出て行くつもりが全くないらしい。
それがスケベ心からくるものならば追い出せたものを。
彼の頑固さにも困ったものだ。
やっと視線が合った少女に、苦笑しつつ問いかける。
「落ち着いた?」
「あー、いや、落ち着いたっつーか、いやその、恥ずかしいっちゃ恥ずかしいんだけど」
言いながら、まだ赤い頬のまま、隠すように己の胸元を両手で押さえて少女がチラッと見るのはやはり彼の方。
当然だろう。仮に気のある相手であったって、普通誰でも、そういう姿を見られたいとは思わない筈だ。
本当にこれは申し訳ない。命じて動くような相手なら良かったのだけど。
「ごめんなさいね」
「どーりであの人、最初から殆どこっち見てなかったんだなーって。いやめっちゃ見られてても困るけど」
意外に観察していたらしいその言葉を聞きながら、全くだと思う。もしそこで鼻の下伸ばしてちらちら見るような男なら追い出すのは簡単だったのに、最初に確認した瞬間から徹底してノーティへ視線を向けないあたり、ここから動く気はないと、ずっと態度で主張しているから参る。
はぁ、と少女はため息をついた。
「でもさぁ、アタシずっとこの姿だったってことは、どっちにせよもう見られた後ってことでしょ」
「そうね。彼は別に言いふらすような事はしないけど、希望するなら最大限に配慮はするわよ。ここで見たものをオカズに使用しないよう要請するとか」
「おかず?」
ことんと首を傾げ繰り返す少女。年頃だが、この辺はまだ無垢だったらしい。
同時にがたっと壁際で音がするのを無視して言葉を続ける。
「自分だけその姿が恥ずかしくて嫌だというなら、私が脱いでもいいし」
「何言ってんだ」
ついに聞こえてきた声も無視して言葉を続ける。
「何ならあいつも脱がせるし」
おそらく、出て行くか脱ぐかの二択を迫れば、彼なら上の服くらいは脱ぐだろう。
「う、それはちょっと気になる提案ですけどー、あの人が案内終わるまでこの部屋から出るっつー選択肢はないんですかね?」
そこで少女から示されたのは非常に建設的かつ合理的な提案だったが、過去の経験に基づいて彼女は沈痛に頭を横に振った。残念なことだが、その選択肢があるならちゃんと最初に提案している。いや提案するより前、少女が部屋に入ってきたその時に彼を部屋から追い出している。
「あいつ私の言うこときかないのよ。あれで変態的嗜好の持ち主っぽくて、私がどんなに罵倒してもお願いしても絶対出ていかないのよね残念ながら。むしろそれがご褒美になっちゃうのよね。申し訳ないんだけど、案内が終わるまで我慢してもらえる?」
「うわぁ……あれが噂の残念な美形ってやつですか」
同情するような顔になった少女に対して頷く。この際多少の誤解は致し方ない。
「そうよ」
「うんじゃあ仕方ないですね。兄が言ってました変態は人の数に入れないって」
その話が多少気になる。
だが今は関係がないし案内が優先だ。それに彼の残念さと美形さは間違っていないので肯定すれば、なぜか妙に納得したようにすっきりした顔になったノーティは完全に落ち着きを取り戻したが、その向こうにいる残念な美形の方は視線だけで人を殺せそうな程の表情である。
だが何をどれだけ言っても出ていかないことは事実だし、変態的嗜好も彼の普段の言動から疑われる事案なので訂正しない。
少女の兄の発言の経緯もかなり気になるところだが、ここまで聞いた限りでは普段から非常に溺愛されているという話だったので、きっと何かあったのだろう。一緒に街を歩いている時に露出狂を見たとか……。
落ち着いたものの、あらわな胸元は両手で隠したまままで、少女が困った顔をして言う。
「それにしてもなんでアタシこんな姿なんだろ」
「覚えてないの?」
「全っ然! ってか覚えてたら最初からもっと気にしますよ!! こんな姿で堂々してたらアタシ完全にただの露出狂じゃないですか」
「それもそうね」
断固として否定するノーティに、特に異論はないので頷いておく。
実はその結わえられた茶色の髪も少しほつれ乱れているのだが、霊は鏡で己の姿が見れるわけではないのでそこは指摘しないでおく。今の姿でふらっと街中にいたら、真っ先に疑われるのは露出狂ではなく犯罪被害者だろう。近くに親切な人がいれば慌てて保護するような状態。
元気はあるものの、少女は少し不安そうに続ける。
「こういう、自分でわかんないのって、よくあるんですか?」
「霊に関して言えば、珍しくないわね」
それは記憶に関してだろうか。それとも状態に関してだろうか。どっちにせよ答えは同じなので、また頷く。
霊とはそういう存在だ。
更に言うなら、今回はまだ明らかに外側から見えるおかしな部分が「服の上半身の一部だけ」な分、かなりマシな方である。
霊の全てではないものの、何らかの事件や事故に巻き込まれた情報を持ってやってくる霊は、時にもっと凄惨だったり生々しい外見でここに訪れることも少なくない。自らが(あるいは誰かが)流した血がそのままついていたり、受けた暴行の傷が褪せもせずに残っていたり、腹から内臓がさらけ出されていたり、自分以外の何かの体液が全身のあちこちについていたり。時には、そんな状態の上、男女問わず全裸の者だっている。
しかも生き霊の場合は霊になるその時の身体の状況を引きずるので、余計にそれらは生々しい。
そうなる経緯を思えば、真実がわかる前であっても推定することさえ気分が悪くなる位、酷い状態の場合だってある。
が、そんなことはこの少女が知る必要はない。
「そうなんだ。じゃあ賢者様はこういうの見慣れてる感じ?」
「まぁね」
霊が見える目を持つ限り、見えるものに慣れてしまうのは仕方ないだろう。人が街ゆく群衆の一人一人に、滅多に気を配らないのと同じだ。葬儀屋が客となる死体には動揺しないのと同じ。
慣れるのは構わない。案内をするなら、大事な情報を見逃さなければ、それでいい。
見えるものに動揺する前にやるべきことは山ほどある。
特に今回のような場合は。